【実話の物語】息子に“物置”へ閉じ込められた日──スマホに残した“声の証拠”を親戚一同に送った瞬間、夫婦の顔が青ざめた。
皆様、そして視聴者の皆さん、再び私の チャンネルにお帰りなさい。今日私たちは 1つの物語を共に聞くことになります。 これはおぎ話ではありません。遠い映画の 1場面でもありません。これは現実の断点 であり、今この瞬間にもどこかで起こって いるかもしれない物語なのです。私は普通 の母親です。たった1人の息子の未来の ために自分の人生を全て捧げてきた女性 です。それなのに5月のある美しい朝、私 は新潟の田舎から1番早い電車に乗り4 時間以上をかけて東京に向かいました。私 にはただ1つの願いがありました。自分の 命をかけて育てた息子に再び会うこと。 しかし、そこで私を待っていたのは温かい 法用ではありませんでした。私を待ってい たのは古いものき部屋、電気も水もない 場所でした。そして最も愛する人たちの 恐ろしいほどの沈黙の中でガチャという音 が響きました。外から鍵をかけられる音。 私を中に閉じ込める音でした。あなたは これがサスペンス映画の筋書きだと思うか もしれませんが違います。これは真実です 。そして私の次の行動、ただ1つの行動が その家族全員の心を凍らせることになった のです。もしあなたが母親になったことが あるなら、もしあなたが最も愛する人に 傷つけられたことがあるなら、どうか私の 物語に耳を傾けてください。なぜならこれ はあなた自身の物語でもあるかもしれない からです。私の名前は秋山ふ子。72歳に なります。自分のよう夕暮れ穏やかなもの と呼ぶ人もいるでしょうが私のお湯は違い ます。それは長く続く冬のようなもの寒く 孤独という白い雪が全ての喜びを追いかく してしまう季節なのです。飯型県の海岸沿 にある小さな町で私は古い木造の家に1人 で住んでいます。毎日が同じことの 繰り返しです。早朝に起きて米を炊き、お 茶を入れ、そして静かに座って唯一残され た家族3人の写真を眺めるのです。息子が まだ小さかった頃に撮った写真、その中で だけ私たちはいつも微笑んでいました。 若い頃を思い出します。貧しくても幸せ だった幼少期、波の音、母が布る音、 しっか船を作るために木を削る音に囲まれ て育ちました。優しい鉄道士と出会い、 平凡でも意味のある結婚生活を送りました 。私たちには1人の息子が生まれ、病院一 と名付けました。強くたましく育って 欲しいという願いを込めて、しかし悲劇は 突然やってきました。 私が40歳の時、夫が鉄道事故で突然この ようったのです。両一がまだ13歳の時に 私は未亡人となりました。涙を拭い自分が 倒れることを許しませんでした。農場での 手伝い早朝の市場での販売、夜中の2時3 時まで家で再縫の内食できることは何でも しました。自分の新しい靴を買うお金が ない日もありましたが、1度も不平を言い ませんでした。全ては両一がきちんと教育 を受け、母親よりも良い人生を遅れるよう にするためでした。両一は東京の大学を 卒業し、私の最大の誇りとなりました。 息子がエンジニアになり、優しい妻を迎え 、私に可愛い孫を抱かせてくれる未来を 夢見ていました。 はミカという現代的で優秀な東京の女性と 結婚しました。しかしその時から母子の 距離は次第に広がっていったのです。電話 の頻度が減っていきました。お正月やお盆 の時期でも両一は1人で帰ってきてみかは 忙しいと言い訳をしました。私が電話を すると病院一は急いで答えました。今会議 中です。後で駆け直しますと言って2度と 駆け直すことはありませんでした。私は いつも自分を慰めました。若い人は忙しい 。自分は年寄りだから息子に迷惑をかけて はいけない。3ヶ月前買い物から帰る途中 で転んで骨を掘ってしまいました。3週間 入院しなければなりませんでした。病院の ベッドで毎日携帯電話を見つめ、息子から のメッセージや電話を待っていました。 しかし14日間電話は1度もなりません でした。誰も見舞いにこずメッセージも ありませんでした。何十年ぶりに自分が 透明人間になったような気がしました。 隊員の日も誰も迎えに来ませんでした。 自分でバスに乗って家に帰り、自分でお 作り、自分で包帯を取り替え、自分で足を 温めるお湯を明かしました。体の痛みと心 の冷たさを誰も理解してくれませんでした 。毎晩1人で泣くことしかできませんでし た。5月のある朝、私は決心しました。 東京に行かなければならない。携帯電話の 画面や急いだ声を通して息子を感じるのは もう嫌でした。血の通った息子を見たい、 母親の腕で息子を感じたいと思いました。 小さな旅行を準備しました。中には故郷の 米カ氏、緑茶、そして領一が大学に合格し た時に刺繍してプレゼントしたハカ値が 入っていました。1番早い電車に乗り希望 と不安を胸に抱いて出発しました。背田役 にある息子の3階建ての現代的な家の前に 立った時、それは私の木造の家とは全く 違う世界でした。ベルを押すと嫁のミカが 出てきました。驚きから困惑へと変わる 表情を詳しく見ることができました。 冷たい声で言いました。お母さん、なぜ 事前に連絡してくださらなかったのですか ?私は微笑毛と努力し、息子を少し尋ねて すぐに帰ると説明し、迷惑をかけるつもり はないと言いました。家に入れてもらい ました。両一が2階から降りてきました。 彼は背が高く立派に成長していましたが、 その目には母親に再開した喜びや懐かしさ が全くありませんでした。声も避難に満ち ていました。なぜ事前に連絡してくれ なかったの?今に座り自分の事故について 病院での孤独な日々について話しました。 しかし誰も本当に聞いていないことが はっきりと分かりました。ミカはお茶を 出しましたが注ぎませんでした。両一は 絶えず携帯電話を見ていました。昼近くに なって足がまだ痛むので少し横になりたい と言いました。ミカは両を見てから言い ました。2階は修理中です。お母さんは奥 の部屋を使っていただけますか?以前は 倉庫でしたが窓もあります。私は台所の奥 にある部屋に案内されました。