『窪田正孝 × 妻夫木聡 ×平野啓一郎』平野啓一郎小説を好きになったキッカケ『ボクらの時代』
[音楽] それぞれどんな幼少期を過ごしたのでしょうか? 僕はね、子供の時あんまり本読も好きじゃなかったんですよ。え、 で、昔から独少年だったんですがとかよく言われるんですけど はい。 なんか本読むの嫌いってよりも 外で遊ぶが楽しかったんで。 ええ、全然 そうなんですね。 すごい時に、ま、みんな外で野球とかサッカーとかしてるのにな んでこんな本なんか読んでなきゃいけないのかなって感じはしてて。 でもだんだんやっぱり高校ぐらいになって文学の方によりこう興味が へえってったっていうんですかね。 そういうのって何か好きだなってこうなるきっかけってあるんですか? 僕はね、最初に三島って人のこう金格実小説読んですごく衝撃を受けたんですけど、 それはね非常にキラびやかで 華麗なんですよね。うん。 なんかレックとうん。 あの、使れてて、こういう日本語があるのかって、それまず文章に感動したのと、ま、とにかくね、暗いんですよね、話が。 で、それが良かったんですよ。 もそのなんか 中学ぐらいになって、ま、だんだん時我も発達してきて、なんとなくこう クラスにいてもね、 ちょっとこうみんな面白いと思って喋ってる昨日のテレビの話とかが 漫画の話とかが 俺は本当のこと言うとあんまり面白くないなみたいなちょっとこう 教室の中で距離感みたいなのを感じた感じてちょっと孤独を感じ始めた頃に、ま、それを読んで うん。 もうすごく共感したんですよね。 うん。 ただ北九州の田舎にいましたからなんか作家になるとかね。ま、そういうのはちょっと全然イメージは分かないんですよね。 うん。 小説は好きでしたけど、ま、作家になりたいとかは慣れるとも思ってませんでしたし 全然現実的じゃなかったんですよね。 久さんとかどうどうだったんですか?幼少期は。 幼少期ですか。でもとにかく 3人兄弟、男3 人兄弟のす子だったんですけど、もう兄の後をずっとくっついて へえ。 遊んでいて 何歳上だったんですか?1 個上と4つ上だったんですけど。 あ、じゃあ1番下なん。 そうですね。1 番上の兄がなんか少年野球のユニフォームを来て帰ってきた時に衝撃を受けて 野球やりたいってなったりとか 結構割とやん家で活発な方でしたね。 うん。うん。 何でもやっぱり挑戦してみるタイプだったの。 なんか家族にてかう幼期にあんまり女性がいた記憶がないというか、母親しかいなかったというか。 [音楽] あ、そうですか。 なんか不思議なんですけど小学校もなんか男女はあんまり仲良くなかったんでしたね。 あ、 なんかちょっと喋ったらあ、女好きだみたいなからこう言われるみたいな。 僕の世代とかももろそうでしたね。 あ、やっぱそうですか。うん。 スポーツばっかやってて、体をかすことだからとにかくすごく好きだったんですけど。 うん。1 番一生懸命やってたスポーツって何なんですか?その頃。 1 番好きだったのはでもバスケですね。 バスケ。うん。 なんかクラブかなんかに入ったんですか? 一応中学の部活に入ったんですけど、やっぱ 1 個上なので兄貴が真ん中の兄がんですよ。で、やっぱ中学に入ると やっぱ縦社会すごいじゃないですか。て、 あ、大会系 だからこうなんか久保田さんって呼ばなきゃいけないですよ。 あ、お兄ちゃんでも久保田さん、あ、 もう学校で会う時はなきゃいけないっていう言われて、絶対それやだと思っていて うん。 で、ある時スラムダンクを読んだ時に、あ、これバスケがしたいってなってから なんか三井久しみたいにもう無償にバスケにはまってった感じでしたね。 うん。中学の3年間だけ。 でもそっから中学3 年間やってそこからえっと物づりに少し興味が湧いてきて父が建築関係の仕事をしていたので [音楽] そこから工業高校の機会に入ってそこも工業高校だったからまた女性と喋る機会がまたなくなっ そうなんです。結構少なかったんですよね。 うん。 