広瀬すずvs二階堂ふみの理不尽演技合戦!本当に難解?何が言いたい話なの?映像と脚本の嘘に隠された緻密で理不尽な伏線を勝手に解説【映画『遠い山なみの光』 松下洸平 三浦友和 吉田羊 カズオ・イシグロ】

どうも大島安きです。映画やドラマの話をしているチャンネルでございます。え、 2025年9月5日 公開の映画遠い山波の光という作品について喋ってまいります。神賛 [拍手] 私さち子さんに言っとらんことなると [音楽] 2 つの時代に秘られた嘘。 私のせいなんです。 あんたのせいじゃなかった。 女たちの切なすぎる真実が明かされる。 遠い山波の光 私たちも変わるとです。 感動のヒューマンミステリー 9月5日公開。 え、今回はですね、タイアップでございます。え、公式からご依頼をだきましてですね、え、好きなように勝手に、え、考察解説をしていいということでございますので、この映画僕はかなり良かったと、え、思っておりますので、え、しかしですね、え、かなりやるところも結構多いと思いますので、私はこのように考えましたと、え、ことをですね、喋っこうと思っております。 難しい作品なんですよ。喋るのも難しいし 、ま、理解するのも、え、結構難しいなっ ていう感じなんですけど、僕は見て良かっ たと、え、思うし、結構歴史に残る作品な んじゃないかなと、え、思いましたので、 迷ってる方は是非見ていただきたいと思い ます。で、ここからね、あらすを説明し ながらですね、え、その後に、え、 ネタバレガンガン、え、していくんです けれども、ま、え、一言で言うとね、これ 濃動性をすごく観客に求めると、え、いう タイプの映画でした。え、で、僕最初この ご依頼を頂いてね、動画を、え、今作っ てるわけですけれども、その前に、え、 死者で拝見してたんですけども、え、その 時にはなんかぼんやり見てしまいました。 で、結構ぼんやり見てしまった後に終盤 ですね、え、とあるネタしというか、ま、 ある種のドで返しのような、え、ところが あるんですけど、そこで、え、あ、あ、 そういう映画だったのっていう、あ、その つもりで見てなかったから全然わかん なかったわみたいな、え、感じになって 最後混乱して終わったと、え、いう印象 だったんですけれども、え、今回ですね、 2回目、え、3回目と、え、繰り返し見る ことによって、え、どんどん濃密さが理解 できると、え、いう内容でございました。 で、この後にも説明するんですけれども、 え、監督脚本編集を石川K算という監督が 、え、やっておりまして、ま、ご録とか 三バと円来とか、え、アークとかある男と か、え、そういう映画見たことある人は 分かると思うんですけれども、おそらくね 、え、全てのカットに、ま、複数の意味が 込められているっていうタイプのですね、 え、重層的で情報量の多い映画を作る監督 ですけれども、え、その極地みたいな感じ の、え、作品になってしまっているなと、 え、思います。なので、え、これ ミステリーとして考察を深め るっていうよりかはですね、え、モチーフ の読み解き、象徴の読み解き、これは何を 表しているのか、え、そしてこれは何を、 え、仕様として描いている場面なのかって いうことが、ま、1個のカットとか1個の 場面につき、え、2個、3個当たり前にあ るっていうですね、え、この情報量の映画 作品をですね、え、日本語で見 るっていうのが、え、そして日本の俳優人 で見るっていうこと自体が、え、そして、 ま、最新作ですからまだ評価が、え、 固まってない。読み解き方とか評価が 固まっていないという状態で見られ るっていうことがまず、え、めっちゃ幸せ だと思いますので、え、そういう意味でも 是非、え、見ていただきたいなと、え、 思うんですけれども、石川系監督の過去の 作品とかと比べると、え、かなりですね、 ま、推進力が弱いというか、え、こういう 風に見てくださいよっていうお前が最初 からしっかりあるわけではなくて、え、 そういう意味で観客がですね、え、かなり 前のめりに、え、自主性、濃動性を持って 、え、見ないといけないっていうところが 結構特徴なのかなと、え、いう風に思って おります。え、で、ま、あらすじ公式の ものを引用しますけれども、え、日本人の 母とイギリス人の父を持つ2期、え、大学 を中滞して作家を目指す彼女は長崎で原爆 を経験し、え、戦後イギリスへ渡り暗くを 共にした長女をなくした母のエ子の反省を 作品にしたいと考える。え、事女に頼まれ 、ずっと口を閉ざしてきた過去の記憶を 語り始めるエ子。え、それは戦後もない 長崎で出会ったさ子という女性とその幼い 娘と過ごした人夏の思い出だった。え、だ が2期は次第にその物語の食い違いに 気づき始め長崎の越子を演じるのは広瀬鈴 。え、さ子に二海道文、え、イギリス時代 の越子に吉田洋、2期にはオーディション で選ばれた神愛子、え、さらに越子の夫役 に、え、松下平、その父親に三浦友という 豪華キャストですということですけれども 、え、この時点でね、あらすじ、え、座組 の時点で結構複雑かなと、え、いう風に 思われるかもしれないですけど、ま、ここ は見始めれば、え、大丈夫かなと思います 。つまり、え、2つの時代が描かれてい まして、え、1982年っていうのが、え 、ま、過去なんだけれども、そのさらに大 過去と、え、いうのがありまして、え、 我々から見たら、え、過去の1980年代 、82年だったかな、え、の、え、 イギリスに住んでいる、イギリスの田舎に 住んでいる、え、親子がいまして、え、 それを吉田洋さんと、え、神子さんという 方が、え、やってますと。母子ですね、母 がいますと。で、え、その母がさらに昔の こと大過去の話をし始めるっていう、え、 ところで長崎に場面が、え、映るんです けれども、大過去パートは広瀬鈴さんが 越え子という人物をやっていて、え、その 、え、過去パート、え、大過去に比べて 過去のパートでは吉田洋さんがやってい るっていう、え、この2人が同じ人物の役 をやっておりますということですね。で、 え、長崎の大過去の方の時代、1952年 の方の、え、越子さんが広瀬鈴さんが、え 、出会った女性というのがさ子さんという 人物で、その人が、え、二階道文さんで あるということですね。え、分かりにくい ですかね?僕の説明によってちょっと逆に 、え、分かりにくくなってるような気も するんですけれども、え、ま、そういう、 ま、大きく2つの時代が描かれていて、え 、その時代のこう行ったり来たりを、え、 していくで、え、ま、過去の、え、時代 から大過去を語っているその視点が、え、 何かこう嘘が含まれているのではないかと いうことにですね、え、聞き手である。で 、ま、我々観客視聴者、え、というのは この2期の、え、立場に限りなく近いです けれども、ん、お母さんの言ってること おかしくないかっていうことがですね、 だんだん、え、だんだん分かってくると、 え、いうタイプの作品なんだけど、でも それは1個の嘘があるっていうことじゃ なくて、え、複数のたくさんの、え、服装 的な、重層的な嘘が、え、積み重なってい るっていうことがですね、え、何回も見 てくとやっとわかるっていう感じの、え、 作品でございます。はい。え、で、作り手 の話も一応しておきましょうか。え、原作 の小説がありますね。え、石黒さんという 方が書いている小説ですけれども、え、 この方、ま、ノーベル文学省で、え、ま、 有名というか日本でね、え、最近また どんどんお話題になっていますけれども、 ま、日の名残りとか、え、私を話さないで とかが有名で映画化もされていますと。で 、え、今回のこの問イ山の光という映画化 されている作品はですね、え、長編小説の デビュー作品でありまして、え、ま、ご 自身の思い出とかもベースに、え、描かれ ていて、ま、長崎、え、出身で、え、子供 の時に、え、親の仕事の都合でイギリスに 移られたということなので、この、ま、 越子という人物とか、え、その、ま、越子 の、ま、娘の、え、人物とかにこう石黒 さんの、ま、記憶というか、え、が映され ているっていうのは、え、少なからず結構 あるのかなと。で、え、今回の映画にも エグゼクティブプロデューサーとして、え 、関わっておりまして、原作者だけでは なくて、え、映画家にも結構前のメりに、 え、取り組んでいらっしゃると、え、いう ことですね。しぶしぶじたとか、え、映画 家を許してやったとかいう感じじゃなくて 、え、かなり積極的に関わってくれている という感じですね。え、そして、え、監督 脚本編集が石川Kさんで代表作はさっき 紹介しましたけれども、え、ま、特徴とし てはですね、ま、1つの、え、単戦的な、 え、話を作る人ではないっていうところ ですね。で、これはちょっと難しい言い方 になっちゃってますけれども、え、ま、 数石さんも石川Kさんも同じだと思うん ですけれども、え、2人ともですね、記憶 や語りを巡る作家ですね。え、記憶とは何 なのか、え、そして人が物を語るとは何な のかっていうこと自体に、え、すごく自覚 的であり興味を持っていて、それをテーマ に描いている、え、作家という点では、ま 、え、文学会における和井石黒さんの ポジションと、え、映画会における石川K さんのポジションっていうのは結構似てる なと。