古い木の扉 が開くと中にはダンボール箱、壊れた扇風 機そして床に直接敷かれた埃りまみれの 薄いマットレスがありました。ミカは言い ました。お母さん、ここで少し休んで ください。私たちは今少し忙しいので後で 食事をお持ちします。私は部屋に入り嫁に 感謝しました。振り返ってドアを閉めよう とした瞬間、乾いた明確なガチャという音 が響きました。外から鍵をかける音でした 。私は呆然として信じられませんでした。 ドアノブを握って回してみました。全く 動きませんでした。空間は静寂に包まれ ました。私は慌ててドアを軽くはき、両一 の名前を呼びました。 はありませんでした。もっと強くはきまし た。古い木のドアに手が当たる音だけが 冷たく響き帰ってきました。絶望的になっ て私は激しくドアをはき、絶望の中で叫び ました。両1位お母さんよ。ドアを開けて お母さん疲れているの。足が痛いの。 聞こえる。しかし私に帰ってきたのは絶対 的な沈黙だけでした。足音1つ、言葉1つ ありませんでした。まるで私がこの家に 存在したことがないかのようでした。力が 尽きて私は床にへり込みました。タイルの 床からのレキが衣服を通して骨まで 染み込んできました。湿気と誇り錆の匂い が喉に押し寄せて咳込みました。涙が流れ 始めました。体の痛みからではなく、心を 引き裂く苦い裏切りからでした。カから 古い携帯電話を取り出しました。画面には 県外と表示されていました。両一に近所の 人に緊急にかけようとしました。しかし 全て無駄な長い刀が帰ってくるだけでした 。携帯の電池は各点滅し、間もなく切れ そうでした。暗闇と沈黙の中で私の犠牲に ついての記憶が押し寄せてきました。これ まで以上に鮮明に小さな両を雪の中で 背負って歩いた姿。新学器の全夜に制服の 袖を直すために徹夜した場面。嵐の夜に 息子が高熱を出した時に5km歩いて薬を 買いに行った夜、両一が大学通知を 受け取った日の輝く誇らしい笑顔を残酷な 大避に気づきました。今の洋一の目は私が かつて愛した息子の目ではありませんでし た。それは見知らぬ人の目。私を押しのけ たい。私を自分の人生から消しされたいと 思う目でした。これはミカのせいだ。一は 知らないのだと自分を騙そうとしました。 しかし頭の中の冷たく性的な声が響きまし た。違う。彼は知っている。全てを知って いる。時計は午後3時を指していました。 私は5時間近く閉じ込められていました。 水も食べ物もありません。パニックが 込み上げ始め、心臓が激しく鼓鼓動し、 背中に冷や汗が流れました。突然あること を思い出しました。今朝ベルを鳴らす前に 不安な予感を感じながら待っている間に 携帯電話の録音のアプリを開いてそれを 動かし続けていたのです。アルバイト時代 からの習慣で複雑な要求を記録する必要が あったからです。全てが記録されていまし た。ミカの冷たい公鍵をかける音、部屋の 恐ろしい静寂。私がドアを叩く音、叫び声 全てが記録されていました。夕方私が上と 乾きでほとんど意識を失いかけた時、再び 鍵の音が聞こえました。ドアがゆっくりと 開きました。しかしそこに立っていたのは 両一ではありませんでした。ミカでした。 ミカは全く申し訳なさそうにせず無表情 でした。彼女はすでに印刷された新幹線の 切符を差し出しました。お母さん、もうお 帰りになれます。品川駅から7時26分の 便です。今行けば間に合います。私は何も 言わずドアの枠に捕まってゆっくりと 立ち上がりました。切符は受け取りません でした。 に外に歩いて行きました。リビングルーム に行くと両がそこに立っていました。 シャツの襟りを直しながら外出の準備をし ているようでした。彼は私の目をまっすぐ 見ることができませんでした。異常なほど 冷静な声で私は尋ねました。なぜなぜ母親 がこんな扱いを受けなければならないの? 両一は黙って頭を下げ、両手を握りしめて はまた話しました。その時私は静かに携帯 電話を鞄から取り出しました。録音 ファイルのリストを開きました。両一と 美香の驚いた目の前で私は最新の録音 ファイルを選び、共有ボタンを押しました 。秋山の親戚のLINEグループに送信し ました。そこに若口から約10人の親戚が いました。私は一向だけ追加しました。 今日東京に来ました。これが息子夫婦が私 を接退した方法です。すぐに両一の携帯 電話がピンと新しいメッセージの音を 鳴らしました。彼の顔は青ざめました。が 近づいてきて震え声に怒りが混じって言い ました。お母さん。お母さんは今何を送っ たのですか?私はミカの目をまっすぐ 見つめ、この日初めて微笑みました。それ は喜びの笑顔ではなく解放の笑顔でした。 私は客ではありません。私は彼の母親です 。私は長い間するべきだったことをしまし た。私は声をあげたのです。部屋は静寂に 包まれました。2人の顔は驚愕から恐怖へ と変わっていきました。今頃家族の チャットグループがどんな状況になって いるか、彼らは想像できたでしょう。ミカ の手は震え、スマートフォンを握りしめて いました。両一の学には汗が浮かび、顔は ローのように青白くなっていました。私は 立ち上がり両の方を向きました。お母さん はあなたに自分の足でしっかり立つ方法を 教えました。でも振り返る方法を教えるの を忘れていたようですね。そう言って私は 玄関の方へ向かいました。切ッ符は 受け取りませんでした。自分で切符を買い ます。追い出された人のように去ることは 許しません。ドアに手をかけた時、心の奥 で小さな希望がありました。両一が お母さん行かないでと呼んでくれることを 。しかしそんな声は聞こえませんでした。 背後でドアが閉まる音がしました。今度は 私自身の手によって私の人生の一生が永遠 に終わったのです。家を出た瞬間、私の 携帯電話がなり続けました。 親戚からのメッセージと着信の嵐でした。 お姉さん本当なの?両一は気が狂ったのか 信じられない。あの子たちに教訓を与え なければ私は誰にも返事をしませんでした 。何十年も蓄積された深い疲労を感じてい ました。ただ静寂が欲しかった。