あったら喋れるんですけど、なんか 2 人きりになったりとか人と男の子とでもそうなんですけど、 2 人きりになったりすると途端にちょっと何喋っていいかわかんないとか結構そういう時期があって なんか極力あまりこう人に関わらない仕事をしたいなっていう風になんか人から逃げてくじゃないけどなんとなくそういうのもあったのとなんか物づりがしたいっていうのがあって うん やっぱ車とか乗り物がすごい好きだったからそっちの整備士になろうと思ってなんかガソリンスタンドでバイトもしてたんですけど うん でそれをちょっと 母親があまりにって心配ねてそこからオーディション受けてみなって言われて受けて受かったのでちょっとずつ今に繋がってたって感じですよね。 ああでも久保さんご自身がその女子と 2 人きりになってちょっと喋ったりするのが得意じゃないとかって思ってたとしてももうなんか沿線の女子校の女の子とかが大騒ぎだったんじゃないですか?なんかあそこにかっこいい子はいるみたい。 いやいやいやいやいやいやいや俺コの文化祭とか行ったことあります? あるあるある あります。 うん。 1回もの枠って誘われることもなく えああ、 交わることがないんですなかったんです。 だからなんかよくモてたでしょとかそう言ってもらえるんですけど 1番持てたのは小学校6 年生の時だけです。 ああ、そうですか。 そこだけです。 バレンタインチョコとかもらった? バレンタイン小学校の時は 結構もらってた。 うん。な んだ?なんだ?何それ?な、そのに焼けた感じは相当。 そうですね。 そらそうでしょ。小学、小学6 年生の時だけなんかもらえた時期があって あ、何個もあった? いや、でも 12個くらいこもらってんな。 いやいやいやでもってことないでしょ。じゃないですか。 ね、本当ですよ。 いや、めちゃめちゃ表に いやいやいや、もう全然っすよ。本当にチョコとかも 5個ぐらいが最高だし。 本当ですか? うん。全然。 そんな12個5 個とか言って僕話しにくいじゃないですか、それ。 [笑い] でもそのお母様がそのオーディションでも受けたらって言うぐらいだからやっぱりなんかそういうちょっとこう芸能関係の仕事をすべきだみたいな存在感だったんじゃないんですか? ああ、いや、母が元々なんかその地元のモデル師みたいな仕事をバイト感覚みたいなので昔やってたみたいで なんかちょっとその思いをなんか持ってたみたいで それをなんかこうかけてくれたっていう感じ。 元々だって人とさ、接するのがあまり得意じゃなかったのにさ、思いっきり人と接するしかないところに行ったじゃん。 それどうやって自分でこう打開したの?でも 1 番大きかったのでもメイクさんでしたね。 1 番一緒にいたやっぱうん。 僕ら一緒にやっぱいるじゃないですか。メキさん伊生さんと メイクさんがやっぱり女性が多くて最初本当にどう喋っているのか分からなかったりしてたんですけどなんかそこで話していくうちにだんだん知らない間にこの壁みたいなものがなくなってってから うん。 なんだろう、人とセッションすることが少しずつこう楽しみを覚えてたっていう感じ。 うん。うん。 でしたね。 つまさんはどうですか?お子さんの時はそもそも え、いや、もう本当僕普通の子供だったんじゃないかなと思うんですけど。僕も元々あの福岡人間で あ、 あの小学校2 年ぐらいで横浜の方に出てきたんですけど うん。結構カルチャーギャップはあったんですか? ありました。僕福岡の小学校通ってる時についたらまず裸になんないといけなかったんです。 の小学校そうだった。 北九州はね。 そうです。福岡は共通なんすかね、あれ。 うん。そう。なんかあの頃裸教育があの辺で流行って内はもちろん裸でしょ。 外もなんだよ。 そう、そうなんですよ。 え、体育の授業と全部、全部、全部もうだって本ん当サッカーも果でやってましたも ねえ。 へ、 本当にすごいよね。 まずだから外で遊んだらあの手と足ないといけない。足洗い場ってのはね、ありましたね。 そうなんですか。 こ、もう水道水ガブ飲みしてたね。ごくごく飲んでた。 その横浜に行かれてからなんかクラブ活動とかなんか趣味とかはまってったことってあるんですか? 僕の兄もなんかバンドをやってて それでやっぱり兄貴とずっと一緒のここまで一緒に部屋だったんで うん。 なんか兄がやってるのを見て自分もやっぱりギター欲しいなと思ったりとか最初はま、ギターを持っては見たものの一緒にやってくれる人がいないからうん。 うん。 なんか、ま、その当時ケボが流行り始めてた時だったんで うん。 そのスケボに乗ったりとかしてて、ま、兄が 2つなんで うん。 高校に進学して多分そろそろ将来のことを兄貴のことで父が考え出したんでしょうね。 