「推し活」を哲学してみた
おし活って何なんすかね?あれ人の支え心の あら深い。最近相方がいいなくなりまして [音楽] 悲しいことに首になってしまいました。 首になってしまったので自分を見つめ直さなきゃいけないなと思ってですね。おし活について [拍手] おしについて はい。調べたんですか? ゆる生体学ラジオ、ゆ哲学ラジオのですね、リスナーとしてはですね、推しが消えてしまったという事態になってるので、 アイドル吉信さんが、 アイドル吉信さんがですよ、消えてしまったんですよ。じゃあ、推しが消えるとはどういう事態なのかということを考えるためにまずですね、推し、そしてアイドル文化とかね、そういうのをですね、ちょっと色々調べまして、そん中でチェキについての論文がありましたので、 そんな論文あるんですね。 そう、上岡マナさんという方が書いたアイドル文化におけるチについてみたいな 気になる。 これめちゃくちゃ面白かったんでちょっとこれについて喋っていきます。 チェキって知ってます? はい。 チェキ お噂は金。 あ、そうですか。 チェキさんのことは? チェキさんのことは個人名だったんですか? さきさんはなんだかアイドル活動の生活を支えているうん。はい。 存在だなということは はい。はい。はい。 大金がね。 じゃ、そこで想像されるチキって何すか? アイドルとお客さんのツショットか。 それって握手会みたいな感じなんですか? チェキは知ってたけどアイドルが結びつくのも、ま、ギリ知っているが、そのなんか経済権がよくわかんない。 ああ、 チェッキーを買う。 そうですね。チェッキーは多分買うもので はい。チェキ券だったりとかチェキ 1回分買いますって言って お金を払ってでチェキをしてる間はアイドルの近くに行ってお話とかができる。 うん。これね、チェ会は全然握手会と違うらしいんですよ。 へえ。 違う意義がある。 接触がどっちもできるようではなくてはない。 それは ではない。それはですね、ちょっと上岡さんの論文を読んでみましょう。 まずアイドルってさ、ちょっと昔になると垂直的構造って言って舞台の上で輝しく 1人でうん。 歌って踊ってるアイドル。 松田せ子ちゃんの時代です。 あ、そうそうそうそうそう。そういう時代でファンたちはもう下にいるしかなかったみたいな感じなんだけど、これがだんだん水平的になってくると うん。うん。偶像だったのが降りてきていう。 うん。降りてくるっていう。それの再るものが AKB48と 会いに行けるアイドル。 会いに行けるアイドル。 ま、もう少し物理的なところでいくと、アイドルが出てくる場所 おお がテレビとかラジオとかそういうところだったのがライブハウスに変わったと うん。 いうのが1 番大きい変化としてあってライブハウスだと見に行けるからおずと水平方向に近づいていく。 私現場行ったことないのであれですけど AKB劇場はかなり舞台が低かったような え、そうなん 記憶がありますね。 観客というかファントの距離を近づけるというか。 うん。うん。 高いとだって差が生まれちゃうからね。 うん。一般的なバンドとかがライブをするようなライブハウスって結構体育感のステージみたいな段差があったりして、その方が遠くからも見えるとか色々メリットはあると思うんですけど うん。うん。うん。 でもアイドルのライブハウスだと結構それが低くて階段 1 段分ぐらいの段差しかないとこそですね。 低全然後ろ見えないってことは うん。 結構小さいライブハウスが多分多いから ああ、 そこまでの遠くまで見えるっていうよりは目線が近い方がいいのかもしれ そっちのメリットを取ったんだ。これ評論家の宇常ひさんが言ったらしいんですけど、 AKB48 は半ば楽曲それ自体を販売しようとはしていない。 複製不可能なコミュニケーション体験というのが、ま、アイドルを消費する上で独自の文脈を与えたと、ま、言ってるらしいですね。 うん。ふん。ふん。 この水平的な方向になったことによって垂直的だったアイドルから愛に生きるアイドルみたいな感じでその結果コミュニケーションの価値が上がった。 うん。 アイドルとコミュニケーションが取れるようになった。 コミュニケーション取ることが価値になっている。 うん。 ま、成功に偶然あってコミュニケーション取れたら忘れらんないの思い出になるかもしれないけどそれを話すことを目的にライブに行けるような存在になってきたっていう。 うん。なかなかないっすよね。そういうのって。昔から考えるとさ。 会いに行こうとは思ってないもんね。 松田聖後に会いに行こうじゃなくて松田聖後の曲を聞きに行こうだもんね。普通は ライブとかに行くっていうのはね、会いに行くっていう言い方がね、まず面白いんですけど、こういうアイドル文化のコミュニケーションは突如出現したものではなくて、実は 90 年代から地下アイドルと呼ばれる分野に見られていた少人数のファンとアイドルとの関係がビジネスモデルに定着していった。うん。 90年でもうあったっていうことですか? らしいんですよ。水野蒼井さんとか制服工場上委員会とかがね、この論文ではあげられてたんですけど、 AKB がやり始めて、で、それと同じ手法を今地下アイドルと呼ばれる人たちもやり始めたじゃなくて、 90 年代に地下アイドル的にやってた人の手法を AKBがやるようになった。 リバイバルだったんですね、あれは。 うん。らしいです。 こういう小さなライブハウスとか劇場とかでファンとアイドルの距離が物理的に近くなるとファンの数も小規模になってうん。 地下アイドル世界に特有の共同体が形成される うん。 らしい。で、そういうコミュニティとして うん。 それを捉えていくとチェキというのが実は新しい資材を与えてくれる ほ もので学校とかさ うん。うん。 入学式とか卒業式にさ全員で集合写真撮りませんでした。 ああ、撮りますね。 真ん中に校長先生と担任の先生がドわー並ぶみたいな。 その日たまたまお休みだった子がこの辺に映。 あ、そうそうそうそうそう。最近 CGで え、 CGというか合成するらしいす。 ああ。さもちゃんと集合したかのように かのように ちゃんとその子の場所開けといて へえ。 で、後日こうやって気をつけさせて取ってそれみゃーっと切ってペタッと貼り付けるみたいな。最近ねえ。 すご 丸ないらしい。僕の中学卒業の時、 2012 年ぐらいに、ま、卒業したんですけど、そこで配られた卒業アルバムはもうその時点で合成になってました。 え、じゃあ丸の集合写真見たことないってことですか? それはね、幼稚園の時にはあったんすよ。 ああ、 丸の写真。僕が幼稚園を卒業する頃から中学を卒業する頃までで何か変わったんですよ。ちなみに幼稚園で丸になったのは僕自身です。 まさかの はい。僕は丸になってました。 これ、ま、ちょっと理由があって幼稚園で 3 年間あって年長の途中とかで引っ越しちゃって うん。 で、だから2 年半の思い出はあるんだけど、最後の集合写真にはいないみたいなので撮られた記憶のない僕の写真が丸の中に映ってたんですけど、チェキってこれの断片らしいんですよ。 