足を 引きずりながら私は品川駅に向かって歩き ました。夕日が東京の高いビル軍の間に 沈んでいき、町のと森が1つずつ店倒し 始めていました。私は自分が見知らぬ土地 の見知らぬ人のように感じました。72 年間生きてきて初めて自分が完全に孤独だ と実感しました。駅の切ッ符売り場で私は 震える手で財布を開きました。新潟機の 切ッ符を買うためのお金を数えました。私 が大切に貯めてきたお金、息子のために 何か必要な時のためにと思って取っておい たお金でした。皮肉なことに今その息子 から逃げるためにそのお金を使うことに なったのです。電車を待つ間ベンチに座っ て天井を見上げました。品川駅の高い天井 、無数の人々が生きう、アナウンスの公へ 全てが遠く感じられました。隣に座った 若い母親が小さな子供に優しく話しかけて いるのを見て胸が締めつけられました。 あの母親も将来私と同じ運命を辿どるの だろうかと思いました。新幹線の座席に 座ると窓の外の風景が後ろに流れていくの を見つめました。東京の明るい明りが時第 に田舎の暗い風景に変わっていきました。 私の人生と同じように明るい希望から暗い 現実へ。車内は静かでほとんどの乗客が 眠っているか静かに本を読んでいました。 私だけが目を開けて過去を振り返ってい ました。新潟に着いたのは夜遅くでした。 駅から家までの道乗りはいつも以上に長く 感じられました。大東の下を歩きながら私 は自分の影を見つめました。1人の老女の 小さくがった影。それが私の現実でした。 家に着くと全てが朝出発した時と同じでし た。しかし私自身は全く違う人間になって いました。その夜私は一もできませんでし た。布団の中で天井を見つめながら今日 凝ったこと全てを何度も思い返しました。 ミカの冷たい目両一の無関心な態度あの 物置き部屋のシ熱たに多い鍵をかけられた 時の絶望感そして最後に私が録音を送信し た時の彼らの顔恐怖と怒りが混じった表情 翌朝私は普段通り早く起きました。しかし 、いつものようにお茶を入れる気持ちには なれませんでした。台所に座って昨日の 出来事が夢だったのではないかと思おうと しました。しかし携帯電話を見ると未読 メッセージが50件以上ありました。現実 でした。メッセージを1つずつ読みました 。親戚たちの怒り驚き同場の言葉が並んで いました。ふみこさん、あんなひどい扱い を受けるなんて病院には厳しく言っておき ます。すぐに謝罪させます。しかしこれら の言葉は私を慰めませんでした。むしろ 自分がかわいそうな被害者として扱われる ことに違和感を感じました。母後になって 郵便配達員が来ました。東京からの即達便 でした。両一からでした。私は震える手で 封筒を開けました。中には手書きの手紙が 入っていました。字は乱れていました。 お母さん、僕が間違っていました。でも どうやって償えばいいのか分かりません。 お母さんが何を望んでいるのか教えて ください。その手紙を3回読みました。1 回目はアンドを感じました。2回目は怒り を感じました。 3回目は涙が溢れました。私が必要として いるのは謝罪ではないことに気づきました 。私が必要としているのは心からの お母さんという呼び声でした。しかしこの 手紙は結果を恐れる大人の言葉であって 後悔している息子の言葉ではありません でした。私は返事を書きませんでした。 翌日また手紙が届きました。今度は三か でした。お母さん、私たちの行動は間違っ ていました。どうか許してください。両一 はあなたなしでは生きられません。この 手紙も私の心には響きませんでした。形式 的な謝罪の言葉だけで真の反省は感じられ ませんでした。数日後、近所の山田さんが 訪ねてきました。彼女は私の数少ない友人 の1人でした。ふみ子さん大変だったのね 。新聞にも乗っていたわよ。新聞私は驚き ました。山田さんが持ってきた地方新聞を 見ると小さな記事がありました。高齢の 母親東京の息子たちでも納期に監禁される という見出しでした。記事を読んで私は 複雑な気持ちになりました。 自分の恥が大けになったような恥ずかしさ と同時に自分だけではないという案度感が ありました。記事の最後には高齢者虐待の 問題が深刻化しているという専門家の コメントがありました。私は高齢者虐待の 被害者だったのです。その日の夕方見知ら ぬ番号から電話がかかってきました。新聞 記者でした。秋山さんのお話をもっと 詳しく聞かせていただけませんか?同じ ような被害に会っている方々の助けになる かもしれません。私は丁寧に断りました。 私の苦痛を他人の興味の対象にしたくあり ませんでした。しかしその電話をきっかけ に私は考え始めました。私と同じような 母親方にもいるのだろうか。息子や娘に 愛そうを司かされ、邪魔者扱いされている 老人がそう思うと胸が痛みました。なぜ 子供を愛し全てを犠牲にした親がこんな 扱いを受けなければならないのでしょうか 。週が過ぎて両からの電話が何度もかかっ てきました。私は出ませんでした。ミカ からのメッセージも無視しました。彼らが 求めているのは私の許しではなく世間定を 保つことだと分かっていました。親戚から の圧力、近所の噂職場での居心地の悪さ。 彼らは自分たちの立場を守るために必死 でした。ある日が直接家まで来ました。 玄関のベルが鳴りお母さん僕です。話をさ せてくださいという声が聞こえました。 私はカーテンの隙間から外を覗きました。 病が玄関の前に立っていました。やれて 見えました。紙も伸び、いつもきちんとし ていたシャツもしだらけでした。しかし私 はドアを開きませんでした。なぜなら彼の 立ち方話し方から本当の後悔ではなく困惑 と焦りしか感じられなかったからです。彼 は30分ほど外で待っていましたが、最終 的には諦めて帰って行きました。その夜、 私は久しぶりに長い散歩に出ました。海岸 沿いの道を歩きながら波の音を聞きました 。子供の頃から聞き慣れた音でした。この 音だけは変わらない。人は変わり、関係は 壊れ、心は傷つくけれど、海の音だけは 永遠に同じです。 歩きながら私は自分の人生を振り返りまし た。