急に中学2 年生で毎日スケボに開けてた俺にお前 2 週間後までに将来の夢考えてこいて言われて考えてこいって言われていやわかんないよそんなこと言ったってつって夢も何もないのにさうん どうしようと思ってまあじゃあやっぱりスケボが好きだからプロスケーターになるってその時言ったのしたらスケボなんかで飯が食えるかつってその当時今でこそさこんなにスケボっていうのがもうさしてるけど お父様的にはなん 解があったんですか?こ、こういうことを言ってほしい。父的な正解っていうのがあったのかどうか僕には分からないんですけど、ま、父にとっては何でもいいからプロになってほしいっていう、ま、別にそのサラリーマンになってその道のプロになるっていうことでもいいと思うんですけれども、 何かこう極めて欲しいっていう スケボはダメだった。 スケボダメだったらしいですね。あんまりこう多分結びつかなかった。 まあね、職業ってイメージがね、当じゃなかったでしょ。 [音楽] でもなんかそん時に何でもいいからプロになれっていう風に言われたことっていうのは、ま、結果自分の支えとなって今やっぱりこう お金をいくらこう芝居が下手でもお金をもらっていう以上プロなんだっていうなんか意識はすごく若い頃あからあったしう ん。そういう父知の言葉っていうのはかなり小さい頃っていうか、ま、若い時は支えなような気がしますね。うん。 うん。 うん。 もしかしたら組が 1 番ご覧のスポンサーの提供でお送りします。 久保田はとかつま引きはとかって書いてるとね、 当然その若い時に、ま、もう受賞されてるじゃないですか。その若い時ってその当然賞を取りに行こうなってことも考えてもないと思うし、 [音楽] シンプルに小説を書きたいものを書いてたと思うんですよ。 今考えて自分の何が高評価されて証を取ったもんだと思いますか? 90年代はもう文学は終わったとか 近代文学はもう終わったとかこうやり尽くした感みたいなのがすごく語られたんですよ。 へえ。 もう19 世紀からこうバルザックとかフロベリとかの時代からもう偉大な作品が散々書かれて もう現代人がやること残ってないみたいな話も結構あってちょっとそういうこう割と知的な議論がずっと行われてる中で はい。もうそういう話は知らんと。 もう書きたいもの書くみたいなちょっと新しいムーブメントみたいなが起こってた時代ではあったんですよね。あの町田孝さんとかあの町田町戸って言ってこうパンカ手として有名だった人が小説かけだったりとかまゆみさんとかがその劇団演劇の方から入ってきたりとか [音楽] うん。 それでちょっとねなんかこう割と 90 年代後半ぐらいはあの文学も混沌とし出して へえ。 なんかそれまでのこう評価とはまたちょっと違う軸で人が出てきたなみたいな雰囲気があったんで うん。 ま、その中であの評価されたっていう感じだったんですよね、僕は。 へ、いや、だからびっくりします。すごいその、ま、ノミネートされる時にだ、ま、ノミネートしていいですかっていうはい。 あの、連絡が来るんですよね。 うん。だ、 その階でしていいですか?やっぱりこだわりがあって ダメですっていう人もいるんです。あんまりないと思うけど。いるんですか? へえ。 そうなんだ。 そう。実は僕もね、あの本当のこと言うとシと関係ないところで文学文学カストしていきたいと思ったんで、 ちょっとね、断ろうかと思ったんですよ。一瞬。 うわ、すごいですね。すごい。 でもちょっと色々ね、僕がデビューにするにあたって、ま、お世話になった編集者とかもたし うん。まあ、色々考えて結局はね、その ノミネト受けたんですけど、 アタ賞とかに関して言うと 社会的にはすごくよく知られてるから超取るとなんか割と取材先で親切にしてもらったりとか、あと親が安心したりとかそういう社会的な意味はやっぱ結構あるんですよね。 なるほど。うん。 僕もなんかデビューした頃から大ガドラマに出ることがすごく有名だっていう風に思っていた時があって、主演が決まった時に、ま、すごく自分自身も嬉しかったんですけどうん。 おじいちゃんがあの、お衆議、ご衆議を、送ってきてくれたんですよ。で、ご周義を送ってくるなんていうことが初めてだったんで、 あ、 自分がやってることで何かこう家族をね、こうなんか喜ばせるっていうのはうん。 