秋法会 令和7年11月7日
[音楽] [音楽] 号 [音楽] [音楽] [音楽] あ [音楽] [拍手] [音楽] am [音楽] [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] な [音楽] あ [音楽] [音楽] あ Am [音楽] [音楽] [音楽] あ [音楽] あ [音楽] 、 あ 。 あ [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] 。 [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] お [音楽] よ [音楽] 。 [音楽] はい 。 [笑い] [音楽] 来 [音楽] あ 、 [音楽] レ [音楽] [笑い] [音楽] お [笑い] [音楽] そ [音楽] [笑い] [音楽] あ [音楽] [笑い] お [笑い] Am [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] ヘ [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] お [音楽] せ [音楽] [音楽] [音楽] え [音楽] [音楽] お [音楽] [笑い] [音楽] [笑い] [音楽] お [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] おお お 。 [音楽] お [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] 節無良 [音楽] 大者 大王大 [音楽] ます [音楽] 。 [音楽] ま [音楽] [音楽] 大北空 [音楽] [笑い] [音楽] 車 [音楽] ります。 [音楽] 番 [音楽] [拍手] [音楽] 新 [音楽] А [音楽] [笑い] な [笑い] あみ あ [笑い] [音楽] 、 あ 、 あ 、 あ 。 А [音楽] おら [音楽] ない うし の お [音楽] の 大か [笑い] に はせ [笑い] を [笑い] [音楽] しくな [音楽] [音楽] [音楽] お あ [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] あ [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] 本日の本業部の説教は鈴市本省実です。あ、どうぞご質問ください。 [音楽] マ [音楽] グ温光よりこの世まで哀れします印には物ち不思議につけしめ 全落く上映もなれてる。 え、今日はあの公園え 3 日目になりますがご賛定だきましてありがとうございます。え、ご承知ようにあの春には西文法映という、え、法でございまして、秋にはですね、 6 日間のこの秋方映っていうのが、え、染まっておりますね。 え、一般的なあの寺ではAとかですね、A 度教というな形でですね、え、法容されて おりますけれども、ま、あの、こう未来大 、こう性能なくこうお釈迦様の教えがです ね、その教えであるご教会続けられて、え 、仏教の教えが伝えられ、代々大々こう 伝えられていくことを願うという法用が、 ま、この兵隊教の法用でございますし、え 、新州では、え、私がですね、私自身が仏 様の教えを聞くご縁にする。そして、え、 次の、ま、世代にですね、うん、仏様教え を伝えていくという、ま、そういう機会と して、え、このような法衛を設けておると 思います。 さて、え、 実はあの私の孫なんですけどね、え、 ま、4年生のね、孫がおるんですが、で、 え、学校でですね、あの、ゴツネというね 、え、お話をね、ま、4年生はね、勉強 するんです。私もあのも元々あの学校の 教員してましたのであのえそういうのを こう扱ったことが何回もあるんですがえぎ ご正日ですかねというお話ね知ってる方も 多いと思います。え、22 さんという方が書かれた、ま、あの、お話なんですけれどもね、え、ま、簡単に申しますと、え、 [音楽] ま、時代としては江戸の時代ですね。 