夫を失った時の絶望。1人で息子を 育てた苦労。息子の成功への誇り。そして 今回の裏切り。全てが意味のないことだっ たのでしょうか。私の愛は何だったの でしょうか?私の犠牲は何のためだったの でしょうか?海辺のベンチに座って星空を 見上げました。 の星が輝いていました。その美しさに久し ぶりに心が少し軽くなりました。私は1人 ですが、この美しさを感じることができ ます。私はまだ生きている。まだ感じる ことができる。それだけで十分なのかも しれません。家に帰る途中、コンビニで 地元の情報士を買いました。何気なく読ん でいると老人ホームの広告が目に止まり ました。山梨県にある施設でした。自立し た高齢者のための快適な生活空間という 言葉が印象的でした。私はその広告を 切り通って財布に入れました。翌朝私は 重要な決断をしました。両一への依存を 辞める時が来たのです。私は自分の人生を 自分で決める時が来たのです。私は山梨の 老人ホームに電話をかけました。優しい 女性の声が応答し、見学の予約を取りまし た。息子さんはいらっしゃらないのですか と聞かれた時、私は少し躊躇しました。 そして答えました。息子はいますが、私は 1人で決めたいのです。これは私の人生 ですから。 電話を切った後、私は不思議な解放感を 感じました。72年間で初めて誰の許可も 求めず、誰の意見も聞かず、自分だけで 人生の重要な決断をしたのです。その感覚 は恐ろしくもあり、同時に総会でもあり ました。その日の午後午後郵便受けに熱い 封筒が入っていました。洋一からの3目の 手紙でした。今度はヴ線後前に渡る長い 手紙でした。彼の子供時代の思い出、私へ の感謝の気持ち、今回の行動への後悔、 そして将来への希望が綴られていました。 手紙の最後にはこう書かれていました。 お母さん、僕たちは間違いを犯しました。 でも家族としてやり直すことはできない でしょうか?ミカも深く反省しています。 どうかもう1度チャンスをください。この 手紙を読んで私の心は大きく揺れました。 母親としての愛情が再び湧き上がってき ました。でも同時に疑念も湧きました。 これは本当の気持ちなのか、それとも世間 定を気にした演技なのか。私にはもう 分かりませんでした。夜になって私は机に 向かい返事を書き始めました。何度も 書き直しました。怒りの言葉、悲しみの 言葉、愛の言葉全てが混じってまとまり ませんでした。最終的に私はペンを置き ました。言葉では表現できない気持ちが ありました。翌日、私は山梨の老人ホーム を見学に行きました。新幹線と電車を 乗り継いで3時間の旅でした。施設は山に 囲まれた静かな場所にありました。清潔で 明るく職員の方々も親切でした。私と同 年代の入居者たちが庭で花を育てたり、 読書したり穏やかに過ごしていました。 施設の責任者が説明してくれました。 こちらは自立した高齢者の方々のための 施設です。皆さんそれぞれの理由でこちら に来られています。新しい人生を始めたい という方が多いですね。私は質問しました 。家族と離れて住むことに罪悪感を感じ ませんが責任者は微縁で答えました。最初 は皆さんそう感じられます。でも自分 らしく生きることは罪ではありません。 家族のためだけに生きる必要はないのです 。見学を終えて私は申し込み書を受け取り ました。すぐに決断する必要はないと言わ れましたが、私の心はすでに決まってい ました。ここで新しい人生を始めたい。 息子の母親としてではなく、秋山ふ子とし て行きたい。帰りの電車の中で私は両一に 手紙を書きました。今度は短い手紙でした 。両一へ。お母さんは山梨の施設に入り ます。これはあなたへの罰ではありません 。お母さんが自分らしく生きるための選択 です。お母さんはもう誰かの母親として だけ生きるのは疲れました。秋山ふ子とし て残りの人生を行きたいのです。あなたが 本当に成長したならいつか理解してくれる と信じています。この手紙を同感した時、 私は完全に自由になったような気がしまし た。恐ろしくもありましたが、同時に希望 に満ちていました。72歳の新しい出発 です。新潟の家に帰ると薄番電話に15件 のメッセージが入っていました。全て両一 からでした。必死に私を呼ぶ声泣いている ような声もありました。お母さんお願い です。話をしてください。僕たちは本当に 反省しています。しかし私はもう答えませ んでした。答える時期は過ぎたのです。私 は荷造りを始めました。72年間の人生の 荷物を小さなスーツケース2つにまとめ ました。大切な写真。夫の片、私が刺繍し た作品、そして息子が小学生の時に作って くれた母の日のプレゼント。それだけで 十分でした。その夜私は最後の夜を過ごし た家を見回しました。この家で私は母親 でした。妻でした。そして1人の女性でし た。多くの涙を流し、多くの笑顔を見せた 場所でした。明日からは新しい場所で 新しい私として生きていきます。窓の外で はいつものように波の音が聞こえていまし た。この音は私の小歌でした。そして今私 を新しい人生へと送り出す賛美家でもあり ました。私は深呼吸をして明日への準備を しました。72歳の女性の新しい冒険が 始まろうとしていました。山梨の老人 ホームでの新しい生活が始まって3週間が 経ちました。朝の目覚めは以前とは全く 違いました。新潟の海の音の代わりに山々 に囲まれた静寂のさえ釣りが私を迎えて くれます。部屋は小さいですが清潔で 大きな窓からは美しい庭園が見えます。 毎朝6時に起きて共養のダイニングルーム で他の入居者の方々と朝食を取ります。 最初の数日間は誰とも話さずに1人で食事 をしていました。72年間慣れ下しんだ 環境から離れ、知らない人たちに囲まれて 生活することの不安が大きかったのです。 でも少しずつ変化が現れました。隣の テーブルに座る田中さんという80歳の 女性がある朝私に話しかけてくれました。 お嬢さん、お1人でいらっしゃるのねと 田中さんは優しく声をかけてくれました。 私は少し戸惑いながらはい、息子はいるの ですが、少し事情がありましてと答えまし た。