すごいシンプルだったんですけど、すごくそのことの方が嬉しかったんですよ。自分がこう決まったっていうことよりもう ようやく少しおじいちゃん高校だとか家族高校が少しだけできたような気がして あん時はなんかすごく嬉しかったですね。 ふ田君はさ、お母さんがさ、それこそさ、福田君が何かをに出て 1 番喜んでくれたものとかってかかったりする。 ずっとオーディション受からなくて うん。 えっと、母親にもごめん、やめるって 194年2 年後に言ったんですけど、母親ますごい悲しそうな顔をしてて、でもそれオーディション受からないからしょうがないと思って うん。 で、事務所にも言ってたんですけどで、その落ちるってなって 1 番最後に受けたオーディションか三孝志監督があの映画屋がドラマを作るっていう企画がテレトであって あ、 で、それで1 年間の試役決まった時に本当に心から喜んでくれたのは ああ ありましたね。 いがうん。1 番最初のオーディションとかでなんか化粧っていうかメイクをしてもらったことはなかったんですけど メイクして帰ってきたらすごい写真を撮られて [笑い] すごいメイクしてるシ メイクしてるだけで メイクしていやもうもうそんな取らなくていいよみたいなのもあったりしたんですけどなんかだから今は自分の家族ができて本当にこうまた こうなんだかな親にはなってないけどこう うん 母親の視点とか母親 の気持ちとかっていうことをやっぱり年齢重ねてくると なんか想像ですけど、まだ自分の段階では 前ほど頻繁にはやっぱりあえてはいないんですけど、自分の家族があるから。でもなんかすごくこう離れても繋がっているっていうか、なんかそういうのを感じられるのは やっぱそうやって一緒に過ごしてきてくれたものがあったからなのかなっていうのは思ったりはしてますけどね。うん。 お兄ちゃん達ってどう思ってんの? なんか話したりする? いや、あんまりでも前ほど話さなくなりましたね。仕事のことは。 見たよとかっていうのは言ってくれましたけど、あまりこう 中身まではこう照れ部分が ああ、 前はでも見ることすら多分してなかったし うん。 やっぱこうちょっと仲の悪い時期とかも あったんですごい喧嘩が多かったりとか なんかもうそれぞれに家族を持ってすごくお互いフラットになって うん。 で、今すごいあのCM やってるじゃんとかポンっていきなり連絡くたりとかそういうのはでもありますけどね。うん。 [音楽] うん。 そうさん仲いいですよね。 仲いいね。兄貴はそうだな。ずっと仲いいな。まあ多分兄が特にねすごく大かな人だったんで うん。いろんなことを多分我してくれてた んだろうなって今思うと思うんですけど、 僕のことに関しても。だから今でも結構 仲いすね。一緒にキャンプ行ったりだとか 次最近もあの兄の家に遊び行ったりとかも したし お芝居の中身とかについてんあそこ いやもうそれ話さないですね。向こうから も言わない聞いてこないし話さないな。 もしかしたら兄が 1番何も話さなくていい存在。 ああ、1 番もしかしたら僕はフラットに入れる存在なのかもしれないですね。 うん。うん。 兄がれば別に隣で好きなこともやれるとか 別に何もやんなくてもいいとか 唯一もしかしたら兄が甘えられる存在なのかもしれないですね。うん。 だからキャンプ行っても2 人きれでキャンプ行ってもあんだけこう楽なのかなって思うのかもな。 他人の評価は気にしますか? 時期によってすごくなんだっけ?エゴさとかした時期もありますね。 [音楽] それは読者ってやっぱり読者って言われるけどもっとこう広く考えると今という時代を生きてる人たちってことなんでその人たちが僕の作品読んでどう思うか感じるかっていうのは結構やっぱ重要だと思うんですよね。 うんうんうん。1 人が俺はこうやって書くみたいな はい。 のがいいっていう考えもあるけど、僕はやっぱりこう今っていう時代生きててなんか書いてる表現者で木怒哀楽いろんな反応があって感動したって言ってくれる人もいればあの怒る人とかもしなんだこんなの そうなんですかね。 もう時間返せとかね。 [笑い] ま、え、すごい。 でもそれも反応ですからね。 うん。SNSとか見ますか? SNSですか? 他の評価は 全く見ないんです。 あ、全く見ない。え、でもやってることはやってるじゃん。 