【実話の物語】77歳、所持金681円。突然の病で年金生活が破綻。絶望の淵で知った「必要とされる」喜び。【老後の生きがい/シニアの物語】

もし明日私がこの冷たい部屋で倒れたなら 誰か気づいてくれるだろうか。世界は1つ の命が消えたことに気づくだろうか。それ は痩せった手が震えながら古いカレンダー の隅に殴りがきしたといかけだった。誰か に読まれるためではなく、ただ恐怖が あまりにも大きくなりすぎて77年間生き てきた胸のうちに収まりきれなくなった からだ。死りも恐ろしい。名前のない恐怖 。こんにちは。チャンネルをご覧いただき ありがとうございます。今日はある1人の 物語をお聞かせしたいと思います。宮沢 越子さんは77歳になった。夫の宮沢 け太郎さんは自営業の職人として働いてい たが、10年前に高いした。エツ子さんは 今古い公営住宅の小さな部屋で1人暮らし をしている。40年を超える建物には エレベーターがなく、3階まで続く急な 階段の登り下りは置いた足越しにとって 日々の試練となっていた。朝越え子さんが 目を覚ますのは午前6時頃だった。体の 節ぶが痛むのは薄い布団と硬いマットレス のせいもあったが、何より長年の労働で 疲れきった体がもう若い頃のようには回復 しないからだった。起き上がる時、膝の 関節がギシギシと音を立てる。それは毎朝 聞く追いの照明のような音だった。小さな 台所で越え子さんは1人分の朝食を準備 する。前日の夜に冷凍しておいたご飯を 電子レンジで温める音が静寂を破る唯一の 音だった。炊飯機の保温機能が故障して からというもの。この作業が日家になって いた。新しい炊飯機を買う余裕はない。 修理台を調べたこともあったが、新品を 買うのとそれほど変わらない金額だった。 味噌汁は前日の残りを温め直す。部材は 豆腐の小さな格切りとは亀だけ。以前は 大根やニン参ン油揚げなども入れていたが 今はそんな贅沢はできない。それでも け太郎さんが生きていた頃の週慣で味噌汁 だけは欠かさない。彼が一口すすって今日 のはうまいなとボそりと言ってくれた記憶 が越子さんを支えている。住宅は高台の 斜面に立っている。麓元の スーパーマーケットで買い物を済ませて 帰るたび子さんは小さな山を1つ登った ような気持ちになった。階段の踊り場で 立ち止まり、冷たい鉄の手すりに手をかけ ながら激しく打つ心臓の音と洗い気遣いに 耳を済ませなければならない。特に 買い物袋を両手に下げた時は1段1段が まるで崖を登るような感覚だった。ある日 隣に住む若い母親がベビーカーを抱えて 階段を上がっているのを見かけた。子さん は手をかそうかと思ったが、自分の足腰で は危険だと判断し、声をかけることもでき なかった。その母親は軽がるとベビーカー を持ち上げ、階段を駆け上がっていく。 かつての自分もあんな風だったのだろうか とエ子さんは遠い過去を思い出そうとした が記憶は曖昧だった。越子さんの月収は 国民年金の身でわずか7万円だった。夫が 自営業だったため厚生年金や企業年金は ない。け太郎さんが若い頃将来のことを 考えて個人年金に加入することを提案した ことがあったが、当時は目の前の生活で正 一杯でそんな余裕はなかった。今になって その時の判断を後悔することがある。固定 費を計算すると家賃が約2万3000円。 電気水道ガス台が約1万円。血圧と関節通 の薬台が5000円。最低限の携帯電話が 3000円。残りは約3万円で食費を含む 全ての生活費を賄わなければならない。1 日の食費に換算すると400円が上限だっ た。これはコンビニのおにぎり1個分にも 満たない金額だった。子さんはため息を つきながら呟いた。昔はもう少し楽だった ような気がするのよ。ここ数年何もかもの 値段が目ま苦しく上があって、特に食品の 値上がりは深刻でいつも買っていた98円 の豆腐がいつの間にか128円になってい た。30円の差は越え子さんにとって 大きな打撃だった。買い物リストはほぼ 変わることがない。アンッチ用の食パ一金 を1週間かけて食べる。1日に1枚半程度 の計算だった。朝は1枚をそのまま食べ、 昼は半分だけトーストにして食べる。パン の耳の部分も大切に食べる。見切り品 コーナーで賞味期限間近のパンを見つけた 時はまとめて買って冷凍保存する。回凍 する時は自然回凍で電子レンジは電気台が かかるからだ。野菜は近所のスーパーが朝 に見切り品を出す時間を狙って買いに行く 。回転と同時に行っても同じような高齢者 がすでに並んでいることが多い。みんな 同じような教遇なのだろうとエ子さんは 推測した。野菜売り場で他の客ト止めが あってもお互い気まずそうに視線をそらす 。貧しさは人と人との繋がりまで奪って いくのだった。肉や魚は贅沢しだった。鶏 の胸肉を買える日は私のご馳想の日を ドえツ子さんは照れを浮かべた。100g 98円の特売を見つけた時は心が踊った。 その肉を大切に小分けして冷凍し、少し ずつ食べる。魚はさらに効果で月に1度 アジの開きを一気変えれば上等だった。 主なタンパ源は安価な豆腐パックだった。 3個パック98円の豆腐を見つけた時の 喜びはかつてブランド品を手に入れた時の 喜びを上回っていた。卵は比較的手の届く 価格だったが、それでも慎重に使わなけれ ばならない。1パック10個入りを買うと 毎日1個ずつ使っても10日間持つ。 卵かけご飯や豆腐と一緒に卵にして食べる ことが多かった。殻は植きバの肥料として 再利用する。ベランダの小さなプランター で育てているネギだけがエツ子さんの家庭 再現だった。調味料も効果だった。醤油や 味噌、砂糖、塩などの基本的な調味料が 切れる度びに家計は発された。業務用の 大容量パックの方が割り安だとは勝ってい ても初期費用が高くて手が出ない。小さな パックを買うしかなく結果的に割高になっ てしまう。これが貧困の罠なのだとエツ子 さんは痛感していた。冬は越え子さんは 暖房を一切つけない。電気代が恐ろしく 高くなることを知っているからだ。代わり に古い油タを布団の中に入れて温まる。 油タポのお湯は夕食後の食器洗いで温めた 残り湯を利用する。朝になってぬるくなっ たゆタポのお湯は洗顔に使う。一滴の水も 無駄にはできない。こたつも本当に寒い夜 だけしか使わない。足先が感覚を失いそう になった時だけ申し訳なさそうにスイッチ を入れる。こたつの周りには古い毛布を かけて少しでも熱を逃さない洋風している 。日中は厚業をして動き回って体を温める 。家事をする時も意識的に体を動かすよう にしている。夏場はエアコンなど夢のまた 夢だった。扇風機も古いもので首振り機能 が故障している。 窓を開けて風通しをよくし、濡れタオルを 首に巻いて暑さをしぐ。熱中症が心配な日 もあったが、電気代の方がもっと心配だっ た。家中の電球をLED電球に交換したの は2年前のことだった。初期投資で1万円 近くかかったが、長期的には電気代が安く なると聞いて決断した。その1万円を年出 するために2ヶ月間職費をさらに切り詰め た。1日の食費を300円に減らし、 ほとんどもやしと豆腐だけで過ごした日も あった。LED電球の効果で電気代は多少 安くなったが、投資回収には何年もかかり そうだった。古い炊飯機は保温機能が壊れ ている。修理に出すか新しいものを買うか 迷ったが、どちらも経済的に無理だった。 仕方なくご飯を炊くたびに小分けして霊通 士、電子レンジで温め直して食べることに した。電子レンジも古いもので時々変な音 を立てる。壊れたらどうしようという不安 は常にあったが、今は使えているので 騙し騙し使い続けている。洗濯機も20年 以上前のもので脱水機能が弱くなっている 。洗濯物が半の状態で出てくることが多く 、部屋の時間が長くなる。コイン ランドリーを使えば早く乾くが1回 200円の出費は痛い。越子さんは天気 予報を毎日チェックし、晴れの日を狙って 選択をする。雨の日が続くと着る服に困る こともあった。冷蔵庫も小さく古いもので 冷凍室は氷型待って容量が半分以下になっ ている。定期的に氷を削り取る作業が必要 だが、その間は冷凍食品を食べるか近所の 人に預かってもらわなければならない。 しかしそんなお願いができる間柄の人は もういなかった。もうありとあらゆる工夫 をしたけれど本当に削れるものはもう何も ないのよ。エ子さんは独り言のように呟い た。電気代、水道台、ガス台全てを最低限 に抑えている。食費も限界まで切り詰めて いる。衣は何年も同じものをき回し、化粧 品や送信具などとは無縁の生活だった。 美容院に行くのも贅沢になった。以前は月 に1度カットとパーマーをかけていたが、 今は年に2に2回程度1000円カットの 店で髪を切るだけだった。白髪が染めも 自分でする。 ドラッグストアで1番安い白髪が染めを 買い鏡を見ながら自分で染める。上手に できない時もあったが誰に見せるわけでも ないので気にしないことにしている。新聞 の高毒もやめた。月3000円の高毒量が 重になったからだ。ニュースはテレビで 見る。図書館に行けば新聞も読めるが図書 館までの往復のバス台を考えると頻繁には いけない。 