え、その、ま、分隊とか、え、その 和法とか、え、そういうことにすごく興味 がある、え、ていうタイプの作家として 共通点は僕すごく大きいなと、え、いう風 に思いますので、数石作品を石川Kさんが 映画化するっていうことには、え、これは 本当納得しかないというか、え、非常に ですね、え、信和性が高いということは、 え、双方のファンが認めるところなのでは ないかと思います。え、で、結果的にこれ 、え、ここからネタバレに入りますけれど も、え、越子とさ子ですね、え、広瀬さん が演じている、え、大過去の方の1952 年の方の越え子が出会う相手のが、え、二 階道文さんが演じるさ子という女性なん ですけれども、え、これ最終的に、え、 1番最後の、え、場面で、え、この2人が 、ま、同一人物だったんじゃないかって いう、え、ように見える映像で終わります けれども、え、これはですね、原作から さらにですね、石川Kさんが、え、映画化 するにあたって、え、かなりですね、ええ 、解釈をしているという風に僕は思いまし た。え、で、ま、原作では同一人物っぽい なとか、え、さち子って越子なんじゃねえ かっていう、え、ことが、ま、断定できる ような描写っていうのは、ま、ほぼ、ほぼ というか全くないんですよね。え、なんだ けどある種のこうジョジストリックという か、え、ドで返しみたいな感じで映画的に こうテンションを上げてグっと終わると いうような、え、感じの終わり方を、え、 していたりとか、ま、あとは、ま、原爆と か戦争の話っていうのが、え、割とですね 、原作の方ではそんなにね、濃く描かれて ないというか、え、むしろ明るく復興して いる、え、戦後7年経ってですね、え、 明るく復興してきている長崎を結構平和に 元気に描くっていう感じの、え、小説が ですね、え、再びこう過去をこうちょっと 引っ張り出してきて、え、暗く描いてい るっていう、え、戦争とか原爆の影、え、 ていうことをよりちょっと強調してる感じ の、え、作品になってるなっていうのは 映画に対する印象ですね。え、で、ま、 石川監督が、ま、インタビューとかで、え 、述べているんですけれども、え、 小や次郎とかなる瀬きをぽから離れたいっ ていう、え、意図とかもあるという風に 言ってるんですけど、でも今の現代の、え 、我々からするとぽいなっていう風にも思 うっていう感じの、ま、絶妙な、え、安倍 ですけれども、あの頃の日本映画を見てる 、え、みたいな、え、感じもですね。え、 特に家族の中のコミュニケーションの場面 とかでは結構あるなっていう、え、感じが して、なんかいろんな映画の匂いを含んで いるっていう感じ、え、原作から映画化し ているんだけれども、え、そこにですね、 いろんな映画っぽさの広がりも、え、持っ てるっていうところも、ま、映画大好きな 石川系監督らしいなとも、え、思いますし 、え、ま、記憶の混濁とか、ま、信頼でき ない語り手っていうのが、え、ま、1つ 大きな柱になっていますけれども、これ そのものですね、え、和夫石黒さんの作家 性、数石黒を語る時に信頼できない 語り手ってえ、言葉はもうほとんど必ず 使われると思いますので、え、それ時代が 今回の映画化する際のテーマにもなって いるという風にも、え、感じました。で、 石川監督が、ま、インタビューで リファレンス的に、え、あげているのは アンソニーホップキンズのファーザー、え 、でありまして、ま、これは認知症によっ てですね、記憶が混濁していくっていう ことを映像で示しているっていう、え、 本当に素晴らしい作品なんですけれども、 え、そういったものを連想したりだとか、 え、ま、あとは広瀬鈴さんと二海道文さん に、え、2人の会話っていうのは ダイヤログ、会話だけれども結局これ モノログでもあるからねっていうような、 ま、アドバイスをしたという風にも、え、 おっしゃっていて、え、ということはこれ 2人が、ま、同じ人物という風にも捉え られるモノローグっていうのは1人の人物 の、え、発言、毒白ですので、え、2人の 会話ではなく毒白だっていう風に言って るっていうことは、え、かなりこれは同一 人物だという解釈を、え、ま、強調する方 の客職という風に言えるんだろうかなとは 思いますけれども、でも石川監督はさ子が いたかどうかというのは大した問題じゃ ないという風にも、え、おっしゃっている ので、で、これも確かにそうだなと思い ました。え、だからこの映画の落ちをです ね、え、簡単に説明してしまうと、え、 この2人は同一人物だったんです。さち子 なんていないんです。え、越子の全部、え 、妄想というか、え、越子が自分のことを 2人に分けて、え、娘に嘘として喋ってい たんですっていう風に、え、つるンと説明 してしまうことは簡単なんだけど、僕は その説明はちょい嘘じゃないかなと、え、 そこまで言いきれないでしょっていう、え 、感じがしました。うん。え、なのでその 辺りもですね、非常に曖昧なんだけれども 、じゃあ何なんだよみたいな話にはなら ない。なぜかって言うと、なんでそんな嘘 をつかなきゃいけなかったのかっていう ことが、え、この作品のテーマでもあるし 、え、それは自分たちに引きつけて考えて みてもそういう嘘って、え、我々の人生の 中にもあるよねっていう話なので、え、 なんかトリックに溺れているというか、え 、トリックが面白いか面白くないかとかっ ていうタイプの作品ではないという評価を した方が、え、僕は正しいんじゃないかな という風に思いました。え、で、ま、原作 との違いみたいなことは結構、え、細かい ところで言うといっぱいあるんですけれど も、え、例えば我々観客に近い視点人物の 2期っていうのが、ま、親にもどんどん こう歩み寄っていくというか、え、親たち と会話していく、親の人たちと、え、ま、 え、越子を通じてですね、直接じゃない けれども会話していく、え、ことによって ですね、え、親に歩み寄っていく話なん ですけれども、え、映画の方はね、でも 原作はもっとこうちょっと突き離してる 感じというか、え、なんだけど、え、映画 は、ま、映像で全部見せなきゃいけないん で、え、映像を見てるように、え、2期も 聞いてるっていう風に考えると、そういう 描写の、え、ちょっとした変化っていうの は、え、ま、え、そういうことなのかなと いう風にも思いますし、え、ま、原作より 探偵っぽくて、え、主体的で、え、でかつ 、ま、柔軟であるという印象はあります。 え、で、2期以外にも例えば小方さん、え 、三浦智さんが演じている、え、越子の、 ま、義りのお父さんにあたる人物です けれども、彼も結構キャラクターは ちょっと違ったりとかね、え、そういう、 え、改変っていうほどじゃないけど、改変 というのは結構あるのかなと。で、あと、 ま、映像のつなぎ方の工夫っていうので 物語のこう全体のまとまりみたいなのが出 るっていうのはこれは映画ならではだなと いう風に思いますね。え、窓の外、え、 葉っぱにですね、雨が映るカット、え、 1952年の雨の場面に飛んだりとかです ね。え、とか、ま、これちょっと些細な 部分ですけれども、ま、漬け物が しょっぱいという風に、え、夫が言ってる のに対して私はしょっぱい方がいいけど なっていう風に言う広瀬鈴さん、え、大 過去の方のエツコと、え、シャパーズパイ というね、パイに、え、塩を塩が足りない わって振る。え、現在、現在というか 1982年の方の越子、え、吉田王さんの 、え、ま、塩分が多い方がいいみたいな ことを言ってる、え、場面を近くに置い たりとかして、あ、これ同じ人物なんです よって、序盤に分かるようにしてるみたい な、え、そういうですね、近い場面に同じ 要素を置いてまとまりを出すみたいな ことっていうのは、え、これはですね、 石川系監督の、ま、編集好きというか、ま 、編集オタクみたいな側面なのかなという 風にも思いました。うん。え、で、 1952年の長崎と1982年のイギリ スっていうのが、え、比較される、え、 往復するような、え、繰り返し描かれる 映画なんですけれども、ま、この生と同と いうのも非常に面白いですよね。え、長崎 にはたくさん人がいて、え、もちろん町が 描写されるので全然違うんですけれども、 で、イギリスの方っていうのは基本的には もう家の中でほとんど2人しか出てこない わけですね。え、ちょっとこうおばさんが 出てくるところがありましたけれども、母 の2人の対話っていうのが、え、イギリス の場面1982年の方で、え、52年の方 の長崎、え、というのは、え、もう、え、 町体を、え、生活空間として都市として 描いているっていう都市そのものが主人公 であるっていう、え、ところで全然違う。 この生徒どっていうのも面白いし、え、 長崎の方はですね、戦争や、ま、人権に 対するこう意識っていうのが、え、密接に なんかこううめいているというか、今変動 してる感じみたいなのが、え、あるのに 対してイギリスの方はですね、どんどん こうもっと先進的になってってるというか 、え、だから戦争や人権みたいなこととの 距離感が変化してるっていうのは、え、 言えるかなと思います。え、みんなが戦争 や原爆の影を意識している。で、ま、人権 感覚が、え、平和感覚とかが変化している ことに、え、モヤモヤを抱えているですね 。え、軍主義世代みたいな、え、人もい たりとか、え、ま、あと被爆者差別が、え 、外にも、え、身内の方にもありますね。 え、夫と喋っていても被爆者差別みたいな ことがさらっと、え、出てきたりもする。 