田中さんは理解を示すように頷いて、 私も似たような状況ですのよ。でもここで はそんなことは関係ありません。私たちは 私たち自身として生きているのですからと 言ってくれました。その言葉が私の心に 深く響きました。私たち自身として生きる 息子の母親としてではなく、誰かの妻とし てでもなく、秋山文子として生きる。それ は私が長い間忘れていた感覚でした。田中 さんを通じて私は他の入居者の方々とも 知り合うようになりました。 教師の佐藤さん、画立だった吉田さん、 看護師をしていた山口さん、皆さん それぞれに豊かな人生経験を持ち、そして 皆さんそれぞれに家族との複雑な関係を 抱えていました。佐藤さんは息子夫婦との 関係がうまくいかず、自ら施設入居を決め たと話してくれました。40年間教師とし て働き、多くの生徒を育てた誇りを持って いますが、自分の息子とは価値観が合わず 、同居は困難だったそうです。でも佐藤 さんは言いました。それでいいのです。 親子でも別々の人間ですから、無理に一緒 にいる必要はありません。吉田さんは独身 で子供はいませんが、おやめからは疎えに されていました。デモを描くことに情熱を 傾け、施設内でも小さなアトリエを持って 捜索活動を続けています。年齢なんて関係 ない。想像する喜びがある限り人生は続く のですと彼女の目は輝いていました。山口 さんは3人の子供がいますが、皆それぞれ 忙しく年会に来るのは年に数回だけです。 でも山口さんは寂しがらずここで他の入居 者の方々の体調管理を手伝い新しい使命を 見つけたと言っていました。彼女たちの話 を聞いているうちに私は自分だけが特別な 不幸を背負っているわけではないことを 理解しました。現代社会では家族関係の 変化により多くの高齢者が似たような状況 に置かれているのです。でもそれを悲劇と して受け取るか、新しい人生の始まりとし て受け取るかは自分次第なのです。施設で の生活は規則正しく様々な活動が用意され ていました。朝の体操、遠芸、読書会、 主芸教室。私は特に遠芸に興味を持ちまし た。土に触れ、種を植え、水をやり、成長 を見守る。それは母親として息子を育てた 時の感覚に似ていましたが、より純粋で 見返りを期待しない愛でした。トマトの苗 を植えた時、指導員の若い女性が私に言い ました。秋山さん、植物を育てるのはお 上手ですね。きっと何かを大切に育てた 経験が終わりなのでしょうと。私は微縁で 答えました。ええ、でも今度は自分のため に育てています。その言葉を口にした瞬間 、私は大きな解放感を感じました。自分の ために何かをする。72年間で初めて罪悪 感なしにそう言えたのです。1ヶ月が過ぎ た頃、施設のソーシャルアーカーの中村 さんが私のところを尋ねてきました。秋山 さんご家族から連絡がありましたと彼女は 言いました。息子さんと息子さんの奥様が 面会を希望されています。私の心臓が 激しく鼓動しました。両一が私を探し出し たのです。でも同時に複雑な感情が 湧き上がりました。会いたい気持ちと会い たくない気持ちが同時に存在していました 。中村さんは続けました。 秋山さんの意が最優先です。お会いになり たくなければお断りすることもできますし 、お会いになる場合も私たちが同席する ことも可能です。私は少し考える時間を くださいと答えました。部屋に戻ると窓 から見える山々を眺めながら深く考えまし た。一に会うべきでしょうか?あって何を 話せばいいのでしょうか?彼は本当に 変わったのでしょうか?その夜田中さんが 私の部屋を訪ねてきました。ふみ子さん 何か悩んでいらっしゃるようですね。 よろしければお話を聞かせてくださいと 言ってくれました。私は田中さんに事情を 話しました。息子のこと、東京での出来事 、そして今回の面会の申し出について田中 さんは静かに聞いてくれました。そして 言いました。ふみ子さん、私も似たような 経験をしました。息子が私を尋ねてきた時 、私は最初会うのを拒ばみました。でも 最終的に会うことにしたのです。なぜなら 合わずに後悔するよりも会って確かめた方 がいいと思ったからです。でもと田中さん は続けました。会う時はあなたの条件で 会うのです。相手の都合に合わせる必要は ありません。あなたが安心できる環境で あなたが話したいことだけを話せばいいの です。翌日私は中村さんに面会を 受け入れることを伝えました。ただし施設 の相談室で中村さんに同席していただく ことを条件にしました。そして面会時間も 1時間に限定してもらいました。面会の日 は私が施設に来てから6週間目でした。朝 から緊張していましたが、遠芸方の時間に トマトの世話をしていると少し心が 落ち着きました。小さな緑の身がいくつか ついていて、順調に成長している様子が私 を安心させてくれました。午後2時相談室 で両一と美香を待ちました。中村さんが私 の隣に座ってくれました。ドアがノックさ れ、2人が入ってきました。両一は以前 よりもやれて見えました。頬はこけ、根 の下に熊ができていました。ミカも同様で いつものように完璧に化粧をしていました が疲労を隠すことはできませんでした。 お母さんと洋一が声をかけました。その声 は震えていました。私は彼らを見つめまし たが何も答えませんでした。両は続けまし た。僕たちが間違っていました。あの日の ことを毎日後悔しています。お母さんを 傷つけて本当に申し訳ありませんでした。 ミカも頭を下げました。お母さん、私たち の行動は許されるものではありませんでし た。どうか許してください。私は静かに 答えました。謝罪は聞きました。でも私は 許しを与えるためにここにいるのではあり ません。洋一は驚いた表情を見せました。 それではなぜ僕たちに会ってくれたのです か?私は深呼吸をして答えました。私が あの非感じた絶望と孤独をあなたたちに 理解してもらいたかったからです。そして 私がなぜここにいるのかを説明したかった からです。私は続けました。両一あなたは 私を物置きに閉じ込めました。もそれより もひどかったのは私の存在を否定したこと です。