世の中の動きから取り残されているような 気持ちになることもあったが、今のエツ子 さんにとって世間の出来事は遠い世界の話 のように感じられた。エ子さんには子供が いない。結婚当初は子供が欲しかったが、 なかなか授らなかった。検査や治療を 受けることも考えたが、経済的な理由で 断念した。け太郎さんを2人だけでも幸せ だよと言ってくれた。高い頃はそれで十分 だと思っていたが、今になって子供がいれ ばこんなに孤独ではなかったのではないか と考えることがある。兄弟姉妹は皆遠方に 住み、年に1度の年賀状のやり取りのみの 関係だった。兄は北海道、妹は九州に とついでいった。かつてはお盆や正月に 集まることもあったが、け太郎さんが 亡くなってからは疎になった。年賀状に 近況を書くスペースはあるが書くような 近況もない。相手の家族の成長を知らせる 写真付き賀状を受け取ると自分の人生の 空虚さを感じることがあった。近所 付き合いも薄れていた。同じアパートの 古い住人たちは引っ越したり施設に入っ たりして今は見知らぬ顔ばかりだった。 新しく入居してくる人たちは若い世代が 多く、越子さんとは生活リズムが違う。 挨拶を交わす程度の関係はあるが、それ 以上の付き合いは望めない。以前2階に 住んでいた田中さんという同年代の女性が いた。夫をなくした教遇も似ていて、時々 お茶を飲みながら話をしていた。しかし 田中さんは息子夫婦に引き取られて東京に 行ってしまった。別れの時、田中さんは 越え子さんに行った。1人でも頑張って 生きていってね。 その言葉が今でも心に残っている。管理人 のおじさんも親切だったが数年前に交代し てしまった。新しい管理人は若い男性で 高齢者に対して冷たい態度を取ることが ある。廊下の電球が切れた時、以前なら 心よく交換してくれたが、今は自分でやっ てくださいと言われることが多い。越子 さんには天井の電球交換は危険すぎて結局 切れたまま放置することになる。誰とも 話さない日が当たり前になっていた。1日 中華にいて誰とも言葉をかわさない日が週 に3日はあった。声を出さないでいると喉 の筋肉が衰えるのか時々しゃがれ声になる ことがある。鏡に向かって1人で 話しかけることもあったがそれがさらに 孤独感を深めるだけだった。 越子さんの唯一の友達はテレビだった。朝 起きると同時にテレビをつけ、寝る直前 まで音を出し続ける。内容はあまり重要で はなく、人の声が聞こえることが大切だっ た。特に好きなのは料理番組だった。 美味しそうな料理を見ることで過ろじて 食欲を保つことができた。自分では作れ ない料理だが、見ているだけで幸せな 気持ちになれた。夜のニュース番組では 時々高齢者の孤独士のニュースが流れる。 そのに越子さんは自分の将来を重ね合わせ て不安になった。発見まで何日もかかった とか近所の人も気づかなかったとかそんな 話を聞くと自分も同じような最後を迎える のではないかと恐ろしくなった。役所や 病院の職員の親切が人との繋がりの全て だった。月に1度の定期献心で病院に行く 時、受付の看護師さんが笑顔で話しかけて くれるとそれだけで心が温かくなった。 待合室で他の患者さんと世間話をすること もあったが、それも病気の話ばかりで 楽しい話題ではなかった。年金の手続きで 役所に行く時も同様だった。窓口の職員の 方が丁寧に説明してくれると、久しぶりに 人間扱いされたような気持ちになった。 しかし役所も病院も用事が済めばすぐに 帰らなければならない。そこに長いする 理由はなかった。時々テレビを消すと 恐ろしいほどの静寂に包まれ子さんは自分 に問いかけた。私は本当にこの世界に存在 しているのだろうか。音のない世界で自分 の呼吸音と心臓の鼓動だけが聞こえる。 それすらもいつか止まってしまう音なのだ と思うと存在することのさを感じずにはい られなかった。外出する時も人々の視線 から透明人間のように無視されているよう な感覚があった。町を歩いていても誰も エ子さんに注意を払わない。存在してい ないかのように扱われることがエツ子さん の心をさらに傷つけた。若い頃はもっと人 との関わりがあったような気がするが、 それも遠記憶のように感じられた。毎晩 ベッドに横たわると不安が押し寄せてくる 。来月病気になったらどうしよう。入院で もしたら医療費で家計は破綻する。薬台も バカにならない。通の交通費だって越子 さんにとっては大きな負担だった。バス大 往復400円は1日の食費と同じ金額だっ た。テレビが壊れたら絶対的な孤独と 向き合わなければならない。今のテレビも 古く時々が面が乱れることがある。完全に 壊れる日も相当遠くないかもしれない。 新しいテレビを買う余裕はない。中古品を 探すとしても数万円はかかるだろう。その 金額はエツ子さんにとって数ヶ月分の食費 に相当した。越子さんは誰もがいずれ死ぬ ことを知っているが、静寂の中で誰にも 知られずに去っていく光景は全く別の恐怖 だった。死ぬこと自体より忘れ去られる ことの方が怖かった。自分が生きていた証 が何も残らない。誰の記憶にも残らない。 そんな死に方だけは避けたいと思うが、 現実はその方向に向かっているように思え た。近所の人に迷惑をかけることも心配 だった。もし部屋で倒れて発見が遅れれば 一周で近隣に迷惑をかける。そんなことを 考えると申し訳ない気持ちでいっぱいに なった。人生の最後まで誰にも迷惑をかけ ずに行きたいと思うが、1人暮らしの高齢 者にとってそれは難しいことだった。その 恐怖が現実となりかけたのは厳しい寒さの 朝だった。12月の下旬、外の気温は標下 まで下がっていた。越子さんは節約のため 暖房を使わずゆタポ1つで夜を過ごしてい た。朝起きると部屋の中でも息が白くなる ほど冷え込んでいた。その朝子さんは高熱 と激しい席で目を覚ました。体温を測ると 39°を超えていた。立ち上がろうとした が足がくず折れレッドに倒れ込んだ。頭が フラフラして意識がもろうとした。この まま意識を失ったら誰が気づいてくれるの だろうと不安になった。幸い。電話は手の 届く場所にあった。震える手で樹を取り、 緊急医療異相談ホットラインの番号をした 。オペレーターの優しい声が聞こえた時、 エツ子さんは涙が出走になった。症状を 説明するとすぐに救急車を呼びましょうと 言ってくれた。救急車のサイレンが近づい てくる音を聞いて、エ子さんは安した。 同時に近所の人に迷惑をかけてしまったと いう申し訳なさもあった。救急隊員の方々 は手際欲子さんを単価に乗せ病院に搬送し てくれた。車内で酸素マスクをつけて もらった時やく息が楽になった。病院では 迅速に診察が行われた。診断は重得な肺炎 だった。はもう少し遅れていたら生命に 危険があったかもしれないと言った。それ を聞いて越子さんの全身は止まらず震えた 。1人暮らしの恐ろしさを身を持って実感 した瞬間だった。すぐに入院となった。 点敵を受け物質の投与が始まった。久し ぶりに温かいベッドで眠ることができた。 病院職も普段の食事と比べれば豪華に感じ られた。しかし安藤する一方で医療費の ことが心配でならなかった。病院での5 日間は極度の孤独感に苛まれた日々だった 。見舞いに来る身内はおらず看護師が決め られた時間に出入りするだけだった。他の 患者さんには家族が頻繁に面会に来ている のを見ると自分の孤独がより一層際だった 。 年会時間になると病室に1人残される越子 さんはいまれない気持ちになった。看護師 さんたちは親切だったが忙しそうで長話を する余裕はなさそうだった。検音薬すりの 時間以外はほとんど1人で過ごした。同質 の患者さんとも挨拶程度の関係で深い話を するまでには至らなかった。病気の時に 1人でいることの辛さを越え子さんは痛感 した。入院中子さんは自分の人生を 振り返っていた。け太郎さんと結婚して からの50年間決して裕福ではなかったが 2人で支え合って生きてきた。け太郎さん が亡くなってからの10年間はまるで別の 人生のように感じられた。人との繋がりを 失い生きる目的も見つけられずにいた。 病院の窓から見える景色は越子さんの住む 団地とは違う法学だった。知らない街並を 眺めながら自分がどこにいるのか分から なくなることがあった。故郷から離れて 暮らし始めてから何十年も経つがどこが 自分の居場所なのかもう分からなくなって いた。隊員の日子さんは請求書を受け取っ た。健康保険があるとはいえ、入院費と 食事代を含む総額は2万7400円だった 。差額ベッド台は取られなかったが、それ でも越子さんにとっては大きな金額だった 。月収が7万円しかない身には4割近い 出費は致名的だった。エツ子さんは クレジットカードで支払わざるを得なかっ た。現金では足りなかったからだ。しかし 来月のクレジット利用量の請求を考えると 胃がいたくなった。年金だけでは到底 支払えない金額だった。リボ払いにする しかないが利息を考えると恐ろしくなった 。タクシーで家まで送ってもらう余裕は なくバスと徒歩で帰った。まだ体力が回復 していない状態での長時間の移動は からかったが、タクシー台3000円を 節約するためには仕方なかった。 バスの中で何度も咳込み、他の乗客に迷惑 をかけているのではないかと気になった。 