え、で、それに対してですね、広島長崎を 、え、恋人から、え、電話がかかってくる ところで、ま、広島と長崎を、ま、言い 間違えるっていう場面がね、え、ま、2期 の場面でありますけれども、ま、そん ぐらいこう、え、差別みたいなものがこう はっきりあるところと、え、無関心という 形で発路しているっていうところも、え、 こう30年の時代の変化で、え、感じる 部分だったりとかね。え、ま、あとこう軍 主義を引きずっているのが、ま、三浦友 さんが演じている小方さんという義の父親 になるわけですけれども、え、そこから ですね、え、30年経ってどう変化したか 、そして長崎からイギリスにどう変化した かって言うと、え、アメリカのミサイル 配備に対する抵抗運動というのをですね、 え、女性を中心に2万人が基地を囲みまし たみたいな、え、ニュースをやっていたり とかして、え、その抵抗運動の手が女性に なってるっていうところもそうだし、え、 2万人で、え、デモをやって るっていうところもそうだし、え、全然で 変わってるよねみたいみたいなことも、え 、含めて30年で、え、時代がどう変化し たか、そして、ま、土地によってどう違う かっていうこともですね、え、描かれる 1人の人生なわけですけれども、エツコと いう人物を通しての、え、人生なわけです けれども、全然違うよねっていう戦争との 距離感全然変わってる部分もあるし、え、 変わってるようでいて変わってない部分も あるよねみたいな、え、この変化っていう のも一個大きな、え、テーマで、その中で 1人の人間がどのように引き裂かれたか、 そしてどのように、え、今の自分と、え、 過去の歴史というものを納得させる形で、 え、すり合わせなきゃいけなかったのか、 その結果どのような嘘が生まれてきたの かっていうことがね、え、テーマなのかな という風に思います。うん。で、ま、 大きなテーマ、もっと簡単に一言で言うと 何なのか、え、ということで言うと、僕は ズバり、え、ま、簡単すぎる言い方な気も するんですけど、ま、罪とバツということ かなと思います。で、罪とバツ、ま、 ドストfフスキーの、ま、罪とバツという のが非常にこうキャッチコピー的に使い やすいので、え、ついつい言ってしまい ますけど、罪とバってシンプルに、ま、 どういうことかって言うと、え、どのよう に自分たちが、え、犯かしてしまった負の 歴史について責任を取るかっていう、え、 ことですよね。え、まとめるとそういう ことですよね。え、で、自分の世代で、ま 、人類が全部終わるなら、ま、正直、ま、 どうでもいいと言ったらあれですけれども 、ま、自分たちが納得するかどうかという 、え、話になるけれども、え、次の世代に 責任がある、え、からこそですね、考え なきゃいけないことが、え、残っていくと いうわけですね。で、例えば、え、大過去 の方の52年の方の越子広瀬鈴さん、え、 はですね、え、ま、戦争の時に、ま、被爆 の時に子供たちを助けられなかった、え、 バイオリンしか守れなかったという自績の 念とかを、ま、抱えてるわけです。で、 それに対して1982年の方の、え、吉 さんが演じている越子っていうのはですね 、え、イギリスに渡ってきたせいで娘を 精神的に追い詰めてしまったと、え、いう 思いがあるわけですね。え、ていうその次 の世代を守れなかったっていう自績の念を 今も引きずっているっていうことが、え、 2人に共通する、ま、あの、1人の人物な んですけれども、え、その30年、え、 経って別々の俳優が演じている、え、て いうところで、え、抱えてる悩みっていう のはでも同じですよね。で、これは、ま、 戦争によって、ま、失われた命っていうの と、その自分の、ま、でもこれも戦争から 戦争被爆者差別から逃げてきたっていう 側面も、え、あるっぽい描写もあるので、 これ戦争と実なんですけれども、え、戦争 が終わってから、え、30年以上経って いる、え、ところでも引き続き、え、抱え てる悩みの構造っていうのは同じわけです よね。え、ていうのがその過去の、え、 自分の罪とどう降り合うか、そしてそれを 次の世代と、え、どのようにですね、え、 折り合いをつけるのかっていうことを ずっと抱えているっていう、え、わけです ね。え、で、これに関して2期が、え、 最後の方で言っているセリフっていうのが 非常にこう象徴的かなという風に思ってい まして、え、あの時代のこともお姉ちゃん のことも、え、ま、多分私には理解でき ないんだと思う。え、でも分かる。 お姉ちゃんの死はママのせいじゃない。 お母さんのせいじゃないと、え、いう風に 、え、2期はですね、お母さんを、え、ま 、励まして、え、助けるわけですね。え、 で、エツ子は、ま、それによって救われる という部分が非常に、え、大きいと思い ます。うん。え、ていう、ま、ある種こう ちょっと綺麗事っぽいですね、つるンとし た落ちになっているような気もするけれど も、でも、え、その救いに至るまで、え、 その光に至るまでのうねうねと、え、巡る 気持ちというのをですね、映画で服装的に 、重想的に表現しているという、ま、 素晴らしい作品だなと思うのは僕はそう いうところでございます。うん。で、ま、 あとはその戦争の影がですね、え、 1人1人の人物、キャラクターにどのよう な影響を落としてるのかっていうのも、え 、非常に面白いところで、え、例えばね、 次郎夫ですね、越子の夫松下平さんが演じ ていますけれども、え、ま、おそらく、え 、ま、離婚したと思われるわけですけれど も、え、ま、将軍人なわけですね。え、 戦争で怪我をして帰ってきた、え、人な わけですけれども、え、茶碗をうまくモテ ていなかったりとか、ま、あと靴紐を自分 でおそらく結べないんであろうという感じ があると。で、え、だけどそれは、ま、 元々、ま、そういうところもあるのかも しれないんだけれども、その男尊上費的な 、え、ものもその後の、え、夫婦の関係性 っていうところにもちょっと影響してくる 、え、わけですね。その妊娠中に、え、 布団の中でちょっと迫ってきたりする。だ けど、え、拒否や割り拒否された後に、え 、被爆しなくて良かったなって言いながら タバコ吸ってるみたいな、え、ところの ちょっとした配慮のださ。で、それでいて 次郎は、え、人権感覚とかは平和感覚とか は、え、どちらかと言うとお父さんに 比べると現代的な人なわけですよね。 お父さんが、え、配戦の時に、え、万歳 参照していたのが忘れられなくて、あの人 とそんなに時間を過ごしたくないんだよね みたいな、え、それっぽいことも言ってる わけですね。それっぽいリベラルなことも 言ってるんだけれども、え、でもですね、 そのアウトプットとしてはですね、ダ尊女 っぽいことも言ってしまうし、やってしま うっていう、え、感じで、それが、ま、 戦争が、え、彼のその人格形成に影を直接 落としてるわけじゃないんだけれども、え 、落としてる方向と逆の方向の アウトプットが今なお残っているっていう 感じの、え、キャラクター造形を松下平 さんが素晴らしく、え、演じていたりとか 、で、あとはそのうどん屋さんのですね、 え、キャラクターも面白かったですよね。 軍人の妻で、え、元々はおそらくいい 暮らしをされていたんだと思うんです けれども、え、柴田エさんが、え、 ナチュラルに非常に素晴らしい演技をされ ていましたけれども、え、だけど、え、 働かなきゃいけなくなって、え、うどん屋 さんで労働をしているというで、その人に 対する、え、目線もですね、え、冷やかな 、え、目線が送られていたりとかもするっ ていう、こういうですね、え、人物配置に も一切無駄がなくて非常に意味があると、 え、思いますね。で、ま、あと繰り返し出 てくるモチーフっていうのが、え、僕逆に ですね、これモチーフを繰り返しすぎて、 え、1個のアイテムをですね、え、何回も 使いすぎて逆にもや分かりにくなってるん じゃないかなと。え、逆に現代の観客にし たらですね、1個のアイテムを複数使いさ れすぎると、え、ちょっと疲れちゃうん じゃないかなっていう気も、え、する。逆 にない意味を読み取ろうとしすぎちゃう ような気もするんですけど、ま、1番は、 ま、紐ですよね。ま、縄というか紐ですよ ね。で、これは、ま、冒頭のもう1番最初 のシーンで新聞に、え、写っているですね 。え、連続幼児考察事件の、え、連想です よね。え、プラス、え、82年の方の パート、イギリスパートの方の、ま、稽古 の首吊り自殺という事実が、ま、途中で 判明するわけですけれども、え、それも 連想する紐であります。で、その紐がです ね、こう具体的に出てくる場面っていうの が、え、過去大過去パートのですね、長崎 パートの広瀬鈴さんの足首にですね、え、 突然紐が絡まっているという場面が、え、 複数回出てきますけれども、え、そういっ た形で、え、3回出てくるわけですね。え 、事件、え、考察事件の紐、え、そして 首吊り自殺の紐、え、そして具体的に出て くる紐っていう、ま、3つ、え、要素とし ては、え、登場するわけですね。え、で、 これが、ま、何を果たして、え、示して いるかって言うと、え、ま、親子関係の、 ま、絆でありながら、え、ま、羊奪の件も 、え、握っているという、え、ことかなと いう風に思います。え、絆でもありながら 、え、殺意でもあるというですね、え、 このダブルミーニングである。で、そして 自分をですね、え、母として、女として、 え、妻として、え、そして、ま、日本人と して、え、縛っているもの、え、越子自身 を縛っているものとしての意味合いも 含めると、え、3つぐらいの意味があるの かなと。