え、どういうこと? どういうことって思うじゃないですか。 例えば家族写真も撮りますよね。 うん。うん。 座ってて誰か肩にこう置いてっていう感じで撮るじゃないですか。ここからここまでが共同体ですよっていうのを示す写真っていうのはそういう役割がある。 ああ、 これね、あの社会学者のブルーという人が言ってるんですけど、カメラというのは多くの場合家族集団の共有財産であるとこれは家族が家族であることを認識しその一体感を強め強化する儀式である。で、そうなると学校でこのクラスです、この学年です。 で、写真を撮るということもこれがもう 1 つのコミュニティ共同体ですよっていうのを写真に映すことによって強化しているという役割があると 単に思い出ではなく 単に思い出ではない。 戦争があった時代とかの各国の写真とかで回るじゃないですか。日本人がカメラってまだ馴染みがないからカメラに取られると魂を吸い取られるって あ、すごい昔の時代のやつだ。 思われてた時に各国の代表とか一緒に撮るってなって でも日本人が怖いよってなってであの別の国の男性がその日本人男性のことを手繋いであげたりとかして 怖くないよってそう一緒に写真を撮ったみたいななんか思い出なんかなって適当に思ってたけどやっぱ集団としてのそういうめていたんですよね。 そういうね、役割が写真にはあるらしくて、じゃあチキとは何かって言うと、ま、まず記録の側面と うん。 コミュニケーションの側面があると うん。うん。うん。 何月何日この人に会いましたよっていう記録をするっていう側面とあとはそのチェキを取ること自体がその 2人にとっての共同作業になると うん。 これなんか気入等と同じことをやってる。 なるほど。はい。 今のスマホがずっと身近にある世代とかは 2 人とかで女の子同士で遊びに行った時に一種の議的に 2 ショットの自撮りを取るみたいなのはあるみたい。 え、どういうこと?なんかここで取ることといたすみたいな。 その子と今日を楽しんでいるっていうのをお互いに了解するために すごい社会学っぽい 取ってるような気がしますね。 確かに僕のね、家の近くにイオンあってよ見るんすよ。イオンでこうやってツショットしてる人。イオンだぞ。 いって思って 何の記念みたいなエスカレーターとかで撮ってることがますよね。そう、そう、そう。あれは多分思い出というよりはその 例的な 私たちは仲がいいですよみたいな。 今日今日楽しかったですよねっていうお互いの確認作業。 あ、そうなんだ。じゃあ外交でさ、日本の総理大臣とアメリカの大統領がこうやって握手してなんか文章渡し合ってるみたいなあれなんだ? そういう理解をしてます私は。 あ、そういうことか。チェキもそうらしいです。 共同作業でコミュニケーション的な議例として、ま、そういうのがあるとで、それは記録の側面もありますよっていう、ま、その両面あって うん。一跡に重な そうそうそうなので、ま、それは握手会とは異なりますよねと。 ま、その実際握手会と同じようなコミュニケーションなんだけど、それがずっとコミュニケーションを作りましたという証拠として残り続ける。 うん。うん。 しかもこれが共同作業というのがアイドルというのは自分のパーソナリティを商品化していてでどうやらこの論文によればチを取った枚数が部合性の報酬になっていくアイドルで うんうん Aちゃんは10枚でBちゃんが20 枚だとしたら払われる報酬は AとBは2 倍ぐらい違うという風になるとだからそうすると好きなアイドルと一緒に取るということはそのアイドルに対してま報酬を うん 出していることでもあるし経済的に支援していることでもある スパチャですね。 あ、そうです。そうです。そんな感じです。ま、俺がスパチャしてやったぞみたいなそかはあのト客って呼んだり細客って呼んだりしてますけど、ま、そういうのがチキにはある。固定ファンが継続して応援することによってアイドル活動が持続できるようになる。 こんなに応援したぞっていうのが地として積み重なっていく時間をかけた分だけ地が閉める空間が増えるんですよ。 うん。なるほど。目に見えるんですね。それだけ押したかが。 そう。 こんなに俺は取ったぞっていうのが分かることで時間が空間に変わるっていうのもなんか面白いんですけど、あくまでも取る時、取られている時というのは推しとファンの状態なんですよ。 うん。うん。 ここで面白いのは水平的なアイドルの状況、ファンとアイドルが階段 1段分ぐらいしかないみたいな AKB 劇場みたいな水平的な状況の中であくまでも 1 ファンとアイドルですよっていう垂直的な構造というのを固定する装置であると 共同体としての議でありながら はい。 垂直的な構造を保持しようとするものでもあるということです。 そうです。そうです。 そのなんか両面性がすごく面白いなと思って。親とか友人がアイドルを干渉してチキ取りますみたいな時に親を出さない、 友人感を出さない。 うん。うん。うん。 あくまでアイドルと 1 ファンとしてチェを取るっていう事例がですね、あるらしいんですよ。 うん。うん。うん。うん。 彼らはファンと同様にチキに参加する代機を支払い列に並びルールのもで撮影していたと。 実際の人間関係が変化することは当然ないが、家族や友人であっても期撮影の時間はファンとアイドルの立場を守っているということでファンがアイドルを見上げるような盾の関係性を固定化するメディアチェキはそういうものなんだと。 なるほど。 最近面白い本を読みまして、このファンたちの市民社会という 面白そう 本でございまして、これあの昨日買ってもう呼び終わったんですけど 早すごい。サブタイトルは何ですか? あなたの欲望を深める10章 すごい でございます。これね、僕は感動した賞のタイトルがあって、キモい自分を生きようっていう。 うわあ、すごいファンの心みたいな感じですか? はい。これね、何がじゃあキモいかって言うと、自分が欲望を満たす時に常に他者のイメージを利用していることに気づこうという話をしてるんですね。 例えばテラスハウス。 おお。 これはどういう欲望かと言うと、他人の私的な感情とか隠された日常みたいなのを覗きしたいという欲望がある。 それはあの視聴者側の欲望として はい。そうですね。 ありますもんね。あのご飯ついてっていいですか?みたいな番組とかも昔からありますもんね。 ご飯ついてっていいですかって何だっけ? 街で歩いてる人に声かけて今日あのお家お邪魔してご飯一緒にみたいな。 あ、突撃隣の晩御飯とか。 そう、そう、そう、そう、そういうことです。 さ飯とか さ飯ってんだろう。 あ、さ飯ご存じじゃないですか。最近終わっちゃったんですけどね。 申し訳なかったです。 中一がナレーターやってて、働いてるサラリーマン、ま、男性に限らずに女性とかの昼ご飯、あなたのお昼ご飯見せてくださいとかって言って、あ、こんなもの食べて頑張ってるんですねっていう番組があって、なんかそういう欲望があるらしくて、 ええ、テラスハウスとその突撃晩御飯は同じ欲望がある。