【BS11】偉人・敗北からの教訓「第64回 松平容保・会津戦争を招いた藩主の決断」2024年10月19日放送分見逃し配信
幕末、京都守護職として尊攘派の志士たちと戦った松平容保の敗北から現代に通じる教訓を探る。1835年、尾張徳川家の分家である高須藩主・松平義建の六男として生まれた容保は12歳の時に叔父の会津藩主・松平容敬の養子となり、会津の家風に基づく教えを叩き込まれる。18歳で会津藩主となった容保は28歳にして、京都守護職に就任。八月十八日の政変や禁門の変では主導的役割を果たし、都から長州勢を一掃する。
十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行った後、王政復古の大号令が発せられ、鳥羽・伏見の戦いに突入。旧幕府軍が劣勢に立たされると、慶喜は大坂を脱出し、江戸へ逃れる。この時、容保も慶喜に随行した。朝敵と見なされた容保は江戸を追われ、戊辰戦争最大の激戦となる会津戦争に臨む。容保は新政府軍を相手におよそ一カ月間、籠城戦を展開するも、白旗を上げざるを得なかった。容保は何故、新政府軍との戦いに屈したのか?
戦後、容保は身柄を江戸に移され、蟄居生活を強いられた後、日光東照宮の宮司に任じられた。さらに、会津戦争終結から20年目に磐梯山が噴火、500人もの死者を出す大災害が発生すると、容保は多額の義援金を密かに会津に寄付していた。人知れず、会津の民に寄り添い、鎮魂の祈りを捧げ続けた容保はその5年後、59歳で波瀾の生涯に幕を降ろした。時代に翻弄されながらも、逞しく生きた松平容保の魅力とは?
(2024年10月19日放送の期間限定見逃し配信です。)
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【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年10月19日~11月11日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
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49件のコメント
京都を護って下さった最後の守護でいらっしゃいます。
大変なご苦労をされたと思います。
京都疏水を作ってくれたのは会津の人々やから京都の人間は会津の人に感謝しなあかんのや。と死んだ婆さんが教えてくれました。
正之が忠誠を誓った兄家光の血筋は、家継の代で終わっちゃうんだよね。正之の血筋も終わっちゃうし。この時に家訓を見直しても良かったかもしれない。
確か幕末・維新の尾張は新政府側だよね。尾張に嫁いだ姪の子孫が真っ先に裏切るとは正之も想定外だとあの世で嘆いたかも。
いまだに風間杜夫の印象が強い
今回のお話、胸に来ました
一度会津に行ってみたくなりました
尾張藩の支藩高津藩主松平義建
次男:尾張藩主 徳川慶勝
五男:尾張藩主・一橋家当主 徳川茂徳(茂栄光)
七男:会津藩主・京都守護職 松平容保
八男:桑名藩主・京都所司代 松平定敬
松平吉保さん 祖先の教えに縛られてたのかな
大変だったと思いました
腹を切らなかったことを残念がるんかいw
筆頭家老、西郷頼母を左遷してまで受けてしまった京都守護職。会津の悲劇の原因は藩主である容保なのかもしれない。
戦わなかった慶喜、戦った容保、どちらが正しかったのか・・・
職務を全うすることは当たり前でも労働などの決まりを守っても結果が報われない日々もある………
優秀な人材でも噛み合わなくなることが長続きすると気が晴れるか済むまでガチギレしまくることもありますよ‼️
かつてのテレビドラマ「白虎隊」の主題歌を唄われた堀内孝雄さんの大ヒット曲「愛しき日々;作詩小椋佳 作曲堀内孝雄」は松平容保のために書かれたような気がしてきました。
歌詞の一部「生真面目過ぎた真っ直ぐな愛、不器用者だと笑いますか❓もう少し、時がたおやかに過ぎたなら….」
慶喜と一緒に帰らなければな
容保は松平節子(容保の孫娘)と秩父雍仁親王(昭和天皇の弟)の結婚式を見たかったろうなぁ
会津サイコウ🎉幕府に命をかけた🎉
人権感覚が特に低い東北地方では結果的には戊辰の役は日本の近代化には必要であった。容保はガス抜きとしては西郷、江藤、前原、榎本と並び保守的な士族の名誉を守り排除したという点で多大な貢献をした人物といえる。
容保は嫡子で最後の藩主の出産は会津落城最中、長州藩従軍軍医の山根孝中に委ねる。驚く行為であるが、容保の真意を想像できるのである。慶喜同様容保も天寿をまっとうする。日本の近代化を最小限の被害に抑えた功労者かもしれない。
グッドJob 🎉