え、3つぐらいの要素として登場 する紐というものが3つの象徴を持ってる のかなと、え、いう気がしまして。だから まあ1つの、ま、事実とか、え、自称とか 、え、ものに、え、いろんな意味があるよ ねっていうこと自体がこの映画のテーマで もある。え、ので1つの、え、場面があっ たとしてそれに解釈はいっぱいあるよねっ ていうこと自体がテーマなので、え、いい とは思うんですけれども、え、さすがに ですね、え、ま、服装的な意味を1個の ものが持ちすぎていて大変なことになっ ちゃってる。え、その結果難回と言われ るっていうところなのかなという風には 思いました。で、え、猫と子猫に関してと かもそうですよねっていう、え、ところ ですけれども、ま、え、その辺りはですね 、割と、え、それぞれ読み方がいっぱい あるんじゃないかなという風に思いますの で、え、最後ですね、僕が、え、自分とし て嘘が、え、たくさん出てくる映画だった ので、え、嘘をですね、1つ1つどのよう に見たかという、え、話をして終わろうか なと思うんですけれども、ちょっとこっ からが長いかもしれないです。え、まず 一番大きな嘘というかですね。え、終盤に この映画全体を閉じるような形で、え、さ れるネタらしっていうのをまとめておくと 、ま、2つですね。え、まず記憶の中の さ子、え、二階道文さん、え、というのは かなり越子だったということですね。え、 二階堂文さんはかなり広瀬ずさんだった。 え、ということで、え、2つ目はですね、 記憶の中でマリ子、え、これは二道文さん が演じるさ子の娘ということになっている んですけれども、は、かなり稽古、え、 これは広瀬さんの娘、え、だったという ことですね。え、2つまとめると記憶の中 でさ子はかなりエツ子だった。記憶の中で マリ子はかなり稽古だった。え、この2つ は、え、明確に映像で説明されていますよ ね。ただこれが全部そうだったという風に は言ってるわけじゃないので、え、つまり ですね、さち子なんていなかった、マリ子 なんていなかった。え、さチ子イコール エツ子である、マリ子イコールけ子である とは映画の中では言われていないという風 に僕は思いました。という上でですね、え 、本当に大量の細かい嘘も含めると それぞれのレイヤー、それぞれの場面で 大量の嘘が含まれている映画ですので、え 、ポンポンと1つ1つ僕なりの解釈を確認 していきたいと思います。え、まず冒頭 ですね。え、現在、えっと、イギリス パートのこれ現在っていうの難しいんだよ な。でも一応現在っていうことにしようか 。え、現在パートの越え子、え、吉田王 さんが、え、見ていた夢に関しての教述が まずちょっと嘘ですよね。え、ある女の人 とその幼い娘のことを夢に見ていたって いう風に言うんですけれども、え、直前に 出てくる映像は違いましたよね。え、1人 で走ってる広瀬鈴ずさんの映像だったので 、え、この時点でそんなに間に受けないで くださいねみたいな、え、ことというか、 え、私はちょっと大きい話をしますよと。 自分の結構解釈が入った話をしますよと いう、え、予告のようにも感じました。え 、で、映画を見ているとその、え、発言の 後に2期は慌ててですね、え、お母さんの 発言を取らなきゃという風に、え、 ガチャンとボイスレコーダーを録音し 始める、テープレコーダーを録音し始め るっていう、え、ところなので、え、この 混濁してますよ。私はこれから混濁します よっていう、え、予言、予告をですね、え 、2期はまず取り逃したんじゃないかなっ ていう、そういう象徴的な描写にあそこは 、え、見えました。うん。え、で、その後 にですね、え、どんどん行きますよ。え、 さち子がですね、映画女優にもなれる。え 、アメリカは自由で、え、女にとっては もう天国みたいなところだみたいなことを 言いますよね。で、映画所有にもなれる のって2階度ふさんが言いますけれども、 え、ここでちょっとあれとなりますね。え 、映画、映画とか見てるのみたいな、映画 に興味あるのかな?みたいな映画とか チェックしてる余裕あんのかなっていう風 に僕はちょっと思うわけですね。え、 さチ子というのは非常に、ま、お金がなく て困っていて忙しいという風に、え、言っ ていますと。で、それに対して越え子、え 、広瀬さんの方はですね、映画技術という 雑誌を、え、読んでいるわけですね。え、 アカデミー賞23年みたいな、え、風に 書いてありましたけれども、ま、え、年代 的には一致しますね。1952年、え、に は、ま、23年目のアカデミー賞の特集が されているっていうのは計算上正しいので 、え、最新刊を読んでるっていうことだと 思うんですけれども、え、映画雑誌の最新 刊を手に入れる余裕があると。で、それを 、え、夫が出勤した後にですね、え、読ん でる楽しむの時間があると、え、いうのが 、え、越子なわけですね。うん。エツ子が 言いそうですね。映画女優にもなれ るっていうのはこれさ子より越子が言い そうですねっていうこの怪しさがあります ね。で、後の場面で吉田洋さんが演じて いるイギリスパート、現在パートの方の エツコっていうのは、え、イギリスに来れ ば何にでもなれると、稽古は何にでも なれるという風に思ったのよって言います ね。ピオニストにでも何でもなれるという 風に言ってますね。で、え、どこどこに 行けば何々にでも何でもなれるっていう 同じ公文で喋ってるっていう、え、ところ から、え、吉田洋さんが演じてるエツ子 っていうの、え、分身が二海道文さんが 演じにてるさち子なんじゃないかっていう この、え、感じっていうのは、え、匂わさ れているなという風に思いました。え、 イギリスに渡るっていうこととアメリカに 渡るっていうこと、都営と都米、 ピアニストと映画女優っていう感じで、え 、公文の中身はちょっとずれてるんです けれども、公文そのものは同じっていう ところから、え、これはさち子じゃなくて 越子の発言なんじゃないかなという風にも 思うわけですね。え、で、マリ子ですね、 え、さち子の娘という風に記憶の中で登場 する、え、女の子ですけれどもは川の 向こうの女の人が来るという発言を、え、 しますと。で、この嘘がまたやこしいです ね。この嘘がちょっととんでもなく やこしいんですけれども、え、まず記憶の 中で、え、二階道ふさんさち子が、え、 戦争中に見てしまった女の人のことなんだ と、え、説明しますと。で、その人は喉を 切って死んだので、え、川の向こうにいる はずがないと、え、いうわけですね。で、 これは記憶の中、え、ある種こう嘘記憶、 え、さち子という人物が、え、越子の、え 、成り変わってる部分がある。代行してる 発言が結構あるっていうのはほぼ確定して いるので、え、記憶、嘘がある記憶の中で その嘘的な登場人物が、え、発言している ことで、え、しかもその発言が娘のついて いる嘘についての解説なんだということで 、これもう何も信じられないですね。だ からこれは事実としてはどうだったかって いうのはもはやもう全くどうでもいいと いう風に僕は、え、思いまして、じゃあ この発言というか、え、このことが何を 示しているのかっていうことが非常に大事 かなという風に思うわけですね。え、戦争 中に見てしまった女性のこと、え、で、 それがどんな女性かと言うと、え、赤ん坊 を水につけていた女性だという風に、え、 言ってるわけですね。え、で、マリコが これはですね、え、ま、マリ子であり ながら稽古なのでややこしいんですけれど も、え、越子、広瀬さん、ま、吉田洋さん の目線からするとどんな記憶なのかって 言うと、え、死に引っ張られている子供が 死に引っ張られているという記憶なわけ ですよね。え、ま、そもそも別にこの川の 向こうの女性が生きていようと死んで いようとですね、え、川の向こうに女性が いて、え、その人が自分のところに来ると いう、え、こと自体がまず怪談的というか 、ホラー的というか、かなり怖い、え、 記憶、え、記憶というか、え、表現ですよ ね。え、なので、もうほぼさずの川という か、川っていうのはそもそも死の象徴なの で、え、つまり娘というか子供とか娘が死 に引っ張られているっていう感情の記憶な んじゃないかなという風に、え、僕は思い ました。え、越子、え、ま、当時の広瀬 さんがですね、え、娘っていうのが死に 引っ張られるということは怖いなという風 に思っていた。え、で、その時点では娘を 妊娠してるわけですよね。え、なので自分 の中には聖が宿っているんだけれども新た な命に向き合う、え、ということはですね 、え、死と向き合うことであるという恐怖 があるわけですね。で、え、戦争中に自分 の教え子たち、教えていた子供たちを助け られなかったという死の記憶。え、なん ならもう自分が殺してしまったという ぐらいに思っている記憶が、え、ある自分 がですね。これから娘を持つということ。 子供を妊娠して生まれるということ。え、 ま、娘とはまだ分かんないか。え、子供が 生まれるということ、え、に対する恐怖 っていうのが、え、死に引っ張られてい るっていう記憶として説明がついてるん じゃないかなという風に思うんですけれど も、え、で、後にですね、え、さチ子二 階道文さんがアメリカにですね、え、猫を 連れていけないって言って、え、猫を水に つける場面がありますね。え、で、これが 、え、ま、結構怪しいなという風にも思う わけですね。