欲望です。 へえ、面白い。 あるかな?そんな他人の昼ご飯覗きしたいなっていう。 え、でも私はありますよ。他人の家見たいです。 そう、そう。あ、他人の家見たいはね、めっちゃありますね。 ありますよね。 ちなみにどういう時にそれ思います? 本当に良くないんですけど、普通に道住宅街とか歩いてて風でそよそよってレースのカーテンが揺れて、あ、ちょっと中見えそうって思った時にどんなリビング、どんなレイアウト、どんな角置いてるのかなとか を見ないようにするんですけど、つい気になってしまうっていうのありますよね。 ま、他人の生活覗き見したいタイプですね。 うん。かなりしたい。キモい自分を生きます。私は 欲望を満たそうとする時に他者のイメージを利用してるっていうところなんですけど、今回ここであげられてるのは視聴者側の欲望みたいなのが投映された結果テラスハウスの出演者が 1 人自殺してしまうという事件がありました。 演じない自分を演じるということを強制していた。 うん。うん。 ということがですね、ま、今回あって、リアティ番組は建前上台本のないリアティを売りにしていますが、何の意図や期待もなしに番組政策が行われるはずもなく、 結果的にプロデューサー監督の意図を組み取りながらそれぞれの参加者がワイド賞で疑化されるようなキャラクターをあくまでその自分として演じるのです。こういうなんだ欲望を視聴者は欲しがってるからそういう風に演じろうみたいなんですね。 うん。 そういうことがエンターテイメント全体で行われている。 うん。うん。 私たちは他者をしてしか主体化できないので、何らかの形で自分のキモい欲望を他人に対して持っています。こういうことを見たい、こういう姿が見たいとかね、あいつが不幸になってるところが見たいみたいな、そういうキモい自分を行きましょう。 キモいこと自体は悪いことではありませんと。ただ他者を利用してることに無になってしまったらそれは他者を不闘に返せることになりますので、ああ、なんか今欲望のために他人を利用してるって思いながら欲望を深めましょうって 書ってこれは面白いなと思いました。 みたい言葉ですね。応援をするなら。 うん。うん。 フルーツジッパーというグループの私の 1番可愛いところという曲が うん。TikTokでおな染みの あ、そうなんですか。 みたいですね。 なんかここにも書いてました。 TikTok でダンスが真似しやすかったみたいな うん。 書いてあって、これがですね、マドンナのライクアバージンと同じみたいな、 現代版ライクアバージンみたいな。 例えた方がわからん。 ま、なんかマドンナのライクアバージンっていう曲があって、 MV ミュージックビデオで黒いセクシーな衣装をまとってベネチアの運河のゴンドラの上で身をくねらせたり、純白のウェディングドレス風の衣装をまとってベッドの上に横る姿あってですね。 ええ、 ま、曲もなんかそんな曲らしいんですけど、出会うまでは絶望してたけど、あなたが私を輝かせてくれたみたいな、ま、曲で 1 節によってしまえばですね、すごく調的であると。 花調的の家父とか 家父長せ 家父長せ はい。家父長には従な存在に見えたらしいんですね。 うん。 なんかその男性が言ってくれたことによって その私が輝いたとか男性に自分を投映して でその承認をもらうことで自分は生きてけるんだっていうような話とか [音楽] うん。女の価が男性に認められることで はい。 あるという風にできるっていう考え方ってことですよね。 あ、そうです。 なんだけれども、当時のマドンナの曲というのは 10代の女性たちに熱烈に指示されてた。 うん。 つまり違う見方をしなきゃいけない。これはどういうことかと言うと、ま、どンナがゴンドラとかベッドの上で足とかをね、晒らすような姿に的自己決定権を行使する主体的な女性の姿を見出した。つまり男性があり気とかじゃなくて自分が決定したっていうことをその当時の 10 代の女性たちはマドナの姿から読み取った。 これと同じことがフルーツジッパー。 あの、 え、 私の1番可愛いところでも言える。 なるほど。 僕はあの、リズムが分からないので、ただただ朗読をさせていただきますが、私の 1 番可愛いところに気づいてる。そんな君が 1 番すごいすごいよ。すごすぎる。そして君が知ってる私が 1 番可愛いの。私もそれに気づいたという歌詞が おお あるらしいです。 初めて朗読されたでしょうね、日本で。 そうだと思います。この歌詞には絶大な自己決定と自己肯定感が表現されています。 一見君が私の可愛いとこに気づいてること から男性に依存して女性が肯定されている ように見えますが、私が可愛いことに 気づいてる君に私が1番すごいすごいよ すごすぎると言って強烈な承人を与えると いう複雑な構造があるというですね、一見 男性に媚びた女性像に寄り添つその中に 強力な女性の自己決定と自己工程 を滑り込ませた作品でうんかっ てみようかなと思いました NHKの放送文 研究所というところが出しているですね、推しについての調査がありまして、 おお、 推しとメディアっていう調査があって、社会学家の先生に教えてもらったんですけど、最近オタクとか 推しとかファンとかね、ま、そういう色々な言い方がありますが、他に何があるかと言いますと、マニア ああ、確かに。最近あんま聞かないけど うん。確かにマニアって聞かないね。 うん。例えば鉱石マニアとかなんかすごく 鉱石マニア。どの鉱石だ? えっと、鉱石は石。 あ、石か。はいはいはい。この人はこの訓章をもらっていてとかじゃないの? 知的奇心によってこうガッと言ってるイメージがなんとなくありますね。マニアの方が マニアの方がね、確かにマニアックだねとかっていう時って結構なんだろうチだねとかなんかそういうのと同じような感じかな。よくそんなこと知ってんねみたいな。 うん。うん。うん。 なんか確かに言われてみるとマニアの方がオタクの上位互感あるな。 そこなんかどっかのタイミングで変わってそうですよね。 ね。あとね、面白いのがにわかとかもある。 え、にわかも入るんです。 あ、広島カープのなんでみたい。 あ、でも確かに謙遜しているだけであって ファンではありますもんね。 はい。あとま、サポーターとか なんちゃらキとか え、Bキ初めて聞いた。 阪神キとかね。横浜へノスキとか。 あ、でもB っていう人はちょっと押してる感覚違いそう。なんかあの ってわかりますか? うん。グループ全体が好き。 そう、そう、そう。誰々というよりはもう全部が好きみたいな。存在が好きみたいな。例えば野球全部好きだけど。 と阪神もジャイアンツもみんな好きっちゃ好きだけど阪神の方がより好きっていう感じしません。キだと。 後押しの中のキか。 なんかそんな印象がB キっていう言葉にはありますが。 じゃ、そん中で自分はオタクですとか自分には推しがいますっていうのはどういう振る舞いに違いがあるのかっていう調査をしていて具体的にこの調査では何が違うかというとグッズを買ったりとか おお あとはイベントに参加したりとかというのは推し うん という風に認識してる人に特有なものらしいですね。