家に帰ると部屋は出発時のまま静まり返っ ていた。郵便受けには5日分の新聞の 代わりに電気代の請求所が入っていた。 冬場の電気代は高く普段の1.5倍になっ ていた。病気で倒れる前も暖房は使ってい なかったが、照明や冷蔵庫の基本的な電気 代だけでも冬は夏より高くなる。震える手 で通帳を開いた。残高は4232円 だった。入院前に引き出した現金と クレジットカードでの支払いで貯金は ほとんどそこをついていた。この通帳の 数字を見た時、エ子さんは絶望的な気持ち になった。財布を開ける。中には681円 しか入っていない。小銭を1枚1枚数えた が、やはり681円だった。次の年金 受給日までまだあと会場ある。この金額で 10日間を過ごすことなどどう考えても不 可能だった。冷蔵庫を開けてみたが中は 空っぽだった。入院前に食べきれなかった 食材は全て痛んでしまっていた。豆腐の パックは賞味期限を大幅に過ぎ一周を放っ ていた。卵も割ってみると君が崩れていた 。仕方なく全て捨てることにした。食べ物 を捨てることに越え子さんは強い罪悪感を 覚えた。薬局でもらった薬を見ると1日3 回復用と書いてある。構成物質や咳止め など数種類の薬があった。これらの薬台も 退員時の支払いに含まれていたが、次回の 診察でまた薬台がかかることを考えると 不安になった。薬を飲まないわけにはいか ないが、お金がないのも現実だった。越子 さんは冷たい台所で静かに立ち、財布の中 の数字を見つめた。外は薄暗くなり始めて いた。大島が点々ととり始めているが、 その光が自分の部屋まで届くことはなかっ た。電気代を節約するため部屋は薄暗らい ままだった。スーパーマーケットまで歩か なければならない。家の冷蔵庫は空っぽで 何か食べ物を買わなければ今夜の食事も ない。681円で何が買えるのかエ子さん は歩きながら必死に計算した。親1袋 98円、豆腐1兆128円、それだけで 226円。残りは455円。パンかベカ おにぎりか何か炭水化物が必要だった。 歩きながらある考えが頭に浮かんだ。もし このままここで倒れて誰も見つけてくれ なかったらどうなるのだろう。病院で意思 に言われた言葉が蘇える。 もう少し遅れていたら生命に危険があった かもしれない。次はもう助からないかも しれない。そんな恐怖がエ子さんの心を 支配していた。商店街に入ると他の買い物 客の姿が見えた。皆かそうなコートを着て カートに食料品を山積みにしている。ある シュ婦は子供が欲しがるお菓子を何の躊躇 もなくか後に入れていた。子さんには そんな光景が別世界の出来事のように移っ た。スーパーマーケットの自動ドアが開く と温かい空気がほぼ撫でた。店内の明るい 照明と色取り取りの商品が並ぶ光景は エツ子さんの部屋とは対象的だった。 しかしその豊かさが余計に自分の貧しさを 際立たせた。まず見切り品コーナーに 向かった。よく半額になった弁当があった 。398円の弁当が199円になっている 。しかし199円でもエ子さんには手が 届かない金額だった。1食で200円近く を使ってしまえば残りの日数を過ごせない 。野菜売り場でもやし1袋を手に通った。 98円。次に豆腐売り場に行き、1番安い キ越し豆腐を選んだ。3個パック128円 。これで226円。残り455円であと 10日間分の食料を確保しなければなら ない。米売り場で小さなパックマを見つけ た。1kgで298円。これを買えば残り は157円。あと10日間で157円。 1日15円程度の計算になる。もやしと 豆腐と米だけで10日間を過ごすことは 可能だろうか。エツ子さんは深くため息を ついた。レジに向かう途中パン売り場の前 を通った。見切り品のコーナーに明日が 賞味期限の食パがあった。6枚切り一金が 半額の68円。例よりもパンの方が 安上がりかもしれない。越子さんは1度 取った米を棚に戻し、代わりに食パを手に 取った。レジでもやし98円、豆腐 128円、食パ68円を計算してもらった 。合計294円。残りは387円。レジの 店員は中年の女性で越え子さんの少ない 買い物を見ても特に何も言わなかった。 おそらく似たような客を何度も見ているの だろう。小銭を1枚1枚数えて支払う時、 後ろに並んだ若い母親が小さな子供を抱い ていた。子供が泣き始めたが、母親は 優しく怪している。その光景を見て越子 さんは自分の過去を思い出した。子供がい たら今頃孫もいただろう。家族がいれば こんなに孤独ではなかったかもしれない。 外に出ると夜の霊キが体を突き刺した。 やみ上がりの体には厳しい寒さだった。 買い物袋は軽いはずなのに体全体が鉛りの ように重かった。家まで続く坂道が今夜は 特に長く感じられた。途中公園のベンチに 座って休憩した。街当の光の下で通り すぎる人々を眺めた。目的地に向かって 急いで歩いている。家族が待つ温かい家に 帰るのだろう。越子さんにはそんな場所は なかった。帰る家はあるが温かく迎えて くれる人はいない。3階まで上がる階段は いつもより辛く感じられた。息き切れが 激しく何度も立ち止まなければならなかっ た。肺炎が完全に治っていないのかもしれ ない。一歩一歩踏みしめながらエツ子さん は自分の体力の驚いを実感した。部屋に 戻るとエツ子さんは買ってきた食材を冷蔵 庫に入れた。もやしと豆腐そして食パ。 これが今後10日間の試食になる。調味料 として使える醤油と味噌はまだ少し残って いた。塩もある。これらでなんとか味付け をしていくしかない。夕食の準備をし ながら越子さんは今後の計画を立てた。 朝食は食パ1枚。昼食は豆腐半長ともやし 少量の味噌汁。夕食は残りの豆腐ともやし を醤油で痛めたもの。これを基本パターン として10日間持たせる計算だった。お湯 を明かしてもやしと豆腐の味噌汁を作った 。味噌は普段より薄めにして少しでも長く 持たせる。具材も最小限にして残りは明日 以降に取っておく。それでも温かい食べ物 を口にした時、エツ子さんは少しだけ ほっとした。食事を得るとエ子さんは残り の387円をテーブルの上に並べた。 100円玉3枚、10円玉8枚、1円玉7 枚。これが今の越子さんの全財産だった。 次の年金受給日までこの金額で生き延び なければならない。電気代の節約のため 早めに電気を消した。薄暗らい部屋で越子 さんは古いアルバムを引っ張り出した。 懐中電灯の薄い光で夫のけ太郎さんとの 思い出の写真を眺めた。2人で出かけた 温泉旅行。近所の桜並きでの散歩。小さな 食堂での食事。どの写真も今のエツ子さん には手の届かない贅沢に思えた。け太郎 さんは無口で頑固なところもあったが、 エツ子さんの作った味噌汁を一口すすって 今日のはうまいなとボりと言ってくれる人 だった。そんな何気ない一言がどれほど エツ子さんの心を温めてくれたことか今に なってその大切さが痛いほどわかる。でも もう遅い。け太郎さんはいない。写真の中 の自分たちはまだ若く希望に満ちている。 老後の生活がこれほど厳しいものになると は当時は想像もしていなかった。もし知っ ていたらもっと貯蓄に励んだだろうか。で も当時も決して余裕があったわけではない 。日々の生活で精一杯だった。アルバムを 閉じると部屋は再び静寂に包まれた。 時計の針の音だけが時間の経過を知らせて いる。外では風の音が聞こえる。冬の風は 容赦なく古い建物の隙間からレキを運んで くる。エツ子さんは毛布を体に巻きつけ、 体を丸めて温まろうとした。レッドに入っ ても眠りはなかなか訪れなかった。薄い 毛布1枚では寒く体を丸めて温まろうとし たが心の寒さまでは脱ぐいされない。 闇み上がりの体は疲れているはずなのに 不安で目がさえていた。明日は年金受給日 まであと9日。この状況をどうやって 乗り切ればいいのだろう。エ子さんの頭の 中で様々な選択肢が浮かんでは消えた。 福祉事務所に相談すること。生活保護の 申請をすること。でもこれまで年金だけで 自立してきた誇りがそれを阻いた。政府の 援助を求めることは自分の人生の敗北を 認めることのように思えた。近所の人に 助けを求めること。でももう何年も深い 付き合いのある人はいない。突然現れて 助けを求めるのはあまりにも図々しく感じ られた。それに近所の人たちも皆それぞれ の生活がある。高齢者同士似たような教遇 の人も多いだろう。親戚に連絡を取ること でも年賀状のやり取りだけの関係で急に 金銭的な援助を求めるなど考えただけで 恥ずかしくなった。それに皆遠方に住んで いる。交通費を考えれば会いに行くことも 困難だった。結局エツ子さんには選択肢が ないように思えた。ただ耐えるしかない。 残りの387円と冷蔵庫のもやしと豆腐と 食パであと9日間を生き延びるしかないの だ。そう考えると絶望感が波のように 押し寄せてきた。夜が吹けても越子さんの 目はさえていた。空腹感はそれほどでも なかった。むしろ慢性的な栄養不足で風を 感じる感覚も鈍くなっているのかもしれ ない。それよりも将来への不安が胸を 締めつけていた。窓の外を見ると対面の アパートの窓に温かい光が灯っている。 家族弾の光景が見えることもある。テレビ を見ながら笑い合う家族食卓を囲む人々。 こんな光景を見ると自分の孤独がより一層 際だった。