【松下洸平】遠い山なみの光で見せた“静の演技”とは?
こんにちは。リスナーのあなた beープダイブへようこそ。今回はですね 、2025年9月公開予定の映画遠い山波 の光和石黒さん原作のこの静かなでも 力強い世界をちょっと深く見ていきたいな と思ってます。特に注目したいのが松下平 さんが演じる次郎という男。彼の沈黙。 うん。 そこに焦点を当てて言葉にならない感情とか記憶が持つ力、あと語られないことって一体何を意味するんだろうと。さあ、このテーマあなたと一緒にじっくり考えていきましょうか。 え、あのここで非常に興味深いのはですね、この物語戦後の長崎が舞台で主人公の越え越え子っていう女性のちょっと曖昧な記憶を通して語られていくんですよね。 [音楽] その中で町下平さん演じる次郎の存在感、 特に彼のなんというか沈黙が物語の確信に 迫る上ですごく重要な鍵になってるなと 感じます。彼のうちに秘めてるもの、それ が登場人物たち、あとま、見てる私たちに どう響くのか。うん。そこにこの作品の 深ぶ深さがあるんじゃないかなと。松下 さん演じる次郎確かにセリフはあの多く ないですよね。 でもなんていうか画面にいるだけでこう空気が変わるみたいな強い印象を受けます。彼の静の演技っていうのは具体的にどういうところに特徴があるんでしょうか? [音楽] そうですね。彼の演技って何かこう達していくっていうよりはむしろ感情とか存在感を抑えることで逆に内面の深さを感じさせるタイプかなと。 [音楽] 言葉よりも太した視線の動きだったり、肩のほんのちょっとした揺れ、あるいは指先の仕草とかそういうすごく細やかな表現が、ま、饒舌なセリフ以上にその人物が抱えてる重的な感情とか過去を物語ってるような気がしますね。 [音楽] [音楽] ああ、分かります。越え子との食卓のシーンで会話がふっと途切れた後に彼が一瞬だけ目を伏せるあの間がありましたよね。 なんか私にはそこに言葉にできない後悔とか何か過去親のおみたいなものがぎゅっと繋ってるように感じたんですけど考えすぎですかね。 [音楽] いえいえ素晴らしい観察だと思いますよ。まさに彼は戦争で心にも体にもこう深い傷を追った男。その存在を静かに対現してるんですね。 [音楽] もちろん当時の男は黙って耐えるべし みたいなそういう社会的な空気もあった でしょうけどでも彼の親目はそれだけじゃ ない。もっと個人的なその語りたくても 言葉にならない葛藤とか声にならない叫び みたいな苦悩がその静かさの奥にこうしん でるように見えるんですよ。うん。その 苦悩の具体的な中身みたいなものはっちり とは語られないそうですよね。だからこそ 見てるこっちは一体彼に何があったんだろ うってこう想像しちゃうわけですね。彼が ふと背を向ける1つともあれは感情的 な何か逃げてるのかそれとも何かを守ろう としてるのか解釈はこっちに委ねられてる 感じがします。え、そしてその語らないと いう姿勢が石黒文学にずっと流れてる 語られない記憶 テーマとすごく深く響き合ってるんです。 説明的な演技じゃなくて観客の想像力とかあと映像がも余白の力。それを信じてる。だからこそ松下さん演じる次郎という人物がこんなに静かなのにでも強く心に残るんじゃないでしょうかね。 石黒作品って読んでるとなんでもっとはっきり言ってくれないんだろうってちょっとこうもかしい気持ちになることもまありますよね。 でもこの遠い山波の光ではその語られなさこそが物語を深く理解するためのなんか鍵になってるんですね。 [音楽] おっしゃる通りですね。主人公の越え越え子は石黒作品ではまあお馴染みとも言える信頼できない語り手なんですよ。彼女が思い出す過去の出来事ってどこか曖昧で話が食い違う部分もあったり意図的にぼかしてるなって感じるところが多い。 あの頃のことはよく覚えてるんだけど、でも細かいことはちょっとみたいな。彼女自身の語り口が物語全体を追う霧りみたいになってるんです。 [音楽] 自分の過去のはずなのにどこか他人ごとみたいに距離を置いて話してるようなそんな印象があります。もしかして触れたくない真実みたいなのがあって無意識にそこから目をそらしてるとか [音楽] [音楽] うん。その可能性は十分考えられますね。 同時に記憶ってものはそもそも客観的な 記録じゃなくて主観的で時には自分を守る ために再構成されるものなんだっていう 石黒さんの人間感みたいなものも現れてる のかもしれません。大事なのは越え子の 語りをそのまま受け取れないから こそリスナーであるあなたが本当は何が あったのその言葉の裏を探り始めること。 これが石黒作品が読者とか観客に仕掛け てるすごく匠な体験なんですよね。 なるほど。 事実をそのまま保存してるんじゃなくて自分を守るための盾みたいな役割もあるってことか。そういう側面ありますね。特に越え越え子が比較的詳しく語るさ子っていう女性娘さんを連れてアメリカ以上を夢見てる彼女のエピソード。これはもしかするとえ越え子自身のこう封印された過去とか現在の娘 [音楽] 2 期とのちょっと覚めた関係性を映し出す鏡つまりタファーなんじゃないかって考えることもできるわけです。 越子はさ子の物語を語ることで自分の過去をある意味都合よく語り直しているのかもしれない。はっきりした答えがないからこそ記憶って真実って何なんだろうっていう問いが私たちの中で深まっていくんですね。 [音楽] その越え越え子と夫である次郎の関係も言葉が本当に少ないですよね。日常はなんか淡々と過ぎていくように見えるんですけど [音楽] 2 人の間にはどこかこう張り詰めた冷たい空気が流れてるように感じます。 [音楽] ええ。彼らの会話は生活を成り立たせる ための最低限のものにとまってる因的 な繋がりとか深い理解を求めるような やり取りはほとんど見られない。 まるで本音を言葉にすることで今の微妙な バランスが崩れちゃうのを恐れてるかの ようで親目がお互いを傷つけないため あるいは関係を維持するための意思の暴壁 みたいになってる。 ああ、壊れちゃった関係っていうよりは壊さないために本質的な対話から距離を置いてる関係っていった方が近いのかもしれないですね。それはそれですごくリアルでちょっと怖さも感じますね。 [音楽] ここでちょっと視点を変えてみるとですね、さっき触れた次郎の沈黙なんですけど、もしかしたらあれって単なる関心とかコミュニケーションがうまくいってないってだけじゃなくて、あるの配慮というか優しさだった可能性ってないですかね。 優しさですか?沈黙が。 ええ、例えば戦争で追った深い傷とかトラウマを彼は越え越えツ子には語らなかった。それは語ることで越え越え子をも傷つけて重を追わせちゃうのを避けたかったのかもしれない。言葉にすることで壊れてしまうもの。汚いしてしまう記憶から関係性を守ろうとした結果としての沈黙。そう考えると彼の態度ってまたちょっと違う意味合いを帯びてきません。 [音楽] なるほど。語らないことが彼なりの不業な 選択だったかもしれないと。ああ、その 視点は面白いですね。確かに映画の演出も 2人の間に物理的にも心理的にも距離が あることを強調してるように見えます。 同じ部屋にいても視線が合わないとか次郎 が1人でタバコを吸う背中とか言葉理上に その場の空気が関係性を物語が感じします ね。そうなんですよ。そしてそういう夫婦 感の語られなかったことの積み重ねが結果 的に越子の記憶の曖昧さとか物語全体の 不しかさにつがっていくとも考えられます ね。この夫婦の関係性自体が物語の構造的 歪みを生む1つの要因になってるのかも しれません。さっきも名前が出ましたけど 越子が出会うさち子っていう女性さんを 連れてアメリカに行くことを夢見る彼女 の姿がどうしても越え子本人と重なって 見えちゃうんですよね。うん。8子イ= 越子という見方はこの物語を解釈する上で すごく重要な視点の1つですね。