より長になっている。 うん。経済的にお金を落としている人 はい。そうですね。はい。 いわゆる不当客 はい。 が推し 押しですね。 推しを持ってる人というのは高額のお金を使う人が一定数いたのとあとは自分のアイデンティティにも関わるような強い思いがある。 うん。 うん。この人がくれるからこそ私がいるみたいな 推しなしでは生きられませんかみたいな質問もあって、 これもあの自分をファンだと認識してる人、オタクと認識してるって人と自分には推しがいるっていう風に認識してる人だと明確に差があって へえ。 私の推しですっていう時はもうこの人なしでは考えられないっていう風に答える人が多かったと。 自分の支中みたいなところにあるっていうことなんですね。 うん。らしいですね。 ええ。情報収集はXやInstagram が活発でテレビはあんまりないと うん。 で、テレビに出たことによって推しの評価が下がったりとかテレビの扱われ方がすごい押しを馬鹿にするような 演出の仕方だと見たくない。うんうん。うん。うん。うん。 出てるだけじゃダメなんで推しがされてなきゃいけないことがですね。 あとはなんか推しがテレビに出ていてすごい本を読んでたからじゃあ私もその本読もうみたいな感じに 同一師というか自分もこうなろうみたいな感じに思ってる生き方として推を見ている うんうん ことがましを持ってる人にはあげられてるうん ちょっと分かりますね あとはね情報を全てチェックしたいという脅迫観念が生まれている おお それ以外への余裕がなくなる人が一定数いた うんふんふん というま傾向はあるんですが社会学的 に注意しなきゃいけないっていう風に僕が言われたのは例えば男のオタクと女のオタク でまたちょっと振る舞いは違いますし うん。そうですね。 ジャンルによっても違うと アイドルオタクとアニメオタクとま、鉄道オタクとかだとそれぞれまた違うのでオタクってこうだよねみたいな感じに一般化はできないけど僕が注目したのは例えば僕は野球で中日ファン とかって言えるんですよ。 このファンとかオタクって自分の好きな対象でもあるし自分を差し示しす言葉でもあるじゃないですか。 うん。そうですね。 私はファンです。 うん。 私はオタクです。推ってそうじゃなくないですか? そう。ちょっとなんか言葉の対象が違うよなって思ってました。 うん。うん。うん。私推しですわ。自分の推しなのかなみたいななっちゃうじゃないですか。 なんか推って言葉の成り立ちからまた違ってまして、この [音楽] NHK の調査でもオタクとかファンとかじゃなくて推しがいますっていう人は 推し認識者って書いてあって 押し認識者あ、初めて聞いた 私推し認識者なんですけどとかっていう あつものじゃなくて認識するものっていう扱いなんですね。そこではって そうね。押し保持者ではないね。 ね。すごい 私は押しているという風に認識している人 ということで押し認識者らしいんですがこのですね違い何だろうって僕考えたんですよ。 うん。 なんでその推しっていう言葉になったんだろうみたいな。 うーん。 今までオタクってあったじゃないですか。 ありましたね。 なんでそこからまた変わったんだろうみたいな思った時に、ま、これは一説というか、ま、僕の仮説ですけどオタクってまず自分の好きなものがあって [音楽] うん。 例えばガンダムが好きですみたいなガンダムのアニメをたまたま見てガンダムが好きになりました。私はガンダムオタクです。で、社会に出てく上で自己紹介で私が好きなアニメはガンダムですみたいな ちょっとガンダムオタクとはちょっと言えるかどうかわかりませんがみたいなちょっとそこまでの知識はとかっていうね。 謙虚な昔のだ とかっていう風になってたけど知ってまずなんか社会に放り込まれるところから始まって うん。 あなたは何が好きなのって問れるところから、え、自分の好きなの探さなきゃいけないんだってなって、ま、それで言うとこれかなみたいなのが推しなのかなみたいな。で、そこから推しが好きな自分ができてくる。 うん。なるほど。そこから自分を形成していくっていう うん。なんか集団がまずあってそこから子に行く。 うん。うん。 けどオタクは子があってなんかそれが集団に溶け込んでいくっていう はあ。 なんこの順番集団とこの順番が逆なんじゃないかなみたいな。 うん。で、おそらくそれはSN 数が発達したことによって何かその自己表明をせざるを得ないことに駆られてコミュニケーションしなきゃなということで何を押すかどうか うん。うん。 その後に決めると 推しってなんかそのうちから溢れるパトスみたいなのが ある人たちが言ってるものな印象ありましたけど 最近は結構推を作らなきゃみたいな なんかそういう同調力みたいなのにこう影響されてそうなところも見かける感じしますよね。 しますね。 なんか推しがいないとみたいな 感覚が うん。あれしら臭いっすよね。あの企業側がこれ押せみたいな。 うん。うん。シラ臭い。 押させるなっていう押すから勝手にみたい。 うん。そう、そう、そう。押すかどうかこっちが決めんだよっていうね。あれね、皆さん嫌いだと思いますけど。 僕のですね、あの大学の先生にこれメールしてこういう感じだと思うんですけど、なんか研究ないですかって聞いて、そしたら教えてくれてですね。で、それで面白いことを言っていて、推しという言葉はオタクと比較可能なほどの強度を持ってるのかどうかっていう うん。 とこに会議の念を抱いてますっていう。これ説明するのが難しいんです。 強。うん。そう。強度って何の強さ?強さですよね。 強さですね。概念強度。これ哲学とか社会学とかの概念でよく言うんですよ。強度があるかないかっていう。例えば僕が小説を書いたとしますよね。 はい。 池袋の朝みたいな ね。 カラスが待ってね。 うん。そう。え、ゴミが溢れていてみたいな小説を書いたするじゃないですか。文庫本で 200ページぐらいの ね、やつを書いてよし俺はこれで川し応募するぞみたいな 池袋ね。 池袋の朝出ましたみたいな感じでやするじゃないですか。これと夏目創石が書いた心 うん。 これが強度の違いなんですよ。 はあ。 例えば文学的に評論するとして夏目創の心というのは夏目創がこういう風に思っていた思想軍がこうあってでこれがこういう表現に流れてきていて 当時の世界の情勢としてこういう気分があってとかっていう風に評論分析してくんですよ。で、それに耐えられる作品なんです。 なるほど。 それに比べて僕が書いた池袋の朝はそれに耐えられないんですよ。そこまで分厚くない。 うん。 薄っぺならいいんですよ。素が書いた小説なんて。 思想はま、反映されてはいるだろうけど多少なりとも。 うん。 でもそこにアタ川賞を取りたいなとかって雑面があったりとかして時ひさんの思想を表す強度としては薄くなってしまうっていうような話。 そう。あ、ま、その単純に言うと分析する価値がない。 あ、もうそれを強度って言うんですね。 