え、教授という、ま、うーん、方がおって、それから、え、ま、ゴーンというね、ま、狐なんですけどねが登場するお話で、え、ま、ちょっとインターズラ好きのゴンというこの喫点がですね、ま、幼虫という、ま、方のにこう色々直感を出すようなこうお話で、ま、時にこの幼uvが、 [音楽] [音楽] [音楽] え、ウナぎを捕まえようと思ってですね、 口かけておいてウナぎが捕まるんですが、 それをこの、え、ゴがこう逃がしちゃうっ ていうことがあって、ま、実は、ま、この 標獣という方はお母さんにですね、 ちょっとお母さんがもうちょっと両弱と いうのかな、ま、そういう方で、え、食べ させようと思って鼻ぎを捕まえるんですが 、それをゴが何逃してしまうということが あって、え、領住はちょっとこう午あまり よく思っていない。てそのお母さんが 亡くなってしまう。で、え、ゴはその吉ネ のね、ゴはですね、その、え、教授の お母さんがなくなったということをこうご 葬式のね、相列を見て、え、ま、気がで、 あ、大変申し訳ないことしたなってことを 心に思ってうん。この標準という、え、方 のところへですね、こそっと、ま、その 住みほぼというのか、大詫びのためにうん 、栗とかね、そういうのこうそっとこう 運び、毎日こう運ぶようなことをする ところが幼虫はそのことに気がつかない。 誰が置いてくんやろなみたいなことで気が つかない。 ある日、え、とその教授とゴが、え、 なんていうかな、お家の中へ、え、ゴが 入ってきった時に標準がそれを見てしまう で、あ、いたゼラのゴやということで、 この標準という方はそのをですね、鉄砲で 打ってしまうはなくなってしまうところが そこにプリが置いてあったということで、 あ、戻ってくれたのは前やったんかって いうなことで話が終わっていくと、こう いうお話ですよね。 え、必ずこの幸せなお話ではなく、最後は そういう風ななんていうかな、え、の 気持ちを十分にこうなんてかな、あの、 受け止められずに最後はこの命を奪って しまうっていうそういうお話なんですね。 で、この221っていう方は、えっと 、ね、 1913年対象に年の生まれで、ま、若く して29歳でね、こう亡くなられるんです ね。で、ま、作品としては少ないです けれども、今言ったこの年というのはこの 前その中のね、代表作でずっとですね、え 、小学校の教科書に取り上げれております 。 で、この 南さん、そうい、あの、え、ま、作品以外 にですね、え、日記をね、つけるのがうん 、なんていうか、うん、こう日家で、日家 になっていて、ま、日記というか、その 自分のこうのなんていうか、うん、日々の こう思いというのかな、それをこう続る てく、綴ってきたような、そういう日記が こう残されておるようです。 で、え、その中のですね、うん、ある日の 、ま、日記ですね、こういうことが書いて あるんですね。 人間は皆エゴイストである。 常にはどんな美しい仮面をかっていようと もギリギリ決着のところではエゴイスと いうことをよく知っている人間ばかりが この世を作ったらどんなに美しい世界が できるだろう。自分はエゴイストではない 。自分は正義の人間であると信じ込んで いる人間ほど恐ろしいものはない。 かかる人間が現在の多くの子を作っている ので、 こういうね、ある日の日記にこういうこと を書かれておるようです。ちょっとある本 からちょっとね、え、見つけたんですけど ね。人間はみんなエゴい人でエいストで つまり、え、我が立主義者っていうかな、 自分のことしか考えない人間っていうこと ですね。簡単に言うとね。で、もしそう いう 人たち自分はそういうね、え、自分のこと しか考えやん。ま、いわゆるここで エイスト人っていう、ま、そうであると いうことを知っている人間ばかりがこの 作ったらどんなに美しい世界になるん だろう。 自分はそういう人間じゃないね。その自分 勝てな人間じゃないと思ってる人間 が ほどそういう人間ほど恐ろしいものはない とね。こういう人たち、つまり自分はその ね、あの、ま、エイストじゃないと思っ てる人間が実際は現在のその世の中の作っ てるんだとこういう言い回しなんですね。 ちょっと、え、色々考えされるところが あると思います。