私があなたの母親であることをはい 、私をあなたの人生から消し去りたがった ことです。病院一の目に涙が浮かびました 。お母さん、僕は本当に愚かでした。仕事 のストレス、周りからのプレッシャー、 そんなものに負けて最も大切な人を傷つけ てしまいました。私は首を振りました。 それは言い訳です。両一 あなたは大人です。自分の行動に責任を 持つべきです。ミカが口を開きました。 お母さん、私も責任があります。私が両に 悪い影響を与えました。私の狭い考えが この状況を作り出しました。私はミカを 見つめました。みかさん、あなたは両一を 愛していますか?はい。愛していますと ミカは答えました。それならなぜ彼の母親 である私を敵だと思ったのですか?私は あなたたちの邪魔をするつもりはありませ んでした。ただ息子の幸せを見守りたかっ ただけです。ミカは涙を流し始めました。 私は嫉妬していたのです。同一のお母さん への愛を見て自分が2番目だと感じてい ました。愚かでした。私は彼女の言葉を 静かに聞きました。そして言いました。愛 は奪い合うものではありません。共有する ものです。でもあなたたちはそれを理解し ていませんでした。両一が立ち上がって 言いました。お母さん家に帰ってください 。僕たちが間違っていました。今度は違い ます。お母さんを大切にします。私は首を 振りました。両一、私はもう家には帰り ません。なぜですかとり一は絶望的な声で 訪ねました。私は窓の外を見ながら答え ました。私はここで新しい人生を始めた からです。72歳にして初めて自分らしく 生きることを学んでいます。あなたたちに 依存しない自立した人生を送っています。 でもお母さんは1人では寂しいでしょうと ミカが言いました。私は微笑みました。私 は1人ではありません。ここには 素晴らしい友人たちがいます。そして 何より私は自分自身と平和に過ごしてい ます。 が泣き始めました。お母さん、僕は お母さんなしでは生きられません。私は彼 を見つめて言いました。両一それが問題な のです。あなたは大人になってもまだ母親 に依存しています。でも同時にその依存を はいます。だから私を遠ざけたり近づけ たりするのです。私は立ち上がって病院の 前に立ちました。私はあなたの母親です。 それは永遠に変わりません。でも私はもう あなたの人生の中心にいることを望みませ ん。あなたはみかさんと自分たちの人生を 築づくべきです。それでは僕たちはもう 会えないのですかと両一は尋ねました。私 は少し考えてから答えました。もしあなた たちが本当に成長し、私を1人の人間とし て尊重できるようになったら、その時は また会いましょう。でも今はまだその時で はありません。みかが口を開きました。 お母さん、私たちはどうすれば成長できる のでしょうか?私は彼女を見つめて言い ました。みかさん、まず両一と2人だけの 時間を大切にしてください。私の影に 怯えることなく自分たちの関係を気づいて ください。そして両一あなたはみかさんを 心から愛し彼女を守ることを学んで ください。母親の愛とは違う種類の愛を 年会時間が終わりに近づいていました。 中村さんが時間を知らせてくれました。私 は最後に言いました。今日会えてよかった です。あなたたちの謝罪も聞けました。で も謝罪だけでは足りません。行動で示して ください。お互いを大切にし、成熟した 夫婦になってください。そうすればいつか また母と息子として嫁と姑として新しい 関係を気づけるかもしれません。両一と三 は思いため息をつきました。わかりました と両一は言いました。お母さんの言葉を心 に刻みます。彼らが帰った後、私は相談室 で1人になりました。複雑な感情が 湧き上がりました。息子を愛する気持ちは 変わりませんが、同時に彼らから独立した 自分の人生を歩む決意も固まりました。 夕食の時間、田中さんが私に尋ねました。 展開はいかがでしたか?私は微縁で答え ました。思っていたより良かったです。彼 らは本当に反省していました。でも私の 決意は変わりません。ここで新しい人生を 続けます。田中さんは頷きました。それが 1番良い選択だと思います。家族を愛する ことと家族に縛られることは違いますから ね。その夜私は日記を書きました。両一と の面会について、自分の気持ちについて、 そして未来への希望について72歳にして 初めて自分の気持ちを正直に書きすことが できました。翌日から私は以前にも増して 積極的に施設の活動に参加しました。読書 会では自分の人生経験を交えて本の感想を 述べ、主芸教室では長年培ったの技術を他 の方々に教えました。特に印象的だったの は新しく入居した75歳の松本さんとの 出会いでした。松本さんは息子夫婦との 関係が悪化し、打つ状態で入居してきまし た。私は松本さんの話を聞き、自分の体験 を共有しました。 さんは涙を流しながら言いました。秋山 さん、私も同じような体験をしました。 息子に疎まれ居場所がないと感じていまし た。でも秋山さんの話を聞いて希望が見え てきました。私は松本さんの手を握って 言いました。松本さん、私たちの価値は 家族との関係だけで決まるものではあり ません。私たち自身に価値があるのです。 その日の夜、私は山梨の美しい夜空を 見上げました。星星が輝いて新潟で見た 星空よりも近くられました。ここで過ごし た2ヶ月間で私は多くのことを学びました 。自立の喜び、新しい友情の温かさ、 そして何より自分自身を愛することの大切 さを。数日後、両一から手紙が届きました 。以前の謝罪の手紙とは違い、今度は彼の 成長への決意が綴られていました。 お母さん、僕はミカと真剣に話し合いまし た。僕たちは夫婦として成長する努力をし ています。お母さんが言った通り、お互い を大切にし、依存ではなく愛に基づいた 関係を気づこうとしています。手紙の最後 にはお母さんの新しい人生を応援してい ますという言葉がありました。この言葉を 読んだ時、私の心は暖かくなりました。 息子が本当に成長し始めているのかもしれ ません。私は返事を書きました。