ま、その極論そうかもしれない。 うん。なるほど。 まだ分析して一般的に取り出せるほど うん。 固まってない概念である。 ああ。はい。はい。はい。 もう夏目卒の心はなんかすごい人に読まれて国語の教科書とかにもなって心ってこうだよねみたいなのが固まりつあるから叩いたりとかしても耐えられるけど 押しってまだみんなふわっと うん。 推しを思ってるから推しって一般的にこうですよねっていうのに耐えるほどまだ固まりきってないがうん。 うん。 柔らかい。 だから私が思ってる推しとひさんが思ってる推しっていう言葉がもしかしたら絶妙に違っているかもしれない。それが集まってるのが推しだから 硬くない。今 うん。まだふわっとしてる。 角はあるかもしれないけど、その角がまだちっちゃいみたいな。 うん。なるほど。 だから僕はちょっと推しを分析しようかなという風に思いましたけど、 まだちょっとそこね、至ってないらしい。お推し自身が。 なるほど。私ちょっと思ったのはエモいって言葉もはま、流ったじゃないですか。 エモいありますね。 なんで流行ったかって思ったらエモいっていう気持ちを表すのにエモい以外に最適なものがなかったからだと思って元ある言葉で表現するとなんか感渉的な気持ちになる。 感想的な気持ちになる。 そう言わないじゃないですか。 言わないね。 でも多分感渉的な気持ちになるっていうことを表すために うん。 最適なのがなかったからエモいっていうのが使われしたのかなって思ってるんですけど、推しとかも結構それに近いと思っていて、 私の好きなものが何々ですっていうには言葉が先か現象が先かわかんないですけどエタはすごく発達して応援する相手ができたにも関わらず自分を指す言葉しか今までなかったのかな。 ああ、逆に うん。 確かに エンタ目に依存してるから依存先を表す言葉が必要になってきたのかなみたいな。 確かに今まではファンとかオタクとかは自分を表してて、 私は好きな人ですとか好きなアイドルですしか言えなかったけど 推しという言葉が発明されたことによって それを一般的に言えるようになった。 うん。そう。それ以外だと思いつかないんですよね。私の推し誰々です以外の言葉で。 確かに全部言えるもんね。 うん。 私の推しは天丼よりかは滑段ですみたいなことも言えますもんね。 言ようと思えば言えるのかもしれない。うん。めっちゃ 好きなもの全般させる。 ただやっぱなんか熱量がないと違和違和感がありますね。よりはだと押しってる感じはないかもしれない。 ああ、そうだね。俺丼しには足りない。 ちょっと 溢れ出るパトスが あの比較しないと出てこないとちょっとカ丼しじゃないか。 ああ、そうか。俺はもう全部カ丼しなんですみたいな。もうすごいカ丼が好きでみたいな。 もうそしたら週に2 回は食べてて欲しいですね。 あ、ハードルあるんだそこ。 それすごい発見かもしれないです。 本当ですか? はい。 確かに自分の好きなものって多分自己紹介で私は平田ですと東京都出身ですと好きな食べ物はとかっていうのがま、割と相場じゃないですか? うん。うん。うん。 それみたいに好きなって言われる対象って結構限られてきたと思うんですよ。 うん。 メジャなな、あとは好きな本 うん。 とかあんま動物とかも言わない気がするんですよね。 そうですね。かなり会話に詰まってから出る話題って感じがしますね。 うん。 でもコンテンツとか好きになれよっていう対象が溢れてきたことによってそれを総称する言葉が必要になった。 これ僕が読んだ研究にはなかったです。 この見は僕すごい今興奮してるんですけど、推っていうものが資本主義社会と、ま、情報化社会があと、ま、消費社会かが組み合わさることによって、ま、できてきてさっきの推しの研究でも推しっていう風に認識しているとかなり高額な買い物をしたりとかコミュニティに貢献したりとかをしがちであるみたいな。で、それは資本主義社会に絡め取られていて、 欲望がなんかすごい溢れさせられていて うん。うん。 病むなくそうなってるんだみたいな説明になることが結構多かったんですけどや好きになる対象がいっぱいま、これは消費社会になったことによってだと思いますけどそうしたことによってそれを総称する言葉が必要になった。あ、これ説明できますね。 お、本ん当。 あ、すごいっすね。 概念が完成しました。 ちょっとおましいことを はい。強度が今付け加わりました。 今回最後に はい、 ドルーズ語りのですね、 ちょっと振り返りをしようかなと思いまして、今回取り上げるのは 2 つですね。メガソーラー的民族、鉛筆的共容。この 2つでございますが、 面白そうなのがありそうですね。 まずメガソーラー的民族って豊口さん、どんなものですか? 待ってくださいね。メガソーラーって何ですか? あ、ソーラ発電は知ってます? 分かります。 太陽光のやつをなんかして電気に変換するやつなんですけど。 うん。うん。うん。 あれがですね、民家の屋根とか 工場の屋根とかにですね。 うん。増えてきましたね。最近 ソーラー発電をするところがあるんですけど、ああいうチャちいのじゃなくてここ 1ヘクタル全部ソーラーにしますみたいな ほ いうのがメガソーラーなんです。 あ、じゃあ単純に大きさなんですね。 単純にでかさです。ただでっけえソーラー。 はいはいはい。あ、それで言うとエネルギーを自分で生み出してそれを家にして生きていく民族って思いましたけどそれは人間という種族ですね。 はい。 民族ではない。 全員ですから。 あの、すいません。伝え忘れてたんですが、あの、民族の族、あの、任べに谷の方の、 あ、そうだ、そうだ。 修族とかの方の族で、ま、これめっちゃ難しいと思います。 うん。 正直で単なるソーラーじゃなくてね、メガソーラーっていう風にわざわざちょっと書いたのは、例えば緑豊かな森林があって、 じゃあちょっと環境にいいことをしようとして、森林を伐採して全部ここソーラー発電にしますみたい。 ああ、 これメガソーラーなんですよ。 これ矛盾ですね。 おお、面白い。 はい。ていうこの矛盾、メガソーラーの抱える矛盾をかにこの民族というのに落とし込んでいけるかというのがですね、ポイントでございまして。 面白そう。 え、面白かった回答がですね、針金アさんからの回答ですけれども、これ完結ですね。続的にこういう風にした方がいいと言われてるから、ま、右習でそうしようってした結果、なんか弊害がいっぱい出てる。 ああ、ありそうのこといっぱいありそう世の中に 例えばこう民族って言うと村っぽいというかちっちゃいコミュニティを思い浮かべますけど例友達同士のコミュニティでもみんなで朝起こし合おうみたいな うん。 みんな遅刻しちゃいけないからさ、じゃあ起こし合おうぜみたいな感じで LINE グループを作ってお前起きろよみたいな感じにやってる間に自分が遅刻してしまうみたいな これメガソーラー的民族だなという風に言えるわけですね。 本末伝統感が あ、そうですね。うん。 あ、確かに本末前頭でいいな。 あった。ありました。もう このはあったわ。