徹子の部屋 内容:「歌手生活60周年…デビュー秘話&吉幾三さんとの爆笑エピソード」 出演:千昌夫

[音楽] 可愛いですね。愛するたちに囲まれての千尾おさんです。今日もまたあの色々お連れくだの年でその間に出会ったくさんの勝仲間たちの面白いエピソードも伺いただきます。なんてこの前こに来たウッピーちゃんていう子がねみたいでね [音楽] [音楽] 可愛かったんですけどちょっと色々ご紹介いただきましょう。 3のお客様です。さて、鳥たちのご紹介を。 [音楽] はい。これがあの 1番左が桃色イコの太郎ちゃん。 うん。 ルリコン号イコのET。 ETっていうのですか? ET。あの ETね。 はい。映画のETのET です。それで、え、妖夢のけんちゃん。 これは 沖縄インコの、え、 Aブちゃん。 エブちゃん。 はい。 うん。下にます。 下にいるのが、あ、今日はあの特別に連れてまいりました亀です。 亀面白い。そ下で縛ったんですか? そうです。あの、一応あの、そちこち逃げられないようにこうやって遊ばしてます。 そうだね。前回のインコの はい。 うぴちゃんなんかのちょっと歌の映像がありますんでご覧いただきます。懐かしいでしょ?きっとね。 はい。 さよな。あらなんてとしても [音楽] 言えないだあるな。なくだろう。 [音楽] あの子何ていう名前? ロちゃんです。あの子あ子のリズムを歌。 [音楽] あ、今日の2匹です。 こずっとしくしてますね。 本当にちゃん クアネスが大好きなんですよ。 はい。 皆さんご覧ください。大しくしてるんですよ。 ええ ね。かいいね。とこやって可愛くして 猫みたい。本当にあ子は猫みたい。うっぴーちゃんどうしました?今日。 そう。もうね今年の春亡なくなりました。 あらかい。あ、今日ね会えると思って楽しみにしてたのに。 テツ子さんのこと大好きなニ鶏りでした。 なんていうウッぴちゃんは何歳?何歳? うピ 8歳と7 ヶ月ぐらいでだからニ鶏としては結構長気した。 可いい。これですかね?映ってる。 そうです。 うぴちゃん可愛かったね。 ええ、本当にね。 本当にね、抱かれてね、猫みたいに大人なしくしてたね。 ええ、すごく柔らかくてね。 そう。羽がね、可愛かった。すごく。 はい。はい。万歳は万歳。えいね。 はい。ちゃんも万歳。はい、万歳。はい。万歳やりますね。 あ、けんちゃん。あ、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。えらい、えらいいね。 はい。おったわ。 はい。おった。はい。えらい、えらい、えらい、えらいい。 死ぬね。 喋らして。なんか タロちゃん。はい。 たろちゃん。 たろちゃん。 おお。言った。言った。 言ったよね。たロちゃんつってるよね。 マイク拾いましたでしょうか? 太ロちゃんつったよ。今 今言いました。タロちゃんって自分の名前を。 太郎ちゃん。 太郎ちゃん。 ああ、言った、言った。 言った言った。聞こえました。皆さん太郎ちゃん。自分のこと太郎ちゃんって知ってんの? ねえ。よかったね。 2回も言ってくれて。この 2人はね、仲いんですよ。 本当ね。 ええ。 お互いになんか虫でもいるのやって顔で。 いやいや、あのなんかこの愛なんか友情の印というかね。 うん。 それで羽の間にこう入れてこう抱くんです。 うん。うん。 あの大きい方が うん。 今 でも綺麗な色ね。大きい方 ですね。これは南米のあの鳥なんですけど。 自然の色なの。 ええ、もう結構世界中から。こっちはオーストラリア系。 オーストラリア。 ええ。 こっちはあのアフリカ系ですね。 でもアフリカなのに地味な色を知ってますね。 と ですね。 なんか羽広げてる。 うん。ああ、なんかリラックスしてんだね。哲つ子さんにあって。あった。 あら、偉いね。たるちゃんも 前にあったもんね。 ねえ、 前にあったわよね。 