え、なんでかって言うと、 うん、ま、これもですね、さチ子という 人物がじゃ、板として、板と仮定して どんな行動を取りるかっていう風に考えた 時に、え、娘がトラウマを持っているその 戦中の、え、記憶と同じことをですね、 わざわざ娘の前でするかという風に、え、 思うわけですね。え、で、これは、ま、二 階道ふさんが演じてるち子っていうのが 結構ミステリアスな女性だし、あの時点で は割とこうガーっとサ乱して、え、 テンションがですね、高くなっている状態 ですので、え、娘にロ的にそういう行動を 見せつけるっていう可能性は、ま、なくは ないんですけれども、え、どちらかという とですね、え、越子の解釈として、え、 戦争中にそういうことがあったのよって 聞いたから、え、その思い出がですね、脳 に深く刻まれていて、え、それを実際に 自分の目の前で見たような記憶にもなって いるっていう、え、ことなのかなという風 にも思いましたね。なのであの行動は正子 という人物がもしいたとして実際にはやっ てないんじゃないかなっていう風な、え、 気がします。はい。混してる可能性が非常 に高いなという風にも思いますし、そう いう表現なのではないかと思います。 どっちにしろ、ま、さち子が異よといまい とどっちでもいいと、え、越子がどういう 風にあの時代を、あの記憶を、え、あの 当時のことをなんとなく思っていたの かっていうことの表層表現が、え、さち子 でありますので、え、とにかくその死って 怖いなとか、その娘って、え、存在すると いうこと自体がもう死の匂いがして怖いな みたいな、え、っていうのが全部ごっちゃ になってるっていうことなのかなという風 に思いました。え、で、会話も変なんです よね。え、エツ子が素敵か話しよねって 言ったものに対してさ子が素敵か話しいよ ねって、え、被せる、口まねして被せる わけですけれども、え、それで、えって なって、え、人言みたいだなって思ってっ て、え、嫌な笑い方をさち子が、え、 二海道ふさんがするわけですけれども、え 、これは、ま、嘘というよりかはそんな 会話ないじゃんていう僕の、え、心の ツッコミですね。え、そんな会話、え、娘 にじゃあどうやって説明してんだよって いう話ですから、え、そのもう会話の、え 、表現自体が、え、2期に対して越え子は もううまく説明できてないんじゃない かっていう、え、気がするわけですね。 うん。で、え、これはもう、え、石川系 監督が、え、広瀬鈴さんと、二階ドふさん に言ったと言っている、え、もうこれは もうダイヤローグというよりモノローグだ からという発言と僕は非常にシンクロする 、え、部分かなと思いました。え、1人の 発言を2人の発言に分割しているという ことなのかなという風に、え、思いまして 、え、嘘というよりも変な会話で、え、 他人同士なら破綻してるわけですね。え、 さ子が自分の話をしてるのに対して、越子 が素敵な話ですねって、え、言ったのに 対して人みたいだなって。いや、だって 一言なんだもんていう、え、話なので、え 、これは2期がお母さんの、え、告白が おかしいなと、え、お母さんが告白する中 での記憶の中での会話がおかしいなと、え 、気づき始めたきっかみたいな、え、部分 なのかなという風に思いました。え、と いう表現なのかなという、え、風に思い ましたね。うん。え、で、ここまで いろんなこう嘘の分析をしてきました けれども、え、嘘の種類が全部違うんすよ ね。嘘がなぜこの、え、物語の中で描写さ れているか。え、そして、え、過去パート 、大過去パート、え、長崎パートでの嘘 っていうのが、え、イギリスパートとどの ように繋がっているのかっていうこの、え 、繋がり方のトリックとか理由とか存在 意義っていうのが全部違うんですよね。え 、ていうところが僕はもう異常だなと、え 、いう風に思っております。え、で、 どんどん行きましょう。え、うどん屋さん でマリ子が、え、食器をですね、ま、乱暴 したという風に、え、男のお客さんにです ね、え、南くせをつけられるわけです けれども、え、ここはもう見てないわけ ですね。で、ここは見てた人がいないで、 え、本当なのっていう風に聞くんだけれど も、それに対してマリコは、え、娘さん ちっちゃい子の方は、ま、答えないわけ ですね。え、なので本当に老石をしたのか どうかっていうのは結構怪しいわけです けれども、これも実際に、え、マリ子で この時点でのマリコが稽古なのかっていう のはもう分からないです。え、だけど、ま 、稽古だったとしてね、稽古が、え、実際 にうどん屋さんで本当に老石をしたの かっていうのは僕はここはどうでもいいと 思います。で、これはどういう記憶か、え 、越子にとってどういう記憶かって言うと 、え、被爆者差別を受けたという記憶な わけですね。え、という風に思います。理 不尽そのもの。やってないことをやった ことにされた。言ってないことを言った ことにされた。え、でやってないんです。 言ってないんです。え、それはもうわかん ないじゃないですかっていう風に言ったと しても、え、被爆者だからなみたいなこと を言われた、え、記憶っていうのが、え、 理不尽として、え、記憶の中にあるという ことの表現なので、え、実際にこの場面で 、え、子供が何かをしたかどうかというの はどうでもいいということなのかなという 風に、え、思いました。理不尽が記憶を 改ざすることがある、え、という描写なの かなという風に思いました。うん。で、 うどん屋さんつがりで言うと、え、お金の ためなら何でもやったわみたいなことを さ子が言うわけですね。カ道文さんが言う わけですね。え、その割にはですね、 うどん屋さんでこんな働き方をするなんて みたいなこともさち子が言うわけですね。 え、何でもやったんじゃないの?何でも やったのかなと思っていたら、え、うどん 屋さんでの労働を何かこうちょっとこう下 に見ていて、下に見ながら新鮮なものとし て喋っているっていうのが、え、スタンス としてこれちょっと矛盾してる気が、え、 するわけですね。なので、え、何でもやっ たわみたいな、え、大過去からさらに過去 の話、身の話をしているのは、え、 おそらく本当に越子が出会ったさ子という 女性であって、え、一方でうどん屋さんで 働いたのはさ子ではなくて越子、え、二 階道文さんじゃなくて広瀬鈴さんなんだっ ていうことが、え、これは、え、終盤の ネタ晴らしパート、え、フラッシュ的に パンパンパンと出てくるところで男のお客 さんに対して水をかけた、え、のは二階道 文さんではなくて広瀬鈴ずさんだったと いうことは明らかにされていますので、え 、これはもも明らかなわけですけれども、 うどん屋さんで越子が働いていたっていう のはこれは明らかな、え、わけですけれど も、え、そのヒントということかなという 風に思いました。え、会話の中で、え、 矛盾した発言がされているということに よってこれは、え、嘘をついてるっぽいな というか、え、お母さんの、え、越子の2 期に対しての発言がおかしいということの 、え、ヒントとして、え、変なセリフに なっているのかなという風に、え、思い ました。うん。え、で、これは、ま、これ も推測なんですけれども、え、越子が、え 、次郎と松下平さんと、え、広瀬鈴さんが 、え、離婚してですね、え、その後に、え 、働くことになったのではないかという風 にも思います。え、稽古が生まれて、え、 56歳ぐらいになってるっていう描写です もんね。え、ちょっと大きい子供になって いるという描写ですので、え、あそこは 自系列も混濁しているっていうことが、え 、あの政府からちょっと分かるのかなと いう風に思いました。不ど屋さんで働く ことになるなんて、え、みたいなことを さ子に言わせてるけれども、あれはエツ子 のセリフだっていうことが、え、物語上 映画の中では映像的に確定していまして、 そのヒントとしてそのセリフがあるのでは ないかという、え、理解でございます。で 、え、これもね、結構重要なセリフだけど 、ま、これは嘘っていうよりかは2期が、 え、じゃあさ子さんとは仲良しだったのっ ていうことをイギリスパートでお母さんの エツ子に聞きますよね。え、で、吉田洋 さんが知り合えたのは、あの時知り合えた のは良かったと思っているけれども、よく わからなかったわっていう風に言うんです ね。で、これが歯ぐらかしとして、ま、 非常に周一というか、え、嘘ではないです よね。え、知り合えたのは良かった。 さち子さんという人物が存在しようとしと ですね。え、さち子という人物を自分の中 のある種のこうイマジラリーなフレンドと してイマジナリーフレンドっていう言葉が この遠い山波の光に関しての発は、え、 レビューとかの中で僕が調べた限りほぼ 全く出てきてないんですけれども、僕は 結構イマジナリーフレンドというような 解釈が割と、え、割といいんじゃないかな という風に思ってるんだけれども、 作り上げた可能性もありますよね。出会っ た可能性もあるし、え、ま、いろんな可能 性があるんだけれども、いずれにしろ さち子さんという存在に出会えた、え、と いうことは良かった。え、けれども自分が もう自分とさち子さんの教会が自会が曖昧 になっている結果、それがいいことなの かっていうのは、ま、よくわかんないけど 、ま、でもトータルではいいことだと、え 、した上でもう教会が曖昧だからこの人に 関しては自分に関してよくわからないのと 同じようによくわからないわっていうこと をですね、え、端的なセリフで表現して るっていうことかなと、え、思いますね。 