本末戦頭だったわ。ただね、もうちょっとね、メガソーラというところをね、特徴で生かしてって欲しいので、今回ね、 1 番良かったのはこの方ですかね。ニューノイズさんですね。 おお、おめでとうございます。 太陽光からエネルギーを生成するメガソーラーのように環境やフードからその土地の民和が生成される仕組みをメガソーラー的民族という。 メガソーラーはクリーンなエネルギーとし て普及してきたが、その過程で海線、山線 の理害関係が絡み、決してクリーンとは 言えない背景があることは周知の事実で ある。同様に日本各地に伝わる豊かな民和 に決して綺麗ごとは語れない背景がある ことを示唆する言葉としてメガソーラー的 民族は活用される。例えばウバステの伝説 を現代文学に消化した奈良山やんデラなど はメガソーラー的民族の代表的な物と言える。なるほど。 辞書から引用してきました ね。 ぽいですね。あった。完成されてますね。 素晴らしいと思いますよ。これがあの何が素晴らしいってやっぱメガソーラというものを太陽光からエネルギーを生成することから環境とかフードから民和が生まれるというとこに習っているところとあとま、クリーンなんだけどクリーンじゃないよねっていう風に言ってるところをその民に落とし込んでいるというところがですね、非常に美しい回答でございます。これ素晴らしい。 素晴らしいですね。 続きまして鉛筆的共容でございます。 これはなんか考えやすそうな はい。怪我しますね。 どっから考えます? 小学生の頃に シャーペンなんて使ってはいけない。バカになるって言ってた先生。 バカになるとは言われてないけどシャーペンを使うなとは言われました。 そうですね。削る時間を楽しむんだみたい。 待って待って待って待って待って。削ってたん? いや、あの これなかったん?このガラガラガラガラガ。 ああ、ありますよ。でもなんかそれ押しの先生が ナイフ押しの先生いるんだ。厄介だなそいつ。 そう、そういう時間こそが生まれるんだみたいな お ことを言ってる先生はいた気がします。 はい。それです。 でもただの老害ですね。 あったじゃん。 ありました。 あったじゃん。言葉 ちょっと違いました。 ちょ、それは こういうの考える時ってじゃあどういう対立があるかなって言って、ま、さっきのシャーペンとかもそうですけど、例えばボールペンとかクレヨンとかもあるかもしれないし、あと、ま、エキタブとかもあるかもしれない。 おお。現的。 だからそういうですね、対立を、ま、色々考えてってじゃあ鉛筆って何だろうみたいなのを共容に落とし込んで なるほど。うん。 ていうような考え方をするんですけど、ま、まずですね、松尾郎さんは真を持ちつも ああ、 周りに気を使う配慮が生き届いた素晴らしい共養のこと。 ダジャレも行けるんですか? いけますね。真を持つっていうところが、 ま、鉛筆、ま、重ね合わせてますけども、 あと周りに気を使うってのもね、ね ね、素晴らしい。素晴らしい。なんですが、僕がね、好きだったのはレオさんですね。 鉛筆の角度を変えると線の太さや質が変わるように TPO に応じて前提とするべき知識やワードチョイスを変更することができる共容と おお ありますがこれね惜しいんすよ。 おおしいんですね。 シャーペンでも多分そうなるんす。 ああ、確かに芯というものがあればそうなります。クレヨンでも そう。クレオンでもそう立ててやるのとさ、水平にしてビって うん。 やるのだと違ってくるんでちょっとこれね好きですけど惜しいですね。 あとね、これが好きだったな。あけみさんの回答です。これね、なるほど。鉛筆をそう捉えるかという風に思ったんですが、鉛筆は使用者がどちらか一方を削って先端を決める。 ああ、1 個をかける先端とそれと同じ機能を有しながらもその機能を最後まで発揮することなくは、ま、手に持つとこですねに徹する交端部とに分かれる。 共容として表出されることの対局には必ずその支えとなる同等の価値を持つ素用も備わっていてそちら側は消耗せず露呈されることもないという意味。 あけみさん かっこよく かっこいい。そっちに目向けるか ね。これね。いや確かにそうで結構さ養人とか知識人とかって言われてる人となんかただただレスバが強い人の違いって深みというかさ うん。うん。 出てこない共によって出てきてるがなんか勝ち付けられるみたいな。 うん。うん。うん。うん。 これいい言葉だな。 けみさん絶対鉛筆的共容あるじゃないですか。 ありますね。あけみさんが 1番かな。 うん。 鉛筆の捉え方ですよね。 後ろの方に目を向けるのがなんかかっこよかったですね。 うん。かっこいい。これはね、ビューティフルゴールということで あげさんがベストアンサーということではい。おめでとうございます。 今週のルーズ語ワードはサンドイッチ的主体でございます。 ああ、面白いですね。 面白いと思います。今回もね、あの推しとかという風に絡めて主体性の話 してきましたけど、あとはおにぎりとかと絡めるのか。僕あのコンビニで売ってるブリ島が好きなんですけど ああ、あのこういうやつ。 そうそうそう。全然伝わってないけど。全然伝わってないけどそういうやつです。 はい。ハムチーズとか マルゲリータとかそういう味がある。あれ、あれ僕好きなんですけど、あれと対立させるのか、何と対立させるのかでもいいと思いますし、あと、ま、考えるヒントとしては、ま、サンドイッチという名前の語言がね、嘘なんじゃないかみたいなところとか、そういうところと絡めても面白いかもしれないですね。ということで、えっと、コメント欄でサンド 1 的主体とは何かラジオネームとあとは、ま、 1 分ぐらいで読めるような文章でお書きください。 ということで今回ね、自分をちょっと 見つめ直すというところでおしについてね 、喋ってきました。来週からまたプラトン に戻りたいと思います。今週ゆ哲学ラジオ は以上にしたいと思います。 サポーターコミュニティ募集してます。 よろしくお願いいたします。高評価、 チャンネル登録もよろしくお願いいたし ます。時ひさん推しだよという方は是非 ゆ哲学グッズいっぱい 見てる人全員推しですよね。押してますよ ね。グッズを買いお願いします。 よろしくお願いします。 ということで、今週哲学ラジオは以上にしたいと思います。ありがとうございました。 ありがとうございました。 [音楽]
#140 哲学オタクが「推し」について考えました。
「『チェキ』から考えるアイドル文化」「FRUITS ZIPPERとマドンナの共通点」「”推し”と”オタク”は振る舞いが違う」など「推し活」について話しています。後半ではドゥルーズ語りのコメントを紹介しました。
前 ⇨ https://youtu.be/rD0STzFgSBU
【目次】
00:00 推し、消ゆ
01:01 アイドルの生命線「チェキ」
12:01 キモい自分を生きよう
15:27 FRUITS ZIPPERはマドンナ
18:08 推しとオタクは振る舞いが違う
25:04 「推し」を語るにはまだ早い?