ほら話しかけて。 前にあったでしょ。たろちゃん。 たろちゃん 言うね。太郎ちゃん。太たろちゃんて言うの。 えいね。 さてさんは今年デビュー 60周年でね。どうでした?60 年は長かった、短かった? 本当に今思うと長いよで、あっという間というか、え、 あの、岩手県の陸前高田のご出身で 現在78歳。 そうです。 えっと、8 歳の時に佐業をなさっていたお父様が出かぎをしてらしたんですけども はい。 あなたが8歳の時に亡くなったんですね。 そうです。おが31 でそれで北海道の北というところで出稼ぎに行ってて亡くなりましてでおふがそれから本当に再婚しないでね うん え我々を男の兄弟 3人3 人えうんてくれて本当にお袋がね子供に朝早く高畑の仕事をして うん そして決戦の間の方に、え、あの、当時は、ま、蒸気機関車だったんですけど、 1 時間ぐらいかけて、あの、気仙の間のサイダー工場にね、 うん。ええ、 行ってで、本当にそういうの見てまなんかね、その頃からお袋にカチャにすっからなってこういうようなことね。 うん。 なんかせたことどうも言ってたみたいなんですよ。時から ええ。 うん。 で、高校を中退して状況なさった。 その通りです。それであのエ藤ミノ先生が私の恩師なんですが うん。いきなりそこあんたいらっしゃたんでしょ? そうなんです。あのその頃ですね。 まあ、今じゃ考えられないあの苗情とか平凡っていうあの雑誌があってそれの 付録で歌本が あ、ついてたんです。 ついてたんです。 その中にね、今じゃ考えられないんですけど、そのエンドミ先生の家の住所が 書いちゃった 乗ってて、それで当時は、ま、あの、作曲家の先生のところで、あの、修行して、それで作曲家の先生がレコード会社に うん。紹介して、 え、紹介するという、そういう時代だったんですね。 うん。 そして、え、エ先生のとこへ何のもなく すごい。 その歌本の住所を頼りに うん。でもその時になんか歌詞の人たちが先生とから列をなしてたっての本当なの? もう当時はそんなわけで自分とにたような考えを持った人がね、そんなたくさんいるとは思わなかったんですよ。 そう。自分だけだと思ってるよね。 はい。なんと先生の家のそばに行ったら山のね人なんですよ。 本当に まあ、多分ね、100人や150 人はいたと思います。 本当に。 それでなんだろうと思ってたらみんな僕と同じような考えの歌手になりたいという うん。 それでその当時そういうその歌手になりたいと言って尋ねてくる人のお専門に断ってたお手伝いさんがいらっしゃって [音楽] 専門に断ってた。 うん。それで上手なんですよ。見てると またね、あの、どちらからいらっしゃい ました。で、生はどんなご用事ですかって ね、もう テキパきと それで必ず聞くのは東京であの止まる ところあるんですか?帰りの記者はあるん ですか?親御さんに言ってきましたって。 そのQ&ワード3つぐらいで、え、言って きてません。 大の記者もありませんって言うと、当時どうも遠藤ミノ先生の高警察に家でコーナー見たのがあってね、 それでね、すぐね、警察官の方が来てすぐあの連れてかれるんですよ。 うん。 だから自分の banに回ってくるまでに、あ、こういうこと言っちゃいけないんだ。 ああちゃいけないんだっていうことを ま、 自分の前の人たちで勉強しまして うん。 そしてそれを 3日続けたんです。 同じこと。 はい。そしたらさすがに 3日通ってくる人がいないわけですよ。 あ、そう。 あの何人の中にも うん。それで3 日目になったさすがにその、え、お手伝さん、 お手伝さんが 僕のことを覚えててくれて うん。うん。 また来たのとね。何回来たったってね、もう会えないんだからて。で、僕はね、その喋ってるそのお手伝いさんの言葉に どっかね、鉛りを感じたんですよ。 うん。 お姉さんどこですか?