さち子は 母でありながら娘さんとの関係に悩んでて 異国での最出発を願ってる。一方で現代 パパートの越子もイギリスで娘の2期との 関係がうまくいってない。時代もパ所も 違うのに2人の置かれた状況とか内面 の葛藤にはなんか企業なほど共通点が見 られるんです。 まるで越え越え子自身が語れなかったあるいはこう封印したかった過去の願望とか後悔をさ子っていう人物に託して語ってるみたいですね。 [音楽] そう捉えられますね。さち子の選択とか行動は越え越え子が選ばなかったあるいは選べなかったかもしれない別の人生の可能性を示唆してるのかもしれない。 [音楽] そしてそれを現在の越子が無意識にか あるいは意図的にか記憶として再構築して 語り直してる。ここにさっき触れた信頼 できない語り手っていう仕掛けがより複雑 に機能してるわけです。私たちは越子の フィルターを通過去を見てるようでいて、 実は彼女の現在と深く結びついた最構築さ れた物語に触れてるのかもしれないと。 さち子と娘のマリ子の関係も決して理想的 とは言えないですよね。 母親の顔色を伺う娘とどこか現実から煮るように異国行きを願う母。そこには母であることと 1 人の女性としての自分との間で揺れ動く不的な葛藤が描かれてるように感じます。 越子自身も過去そして現在に至るまでその葛藤を抱え続けてきたはずなんですよ。でも彼女は自分のそれを直接的には語らない。 代わりにさ子っていうある意味で分身たいな存在を作り出して彼女にその役割を担わせてるんじゃないかと。過去からあれは自分自身から逃れようとしたのは果たしてさち子なのかそれとも越え越え子自身なのか。物語は明確な答えは示さないんですね。 その答えがないからこそ見る側は自分自身の経験とか価値観、例えば母上ってどうあるべきかとか人生の記でどんな選択をしてきたかみたいなことを登場人物たちに重ね合わせて深く考えさせられるんですね。 まさに母性とは何か守 るってどういうことか あるいは逃げるってどういうことか愛 な答えじゃなくてそういう普遍的で本質的 な問いを静かにでも深く投げかけてくる それがこの作品の持つ力だと思いますね。 原作の小説が持ってる言葉と言葉の間にあるニュアンスとか語られない部分の余白みたいなものを映像で表現するのってかなり難しい挑戦だと思うんですけど、今回の映画版ではその辺りはどうなんでしょうか? 映画版はですね、原作の言葉の空白を無理に説明的な映像で埋めようとするんじゃなくて、むしろ映像ならではの余因とか空気感として再構築しようとしてるように見えますね。 例えば越子が川辺に佇む風景、風の音、光 のうい、水の流れ、その情景全体が彼女の 語らないとかわれた時間みたいなものを 言葉以上に有便に伝えている。言葉に頼ら ないで空気で物語ることを目指してる そんな印象です。松下さん演じる次郎の 描写も光と影のコントラストが印象的でし た。 人的に顔の一部が影になってるようなショットは彼が見せないあるいは見せられない内面の複雑さ、それを象徴してるようにも思えましたね。 ええ、視線の使い方、光と影の設計、それから音の演出もすごく効果的です。特に会話が途切れた後の静寂、その静かさの中に時計の病心の音とか遠くで聞こえる生活音だけが響く。 [音楽] その無音に近い状態が帰って登場人物たちの間の緊張感とか言葉にならない感情を最大させているように感じます。 今回の映画って日本だけじゃなくてイギリスポーランドとの国際共同政策ですよね。その点も作品のなんていうか質感に影響を与えてるんでしょうか? それは大きいと思いますね。この国際的なチームによって多様な視点な作品に置行きを与えてる。 例えば1980年代のイギリス画舞隊の 現代パート。その空間描写とか生活感には 日本のプロダクションだけでは表現しきれ ない独特のリアリティとか肌触りがあり ますよね。それが異国で暮らすエ子の孤独 感とかどこか寝なし草みたいな感覚をより リアルに伝えてる。 