30:55 メガソーラー的民族
34:40 「鉛筆的教養」
【コメントを見たい方】
◯メガソーラー的民俗
◯鉛筆的教養
【参考文献】
◯アイドル文化における「チェキ」 : 撮影による関係性の強化と可視化
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050850700797776000
◯ファンたちの市民社会: あなたの「欲望」を深める10章
https://www.valuebooks.jp/bp/VS0092878901
◯推し、燃ゆ
https://www.valuebooks.jp/bp/VS0087596252
◯アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉
https://www.valuebooks.jp/bp/VS0084284134
◯応援消費 社会を動かす力
https://www.valuebooks.jp/bp/VS0084258935
◯「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
https://www.valuebooks.jp/bp/VS0090510483
◯NHK放送文化研究所「『推し』とメディア利用」
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20241001_7.html
◯水野あおいインタビュー
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9055b9147ac995d8f596e8e341bbeb2ae849a34a
◯ゆる哲学/生態学ラジオ公式グッズ
https://www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/4a66f8d7ce1d4eb
【サポーターコミュニティはこちら!】
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【平田トキヒロ:プロフィール】
東京学芸大学教育学部哲学分野卒。企業に勤めながら本を積んでは読み漁る日々を暮らす。学部時代に社会学から哲学へ転向。美学にも傾倒。日本哲学会員。
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#ゆる哲学ラジオ #ゆる哲学ラジオ_推し #推し #推し活 #アイドル
37件のコメント
豊口さんの「推し」の言語化がうますぎて、目から鱗が落ちる思いでした!
よしのぶさん、お美しくなられて…
18:01 お前を信じる俺を信じろと同じってことですか?
え、豊口さん、アナウンサーとかやってました、、、?フィラーなく、声質も通るし、返答も無駄がない、、、こんな人がいっぱいいるの?pedantic、恐ろしい子、、、
今回の話を聞いて思ったのはVtuberはかなり縦横無尽なアイドルなのだと再確認したことで
普段の配信のオンタイムのライブはファンと密着にしてる、水平方向のアイドル像で、幕張やスーパーアリーナなどで行うオンステージのライブでは、舞台の上から活動するのをファンが熱狂的に応援する偶像崇拝としてのアイドルを感じ、チェキとしても、自分のレントゲンをチェキにして販売するという、新たな関係の確認的儀礼を観測したので、かなり特異なアイドル形態だと改めて知覚しました
オタクやファンは状態、推しは行為という違いかなと思いました。
「〇〇推し」という言葉が流行る前から「〇〇萌え」という言葉も、特定のキャラクターのグッズを買いまくる人たちも、普通にいたけどな。
「ゆる学徒ファンです。推しはトキヒロさんです」みたいに、推しの方が面積が狭くてピンポイントなイメージでした🤔
推しはただ好きなだけでなくお奨めのニュアンスも感じます。
「推し」という言葉について、語義にこだわりがちな性分なので「良いものなので誰かに勧めたい」という気持ちが内包されていない使われ方を見るとモヤッとします
「推し被りじゃん。わたし同担拒否なんだけど!」とか言われると何言ってんだこいつという気持ちを抑えられなくなります
ラジオネーム:しんじ
【サンドイッチ的主体とは何か】
サンドイッチは具をパンに挟んで食べるものである。
サンドイッチを食べる時、本当に食べたいのは具だ。従ってサンドイッチの主要素は具である。
パンは添え物に過ぎない。あるいは食べ物をつまむ為の箸やスプーン、フォークのような存在だ。
だが、パンなしでは具を食べることは出来ず、かつパンと一緒に食べることで具をより一層オイシく頂く事ができる。
そこから埋もれていた個性や意思が、周りの状況や取り巻く人によって掘り起こされ、行動や言動が変わっていく現象をサンドイッチ的主体という。
全ての消費活動を推し活と捉えていくことができれば、悪貨が良貨を駆逐する世の中から脱却できるかもしれないと考えた末に、推し活という言葉を全員が使えばいいのにと日々思っています。
ファンの呼称として「〇〇贔屓(びいき)」を用いると「全体的にそのジャンルが好きだが強いて言えば特定の〇〇に軸足を置いているというニュアンスを感じる」という感覚にたどりつくのが、「びいき?初めて聞いた」から速すぎてビックリした。ながら聞きだと理解が追いつかなくて戻して聞き直して理解できた。
普通の贔屓のイメージって「公平のようで偏りのある感じ」だから、推し活にあてはめると「全体が好き(箱推し)だが特に思い入れがある特定のものを指している感覚」になるという話を一段とばしで聞いた感じ。
なんだこの人。
自分はアニメ・ゲーム系のオタクだと思っていますが、2010年代のアイドルコンテンツの増加によってアイドル系の界隈と文化的な混交が起きていると感じています。
推し文化はもともとアイドル業界(特に地下系)で生まれたものだと思うんですが、オタク男性・オタク女性のどちらのふるまいとも違う挙動をよく感じます。
なんとなくの肌感覚ですが、推し文化が定着した後にオタク界隈に合流した人は、ここまで強い差異を感じず、推し活を「普通のオタク活動」だと感じているんじゃないかと思います。