ま、インスタ、あ、一応インスタは始めさせてもらってコメントいただいてることに関してとかは、ま、それは見たりはするんですけど、 他人の評価を気にするほど別にそんなにうん、世の中に貢献してるって思っては動いてないから やっぱ自分やりたい、好きなことを今瞬間を楽しみたいと思えればなんかそんなに気にはならないのかなとは思うんですけど、ただ本当おっしゃると 1人汚りは良くないとはう 役割を超えて自己とか人欲求の方に行っちゃうとやっぱどうしてもそうなっちゃうのかなって思うから なんかそこの線引は 意識してたいなとは思ったりはしてますか? わかんないです。 いやあ、俺作品はするかもしんないな。 あ、 どっかやっぱ自分がこう関わってるものだったりするとなんだろうな。 親族みたいな 感じのイメージになっからさ。うん。 その親族がどういう風に思われてるかなっていう気分でやっぱ見ちゃうのかな。 ああ、そういう風に思われんのかつって。じゃあちょっと 次はそう思われないようにしなきゃなみたいなさ。 うん。 ま、それによっても芝居が変わることはもうあんまりはない。ないんだけど影響することはないんだけど原作のものがこう映像化するっていうのはやっぱり多々あると思うんですよ。 平さんの立場から見て自分が生み出した子供みたいなものが 永続化するっていうのはどういう [音楽] 思いがあるんですか?僕がね、やっぱり同時代の映画とか音楽とか色々なジャンルのものから影響を受けてるんですけど自分の小説もそれと同じように同時代のミュージシャンとかそのエア監督とかなんか物作ってる人がこう僕の先に反応してくれるってことはやっぱりすごく嬉しいんですよね。 [音楽] ああ。うん。 だから監督さんとかキャスティングとかいろんなことには、ま、口出しをしないことにしてるんですよね。 うん。 映画は映画の作る人たちの作品なんで、僕はこうだと思って映画もその通りになってたらなんか原作者としては満足かもしれないけど、ちょっとやっぱりなんか映画としてはそれはうまくいってないってことなんじゃないかなって気もするんですよね。 うん。 った人たのうクリエイティブなものがこう反映される余地があんまりないってことなんで客観的に見れるもんなんですか?それともやっぱり主観的になってしまう部分の方が多いんですか? いやあ、やっぱドキドキしますよね。 [笑い] それが一番僕たちドキドキしますけどね。 でも昔ね、瀬戸弱長さんってもうなくなっちゃったけど、瀬戸さんが歌舞伎の脚婚書いたことがあって、一緒に見に行ったことがあるんですよね。 うん。うん。 そしたらね、瀬戸さん隣でね、自分で書いた脚本にもうボロボロ泣きながら見てて、もうすごい感動して見てて、 で、これがやっぱりこう作家の大醐みだなと思って、 自分で書いたものに自分で泣くみたいな。 だからそれはね、なんか客観的なのか主観的なのかもはやわからないっていうか、 自分は書いたって思いもあって泣いてるとこもあるかもしれないけど、やっぱ一観客として泣いてるみたいなところもあって うん。うん。 こ何から始めるんですか?題材から始めるんですか?それとも人物なんですか? 僕の場合はやっぱりちょっとやっぱテーマかな? テーマかですか?テーマかな?名前とかってどうやって決めるんですか? 名前とかってどうす? それ難しいんですよ。もうね、まずね、 知り合いの名前は避けるっていうのはね。もうだった。そう、そう、そう、そう。 何冊も書いてたら そう、そう。だんだんね、避けきれなくなってく、もう最近はね、もうしょうがないやと思って知り合の名前もだいぶ入ってんですけど。 キラキラでもなっちゃうよね。 やっぱりね、どうしてもね、久保田はとかつまとかって書いてるとね、もう 知ってる人のイメージがね、やっぱ混ざってきちゃうんでなるだけ知らない名前とかを考えるんですけどそっか。そっか。 将来だから子供ができる時に いや、この役の名前があったからなとかもうね、 [音楽] 色々 自分の名前を避けるようになったりとか共有人の人の名前を避けるようになったりとかになってくるよ。 しょうだこのト。 それでは今日も素晴らしい 1日あ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽]
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