彼の理念は、尊王と武家の棟梁徳川家への忠誠に基づく家訓にある。京都守護職就任を請われた際も、家老西郷頼母らが”労多くして功少なし”と断るよう説得しても就任し、鳥羽・伏見の戦いでも、慶喜の命により戦線離脱し家臣を残し江戸へ随行する。その責任を取り藩主を辞任し、藩士を集め脱出を謝罪し家臣らの奮戦を慰労する。こういう経緯を見ても、誠実に正しい道を取っているようだが、己の信念を第一義とするあまり、藩主としての務めをないがしろにしている。礼節と徳川家(幕府)への忠誠を重んじるがため、自藩の領民や家臣を犠牲にしているのだ。一人の人間の力には限度があるのだから、ある時点で投げ出す(引き下がる、帰藩する)ことも必要である。彼はあまりに政治的駆け引きや策謀から離れたところにいたため、慶喜にいいように利用されてしまった面もある。慶喜は勝手に見えるが、その点やはり賢明だ。人の上に立つ者は、時には自己の考えに反した行動も取らねばならない。”敵ながらあっぱれ”と言われた彼は、会津藩の領民や家臣にとっては決して名君ではない。会津藩内のの真面目で誠実な気質と相まって、家臣の家族の自害やその後の家臣の移転後の苦難の生活というさらなる悲劇を生んでしまった。晩年日光東照宮の宮司となり、苦しい生活の中磐梯山噴火の際には多額の義援金を送った彼は、いかにも実直で真摯な人柄を感じさせるが、政治家としては、良い人過ぎたと思う。
徳川将軍家にとっては忠臣でしょうね。会津の領民にとっては名君ではなく暴君に近いのでは。
振り上げた拳はおろせない。。。おろしたくてもおろせない。。。
会津も長州も。
八重の桜で西郷頼母を演じた西田敏行さんの御冥福をお祈りします。
会津に移住したことをきっかけに、戊辰戦争の史跡をいろいろと辿り始めている者です。
浅いながらもいろいろな資料に触れるにつけ、なぜ松平容保は自らの首を差し出さなかったのか不思議に思うようになりました。
これまで保科正之の家訓に縛られながら、松平春嶽らの狡猾さ等により貧乏くじを引いたと思っていました。
確かにそれらは有ったと思いますが、新政府は容保の首と引き換えに会津を許すと言う方針を示していたとされています。
奥羽の諸藩は容保を守ろうとしたようですが、なぜ容保は家臣や領民を守るために腹を切らなかったのでしょうか?
正之の会津家訓にも領民を守り救えと言った内容もあります、しかし容保はそれを実行しなかった。
家訓に縛られたと言いますが、それは自分を持たず他に流されたと言うこともできるのではないでしょうか?
容保が腹を切っていたら、東北戊辰戦争で6千人(戊辰戦争全体でだったかも?)にも及ぶ犠牲者を出すことも、会津の藩士・領民が下北・斗南に移封されることも無かったと思えて仕方ありません。
松平容保がなぜ腹を切らなかったのか、現在どのように解釈されているのか、ご高説をお教えいただければ幸いです。
容保の孫は、昭和の終わりに、福島県知事になった。
会津藩の人達の明治維新後の苦しみを見ると、やっぱり維新の立役者だけを褒めたたえ、偉人とする歴史観に疑問を呈したいです。
そういう意味で松平容保の良い所ダメな所をちゃんと取り上げる事って意味ありますよね。
この番組を見て、いつも私は思うのですが…歴史上の偉人達に対し「これがダメ・あれがダメ」と言うのは、凄く失礼ではないかと思います。色々と指摘されたご本人達は…「歴史作家風情の者に、とやかく言われる筋合いはない!」と…草葉の陰から思っているのではないでしょうか?!
私が思うに…こんな出来事がありました!と云う風に、普通に歴史を伝える番組構成でいいのではないかと思います。
今回の教訓の一つの「他人に頼り過ぎない」は、人生のあらゆる場面で、重要な考えだとおもいました。
また、番組の最後の伊東さんとキュウちゃんの会話は、現代の諸事件から自己を守ることにつながることだと思いました。
松平家は元々、神職の家系なので戦後に日光東照宮の宮司やってた。
超イケメンだったので巫女さん達のアイドルになった。
「まつだいら 」のイントネーションめっちゃ気になる
しかし容保が京都守護職を引き受けたからこそ、今 会津若松が観光地として栄えてるのでしょう。
上司が悪すぎた、慶喜の様な人の元ではいい様に使われて終わってしまう…人の世の巡り合わせとはいえ…さぞ辛かったでしょう
中西さん今日の髪飾り トンボ 素敵ですね😍👍
容保に最後まで家訓に従った武士道を見る思いです
なくなった曾祖父が白虎隊の生き残りの方と逓信局で働いたと言っていて写真も見せてくれたことがありました
会津の人達には悪いけど、家訓は下手をすれば己が首を絞めかねないから好きではないなぁ~
越前藩主松平春嶽公が会津藩主松平容保公に「会津家訓」を引き合いに出して断れない状況に追い込んでまで無理やり京都守護職(貧乏くじ)を押し付けたのは徳川宗家への怨恨?