今度は 短い手紙でした。 両一あなたの手紙を読んで嬉しく思いまし た。あなたたちの成長を心から願ってい ます。私も新しい環境で充実した日々を 送っています。お互いにとって良い時間に なりそうですね。季節が変わり、山梨の 山々山々が美しい紅葉に染まりました。私 は毎朝庭を散歩し、季節の変化を楽しみ ました。トマトは身を結び、私たちは収穫 の喜びを味わいました。小さな成功でした が、とても意味のある体験でした。入居 から3ヶ月が過ぎた頃、施設で小さな発表 会が開催されました。入居者の方々が それぞれの特技や趣味を発表する機会でし た。私は自分が作った刺繍作品を展示する ことにしました。長年には経って作り続け てきた作品の中から特に思い入れの深い 10点を選びました。発表会の日、多くの 方々が私の作品を見てくださいました。 美しい花の模様、繊細な鳥の刺繍、抽象的 な企科学模様、それぞれに私の人生の一部 が込められていました。ある若い職員の方 が私に言いました。秋山さんの作品には 深い来情と忍耐が感じられます。とても 感動しました。私は微縁で答えました。 これらの作品は私の人生そのものです。 喜びも悲しみも全てが糸に込められてい ます。その夜私は自分の人生を振り返り ました。確かに困難な時期もありました。 夫を失った悲しみ、息子との関係の悪化、 孤独感。でもそれら全てが私を今の私にし てくれました。強く独立した女性に。4 ヶ月が過ぎる頃、私は施設内で小さな ボランティア活動を始めました。新しく 入居する方々のサポート、読みかきの苦手 な方への手伝い、そして何より家族関係で 悩む方々への相談相手となることでした。 私の体験団は多くの方々の心に響きました 。息子や娘との関係で悩む高齢者の方々が 私のところを尋ねてくるようになりました 。私は自分の体験を共有し、彼らが自分 らしい人生を歩むためのきっかけを提供 できることに大きな満足を感じました。 年末が近づいた頃、両一から電話がかかっ てきました。お母さん、お正月に少しお 時間をいただけませんでしょうか?今度は 僕たちがそちらに伺います。私は少し考え てから答えました。要一あなたたちが本当 に成長したと感じたら会いましょう。でも 以前のような期待はしないでください。私 は私の人生を歩んでいます。わかりました と洋一は答えました。お母さんのペースで お母さんの条件でお願いします。お正月の 3日、両一と美香が施設を訪れました。 今度は面会室ではなく施設の庭で会うこと にしました。温かい日差しの下私たちは庭 のベンチに座りました。2人の様子は以前 とは明らかに違っていました。両一の表情 は穏やかでみかも自然な笑顔を見せてい ました。お互いの手を握り合っている様子 からも夫婦関係が改善されていることが 分かりました。母さん、僕たちは本当に 変わりました。両一が言いました。ミカと 深く話し合い、お互い折を理解しるように なりました。そしてお母さんの言葉の意味 も理解できました。みかも頷きました。 お母さん、私は両一のお母さんを恐れる 必要がなかったのですね。愛は分け合う ものだということがやっと分かりました。 私は彼らの話を聞きながら確かな成長を 感じました。でも同時に私自身も変わった ことを実感していました。以前のように 息子の幸せだけを自分の幸せとするのでは なく、自分自身の幸せも大切にできるよう になっていました。両一が尋ねました。 お母さん、ここでの生活はいかがですか? 私は施設の美しい庭を見回して答えました 。とても充実しています。新しい友人たち 、新しい活動、新しい自分自身の発見。 72歳にしてこんなに豊かな時間を 過ごせるとは思いませんでした。それでも お母さんが恋しいですとミカが言いました 。私は微笑みました。 私もあなたたちのことを思っています。で も恋しがることと依存することは違います 。私たちはそれぞれの場所でそれぞれの 人生を歩んでいます。3人で1時間ほど話 をしました。お互いの近況、互いへの思い 、そして未来への希望について以前のよう な緊張や不安はありませんでした。 家族としての自然な愛情が流れていました 。帰りは両一が言いました。お母さん、 また会いに来てもいいでしょうか?私は 頷きました。もちろんです。でも私を 尋ねるためだけではなく、あなたたち自身 の人生を大切にしてください。ミカが私を 抱きしめました。お母さん、ありがとう ございます。 私たちに大切なことを教えてくださって、 彼らを見送った後、私は庭の奥にある 小さなベンチに座りました。夕日が山々を 赤く染めていました。私の心は平和で 満たされていました。息子との関係は完全 に修復されたわけではありませんが、 新しい形の愛情が芽えていました。互いを 尊重し、互いの独立を認め合う愛情でした 。その夜私は長い手紙を書きました。今度 は自分自身に向けた手紙でした。72歳の 秋山文子公へ。あなたは夕敢でした。困難 な状況に立ち向かい、新しい人生を 切り開きました。これからも自分らしく 堂々と生きてください。春が来て施設の庭 に新しい花が避け始めました。私は遠齢 療法で新しい野菜を植えました。今度は キュウリとなびです。種を植えながら私は 思いました。人生は何歳からでも新しく 始められる。大切なのは勇気と希望を持ち 続けることです。田中さんが私に言いまし た。ふみ子さん、あなたが来てからこの 施設全体が明るくなりました。あなたの 体験団は多くの人に勇気を与えています。 私は答えました。私も皆さんから多くの ことを学びました。1人では決してでき なかった成長です。施設での生活も1年が 過ぎようとしています。私は毎日を大切に 過ごしています。朝の散歩友人たちとの会 は読書芸 そして時には1人でゆっくりと過去を 振り返る時間を全てが私の人生の一部で あり全てに意味があります。両一からは月 に1度近況を知らせる手紙が届きます。 ミカも時々手作りのお菓子を送ってくれ ます。彼らなりの愛情表現です。私も時々 施設で作った野菜を送ります。無理のない 自然な交流が続いています。