何度も根返りを打ちながら越子 さんはふと子供の頃のことを思い出した。 戦後感もない頃、家族で失そながらも 助け合って生きていた時代。あの頃は 貧しくても1人ではなかった。母親の作る 薄いおかゆでも家族みんなで食べれば 美味しかった。今の越子さんは物質的には 当時より恵まれているかもしれない。電気 もあるし水道もある。テレビも冷蔵庫も ある。でも心の豊かさは比べ物にならない ほど貧しくなっていた。人とのつがり、 支え合いそういったものが全て失われて しまったのだ。薬の時間になった。構成 物質と咳止めを水で飲み込む。薬の苦が口 に残る。これらの薬も高価なものだろう。 次回の診察ではまた薬台がかかる。意志は 様子を見ましょうと言っていたが経済的な 理由で通印を断念せざるを得ないかもしれ ない。朝方になってようやく疎うとし始め た時、エツ子さんの方に涙が流れている ことに気づいた。それは悲しみの涙でも あり、恐怖の涙でもあり、そして深い孤独 感から生まれた涙だった。外では早朝の鳥 の鳴き声が聞こえ始めた。新しい1日の 始まりを告げる声だった。しかしエツ子 さんにとって新しい1日は希望ではなく ただ乗り越えなければならない次の試練に 過ぎなかった。体を起こして窓の外を見る と東の空がうっすらと明るくなり始めてい た。町はまだ静かで所々に早朝の散歩する 人の姿が見える。肩層に歩く高齢者を見て 越子さんは自分の体力のなさを痛感した。 台所で顔を洗う時鏡に移った自分の顔に 驚いた。方がこけ根の下に熊ができている 。病気と貧困が確実に越子さんの体を 蝕ばんでいた。以前の自分とは別人のよう に見えた。朝食の食パ1枚を大切に食べ ながら越子さんは今日1日をどう過ごすか を考えた。特に予定はない。買い物に行く 必要もない。ただ残り少ない食料を大切に 消費しながら次の年金受給日を待つだけ だった。テレビをつけると朝の情報番組が 始まった。明るいアナウンサーの声が部屋 に響く。世の中の出来事、天気予報。今日 のレシピ。全てがエ子さんには無関係の 情報のように感じられた。しかし人の声が 聞こえることで少しだけ孤独感がや笑いだ 。こうして越え子さんの最も暗い日々の1 つが静かに終わろうとしていた。明日も 妙後日も同じような日が続くのだろうか。 それともどこかに小さな希望の光が 差し込む隙間があるのだろうか。エツ子 さん自身にもその答えは分からなかった。 ただ確かなのは人間の尊厳を保ちながら 生きることの難しさと1人でおを迎える ことの過酷さだった。窓の外では新しい1 日が始まろうとしているが、越子さんに とってそれは希望ではなく、ただ乗り越え なければならない。次の試練に過ぎなかっ た。絶望官が胸の奥深くに根を下ろし、 生きる意味さえ見失いそうになっていた。 それでも越子さんは生きている。明日への 小さな期待を完全に諦めることはできずに この厳しい現実と向き合い続けていた。 退員してから1週間が過ぎた。エツ子さん にとってそれは人生で最も暗い日々だった 。387円という残金でどうやって次の 年金受給日まで生き延びるか。毎朝めを 覚ますたびその現実が重くのしかかってき た。朝食は食パ1枚を3等分にして一切れ だけ食べる。残りは昼食と夕食用に取って おく。水道水を飲んで空腹を紛らわせる。 胃がたむのは空腹のせいかそれとも不安の せいかもう分からなくなっていた。2日目 の夜子さんは自分の体重を測ってみた。 古い体重系の針は48kmを差していた。 1ヶ月前は52kmあったはずだ。4km も痩せていた。鏡を見るとがさらにこけ、 首筋に骨が浮き出ているのが分かった。 このまま痩せ続けたら体が持たないだろう 。3日目、エツ子さんは陽気してハロー ワークに向かった。77歳でも働ける仕事 があるかもしれない。片道のバス台に 100円は痛い出費だったが背原は変え られない。太郎アークの職員は親切だった が、現実は厳しかった。77歳で雇って くれる職場などほとんどない。あったとし ても体力的にきつい仕事ばかりだった。 清掃業、新聞配達工場の警察業どれもエ子 さんの体力では勤まりそうになかった。 職員の方も困った様子で申し訳なさそうに 首を振った。帰りのバスがもったいなくて 、越子さんは歩いて帰ることにした。片道 1時間以上の道乗りだった。途中で何度も 休憩しながらようやく家にたどり着いた時 にはもう夕方になっていた。疲労牌で階段 を上がるのがやっとだった。4日目、エ子 さんはついに福祉事務所の門を叩いた。 生活保護の相談をするためだった。これ までのプライドを捨て生きるために必要な 決断だった。しかしそこでも厳しい現実が 待っていた。窓口の職員はまず親族への 不要紹介について説明した。兄弟姉妹に 越え子さんを不要できるかどうか 問い合わせをするというのだ。エ子さんは 学然とした。何十年も疎にしている兄弟に 自分の困窮を知らせることになる。それは 死ぬほど恥ずかしいことだった。さらに 越子さんの年金7万円は生活保護の基準額 とそれほど変わらないということも分かっ た。住宅含めても受給できる金額は月額 8万円程度。1万円の差のためにこれだけ の屈辱を受けなければならないのかと思う と越子さんは涙が出走になった。曲その日 は申請書類をもらって帰ることにした。家 に帰って書類を眺めたが記入する気力が 湧かなかった。余貯金の額、親族の連絡先 、これまでの生活歴。全てを役所にさらす ことの重さに越子さんは押しつされそうに なった。5日目の夜、エツ子さんは台所の 小さなテーブルに座り、残り少ない食材を 前に呆然としていた。もやしは半分以上 使い、豆腐も残り1丁。食パは4枚残って いるが、これで年金受給日まで持つはずが ない。計算してみてもどうやっても足り ない。もう食べるものがなくなったらどう しようか。近所の人に分けてもらうわけに もいかない。コンビニの廃棄弁当を もらえるという話を聞いたことがあるが、 そんな勇気はない。食料品の万引という 選択肢も頭をよぎったがすぐに首を振った 。そんなことをして捕まったらもっと大変 なことになる。6日目の朝子さんは 起き上がることができなかった。目舞いが ひどく立ち上がろうとすると足がふらつく 。低血糖の症状かもしれない。慌てて砂糖 を舐めたがあまり効果がなかった。1日中 ベッドで過ごし、水だけで過ごした。その 夜子さんは夫のけ太郎さんの異品を整理し 始めた。もう売れるものがないか探すため だった。け太郎さんの工具類はなくなった 時にほとんど処分してしまった。残って いるのは古い腕時計と結婚指輪くらいだっ た。腕時計は30年以上前のもので ブランド品ではない。それでも七夜に持っ ていけば数千円にはなるかもしれない。 結婚指輪は小さなダイヤがついているが、 やはり効果なものではない。それでもこれ らが今のエツ子さんにとって最後の希望 だった。7日目、え子さんは震える手で 古いアルバムを開いた。20年前、職場の 同僚たちといった温泉旅行の写真があった 。みんな楽しそうに笑っている。その中に 西村か子さんの姿があった。隣の部署で 働いていた気作で優しい人だった。西村 さんとは退職後も何度か連絡を取っていた が、いつの間に仮疎えになってしまった。 最後に話したのはもう10年以上前のこと だった。でももしかしたらまだ同じ電話 番号を使っているかもしれない。古い手帳 を引っ張り出して西村さんの番号を探した 。見つけた時、越子さんの心臓は激しく 鼓動した。でも電話をかける勇気がなかっ た。10年以上も陰身不通だった人に いきなり電話をかけるなんて。しかも困っ ている時にだけ連絡するなんてあまりにも 身勝っ手ではないか。でも他に頼れる人は いない。さんは電話の前で長い間躊躇して いた。樹を取っては起き、取っては沖を 繰り返した。外はもう暗くなっていた。 今日も結局何も食べていない。このままで は本当に倒れてしまう。ついに越子さんは 決心した。プライドなど猛でもいい。 生きるためには恥も外分もない。震える手 で番号をした。呼び出し音がなる。1回、 2回、3回。もう出ないかもしれない。 そう思った時、電話の向こうから懐かしい 声が聞こえた。はい、西村です。その声を 聞いた瞬間、越子さんは涙が溢れそうに なった。あの、西村か子さんですか?私 宮沢子です。覚えていらっしゃいますか? 電話の向こうで少し間があった。そして 明るい声が返ってきた。エツ子ちゃん 懐かしい。元気にしてた。こちらこそ ゴブ沙汰してしまって申し訳ありません。 西村さんの声は20年前と変わらず 暖かかった。エ子さんは胸がいっぱいに なった。久しぶりに人の温かさに触れた ような気がした。しばらく近況を報告し あった後、西村さんが驚くべきことを言っ た。実は私最近この近くに引っ越してきた のよ。エツ子ちゃんの住んでるところから 相当遠くないと思うの。もしよかったら 今度お茶でもしない。エ子さんは信じられ ない気持ちだった。まるで天の助けのよう な出来事だった。すぐにでも会いたい 気持ちだったが、自分の今の状況を考える と躊躇した。お金もないし、ミスぼらしい 格好で会うのは申し訳ない。