明治期。一方そのころ慶喜、写真だ自転車だ飯盒炊飯だとのんきな趣味に没頭するのであった。
日テレドラマ白虎隊の西田敏行の演じる家老の切腹シーンが壮絶だった記憶があります。西田敏行さんも福島県のお生まれだから感情こめて演じてたんだと思いました。
西郷頼母みたいな無能なうえに家臣のくせに主君をなめくさり内心自分のほうが正当だと考えていたやつのがいたのが運の尽きだった。
その辺の話は多すぎるし事実を書くだけで誹謗中傷になるからここで書けないほど酷い。
新選組の誠のお殿様だよね
京都守護職
きょうとしゅごしき
庄内藩との違いが大きすぎる。
筒井道隆さんのイメージが強いですね。戦争を知らないおぼっちゃんぽいのに意外と信念を持っている感じがピッタリでした。
斎藤一役のオダギリジョーに「近藤の首を取ってこい」と命じるシーンは今でも泣けます😭
山口県岩国市、会津の人間達の仇じゃー🤪
松平容保は頼朝型戦略家でバランスのとれた考え方ができる武将です。
徳川の現状と尊皇の心そして藩祖の遺訓を守り京都守護職に就いたのでしょう。
藩の財政の苦しさも覚悟の上でした。
残念ながら徳川では治めきれない時勢になっていたことが不幸でした。
臣下が戦略家であってもトップに戦略脳がなければ、その能力を十分に発揮で
きないのです。できるのは稀なのです。
戦略家は戦略脳を持つトップを見つけ仕えることで能力が発揮出来るのです。
乱世では戦略家でも無能なトップを支え続けることは出来ないのです。
失敗するのは気質が合う、恩義がある、一族、代々の家臣などの場合です。
三成と行動した大谷吉継・宇喜多秀家・小西行長
秀頼に仕えた真田信繁・片桐且元
景勝に仕えた直江兼続
輝元に仕えた吉川元春・毛利秀元
氏政に仕えた北条氏照
そして慶喜と行動した容保
皆戦略脳を持つ武将ですがトップが戦略脳に欠けるため敗北や上手く事が運び
ません。
容保は会津に帰還した時点で徳川に対する義理を仕事で十分に果したと考える
戦略脳をもっていたのですから、恭順を徹底する道もありました。が、敢えて
敵わぬ戦いをしたのは、賊軍に貶められた悔しさが我慢の限界を超えていたの
でしょう。
かくすればかくなるものと知りながらの気概からの最後までの抵抗だったので
しょう。会津の一分を通したのですから降伏し沙汰をを待つのもそれほど可笑
しいとは思われません。
会津藩か 白虎隊かぁ
高校2年生か3年生の時
地歴公民科の先生が「戊辰戦争で旧幕府側が勝っていたら、会津に新幹線が走っていただろう。」と話していました。
何か小さい所で異論が多いが。まあまあ飲み込むとしてもね~w
水戸史観の弊害が招き、特に特に春嶽の強引な工作。そして、とんずら将軍の結実がこの結果
今世に神戸大の輩に妙な因縁が付けられて、少々残念だが
まあ、時代の流れだろうね・・・
秋田、天童、三春、守山以外の諸侯に感謝
滅藩処分後の藩士のことを思うと胸が苦しくなる。
会津戦争での婦女子や少年兵への容赦のなさもそうだが、同じ日本人が、あそこまで残虐になれてしまうという現実は直視しがたい。
しかしながら、古代より日本史において、東北地方はいつもやられ役で、東北人の気質には負け癖がついてしまってるような気がする。
文化的後進地故の装備の違いもあったんだろうけど、それ以上に、戦というものに対する精神性、他者に対する容赦のなさみたいなところで、勝敗の差がついてしまっている気がする。
戦力に大きな差がなければ、戦って勝つのはより悪辣な方だ。
相手が嫌がることをどれだけ効率的にやるかが軍略だから、古今東西を問わず、それが現実だろう。
もし正義というものがあるとすれば、それは多くの場合、負けた側にこそ備わっていたはずだ。
まこと、戦というのは、不条理で嫌なものである。
徳川慶喜と松平容保は、僕が幕末で特に尊敬している2人です。
偉大な先人たちの苦労を労い、合掌。
悠里ちゃんは、松平容保と松平定信どっちが好きですか❤
容保公は開陽丸で慶喜と共に鳥羽伏見から去る時、慶喜が一切の責責任を負う事を理解した松平容保は、船上で、慶喜のこれからの汚名を思い、落涙していました。 自分は生涯かけて、慶喜を守ると心に誓い、また慶喜も江戸城無血開城する時、政府軍に、会津には特別な配慮をするように。と伝えていたにもかかわらず、政府軍が攻めた時の慶喜の辛さ。理解していただきたいと願っています。
ヘタレ将軍と会津の忠公。
松平容保がやっぱりかっこいいよm(._.)m
泣けてくる