つったら新潟だってね、 言ってくれたんですよ。 え。 新潟ですか?新潟は東北 7 件じゃございませんかってね。本当は東北東北 6件なんだけど1 つ増やしちゃってそしたら東北じゃありませんよとかって言われながらもニコっとなさったんですよ。 なんか雰囲気がね、すごくあの断ってる人の割には なんかこう僕に親しめを思ってくれたようなそんなことしてるうちにあの夕方確か 5時半とか6 時ぐらいになってて先生の家の夕飯の支度をどうもする時間だったらしい。 そして先生の奥様、ま、その後ほママって僕らずっと呼んでたママがその料理をするためにそのお手伝いさん 手伝ってもらわなきゃいけないからずえさんって人だったんです。 かずえちゃん 何やったのっていう声が聞こえたんですよ。 それで僕と話してるの途中でやめて今ね岩手の方からあの 3 日目やってくるしつこい子がいるっていうようなことをママにこうこう言ってたんですよ。 うん。そしたらね、ママがめんどくさそう にじゃね、明日の3時半ぐらいに いらっしゃいって言っときなさいってこう 言ったことが 大けのもうママが言ったことですから約束 になってそれで後で弟子になってからあの 先生から聞いたんだけどママったらしいん ですよ。うん。お前けな言いんじゃない よって。ま、そして遠藤先生の内になりた んです。 かったでしょね。そこで強引にね、 もう強引な本当に押し込み弟子で 亀が映ってます。え、よし九さんとはいつ頃からのお付き合いですか? もう何年かね。よし君があの俺は東京田で、え、あのサイブレイクする ちょベストにいらっしゃいましたよね。 はい。そうです。 あの、お世話になりました。その私のところに、まあ、 3、4 年下ずみというか、それで私のそばにずっとあの、ついておりましたが うん。 ええ、 それでやはりあの、まあ、なんて言うんですかね。ああいうあの性格の男ですから、あの、金もないのにどうも野球の選手とかそういう方たちとこのお付き合いがあったみたいで [音楽] [笑い] うん。 それで金もないのにご馳走したりそういうことをしていてそのま本当に首が回らなくなったんでしょうね。 うん。 そういうことがそっちあるんですよ。 あ、そう。 え、あの3 年もこう言いましたから。それで夜あの遅くにね、あの僕があの仕事から戻ってくるのをこう待っているかのように電話してくるわけですよ。 うん。 今から行っていいでしょうかっていうのは大体 11時半とか 今からって僕もその忙しい時で早く寝たいというねんです。それでであいしょうがないけどま分かったわかった。じゃあ来ていいからつったらやじゃ誰かにあのタクシー乗って行きますんでタクシーだよお金を持って玄関の前で待っててだけますかってね。好き放題なこと言うんですよ。 そうですよね。 ええ。 うん。ま、来たらあ、でもね、この楽しい、まあ、話をしてくれるわけですよ。 ああ、面白いのね。うん。だから、ま、こっちもね、あの、無限に断れないっていうか。 で、ある時やはり夜中の、う、僕があの、最終のなんか新幹線で東京戻ってくるってのに合わして うん。 また電話してきたわけですよ。 今からまた行っていいか?また同じように家の前で誰かし台持ってまたしててくださいってね。ほれでね、ほで来て一枕言葉みたいにね 面白いこと喋るんですよ。それで僕の気持ちをうん。 ほぐして うん。 で、今日は何しに来たんだとね。 うん。 それ1時そこらぐらいになってからもう僕 も寝なきゃいけないからそしたらお願いが あります。 運百万貸してくれていうわけですよね。ま 、聞いたらね、そんなの元気家に置いとく ような金額じゃない。運百万なんですよ。 うん。な冗談よ。 そなね、金そんないきなり稼ねんなことできるわけねえじゃねえかって言ったら、あの、ちょっと担保になる歌がありますからね。歌を 担保になるね。 