最近私は自分 の人生を本にまとめることを考えています 。同じような状況にある高齢者の方々に 少しでも希望を与えることができればと 思っています。年齢は単なる数字であり、 人生はいつからでも新しく始められると いうことを伝えたいのです。73歳の 誕生日が近づいています。昨年の今頃は 孤独と絶望の中にいました。でも今は希望 と平和に満ちています。人生の最後の賞が 最も美しい賞になろうとしています。庭の ベンチに座って夕日を眺めながら私は深く 感謝しています。困難があったからこそ今 の幸せを深く味わうことができます。こと の関係が壊れかけたからこそ新しい形の愛 を発見できました。1人になったからこそ 真の自立を学ぶことができました。人生は 本当に不思議です。最も暗い瞬間が最も 明るい未来への扉を開くことがあるのです 。私の物語はまだ続いています。そして それは希望に満ちた物語です。皆様、ここ まで私の物語にお付き合いいただき本当に ありがとうございました。この物語りが 同じような困難に直面している方々に少し でも希望と勇気を与えることができれば 幸いです。家族関係の悩み、お家の不安、 孤独感、そんな困難も味方を変えれば 新しい人生の始まりになり得るのです。 年齢に関係なく私たちは成長し続けること ができます。そして真の幸せは他人に依存 するのではなく自分自身の中に見つける ことができるのです。どうか皆さんも自分 らしい人生を歩んでください。この動画が 少しでもお役に立てたなら是非いいね ボタンを押していただきチャンネル登録も お願いします。皆さんとまた新しい物語で お会いできることを楽しみにしています。 ありがとうございました。
これは秋山文子さんの物語です。たった一人の息子に会いたい一心で、彼女は遠い故郷から東京を訪れました。しかし、そこで彼女を待っていたのは、息子夫婦によって鍵をかけられた、冷たく暗い物置部屋だったのです。
————————————————————————–
老後の物語
老後は穏やかな日々だけではなく、年金、社会保障、晩年の恋、離婚、再婚など、さまざまな悩みがつきものです。私は、そんなリアルな物語をお届けします。涙も笑いも、後悔も希望も詰まった人生の話。60歳からの人生に興味がある方、一緒に聞いて、共感しませんか?
VOICEVOX :青山龍星
VOICEVOX :Nemo
企画・制作部門
総合プロデューサー: 青木隆二 (Aoki Ryuji)
企画・構成: 西村智恵 (Nishimura Tomoe)
制作統括: 平野大輔 (Hirano Daisuke)
制作進行: 山本理沙 (Yamamoto Risa)
制作アシスタント: 池田美和 (Ikeda Miwa)
アソシエイトプロデューサー: 田村航 (Tamura Wataru)
撮影・映像技術
撮影監督: 森本健司 (Morimoto Kenji)
カメラディレクター: 浜田麻衣子 (Hamada Maiko)
第一カメラマン: 内田雄介 (Uchida Yusuke)
第二カメラマン: 片岡優太 (Kataoka Yuta)
照明チーフ: 坂口光男 (Sakaguchi Mitsuo)
照明アシスタント: 大野結菜 (Ono Yuna)
音声収録: 谷口真一 (Taniguchi Shinichi)
編集・ポストプロダクション
編集長: 柴田雅人 (Shibata Masato)
メインエディター: 水野愛美 (Mizuno Manami)
カラーグレーディング: 北村龍也 (Kitamura Tatsuya)
映像効果: 小川晃司 (Ogawa Koji)
モーショングラフィックス: 中島美咲 (Nakajima Misaki)
音響・音楽
音響監督: 藤原貴之 (Fujiwara Takayuki)
サウンドデザイナー: 吉野あかり (Yoshino Akari)
効果音制作: 上田翔太 (Ueda Shota)
音楽プロデューサー: 岩崎純一 (Iwasaki Junichi)
BGM作曲: 宮崎春花 (Miyazaki Haruka)
音響ミキサー: 村田慎也 (Murata Shinya)
ストーリー・脚本
脚本家: 渡邊綾乃 (Watanabe Ayano)
ストーリー監修: 高田修平 (Takada Shuhei)
物語構成: 横山千鶴 (Yokoyama Chizuru)
台本制作: 江藤美紀 (Eto Miki)
リサーチャー: 金子洋平 (Kaneko Yohei)
声優・ナレーション
メインナレーター: 久保田誠 (Kubota Makoto)
副ナレーター: 島田恵理 (Shimada Eri)
キャラクターボイス: 林田和樹 (Hayashida Kazuki)
特別出演: 石原麻希 (Ishihara Maki)
デザイン・アート
アートディレクター: 荒木直人 (Araki Naoto)
グラフィックデザイナー: 永井美穂 (Nagai Miho)
イラストレーター: 関根大地 (Sekine Daichi)
キャラクターデザイン: 竹内さくら (Takeuchi Sakura)
背景アート: 野田健太郎 (Noda Kentaro)
UI/UXデザイン: 山口花音 (Yamaguchi Kanon)
技術・配信
技術統括: 松井秀樹 (Matsui Hideki)
システムエンジニア: 佐々木純子 (Sasaki Junko)
配信技術: 伊藤翔 (Ito Sho)
品質管理: 小林真由美 (Kobayashi Mayumi)
データ分析: 鈴木拓実 (Suzuki Takumi)
マーケティング・宣伝
マーケティングディレクター: 田中康夫 (Tanaka Yasuo)
SNS運営: 大橋あゆみ (Ohashi Ayumi)
広報担当: 加藤雄大 (Kato Yudai)
サポートスタッフ
総務・経理: 長野美智子 (Nagano Michiko)
制作サポート: 福山咲良 (Fukuyama Sakura)
インターン: 山下蓮 (Yamashita Ren)