え、この辺はだからヒントにはなってない けれども、え、非常にこう記憶との 向き合い方、え、越子さんの記憶との 向き合い方っていうのを実は正直に示して るっていうセリフかなという風に思いまし た。え、で、ひどい嘘がありますね。え、 現在イギリスのパート1982年のパート の方でひどいセリフがありますね。え、 イギリス人のおばさんなのかな。え、 ちょっとこう関係性があるおばさんていう 感じで、でもあったのは久しぶりっていう 感じの、え、2期があったのは久しぶ りっていうところか、え、が会話するわけ ですけれども、今何してるのと。え、で、 まず、え、稽古と見間違えるわけですね。 だから相当合ってないっていうことが、え 、その時点で分かりますけれども、え、今 何してんのっていう風に聞かれて、え、 学校はやめましたと。で、2期はですね、 本を執筆したりとかそういう活動はしてる わけですけれども、え、それを隠してです ね、ただ暮らしているんですと嘘をつき ますね。これも嘘ですよね。これもかなり 明確な嘘ですよね。え、ま、実は色々やっ てましてって普通は言うと思うんですけど 、ただ暮らしているんです。それ以上私の プライベートに踏み込まないでください みたいな、え、ことを言うわけですね。で 、さらにこの後越子さん、吉田洋さんが ですね、え、稽古はマンチェスターにい ますと言いますね。え、首吊り自殺をして しまった娘の死を隠してるわけですね。 はい。え、この2人がですね、この母子が ですね、同じおばさんに対してほぼ同時に 別の種類の嘘をつくという。これは結構 ひどい場面かなと、え、思いますけれども 、え、ひどいけれどもこれ一で素晴らしい 場面だなと、え、思います。え、これは エ子さんが語っている長崎時代の話って いうのが嘘臭いな、怪しいなという風に だんだんなってきている場面において、 一応現在パート、一応イギリスで、え、 観客と同じ目線にいるはずの2期という 人物はこれはこの人は嘘をつかない人だと 思って見ていたのに嘘つくんかいと。で、 しかも怪しいなと思って今探ってる段階な のにお母さん明確な嘘もつくんかいとえ いうことでこれはもう嘘の一般家というか 、嘘の民主家というか、嘘の普遍化という か、え、嘘の日常家というか、うん。ま、 嘘の日常化という表現が1番近いかなと 思うんですけれども、いやいや、嘘つく でしょみたいな。みんな自分を納得させる ために、自分が、え、立つために嘘をつく でしょっていう、え、ことですね。時期で さえほぼ嘘ついてんじゃんみたいな、え、 ことで、エ子さんが長崎に関して持って いる嘘っていうのは何も特別なものじゃ ないという、え、ことを示している非常に 端的な場面だなと思います。はい。で、え 、これは結構でかい嘘がその後に来ますね 。え、小方さん、三浦智さんが演じている 小方さん、え、越子さんの義のお父さん、 え、ですけれども、え、ま、これ、ま、で もこれ嘘じゃない。嘘というよりか、これ 記憶の食い違いですね。え、バイオリンに 関してのエピソードですね。え、 バイオリンができたので、ま、音楽の、ま 、先生というか、ま、学校の先生という形 で雇ってもらっていたその恩が、え、校長 先生だった小方に対してあるわけです けれども、え、前ぶレもなく真中に バイオリンを引いちゃ、家中を起こして、 え、という風に言うわけですね。え、で、 私そんなことしましたっけということを 長崎時代のえ子広瀬鈴さんは全く覚えて ないわけですね。で、これはもう記憶の 混濁い、え、に関して越え子が語りの中で 認めてる部分ですね。そのパターンもあん のかよっていうのが混乱させられてしまう 場面なんですけれども、これも新しい パターンですよね。吉田洋さんが語って いる長崎時代の話に関して、私は記憶が ないことを指摘されたことがあるのよと いうことを娘にちゃんと語ってるわけです よね。そのパターンもあんのっていう嘘 認める嘘というか記憶の曖昧さを認める パターンもあんのかということで、え、と いうことで混乱してしまうわけですけれど もという場面ですよね。え、で、子供たち 、え、被爆の時に子供たちを助けられ なかった後悔で精神が本当に大変なことに なっていた時期もあるのよと、え、記憶が 本当に曖昧になっちゃってた時期もあるの よという表現ですよね。うん。っていう ですね、ま、この場面は、え、ま、嘘とか 記憶の食い違いに関しての今リストアップ して場面をですね、え、冒頭から映画の 結末に向けて、え、時間順に嘘とか記憶の 悔違いに関する場面を並べていますけれど も、その中では結構明確に、え、意味と いうか、え、明確に解釈が1つに定まる 場面なのかなという風に思います。え、 これに関しては、ま、嘘じゃないというか 、え、ある種子が、ま、自分の知憶って いうのは不確かなものだということをです ね、え、娘に対して認めてる場面なので、 え、結構珍しい場面かなと思うんです けれども、非常に重要な場面ですね。え、 で、あとはエツ子がマリ子に相眼鏡を プレゼントしたという風に言っています。 え、つまり広瀬さんが二海のふさんの娘に 、え、相眼鏡をプレゼントしたという風に 回想の中では描かれるんですけれども、え 、現在のパートイギリスのパートでは、え 、越子の家に相眼鏡があるわけですね。な ので、え、これは映画の最後のネタラしの 場面で稽古とマリ子を記憶でごっちゃにし ているっていうのはシンプルに、え、認め ていますので、これはクリアな部分でその ヒントとして描かれている場面かなと思い ます。で、これはですね、ま、僕は映画の 中においてはちょっと、え、解釈は一応 できるっちゃできるけれども、ま、補助線 として調べるとっていう話ではあるんです けれども、え、そもそも、え、その 1952年のタイミングでは、え、ロープ Aは開通してないはずなのにロープAの 場面が描かれているということ。え、 そして長崎の平和記念像、え、の、え、 進捗っていうのが写真を見る限りおかし いっていうことっていうのは、え、映画外 の知識があれば、え、かなり補強できる 部分であるようなんですけれども、え、 これは、え、どちらかというと稽古が、え 、お腹の中にいるはず。え、でありでも マリコはもうちょっと大きい子供になって いるっていうところで、え、これは最後に 、え、け子とマリコがごっちゃになってい たっていうことは明らかになりますよね。 なので、え、そこにタイムラグがあると いうことは、え、もうほぼ確定的なのかな と思います。え、ま、計算上、え、67、 7年の開きがあるかなっていうことだと 思うんですけれども、え、つまり、え、 広瀬鈴さんが演じているエツ子っていうの が、え、稽古と共に実の娘の稽古と共に 体験したことっていうのを、え、1952 年まだ生まれていない段階の、え、稽古、 稽古をお腹の中に持っている、え、状態で 、え、他の家の娘さんと体験したという ことにすり替えているわけですよね。で、 それは自系列の混濁を起こるでしょって いうことで、え、自系列が遡って、え、 ちょっとずらされてい るっていうことですよね。え、いうのは この外的な、え、歴史的なことからも 分かるんですけれども、物語の中でも一応 分かるようになってはいるとは思います。 え、で、だから、えっと、ロープウェイの 場面でマリコが一緒に行っていたことに なっているけれども、あれも、え、稽古子 と言ったということを、え、記憶をですね 、何年かスライドさせて、え、喋ってい るっていうことなので矛盾が生じていると いうことなんだけれども、え、ロープAの 場面で明らかになっているという、ま、 解説とかもよく見たりするんですけども、 いやいや、あの、それ以外の場面も全部 そうなってるんで、え、ということなので 、え、そこはもう当然自系列がずれるのは 、まあ当然なのかなという風に、え、思い ました。で、え、ま、もう1回繰り返しに なりますけれども、もう1回言うと、え、 お腹の中にいる子と、え、すでに生まれて いて、ちょっと大きくなってる子っていう のを混動していたということは、え、一応 ですね、え、映画の結末の部分で、え、 明確に映像として示されているので、え、 自系列が遡ってずらされているという、え 、混濁があったのは、これは、え、映画を 見ているだけでもかなり分かりやすい部分 でもありますということですね。はい。 あとは、え、その場面か、その場面で 木のりを教ようとしていたあという男の子 がいまして、え、この子は僕を蹴った、 殺そうとしたみたいなことを言うわけです ね。え、大げさなことを言ってるんだろう と、え、思いますけれども、え、それに 対して稽古akaマリ子がですね、え、何 をしたかっていうのは、ま、わかんない わけですね。え、で、映画においては描か れてないわけですね。映ってないわけです ね。で、ここで俺が、私が怪しいなと思う のはこれに関して広瀬鈴さんが演じる エツ子、え、長崎パートのエツ子っていう のがですね、え、ずっと見りましたけど、 まり子さんは団固として蹴ったりしてませ んというわけですね。うん。うん。うんっ て感じですね。見てなかったんじゃねって いう、え、何回か僕は見たんですけれども 、映画の場面においてはうん。見てなかっ たように見えるんですよね。うん。