でも西村さん は遠慮しなくていいのよと言ってくれた。 明日の午後近くの公園で会うことになった 。電話を切った後、エ子さんは久しぶりに 希望というものを感じた。その夜、越子 さんは最後の豆腐を使って味噌汁を作った 。部はほとんどないが、温かい汁物を飲む と少し元気が出た。明日西村さんに会える 。その事実だけで心が軽くなった。8日目 の朝、エツ子さんは久しぶりに鏡を じっくり見た。やれた顔。ボサボサの髪。 人に会える状態ではない。でも今更どう しようもない。最低限乱し並を整えて約束 の公園に向かった。公園のベンチで待って いると向こうから手を振る女性が見えた。 西村さんだった。20年の最月でお互い 随分と死を取ったが彼女の笑顔は昔と 変わらなかった。子に久しぶり。石村さん はエツ子さんの手を握りしめた。その温か さに越子さんは涙がこぼれそうになった。 近くのベンチに座り、昔話に花を咲かせた 。西村さんは夫をなくした後、息子夫婦の 近くに引っ越してきたのだという。でも 若い夫婦に気を使わせたくないから自立し た生活を心がけているとのことだった。 まだ働いているという話も出た。え、 かず子さん、まだお仕事されているんです か?エ子さんは驚いた。西村さんは今年 75歳になるはずだった。そうなの。 シルバー人材センターで紹介してもらった 仕事をしているの。に何回か軽い作業だ けどお小遣い程度だけど家にいるだけじゃ つまらないし少しでも収入があると安心 シルバー人材センタ エツ子さんはその言葉を繰り返した ところがあるのは知っていたが自分には 関係ないと思っていた。77歳の自分に何 ができるというのか。西村さんはエツ子 さんの様子を見て何かを察したようだった 。エツ子ちゃんもしかして何か困ったこと があるの?遠慮しないで何でも話して ちょうだい。その優しい言葉にエツ子さん の心の堤防が結退した。これまで1人で 抱えてきた苦しみが席を切ったように 溢れ出した。入院したこと、医療費のこと 、残り少ない貯金のこと全てを話した。 西村さんは黙って聞いていた。途中でエ子 さんが涙でも背中を優しくさってくれた。 話を得た時、エツ子さんは少し楽になった 気がした。誰かに聞いてもらえるだけで こんなにも心が軽くなるものなのかと驚い た。エ子ちゃん、よく1人で頑張ってきた わね。でももう1人で抱え込まなくていい のよ。西村さんはエ子さんの手を握り ながら行った。実はシルバー人材センター にはいろんな仕事があるの。年齢を重ねて もまだまだできることはたくさんあるのよ 。エツ子ちゃんの器用さを覚えているわ。 昔職場でいろんなことを手伝ってくれた じゃない。エツ子さんは首を振った。でも もう77歳ですよ。今更誰の役に立てる でしょうか?体力もないし覚えも悪くなっ て。そんなことない。西村さんは力強く 言った。年齢なんて関係ないわ。大切なの はやる気と丁寧さ。エツ子ちゃんにはその 両方があるじゃない。西村さんは自分の 経験を話してくれた。最初は不安だった ことでも初めて見ると意外にできることが たくさんあったこと。何より人の役に立っ ているという実感が生きがいになっている こと。お金のことだけじゃないのよ。誰か に必要とされるってこんなに嬉しいことは ないの。年金だけの生活だとどうしても 引きこもりがちになってしまうでしょう。 でも外に出て人と関わることで毎日が輝い て見えるのよう。越子さんは西村さんの 言葉を噛しめた。確かにこの数年間自分が 誰かの役に立っているという実感はなかっ た。むしろ社会の厄介者のような気持ちで いた。でもまだ自分にもできることがある のだろうか。西村さんは続けた。子ちゃん が年金だけで生活するのは本当に大変だと 思うの。私も夫の遺族年金があるからなん とかなってるけど国民年金だけだったら 厳しいわ。でも少しでも働けば生活にゆり ができるし精神的にも楽になるのよ。 エツ子さんは心が動いた。でも同時に不安 もあった。本当に自分にできるのだろうか 。 をかけてしまうのではないか。そんな 気持ちが表情に出ていたのか。西村さんが 笑顔で言った。大丈夫よ。みんな最初は 不安なの。私だってそうだった。でも シルバー人材センターの人たちは親切だし 、同年代の人たちもたくさんいるからすぐ になれるわよ。その後西村さんは子さんを 自分の家に招いてくれた。小さなアパート だったが、温かい雰囲気が漂っていた。 久しぶりに他人の家を訪れることができて 、エツ子さんは感動した。温かいコーヒー を出してもらいながら、西村さんは シルバー人材センターのパンフレットを 見せてくれた。いろんな仕事が載っていた 。清掃、事務、警察業、子供の見守り、 家事代行。中には越え子さんでもできそう な仕事もあった。特に目を引いたのは料理 の下ごしらへの仕事だった。レストランで 野菜の皮向きや切り込み作業をする仕事 だった。時給は900円。1日2時間程度 のキング。エツ子さんには理想的な条件に 思えた。これなら私にもできるかもしれ ません。エツ子さんはパンフレットを 見つめながら呟いた。できるわよ。西村 さんははげました。エツ子ちゃんのお料理 の腕前は昔から評判だったじゃない。職場 の持ち寄りパーティーでもいつもエツこ ちゃんの料理が1番人気だったのを覚えて いるわ。その言葉を聞いて越え子さんは 遠息記憶を思い出した。確かに昔は料理が 得意だった。限られた予算の中でも工夫し て美味しい料理を作っていた。け太郎さん も越子さんの料理を褒めてくれていた。で も今の私にそんな自信はありません。ここ 数年まともな料理なんて作っていないし。 エツ子さんは不安を口にした。大丈夫よ。 体が覚えているものよ。それに下ごらへ なら難しいことはないわ。野菜を切ったり 皮を向いたり基本的なことばかりを西村 さんの励ましに越え子さんの心は少しずつ 動いていた。でもまだ決断できずにいた。 もし失敗したら迷惑をかけてしまう。 そんな不安が頭から離れなかった。エツ子 ちゃん考えてみて。このまま年金だけで 生活していても状況は改善しないわよ。 物価は上がる一方だし医療費もかかる。で も少しでも収入があれば心の余裕ができる の。その通りだった。エ子さんは現実を 受け入れなければならなかった。このまま 何もしなければ状況はさらに悪化するだけ だ。生活保護を受けるにしてもその前に できることはやってみるべきではないか。 西村さんは時計を見ていった。今日はもう 遅いから明日シルバー人材センターに行っ てみない?私も一緒に行くから安心。エ子 さんは深く息を吸った。そしてゆっくりと 頷いた。はい。お願いします。その夜子 さんは久しぶりに希望を抱いて眠りに着い た。石村さんからもらったパンフレットを 枕元に置いて何度も読み返した。77歳の 自分にもできる仕事があるかもしれない。 人の役に立てるかもしれない。そう思うと 心が軽くなった。明日は新しい一方を 踏み出す日になるかもしれない。越子さん は久しぶりに未来に対する期待を感じてい た。外の風の音も今夜は希望の調べのよう に聞こえた。翌朝子さんは久しぶりに 早起きした。残り少ない食材で朝食を作り ながら今日という日に感謝した。西村さん との再会シルバー人材センターという 新しい可能性。全てが偶然とは思えなかっ た。きっとけ太郎さんが天国から見守って くれているのかもしれない。そう思うと 勇気が湧いてきた。夫のためにも自分の ためにもこの機会を大切にしよう。エツ子 さんはそう心に決めた。午前中子さんは 見出し並みを整えた。古いスーツを 引っ張り出しアイロンをかけた。靴も磨い た。鏡を見るとまだやれているが少し希望 の光が宿っているように見えた。 の時間に西村さんと待ち合わせ、2人で シルバー人材センターに向かった。建物は 思ったより立派で多くの高齢者が出入りし ていた。皆目的を持って歩いている姿を見 て越子さんは勇気づけられた。受付で事情 を話すと親切な職員の方が応。子さんの 年齢や体力を考慮していくつかの仕事を 紹介してくれた。その中にラーメン店での 野菜の下ごへの仕事があった。時間は午前 8時から10時まで。週3回程度のキング 。時給900円。交通費は支給される。 エ子さんには理想的な条件だった。店長 さんと面接することになった。緊張したが 西村さんが隣にいてくれたので心強かった 。店長の長谷長谷川大輔さんは中年の 穏やかな男性だった。エツ子さんの履歴を 聞いた後、実際に野菜を切ってもらう テストがあった。ネギを切る作業だった。 エツ子さんは慎重に丁寧に切った。手は 震えていたが、昔取った塚で綺麗に揃った 切り方ができた。長谷川さんは満足に頷い た。とても丁寧ですね。うちではお客様に 出すネギの切り方にこだわりがあるんです 。宮沢さんならきっとうまくやってくれる と思います。その場で採用が決まった。 来週の月曜日から働き始めることになった 。エツ子さんは信じられない気持ちだった 。77歳の自分がまた社会に必要とされる 日が来るなんて。帰り道西村さんは嬉し そうに言った。良かったわね、エツ子 ちゃん。きっとうまくいくわよ。エツ子 さんも笑顔で答えた。かず子さんのおかげ です。本当にありがとうございました。 