で、ま、この日記を書か れたのは、え、昭和12年ですから、ま、 あの、あれですよね。うん。戦争、ま、 いわゆる、ま、今年戦後8000、80年 と言いますが、ま、一般的にその終戦と いう昭和20年、え、1945年ですね。 ま、そこに至るまでの間、およそ15年の 間、中国と戦争始め、やがてそれが太陽 戦争ね。うん。アメリカとかイギリスとか ま、いろんな国とね戦っていくっていう 流れのその15円の戦争の中の、え、昭和 12年ということはまだ太平洋戦争始まっ てないんですが、その、ま、ですね、ま、 中国との戦争始まっているそういうなんて 言うのかな、日本がだんだんこう戦争に こう向かっていく時代としては多分そう いう時代だと思われるんですね。で、そう いう中でのこの、ま、耳じさんの言葉なん ですが、 人間はこう正義の人間であると思い込んで いる人間ほど仕事なね。こういう人たちが 家の中のを作ってるんだ。こういうことを 言われてるわけですね。 ちょっと話が変わる。またちょっと話変え ますが、え、単症というこれもよくね、ご 存知の方多いかも分かりません。え、有言 という方が書かれたんであろうという、え 、診断承人の、ま、え、お弟子さんであっ た遊園が書かれたもので、え、信田商人が 亡くなられて、え、約30年ぐらい後に まとめられているという、ま、書物なん ですね。で、あ、前半はこの診断省人から 、え、この遊園という方がこうお聞きに なったね、え、お言葉、それをこう書かれ ていて、後半の方は、ま、そのね、診断 商人のおっしゃっていたことがその、その 時ね、ま、30年後なかなかそれがですね 、うん、こう世の中にし、うまく、うま くっていうのかな、本当のことが伝わって いないことを、ま、嘆くというのか、そう いう、う、ま、承立てにはなっとるんです けどね。 で、その中俺も1番有名なところです。え 、そのね、第3章のところにね、全人を 持て王城を解い [音楽] ね、え、お言葉から始まるう賞があります 。第3章も有名なところなのでここにも 集まれ立ちもね、皆さん知っておられるか も分かりません。全人王とは役に多い。 その続き、え、軽を世の世の1つ常には 白人なおを上司いかに我全人をやこの女 一旦その言われあるにたれどもえ本願大力 のえ、その言えば自力総然のは人へに大力 を心けたる間本願にあらずていうことで もうこれまこれで半分ぐらいですがという ことで言葉で始まるえこの第3章のところ なんですけどねもう他はいろんな方がです ね、この解かれてる内容を、ま、なんて いうかな、自分なりの言葉でこう 解説っていうのかな。うん。されておられ ます。ま、その中でちょっと長くはなり ますけどご紹介したいのは、え、伊木博幸 さんね、作家の方ですね。これも有名な方 です。え、新種の教勢にも深くこのね、え 、独結されてる方でございますが、ま、 この方がね、この単症を、ま、自分なりに こうなんていうかな、え、自分の言葉で こう解釈をされて、え、書かれている、あ 、ま、書物がございましてね、その、それ をちょっと紹介したいと思っております。 今のところですが、え、ある時、え、診断 様はこう言われた。全任ですら救われ、 救われるのだましして悪人は救われるわけ がない。 しかし世間の人々はそんなことを夢にも 考えないし言わないはずだ。あのような 悪人でさえも救われて条に王助できると いうのなら全人が極楽王するのは決まり きってるじゃないかね。こういうところが 普通一般の考え方だろうと。その言葉は 何気なく聞いているといく理屈に合って いるように思われないでもない。だが 改めてあ田物の深い約束の意味を考えて みると仏の願いに全く反しているという ことが分かってくるというのはいわゆる 全人すなわち自分の力を信じ自分のう良い 行いの見返りを疑わないような傲慢な人々 は神田物の救済の主な対象ではないから 他に頼るものがなく、ただ1つに、え、 お仏の約束の力、すなわち耳を任せようと いう絶望のど底から湧き出る必死の真人に かけるからである。だがそのような、え、 いわゆる全任であっても自力に溺れる心を あらかけて他力の本願に立ちえるならば 必ず真の救いを売ることができる違いない 。