妊娠に 関して話しかけてくれている親切なマダム と、え、喋っているわけですから、え、 そのマダムと目を合わせてる時にですね、 え、明らかに地からは目を離してるんです よね。え、だけどこれも実際にですね、え 、マリコ、AK稽古子がですね、え、 木のりを、え、している男の子を蹴ったか どうかというのは、ま、まあどうでもいい ところで、え、これはですね、どちらかと いうとエツ子が見てたと言い張ってる嘘に 関しての方が僕は重要かなという風に、え 、思いました。で、これが似てる場面って いうのがうどん屋さんで、え、稽古、 aka、マリ子がですね、え、老石を働い た、え、という風に男のお客さんに南くせ をつけられているところと似ていまして、 え、何かしらのですね、子供に関する、ま 、理不尽、え、というものに対して抵抗、 もっと抵抗しておけば良かった、え、と いうような記憶、え、なのかなという風に 思いました。え、だからうど屋さんでは 多分抵抗できたんだけれども、え、この ですね、え、木のりに関しての、え、場面 楽しいはずの日に楽しくないことがあった 、え、みたいなことに関しては自分が もっと娘のために戦っていればという後悔 なのかなという風にも思って、あの、発言 自体が、え、稽古が、えっと、越子がした とかさ子がしたとかそういうことじゃなく て、稽古の、え、ためにもっとすれば よかったっていうことなんじゃないかなっ ていう風に、え、思ったりも、え、しまし た。え、で、その後に稽古はですね、え、 よかれと思ってこうイギリスに、え、移住 してきた結果ですね、え、精神を追い詰め られてしまって亡くなってしまったわけ ですから、え、自分がもっと娘に寄り添っ ていればという後悔もあるのかなという風 に思いましたけれども、うん、あの、場面 はかなり怪しくて、いろんな、え、読み方 ができたかなという風に思いました。その 次はですね、え、これは嘘というよりかは 、え、むしろこう隠していた嘘について 明らかになるという場面なんですけれども 、え、さち子がですね、あなたのもあの日 あそこにいたんでしょうということで広瀬 さんが演じているツ子も被爆していたと いうことが、え、明らかになるわけです。 で、私たちは似てるものというですね、 かなり、え、明確なセリフを言うわけです けれども、うん、これは二通りの読み方が できますよね。実際にこうさち子という 人物が存在していて、さち子という人物が 、ま、被爆していたということを越え子 さんが知ると。え、で、その後にエ子さん とさ子さんは、え、被爆している同身で、 しかも同世代の女性として、え、連帯した という場面にも見えるし、え、自分の中で 別々の人間という風にしていた、え、被爆 していることをオープンにしている彼女と 被爆していることを隠してしまっている 自分という形で、え、自分の中にある、え 、人格をですね、分けていた、え、ものを ですね、一致して自分がそれを受け入れる ことができたっていう描写、え、にも見え ますよね。という形で複数の解釈が、え、 許されている場面かなと思います。で、2 時間ちょっとの作品なんですけれども、約 1時間20分弱ぐらい、1時間15分ら辺 、え、でこのセリフが出てきまして、え、 ここでかなりちょっと結末っぽくなると いうか、え、ここで終わっていればかなり 相当ポジティブな、え、風に見えると思う んですけれども、え、その後にも展開が あるというのがこの映画のすごいところか なと思います。で、次。これも結構変な 場面ですけれども、うん、路面電車で窓の 外のですね、え、誰かを凝視しているさ子 がいるわけですね。え、2階ドふ美さんが 、え、長崎パートンで、え、外を見てる わけですね。で、お知り合いっていう風に 、え、聞かれてですね、うん、人違いだっ たわという風に言って終わるんですけれど も、この場面はこの単体では何のこっちゃ か全く分からない。え、正直全く成立して いないというか、え、何のこっちゃか全く 分からない。あ々回収されなかったら意味 の分からない、え、場面なんですけれども 、え、その後にその窓の外に見ていた相手 というのはなんとイギリスパート、現在 パート1982年パートの方の吉田洋さん 、エ子さんだったということが分かるわけ ですね。これはもうなんちゅうのかな。 これはもう不思議すぎる場面、映画的 すぎる場面ですので、え、ちょっと僕は ここは踏み越えてるかなという風に、え、 思いました。うん。ここはちょっと遊び すぎかなという風に。遊び心足しすぎかな 。サービスしすぎかなという風に、え、 思いましたけれども、え、最後の フラッシュ的にね、え、2階のふさんが 演じていた場面を広瀬さんが演じ直す フラッシュで相当いろんなことがもう説明 ついてるわけですよね。え、け子と、え、 マリコがごっちゃになってるっていう、え 、ことで相と説明がついている中で、え、 語り手である、え、エツ子、1982年 パートのイギリスパートのえ子である吉田 洋さんがなんと、え、広瀬さんもいる場面 にいるということですね。で、え、さ子 さん、2階道ふさんとだけ目が合ってると いう。これ何か、これはもうね、解釈の 余地を広げるための場面というか、え、 相当あざい、え、場面だなという風に思い ましたので、え、ここはもうはいはい、 もう解釈してください。はい、どうぞ みたいな、え、感じかなという風に、え、 思って、僕は結構この場面に関しては そんなにこう解釈する欲が起きないんです けれども、うーん、まあだこう侵食して ますよというか、え、だいぶもう手は加え てますよと。その場にいるぐらい手は加え てますよと。で、その場に広瀬鈴さん、え 、若き日の越子としているのではなく、え 、現在の私としていますよっていうことに 、え、実は吉田洋さんが演じている時代の 越子も自覚的だという場面という描写と いうぐらいの解釈かなという風には、え、 思いますけれども、ちょっとやりすぎかな という風には思いました。でも面白いよね 。ああいう映像のギミックっぽい場面が あると、え、テンションは上がるし、うわ うわ、うわ、うわ、うわ、何だったんだ? もう1回見直さなきゃみたいな、え、 気持ちにはなりますので、え、複数回見る と楽しい場面ではあるなと思います。ま、 続いて、ま、より変な場面。これもね、 ちょっと現実を踏み越えてるなっていう 場面な気はするんですけれども、え、模服 の女をですね、え、広瀬鈴さん、エツ子 さん、過去パートの大過去パートのエツ子 さん、え、が見かけて追いかけたらいない という場面がありますね。え、これはもう ほぼ怖い話。階段っぽいなという風に思う わけですけれども、え、さっきもちょろっ と触れました。え、そもそも川の、え、 向こう側に、えー、いるとか、え、水辺に いるとか、え、水辺に子供がいるとか、え 、そういう場面そのものがかなり怖いわけ ですよね。え、で、その女が消えるという こともかなり怖いわけですよねっていう なんかこうちょっと現実を飛び越えた ホラーっぽさというか、え、現実を 飛び越えた死の匂い、え、現実に死の匂い がちょっとそれやりすぎなんじゃない かっていう形で侵食してきてるみたいな、 え、ホラーっぽい描写があるわけですね。 え、で、これじっとりとしたリアリティの あるJホラーっていうよりかは、え、 かなりギミックっぽいというか、かなり、 ま、黒沢清したんの、え、ホラーみたいな ところがあるわけですよね。えっていう死 の匂いっていうのがバンって出てきてます けれども、あの物語上の嘘は結構嘘すぎる なっていう風に思うし、あれをですね、え 、2期がじゃ聞いてたとして、え、ま、 映像で出てきてる全ての場面を2期が話と して聞いてるわけではないと思うんです けれども、あれをじゃ聞いてたとしてどう いう話だよっていう、どう、どう思えば いいんだよっていう風にも、え、思います し、ま、それを話を、え、実の母からそれ を聞いたとして、あ、ま、そのぐらい お母さんその時精神大変だったのね。って いう風に普通解釈すると思うんですよね。 え、ていう場面なので、あれは相当象徴的 な場面だなという風にも思いましたし、え 、あのことで、え、さ子とかエ子がその 事実としてどっちかが嘘をついてるとか そういう場面ではないなという風に思い ました。え、で、最後これ謎の嘘なんだ けど、え、マリコAKけコ、ま、その時点 ではもうほぼ稽古という風に呼んでいたと いうか、認識していたと思うんですけれど も、え、足首に紐が、ま、絡まってたりと か、え、急に越え子、広瀬さんの方の越子 が紐を持ってたり、縄を持ってたりする わけですよね。で、ま、考察事件の犯人が 越子だとかそういうことでは全くないと 思うんですけれども、え、マリ子、aka 稽古娘に対して娘的なポジションの年代の 人に対して、え、でもあの絡まってただけ 。足に絡まってただけっていう風に言い はるわけですね。手に持ってんのに紐縄を 手に持ってんのに足に絡まってただけって いう風に、え、嘘をつくわけですね。で、 これも、ま、娘とのコミュニケーションが 取れてなかったっていうことでもあるし、 ま、娘がいなくなればいいのにって思って た。で、でも結果、え、いなくなって しまったら本当に悲しいとも思うし、え、 かと言ってずっと憎んでたとかそういう ことでも全くないし、え、基本的には愛情 を持っていたのにっていうですね、娘に 対する、え、ま、愛像、愛半ばする矛盾し た感情。