その夜子さんは久しぶりに心から笑った。 月曜日からの新しい生活を想像すると胸が 踊った。時給900円。1日2時間で 1800円。 回なら好きに約の収入になる。それはエ子 さんの年金の1/3に相当する金額だった 。生活が楽になるだけでなく人との関わり ができる。社会との繋がりを取り戻せる。 そう思うとエ子さんは生きる希望を 取り戻したような気がした。明日からの 準備を始めよう。エプロンを用意して 早根早起きの習慣を身につけよう。 人に迷惑をかけないようしっかりと準備を しよう。越子さんの心には久しぶりに 前向きな気持ちが宿っていた。窓の外では 星が輝いていた。その光は越え子さんの 新しい人生の始まりを祝福しているかの ように温かく見えた。長い暗闇みの後に ようやく光が差し込んできたのだった。 月曜日の朝、越子さんは午前6時に目を 覚ました。久しぶりに目覚まし時計に 起こされる前に自然と目が開いた。体の中 に新しいエネルギーが流れているような 感覚があった。今日から新しい人生が 始まる。そう思うと胸の奥から温かいもの が込み上げてきた。朝食は相変わらず失そ だった。食パン1枚を半分に切り、薄く 味噌を塗って食べる。でもその味がけさは いつもより美味しく感じられた。希望と いう調味料が何の変哲もない食事を特別な ものに変えていた。身宅を整えながら越子 さんは鏡の中の自分を見つめた。まだやれ ているが目に光が宿っている。久しぶりに 生きている実感があった。古いエプロンを バッグに入れる 準備をした。ラーメン店合わせ 側まではバスで15分の距離だった。朝の 通勤ナッシュの時間帯でバスは満員だった 。サラリーマンや学生たちに混じって越子 さんも働きに向かう。その事実がなんだか 誇らしく感じられた。店に着くと長谷 長谷川店長が温かく迎えてくれた。 宮沢さん、おはようございます。今日は よろしくお願いします。その挨拶に越子 さんは深ぶかと頭を下げた。こちらこそ よろしくお願いいたします。厨房の奥の 作業スペースに案内された。そこには 大きなまな板と山のようなネギが置かれて いた。今日の作業はこのネギを全て刻む ことだった。 さんが手本を見せてくれる。根の部分を 切り落とし、薄い皮を向き、細かく刻んで いく。簡単層に見えたが、実際にやって みると難しかった。ネギの繊維に沿って 切らないと食感が悪くなる。太さも均一に しなければ日の通りが不一になる。越子 さんは慎重に1本1本丁寧に処理していっ た。最初の1時間は手が怖ばって思うよう に動かなかった。ネギの絡みで目が痛く なり、涙が止まらなくなった。でもエツ子 さんは諦めなかった。私が切ったネギが誰 かのラーメンの上に乗るのだ。その思いが エ子さんに力を与えた。2時間の作業を得 た時、エ子さんの手は真っ赤になっていた 。冷たい水にさらされ続けたせいだった。 でも心は暖かかった。久しぶりに自分が 何かを成し遂げたという達成感があった。 長谷川さんが作業を確認に来た。おお、 綺麗に切れてますね。この金一さは 素晴らしい。うちのネぎ切りを何年もやっ てる人でもこれほど綺麗には切れませんよ 。その言葉を聞いて越子さんの胸は熱く なった。誰かに褒められるのはいつぶり だろう?自分がまだ人の役に立てるのだと いうことがこんなにも嬉しいものなのか。 帰りは長谷川さんが声をかけた。宮沢さん 、明日もお待ちしています。お疲れ様でし た。そのお疲れ様でしたという言葉が エツ子さんには特別に響いた。誰かから 根嫌いの言葉をかけられるのも久しぶり だった。家に帰る途中子さんは自分の 足取りが軽いことに気づいた。朝とは全く 違う気持ちだった。疲労はあるがそれは 心地よい疲労だった。働いた証拠の疲労 だった。その日の夕食はいつもの豆腐と もやしの味噌汁だったが味が違って感じ られた。自分で稼いだお金で買った食材で はないが明日からは違う。自分の労働の 大価で生活できるのだ。2日目、3日目と 続けていくうちに越え子さんの体も慣れて きた。手の動きがスムーズになり、作業 効率も上がった。何より店のスタッフたち との関係が良好だった。若いアルバイトの 田中君は越え子さんをおばあちゃんと呼ん でしたってくれた。大学生の彼は時々エ子 さんに勉強の相談をしてきた。エ子さんも 自分の人生経験を話して聞かせることが あった。ある日田中君が言った。おばあ ちゃんのねぎ聞切り本当にすごいです。 さんからも最近ネギが美味しくなったって 言われるんですよ。きっとおばあちゃんの 丁寧な仕事のおかげです。その言葉に 越え子さんは涙が出走になった。自分の 仕事が実際にお客様に喜ばれている。それ は何者にも買えがい喜びだった。主婦の パートの山田さんも親切だった。越子さん と同世代で共通の話題が多かった。 時間には2人でお茶を飲みながら世間話を した。山田さんは言った。宮沢さんって 本当に手先が器用ですね。私なんて同じ 作業をしてもこんなに綺麗にはできません 。昔何かお仕事されてたんですか?エツ子 さんは照れながら答えた。ジムの仕事をし ていましたが料理は趣味程度でした。でも 夫のために毎日作っていたので野菜の扱い には慣れているんです。そんな会話をして いると越子さんは自分の過去を誇らしく 思えるようになった。これまでは過去の 記憶は寂しさを呼び起こすものだった。で も今は違う。過去の経験が現在の自分を 支えているのだと実感できた。1週間が 経った頃、長谷川さんがエさんを呼んだ。 宮沢さん、ちょっとお時間ありますか? エツ子さんは緊張した。何か問題があった のだろうか?自分の仕事に不利があったの だろうか。しかし長谷川さんの表情は 明るかった。実はお客様から嬉しいお言葉 を頂いたんです。最近ネギの切り方が 変わりましたね。すごく食べやすくなって 美味しいですって。エ子さんは信じられ ない気持ちだった。お客様が自分の仕事を 評価してくれている。そんなことがある なんて 長谷川さんは続けた。宮沢さんの丁寧な 仕事ぶりには本当に感謝しています。これ まで何人もねぎ切りの方を雇いましたが、 宮沢さんほど丁寧で正確な方はいません でした。その夜、エ子さんは久しぶりに 自分を褒めてあげたい気持ちになった。 77歳の自分でもまだ価値のある存在なの だと実感できた。誰かの役に立てる、誰か に喜んでもらえる。それがこんなにも 嬉しいことなのかと改めて気づいた。1 ヶ月が経った頃、越子さんの生活は確実に 変わっていた。13回1日2時間の勤務で 月収は約2万円。それは越え子さんの年金 の約3に相当した。経済的な余裕ができた だけでなく、精神的にも大きな変化があっ た。以前はただ生きているだけだった。で も今は目的がある。役割がある。自分を 必要としてくれる人たちがいる。ある日、 エツ子さんは久しぶりに近所の商店街を 歩いてみた。以前はお金がないことを考え て足が重かったが、今は違う。少しだけだ が自由に使えるお金がある。和菓屋の前で 立ち止まった。ショケースの中に美しい ドラ焼きが並んでいる。抹っ茶クリーム 入りで1個180円。以前なら絶対に手が 出ない値段だった。 でも今なら帰る。エ子さんはよ決して店に 入った。ドラ焼きを1個ください。天手の おじさんは笑顔で包んでくれた。家に帰っ てお茶と一緒にそのドラ焼きを食べた時、 エツ子さんは涙が出た。甘くて美味しくて まるで生きる喜びそのもののような味だっ た。服装に少し気を使うようになった。 古い洋服をおブラシ出て手入れ桃玉を通っ た。リサイクルショップで明るい色の スカーフを見つけて買った。300円の 小さな買い物だったが、越子さんにとって は大きな変化だった。働き始めて2ヶ月が 経った頃、新しい出会いがあった。同じ ような仕事をしている70歳の王のゆみ さんだった。子さんより7歳年下だが、 やはり1人暮らしで似たような教遇だった 。王野さんとはすぐに生き統合した。休憩 時間には近くの公園のベンチで一緒にお 弁当を食べるようになった。と言ってもお 弁当は手作りの失素なものだったが誰かと 一緒に食べるとそれだけで美味しく感じ られた。大野さんは明るい性格でいつも 前向きだった。 エツ子さんよりも先にシルバー人材 センターで働き始めていて色々な アドバイスをしてくれた。ゆみさんが言っ た。エツ子さん、今度公民館で単価の教室 があるの。一緒に参加してみない?私1人 だと不安だから。エ子さんがいてくれると 心強いわ。単価教室。エ子さんは少し 戸惑った。自分には文学的な才能などない と思っていた。 でも大野さんの誘いを断る理由もなかった 。いいですね。でも私は単価なんて作った ことがありません。大丈夫でしょうか? 大丈夫よ。初心者大歓迎って書いてある からみんなで楽しく作るのが目的なの。 一緒に新しいことを始めましょう。翌2人 は公民館の単価教室に参加した。 は15名ほどでほとんどが高齢者だった。 先生は60代の女性でとても優しく指導し てくれた。最初の課題は春おにした単価を 作ることだった。エツ子さんは長い間ペを 持ったまま考え込んだ。何を書けばいいの だろう?自分の人生に素敵な要素などある のだろうか。しかし、先生の指導で日常の 小さな発見や感動を歌にすればいいのだと 知った。