茶化さないし茄子じゃない聞き手がいるとこんなに聞きやすいのか
自分と同じ苗字でびっくりした
なかなかいないんですよ
豊田とか溝口って間違えられがちです
私の拙い語りを取り上げていただき、ありがとうございます。
早速、嫁に自慢しました。
【サンドイッチ的主体】
RN:パイプ椅子
当時有名人だった『サンドイッチ伯爵』が好んで食したパン料理が『サンドイッチ』と名付けられた…という逸話が、いつしか『サンドイッチ』の名付け親的な存在として有名な『サンドイッチ伯爵』…という話に置き換わったように、主体が客体を規定する関係が、客体が主体を規定する関係に倒置した状況を『サンドイッチ的主体』と呼ぶ。
自らの独自性を、他への執着具合を持って語る『オタク的傾向』は『サンドイッチ的主体』の一例として挙げられるが、自己が希薄化した『推し活』についても同様の概念が適用されるかは議論の分かれるところである。
サンドイッチ的主体
サンドイッチは朝食、昼食、ピクニック、オードブルなど多様なシーンかつ多様な国で具材を変えて食べられている。このことから翻って、誰もが主体として扱われうることを示唆する言葉である。
マドンナの思想は古いな、だから私、フルーツジッパーの曲嫌いなんや
鉛筆は(芯の)周りに「きをつかう」
推しという言葉、考えすぎとわかりながらも言葉のニュアンスから「個人から推しへの金銭などの還元」と「推してる行為を周囲へ喧伝」のような意味合いも感じてモヤってたんですけど、「SNSの発達により自己表明せざるを得ない」という言葉に少しだけ救われました、その強迫観念からの発達した用法であれば、あまり気にせずいられる気もします
ラジオネーム:あかろ
『サンドイッチ的主体』
自らの個性を象徴する具が、パンという道具を使うことによってサンドイッチという体をなす。
転じて、他者や道具、既存の制度を使い、その同じコンテンツ使用者の中で自身の個性・主体性を出していること。
TikToker。
オタクは、他人はどうでもいいけど、推しは、周りにアピールしますよね。
直近のライトな「推し」の使い方には違和感があります。
自分は全てを賭けるような、もっと重たい概念である感覚があり、他者から働きかけられるものでは無いと考えています。
23:36 最近はオタクに求められるハードルが高くなってるなあとは思います。知識が浅いのでオタクとは言えるかわかりませんが…と謙遜するのがまさに。
推しはもっと気楽に、好きなら推してますって言える感じがある気がします。
ドゥルーズ語り
サンドウィッチ的主体
ペンネーム : Absinthe(アブサン)
サンドウィッチとは主に2枚の食パンに具材が挟まれている食べ物である。また、その具材はそのまま個で食されることが少なく、パンに挟まれたサンドウィッチなど他の食材と合わせて食されることが多い。そこから転じて「主体」の中でもとりわけ、母数が少ない中での主体性を発揮するものを表す。
例)
父・母という存在があるからこその「こども」としての主体
弟・妹という存在があるからこその長男・長女としての主体
戦隊ヒーローのブルーやピンクがいるからこそのレッドとしての主体
類義語としておにぎり的主体が挙げられる。こちらはたくさんのお米に囲まれた主体性を表し、クラスの1員としての主体、会社の1員としての主体、日本人の1人としての主体などを表す。
ラジオの収録したのか、よしのぶ以外のヤツと……
マニア、オタク、ファンは、自己紹介などで使用する時に心理的なハードルがある。自分は本当にその対象のオタクと呼べるのか、とか。推しという言葉は、その矢印を対象に向けることで、自分にあらゆるネガティブイメージを付けせないために出来たものだと思った。
トキヒロさんFRUITS ZIPPER知ってるんだーってるんるん聞いてたら全然知らなくて呆然
以後の話が入ってこなかった
あ、新しい風だ
一押し商品 みたいにこのグループでこの娘がイイぃ
それの誤字が定着したと思っていました
90s地下アイドルは、むしろアイドル全盛期後の「同人アイドル」だったんじゃないかしら
ファン含めての「アイドル=ファンのロールプレイ」
で、AKBはリバイバルというよりそれの商業化
露悪的に言えば、大人が本気でやるアイドルごっこを商品にした感じ
「オタク」という言葉が「集団」から「属性」に変わっても、XXオタクにはジャンル縛りのイメージが強い
XXのうち個別のYYが熱狂的に好きだけどXX全般が好きかどうかは別問題、みたいなニュアンスがあるような気はする
よしのぶ、ごめん俺、推し変するよ
メガネ率100%
鯖江市もこれにはニッコリ
オタクという言葉を使い出したのは 1980年のサブカル時期の記憶で、たぶんミュージシャンのSFオタク(兼SF作家)難波弘之氏あたり世代からだと思います。現在は内向的な意図で使いますが、もともとはコミュニケーションの外交的な言葉。彼らのマニアな知識探求活動で必須となるディープな会話で(インターネットなんかなかった)使われた「オタクはどうお考えか」「○○と思うんだがオタクは?」との二人称から使われ始めた呼び名と記憶してます(出典無しw)。
宮崎事件が象徴的ですが、当時オタクは圧倒的なマイノリティで社会的に迫害される社会的弱者で、ある意味閉鎖的にもみえる強固なコミュニティーを形成する必要があり、理解できない内向的なオタク集団という社会イメージに結びついたかもしれません。
また、ネット普及やパイが広がりサブカルのビジネス化が進むにつれ知識を自己完結で「買う」「入手する」オタク活動が増えるにつれ、内向的な活動に閉じるものとの認識が広がったのかな~と思います。(バブルが弾けて、自分の価値を残せるのは趣味の世界だけ、外部を信用できないというマインドもあったかもw)
現在においては「オタクやマニアは主体が自身(自身の知的な高みありき)だが、推しは興味対象に依存してる」という分析は、その通りだな~と思いました。
ちなみに、メガソーラーのほとんどは森林を伐採せずに作られています。当然ですが伐採にはお金がかかりますので、放棄農地やゴルフ場がほとんどです。
また「CO2に限定すれば」伐採しても環境には良いといえます。生物多様性に関しては規模によると言えますが、メガソーラー悪玉説に関しては慎重になった方がいいと思ってます。