え、ま、そして自分がですね、え 、自分が、え、愛さなければいけないし、 え、自分が絆として繋がってもいるし、え 、そして殺すこともできるし、結果的には 関節的に自分が殺してしまったと思ってい るっていうその複雑な感情があの場面の、 え、娘に対する嘘。え、に現れているなと いう風に思いましたという感じかな。え、 ていう感じで、え、なんとかですね、え、 出てきた全ての嘘っぽいものをですね、 一応リストアップしたつもりです。え、で 、私はこう思いますっていうことは全ての 、え、私があげた要素に関してもう全て あり得ると思います。え、のであなたの コメントも、え、是非、え、聞いてみたい なと思いますので、コメントで私の解釈は この部分は違っていうことをですね、え、 書いていただきたいなという風に思います 。僕はそう思いますっていうのも是非ね、 書いて欲しいと思うし、え、で、僕はその いわゆる考察を換期する、え、タイプの 作品みたいなもののっていうのは結構正直 好きなものと嫌いなものが、え、あるん ですけれども、この作品に関しては、あの 、1つ1つの場面に意味を埋め込もうと いう意図、え、そしてなぜその場面が必要 なのかっていうことに関しては、え、正直 ですね、え、凡百の、ま、考察を生むって いう風に言われてる作品とは、え、レベル が違うなという風に思います。え、で、 それはその戦争とかその原爆とか、え、 フェニズムとかそういうこういろんな、え 、テーマっていうのをこうガシャンと、え 、入れてですね、え、長崎の1つのこう 市内の町というところに、え、いる家族、 え、ま、2つの家族っていうところに、え 、全てを象徴して入れ込むで、それを イギリスのパートから俯瞰するっていう この構造自体がかなり複雑なのに、え、 加えてですね、え、映画化する際の石川系 監督及びそのチームのですね、映像に 対するこだわりっていうところからも含め て、うん、これはこう見えるようにしよう ね。っていう、え、チャレンジでもこうも 見えるようにしようねっていう幅、え、 みたいなことが、え、基本的には全て うまくいってる。で、その嘘っていうのが 、え、服装的でもあるし、え、実はこう でしたっていうネタしをさせない、え、て いうことがこんなにもあるしこう縄で縛ら れたように感じ絡めになってる作品って いうのは、え、本当に見たことがないので 相当集中力を要するし、え、その読み とこうという気持ちがなかったら全然何も 、え、入ってこない可能性は、え、あるん ですけれども、え、でもですね、え、 いろんなこう人の、え、喋ってることとか を見て、え、聞いてですね、え、その上で 映画を見てみるっていうのも、え、すごく ですね、え、楽しいと思し、あの、象徴に ついて解釈する練習になるっていうことも 、え、僕はすごく思ったので、え、 ほとんどの作品は遠い山の光に比べると ですね、え、和法とかフィクションライン とかっていうのは、え、シンプルですから 、え、この作品について真剣に考える ことっていうのは、え、全く無駄になら ないと思います。え、いわゆる考察のため の考察、え、みたいな作品では全くないの で、え、こういう作品が僕はもっと増えて 欲しいなと思ったけれども、うん、生ハな 気持ちで真似すると、え、大変大変残念な ことになるだろうなと思う。え、思います ので、え、本当に、え、最初の方にも言い ましたけれども、和尾石黒という原作者と 石川系監督というこの、え、2つの支出が ですね、え、本当に幸せな形で マリアージュ、え、して広瀬さん、二階道 ふさん、吉田洋さん、え、というですね、 本当に素晴らしい、え、女性人の演技で、 ま、松下さん、三浦友さんもちろんそう ですけれども、え、本当にもう嘘、みんな 嘘ついてんなとか、え、みんな怪しいな みたいな感じ。ま、松下平さん別にそんな 嘘つく役ではないですけれども、え、 みんな変だなみたいな、え、感じだけど、 その嘘の裏には1つの真実がある。嘘の裏 には、えー、ま、アンビバレントな複雑な 感情があって、その結果人は嘘によって 生きているんだっていうことをですね、 こんなにも、え、繊細に表現してる映画 っていうのは、え、僕は日本語で見られる 、え、我々がかなり幸せだなという風に、 え、思いましたので、是非映画館で集中し て、え、見て配信が出た後とかソフトが出 た後も繰り返しみるっていうのがおすすめ かなと思いますし、余裕がある人は映画館 で2回連続とかで見るとかなり面白い タイプの映画だと思いましたので、え、お すめでござい以上、大島でございました。 ありがとうございました。

提供:GAGA

7件のコメント

  1. 原作は英語で書かれているので、悦子と佐知子の関係については、最後の方に叙述トリックを用いてほんのりにおわせています。全く描かれていないわけではないですが、映像ではそれを使用できないので、視覚化するしかなかったのでしょう。

  2. ぼんやり…あれ?っと思ってたら終わってしまいました!笑
    イシグロカズオさんは、私をを離さないでのドラマで知りました。
    能動的にならないと真意に触れることは難しいとは思いながら観たのですが…
    どうしても一回では凡人には理解は難しいと感じました!笑
    大島さんの解説を聴くとなるほど!なるほど!
    2回目また劇場で観たいと思います。

  3. ちょっと簡単にはコメント出来ないのでもう少し考えます。ただ、私は悦子=佐知子は明確ではないかと思っています。悦子の話がはっきりと『嘘じゃない?』と思った訳ではなく何とも言えない違和感をずっと感じていて、『英語で案内した』みたいな事を言った時、えっそれは佐知子でしょ?と思って、ん?悦子=佐知子?って気付きました。暗喩が分からない点もありますがそれはそれで良いんじゃないか、私は面白かった、で良いかなと。戦後80年の今、戦争、被曝について語っているこの映画は素晴らしいと思います。これから原作も読んで映画もまた見たいと思ってます。あと、二郎は悦子が被曝しているのでは?と薄々分かっている、或いは疑っているような気がしました。大島さんの『遠い山なみの光』評知りたかったので大変嬉しいです。ありがとうございました。

  4. 難解と感じていたので、大島さんの批評と解説が聞けて嬉しいです!

    佐知子と悦子がどこまで重なるのか真実は分かりませんが、「記憶」を自分の都合のいいように解釈したり辛くないように思い込んだりしないと生きていけなかったのですよね。今となっては悦子本人にも何が真実か分からないのかも、とさえ思いました。景子の死を公にしない、できないでいるところに、今現在もまだ真実を語れない段階にいるんだなと思いました。
    それだけ原爆の体験とそれを背負って生きていかねばならないその後の人生が壮絶だったということだと受け止めました。「長崎スペシャル 遠い山なみの光で照らす“ナガサキ”」がより解釈を深める参考になりました。NHK+で観られます。

    ホラーっぽい場面が多く、予想以上に怖くもありました。まりこ役の女の子、ホラー味がすごい出てよかったですが、まりこがいなくなって木舟に寝ているシーンは本当に怖かったたですね💦

  5. 昨今の感想が言いやすい映画がヒットする中、このような曖昧模糊としたストーリーテリングの映画が公開されるのは嬉しいし、豊かだなと感じました。最高。

  6. 傑作でした。1回観ただけでは追い切れておりません。(18)の嘘の「縄」を手に持っているというのは、過去悦子が1952年で、佐知子が子供が少し成長した悦子の投影として、日本(古い女性像を押しつけられてた世界)から、縛られた縄が外れ(物語の後半という時間経過の意味もありそうですが)アメリカ(女性が自由になる世界)へ向かうメタファ、つまりまもなく佐知子(少し未来の過去悦子)が解放されるメタファ(でも現れるのは過去悦子(ややこしい))という形だと理解していました。路面電車の表現は、今敏監督『千年女優』的に記憶が溢れてきた印象があり、好きです。ロングランしている間にもう一度観たいです。

  7. 解説待ってました!とてもわかりやすかったです。
    私は原作小説を読んでいたので映画のラストに衝撃を受け、再度原作を読んでも「悦子=佐知子」とは読み取れず…しかし石川監督のシナリオブックを読むと明確に書いてありました。
    カズオ・イシグロ氏の小説は英文ですが、曖昧に表現してる英文をどう翻訳するか。日本語訳の小説と石川監督の解釈が真逆だったと言うことがわかりました。
    最後の川べりで悦子が万里子に話しかけるシーン。悦子は、小説では「万里子」と呼び、映画では「景子」と呼ぶのです。英語原文では、名前は出さず、little girlとか代名詞で徹底的にぼかしつつ、相手が景子だろうとわかる表現となっています。
    石川監督は9月19日のNHKラジオ、高橋源一郎の飛ぶ教室で、「(英語の)原文を当たってみると、日本語訳だとついてなかった代名詞が 'we' になっていて、私たちって誰と誰の話?みたいな。微妙なところにヒントが転がっていた」と語っていました。
    この点を私もnoteにまとめ、4回も映画を観てしまいました。頭からこの映画のことが離れず、中毒性があると思います。素晴らしい作品でした!

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