あらゆる煩悩に取り囲まれている好みは どんな修行によっても正事の迷いから 離れることはできない。そのことを哀れに 思って立てられた近いこそ全ての悩める 主情を救うという物の約束なのである。 私たち人間はただ生きるということ、その ことだけのためにも他の命あるものの命を 奪い、それを触ることなしには生きられ ないという 根元的な悪を抱えた存在である。 頭に [音楽] 来い 海川 に魚を取ることを豪が深いというものが いるが相目 国土の命を奪う脳の脳ですね脳も5であり 吐き内もまた5である 敵を倒すことを食は言うまでもない。 すなわちこの世の生きるものはほとごく 深い豪を背負っている。私たちは全て悪人 なんだ。そう思いば我が身の悪を自覚し 嘆き力の光に心から冷えする人々こそ仏に 真っ先に救われたなら救われなければなら ない対象であるということが分かってくる だろう。 炎の悪、炎の悪に気づかぬな全人でさえも できるのだからましして悪軍は というのがこの教えである と、ま、このようにね、書かれております 。も、あの、説明の必要はないと思います が、 網田物の 本願、 お誓、お約束ですね。それというのは私が 仏になった時には実報の全てのね主がえー 心から 信じ楽しんで私の国つまり告楽上土に 生まれようと思いそれがいかにわずかな間 思であろうとしてももし生まれないようで あれば私は仏であるとは思わない仏には ならないというこういう誓を立てて仏に なられる神田ですね、全ての人を必ず救う というこの時を立てられた、お約束を立て られたア田ですね。その呼びかけの言葉が あ田物ね、私につまり網田物に全して全て お任せなさいという呼びかけがこの妙暴で ある生みたですね。私たちはそのそれを 信じ、え、法音感謝の年物を唱える。これ がまあね、新種の教えになります。 初めにちょっとね、ご紹介したあのナさん のエゴイスであるということを 知っている人間ばかりがこの世がこの世を 作ったらどんなに楽しい世界になるだろう という、え、このね、言葉がありましたが 、 つまりそれは、え、網田物の極楽上土 つまり悪人を嘆いて救いを求めた人人を 必ず救ってあげる。それがいける楽。それ にこう通ずるところがあるのではないかな と思われますね。信頼人の書かれた書物の 中にも漁子などは意思わらつぶて何度を よく小さええ小金となしえなさしめんこと だことしつまりえ どんなものであっても必ず救うて言葉ね それを心から信じればえ光の中に収め取ら れて必ず極力上土に迎えられるね 商とかそういう、ま、癒しい人々さえ救わ れるね。それは、え、意思とか変わるとか こう意思などを、え、金に変えるような ものをおっしゃって、え、書かれている、 え、ものもございます。で、え、この時、 ま、こういうですね、秋葉の時にですね、 え、生み物 この言葉を通して仏様と迎え合う機会に、 え、していただくのが、ま、1つはね、 いい機会なのかなと思っております。 一切の俗人のご流に期して誤所を助かる べきようは我が身は罪悪人のものなれども み田如来のご本願の力にて名も神物を信じ 唱うに ざるに法人 ざるに摂取5年の役に預かり聞いマナと ずる時必ず法人のを売ること片けなさよと 思いぶ音を仰ぐべきなり白く心念物を 盲さ柄は10人は10人ながら100人は 100人ながら告白楽に王助をすべきなり 一心一の年物者のもし助からずば実行の 処物は症状の本下破れてくたり元の身口に 平じと合し釈迦は仏になりとのならとの たまいは小学をじと近いたもなり たは眼力の不思議を聞き消えて明を唱う べきなり癌というは妙 力というは相場聞き説なり花かこし お ただいまの説は鈴本住所水谷と本日はよく お待ください。
11時25分頃 配信開始
11時30分より 秋法会(御影堂)
11時55分頃より 説教 鈴鹿市 本照寺住職 水谷忍英師(御影堂)
12時15分頃 配信終了
秋深まる中、本山では納骨堂法会に続き秋法会が勤まります。
秋法会は春の千部法会に並び、秋の永代資堂の法会として、御影堂に於いて勤められます。前3日間は新加入者の法会、後3日間は昨年までの加入者の法会となります。