エツ子さんは仕事でネギを切って いる時の気持ちを思い出した。ネギ切りて 誰かの笑顔、思い浮かぶ小さき仕事に 大きな喜び。それがえ子さんの最初の単価 だった。先生に見せるととても良い歌です ねと褒めてくれた。実体験に基づいた。心 のこもった歌だと言われた。その日の 帰り道、大野さんが言った。エツ子さんの 歌すごく良かったわ。私も感動しちゃった 。やっぱり人との関わりって大切なのね。 エツ子さんは答えた。ゆみさんに誘って もらって本当に良かったです。1人だっ たら絶対に参加しなかったと思います。人 と人との出会いがこんなにも人生を豊かに してくれるものなのかと越子さんは改めて 実感した。仕事を通じて知り合った人たち 、単価教室で出会った人たち、みんなが エ子さんの世界を広げてくれていた。3 ヶ月目のある日、エ子さんは昔よく言って いた喫茶店の前を通りかかった。け太郎 さんと一緒によく通った小さな喫茶店だっ た。でもシャッターが降りていて閉店の 張り紙が張ってあった。エツ子さんは 立ち止まってその張り紙を見つめた。時の 流れを感じて少し寂しくなった。け太郎 さんと過ごした日々はもう戻ってこない。 あの頃の自分たちももういない。でも今の 越子さんはその事実を受け入れることが できた。過去は過去として大切にしながら 現在を生きることができる。け太郎さんが 生きていたら今の自分を見てどう思う だろう。きっと頑張っているねと言って くれるに違いない。その夜子さんは久し ぶりにけ太郎さんの好きだった味噌汁を 作った。大根と油揚げの入ったシンプルな 味噌汁だった。今は少し贅沢な具材だが、 働くようになってたまにはこんな味噌汁も 作れるようになった。味噌汁を一口すすっ た時、涙がこぼれた。それは悲しみの涙で はなく感謝の涙だった。け太郎さんとの 思い出への感謝。今の生活への感謝。支え てくれる人たちへの感謝。全てが 混じり合った温かい涙だった。4ヶ月 目ツ子さんの仕事ぶりは店でも評判になっ ていた。長谷川さんだけでなく他の スタッフからも信頼されるようになってい た。ある日新しいアルバイトの高校生が 入ってきた。緊張している様子の彼に越子 さんは優しく声をかけた。最初は誰でも 緊張するものよ。大丈夫。みんな優しい人 たちだから。高校生の彼は越え子さんの 言葉にほっとした様子だった。おばあ ちゃん、ありがとうございます。僕 人見知りで心配だったんです。エツ子さん は自分が誰かの支えになれることに深い 喜びを感じた。かつて自分が孤独で不安 だった時のことを思い出し、この子には 同じ思いをさせたくないと思った。働く ようになって半年が経った頃、越子さんは 自分の変化に驚いていた。体重も少し戻り 、表情も明るくなった。何より毎日に張り があった。朝起きるのが苦痛ではなくなっ た。むしろ今日はどんな1日になるだろう と楽しみになっていた。西村さんとも定期 的に会うようになっていた。好きに1度お 茶を飲みながら近況報告をし合う。 西村さんはエ子さんの変化を見て本当に 嬉しそうだった。エツ子ちゃんすごく元気 になったわね。表情が全然違うわ。 やっぱり誰かに必要とされるって大切な ことなのね。エツ子さんは答えた。かず子 さんのおかげです。あの時電話をくれ なかったら私はどうなっていたかわかり ません。本当に感謝しています。お互い様 よ。私もエツ子ちゃんと再開できて本当に 嬉しいの。昔の友達ってやっぱり特別ね。 そんな会話をしているとエ子さんは人との 繋がりの大切さを痛感した。1人で 抱え込んでいた時は世界が狭く暗く感じ られた。でも人とつがることで世界は 広がり明るくなった。 年末が近づいてきた頃、長谷川さんから 嬉しい提案があった。宮沢さん、年末年始 も忙しくなるので、もし可能でしたら勤務 日数を増やしていただけませんか?エツ子 さんは喜んで引き受けた。体力的にも問題 ないし、何より必要とされることが 嬉しかった。年末年始に1人で過ごすより も仕事があった方がずっと良い。 明け越え子さんは新しい1年への希望に 満ちていた。昨年の今頃は絶望の縁にいた 。でも今は違う。目標がある。仲間がいる 。役割がある。単価教室でもエツ子さんの 歌は次第に評価されるようになっていた。 自分の体験を素直に歌にするエツ子さんの 作品は多くの人の心を打った。77 まだまだできることがある。誰かのために 生きる喜び。この歌は教室の文衆にも掲載 された。エ子さんにとって大きな誇りだっ た。1年が経った頃、長谷川さんがエ子 さんに声をかけた。宮沢さん、ちょっとお 話があります。また何かあったのかと思っ たが、長谷川さんの表情は穏やかだった。 実は宮沢さんにずっと続けて働いて いただきたいんです。正直に言うと宮沢 さんがいないと困るんです。お客様からの 評判も良いし、スタッフからの信頼も熱い 。是非これからもよろしくお願いします。 困るという言葉がエ子さんの心に深く響い た。それは感謝の言葉以上に自分の存在 価値を認めてくれる言葉だった。自分がい なくては困る。そう言ってもらえることの 幸せを越え子さんは噛しめた。その夜子 さんは改めて自分の人生を振り返った。 高齢とは残りの人生ではない。無駄な時間 でもない。それは自分自身の時間なのだ。 毎日が本番であまりものの未来ではない。 病気やお金の心配はまだある。でも今の 越子さんは1人ではない。出会いがあり、 会話があり、自分が役に立っているという 実感がある。それが最大の力になっていた 。エツ子さんは確信していた。始めるのに 遅すぎることはない。人は変わることが できる。どこからでも77歳で1度は孤独 と絶望の縁に立った越子さんが今は微笑見 ながら青としたネギを丁寧に刻んでいる。 その姿は必要とされれば人は生きる力を 取り戻せることの力強い証明だった。 そしてどんな年齢でも新しい扉を開く勇気 を持つことができるのだ。ある朝子さんは 鏡の前で自分の姿を見つめた。シは増えた かもしれないが根は輝いている。姿勢も 良くなった。何より心が軽い。今日も誰か のために美味しいネギを切りに行こう。 エツ子さんはそう思いながら家を出た。朝 の空気が以前よりもずっと新鮮に感じられ た。職場に向かう途中エツ子さんは多くの 人とすれ違った。急いで歩くサラリーマン 。学校に向かう学生、買い物に出かける 主婦。みんなそれぞれの人生を歩んでいる 。エツ子さんもその1人なのだ。バスの中 でエツ子さんは窓の外を眺めた。町の景色 は変わらないが見える世界が全く違ってい た。色が鮮やかで音が明料で匂いも豊か だった。生きているということの実感が母 全てに響いていた。職場に着くといつもの ようにスタッフが迎えてくれた。おはよう ございます宮沢さん。今日もよろしくお 願いします。その挨拶がエツ子さんの1日 を明るく照らした。厨房で白いエプロンを 身につけながらエツ子さんは今日もまた誰 かの笑顔のために働けることを心から感謝 していた。ネギを刻む音が希望の調べの ように響いていた。エツ子さんの新しい 人生はまだ始まったばかりだった。77歳 という年齢は終わりではなく新しい始まり だったのだ。そしてその物語は今日も明日 も希望と共に続いていく。窓の外では春の 日差しが温かく差し込んでいた。侵緑の 季節がすぐそこまで来ている。越子さんの 心にも新しい季節が訪れていた。それは 人生の第2章の始まりを告げる希望の春 だった。こうして越子さんは学んだ。人生 に手遅れということはない。どんな状況 からでも新しい道は開ける。大切なのは 諦めないこと、そして人との繋がりを大切 にすること。そして何より自分にはまだ できることがあると信じることだった。 77歳のエ子さんが青としたネギを丁寧に 刻みながら微笑む姿は年齢を重ねても人生 は美しく輝けることの証明だった。として 人は誰でもどんな年齢でも新しい扉を開く 勇気と力を持っているのだ。感謝のうちに 越子さんの物語は続いていく。今日という 日を大切に生き、明日への希望を胸に抱い て。それがエツ子さんが見つけた人生の 新しい意味だった。最後に越え子さんの心 に浮かんだ単価がある。夕暮れに1人立た ずに思うかな?支えてくれし全ての人。 この歌に込められているのは深い感謝の 気持ちだった。西村さん、長谷川さん、 職場の仲間たち、単価教室の先生と生徒 たち、そして天国にいるけ太郎さん、全て の人への感謝がエツ子さんの心を温めてい た。人は1人では生きていけない。でも 繋がりがあればどんな困難も乗り越え られる。エ子さんはそのことを身を持って 学んだのだった。こうして1人の高齢女性 の再生の物語は希望の光と共に幕を閉じる 。しかしそれは終わりではない。新しい 始まりなのだ。エツ子さんの人生はこれ からも続いていく。と共に、感謝と共に、 そして愛と共に。皆様最後までお聞き いただきありがとうございました。この 物語が皆様の心に少しでも響いたなら幸い です。チャンネル登録といいねボタンを 押していただけるととても励みになります 。また皆様のコメントや体験団もお待ちし ております。それではまた次回の動画でお 会いしましょう。ありがとうございました 。