色彩設計とか証明とか細部に渡る海外スタッフの完成が文化的な祭とか画面の温度感みたいなものを生み出してそれが越え越え子の語られない不安とか過去への教習を象徴してるように感じます。 ああ、吉田さんが演じる現在の越え子の少し高質な非ネイティブの英語の響きもその孤独感を際立たせる要素になってるかもしれないですね。 まさに長 じゃない英語が彼女のアイデンティティの 揺らぎとか異分の中でのある種の孤立感を 説得力を持って表現しています。こういう 多格的なアプローチは国際共同政策だから こそ可能になった豊かさであって原作文学 とはまた違う映画ならでは解釈を提示し てると言えるでしょうね。松下平さんの 演技に話を戻しますけど、彼が演じる次郎 は本当に多くのことを見る側に問いかけて いきますよね。 彼が語らないからこそ私たちはその親目の理由を探って自分自身の経験とか感情をそこにこう映しちゃうのかもしれません。 そうですね。彼の演技は明確な答えを与えるんじゃなくて観客の中に豊かな感情の余白を生み出しますね。彼の視線詰まいそして何より沈黙。それらは何かを語ることの拒絶であると同時に観客想像する自由を与える静かな誘いでもあるんですよ。 [音楽] [音楽] 彼が何を食いて、誰を許せず、なぜことの にあの重い沈黙が存在したのか、物語は 答えません。その代わりにその埋められ ない感情の空白を松下さんがその存在感を 持って静かに引き受けてる。それが見る ものの心に響いて自分の中にも誰にも語れ なかった記憶があるんじゃないかとふと 立ち止まらせる力を持ってるように思い ます。この物語にはっきりとした結末が ないですよね。さ子がどうなったのか。と 2 期の関係はどうなったのか。でももしかしたらその語り尽くさないこと自体がこの作品の本質なのかもしれないですね。 [音楽] そうですね。語られない部分があるからこそ見る人それぞれの中に自分だけのもう 1 つの結末が生まれる余地が残る。エンドロールの後も心の中で物語が静かに反響し続けるような感覚。 [音楽] これは文学ともと違う映画という媒体が持つ独特の残像と言えるかもしれないですね。 [音楽] そう考えるとさっき話に出た次郎の沈黙が優しさだったかもしれないっていう解釈もより深く響いてきますね。語らないことは冷たさや拒絶だけじゃないと。 ええ、守りたいものがあったからこその沈黙。それは言葉にならない信頼の形だったのかもしれない。 [音楽] 彼の沈黙も越え越え子の曖昧な語りも究極的には何かを守ろうとした結果なのかもしれない。そう考えるとこの物語の登場人物たちがより複雑で人間に溢れぬ存在として見えてきますよね。 [音楽] さて、今日の探球を振り返ってみると、 映画遠い山並の光における松下平さんの静 は言葉以上に有便に人物の感情や記憶の 伝えていて、石の世界観の確信に触れる ものだったなあと。ではこれまでの話を 踏まえて何が見えてくるでしょうか?うん 。結局 語られない沈黙にこそ隠された真実やあるいは誰かを守ろうとした不器用な優しさが静かに存在しているのかもしれないですね。 [音楽] この作品は私たちに簡単な答えじゃなくて多くの問いを投げかけますよね。記憶とはいかに不しかで主観に左右されるものなのか。語ることそして語らないことの意味とは何か。 そして沈黙が持つ諦めや拒絶だけじゃない 複雑な可能性について。これは私たちに 重要な投げかけますね。それはリスナーで あるあなた自身の人生における語られ なかった記憶についてです。のものだった のでしょうか?それとも 今日はAが遠いよの光が描き出す沈黙と 記憶の世界を巡りました。最後までお 付き合いいただきありがとうございました 。また次回の探求でお会いしましょう。 [音楽] [音楽]
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