77歳の宮沢悦子さん。月7万円の年金でギリギリの生活を送る彼女を、突然の病が襲います。退院後、なけなしの貯金は底をつき、財布に残されたのはわずか681円。絶望の淵で、彼女はどうやって生き抜くのでしょうか。
————————————————————————–
老後の物語
老後は穏やかな日々だけではなく、年金、社会保障、晩年の恋、離婚、再婚など、さまざまな悩みがつきものです。私は、そんなリアルな物語をお届けします。涙も笑いも、後悔も希望も詰まった人生の話。60歳からの人生に興味がある方、一緒に聞いて、共感しませんか?

VOICEVOX :青山龍星
VOICEVOX :Nemo

企画・制作部門

総合プロデューサー: 青木隆二 (Aoki Ryuji)
企画・構成: 西村智恵 (Nishimura Tomoe)
制作統括: 平野大輔 (Hirano Daisuke)
制作進行: 山本理沙 (Yamamoto Risa)
制作アシスタント: 池田美和 (Ikeda Miwa)
アソシエイトプロデューサー: 田村航 (Tamura Wataru)

撮影・映像技術

撮影監督: 森本健司 (Morimoto Kenji)
カメラディレクター: 浜田麻衣子 (Hamada Maiko)
第一カメラマン: 内田雄介 (Uchida Yusuke)
第二カメラマン: 片岡優太 (Kataoka Yuta)
照明チーフ: 坂口光男 (Sakaguchi Mitsuo)
照明アシスタント: 大野結菜 (Ono Yuna)
音声収録: 谷口真一 (Taniguchi Shinichi)

編集・ポストプロダクション

編集長: 柴田雅人 (Shibata Masato)
メインエディター: 水野愛美 (Mizuno Manami)
カラーグレーディング: 北村龍也 (Kitamura Tatsuya)
映像効果: 小川晃司 (Ogawa Koji)
モーショングラフィックス: 中島美咲 (Nakajima Misaki)

音響・音楽

音響監督: 藤原貴之 (Fujiwara Takayuki)
サウンドデザイナー: 吉野あかり (Yoshino Akari)
効果音制作: 上田翔太 (Ueda Shota)
音楽プロデューサー: 岩崎純一 (Iwasaki Junichi)
BGM作曲: 宮崎春花 (Miyazaki Haruka)
音響ミキサー: 村田慎也 (Murata Shinya)

ストーリー・脚本

脚本家: 渡邊綾乃 (Watanabe Ayano)
ストーリー監修: 高田修平 (Takada Shuhei)
物語構成: 横山千鶴 (Yokoyama Chizuru)
台本制作: 江藤美紀 (Eto Miki)
リサーチャー: 金子洋平 (Kaneko Yohei)

声優・ナレーション

メインナレーター: 久保田誠 (Kubota Makoto)
副ナレーター: 島田恵理 (Shimada Eri)
キャラクターボイス: 林田和樹 (Hayashida Kazuki)
特別出演: 石原麻希 (Ishihara Maki)

デザイン・アート

アートディレクター: 荒木直人 (Araki Naoto)
グラフィックデザイナー: 永井美穂 (Nagai Miho)
イラストレーター: 関根大地 (Sekine Daichi)
キャラクターデザイン: 竹内さくら (Takeuchi Sakura)
背景アート: 野田健太郎 (Noda Kentaro)
UI/UXデザイン: 山口花音 (Yamaguchi Kanon)

技術・配信

技術統括: 松井秀樹 (Matsui Hideki)
システムエンジニア: 佐々木純子 (Sasaki Junko)
配信技術: 伊藤翔 (Ito Sho)
品質管理: 小林真由美 (Kobayashi Mayumi)
データ分析: 鈴木拓実 (Suzuki Takumi)

マーケティング・宣伝

マーケティングディレクター: 田中康夫 (Tanaka Yasuo)
SNS運営: 大橋あゆみ (Ohashi Ayumi)
広報担当: 加藤雄大 (Kato Yudai)

サポートスタッフ

総務・経理: 長野美智子 (Nagano Michiko)
制作サポート: 福山咲良 (Fukuyama Sakura)
インターン: 山下蓮 (Yamashita Ren)

Leave A Reply