うん。 で、あの、タ保って普通は土地とかこねた。ま、それで担ぽになる歌じゃ歌ってみろとって言ったら うん。 つがる平にって始まったわけですよ。歌い出しから言うわけですよ。 [音楽] いいな。 それで雪降る頃を脅人で手がせにくってこまで来たわけです。 [音楽] うん。 僕の親父はね、でかすぎで北海道でし、そのね、まさにうちの親父のそのこと知た、知ってるかのような仕でまた歌い出しからいいわけですよ。 [音楽] うん。 うん。 いいぞって拍手しながらその先あったらビタッと止めんですよ。 この先聞きたかったらまず貸すかさないか決めてくださいって。 お金を 全てビタッといいとこで止めるからね。 うん。 ね。 分かったよとね。もし重なかったらどうすんだよったら死にますって言うんですよ。 すごいね ね。よし子君はそんな死ぬとかってことをね簡単に言うなよと。 あんたのね体の中には何十具という才能が眠ってんだからそういう言葉もう俺の目前で 2度と言うなと言ってね。分かったとね。 その仮代すからその先聞かせろって言ってね。それで貸したわけですよ。 うん。 ね。 うん。 ところがよく考えたらそれ全額ですから家のもし明日ね新聞のこのなんかあの新聞台とか取りに来られたら困るなと思ってね。 23 万はの残しておかなきゃいけねえんじゃないかと思ったもんだから 貸してから うん ね持ってけみたいな感じで貸してからところでそっから 23 万ちょっとねくないか美地も負けられないってんですよ。私から金借りておいてですよ。それでこっちがね途中で 23 万残しておかなきゃいけないからその中から 23万戻してって言ったら うん。 ビ隊も曲げられません。いや、そこなんとか兄さんまお願いいたしまてこっちの方が姉妹にはね死にますとかなんか言ってね。 でもそれが大局になったのすごいですよね。 そのもの大償局です。それでね、よし君をまずその前に僕が何度もあのあれなんです。レコード会社とプロダクション売り込んだんですよ。 うん。先さんのこと。 いやいやいやさんのこと。よ君のこと。 3連にたもんですからね。 俺東京最くだはその津が軽る部屋の前だったんですよ。 あ、そうなの? その部屋の前によ君が本当にその困ってる時ね。 あの歌東京だ。絶対これはね、俺の歌だと思ってずっとあっめてたんです。 うん。それは彼の曲だった。 はい。 で、よ君も僕に歌うと思って。うん。 そしてこの歌をレコ会社が [音楽] 僕の公演会の人たちに聞かしたんです。 先さん、これだけは絶対やめてくださいっては言うんですよ。 うん。 なんでかと、 先さん考えてください。 あなたはあの故郷へ帰ろうかなとか ゆやけモ にとか故郷をね、いつもこう歌っている人 ですよと。俺がおら、こんな村嫌だとかね 、電気もねえ、テレビもねえとかって、 そんなことを先生歌っていいんですか?て 言われて、それで仕方なく もうよし君に、あの、これあんた作った歌 なんだから。それでその、あ、これはよし 君にみんなに僕が歌うと反対された。俺は 東京最後ではよし君に。 それでレコード会社どこも受け付けないから僕がキャンレコードというレベルを立ち上げてうん。ええ、 そっから あ、それで彼が工団を歌うようになった。 その通り。それで そのベストに出た。そうそうそう。 ほれであん中にね、銀座に山だって歌のセリフがあの歌詞があるんですよ。あれ私が考えたんですよ。 本当ですか? 遠藤み先生は 76歳でお亡くなりになっ そうです。 あなた島がもう78になる。 はい。 やっぱりどうですかね? 僕あのうちの親父が 48 歳で真金梗速で亡くなってるんですね。 そんなに若く。 そしてエ藤先生が76。 私のあの人生の命の石晶書は 48と70エ藤先生の76 うん。うん。 これを超えた時は本当にほっとしました。先生、先生の命を超えましたと寿命を うん。 あの本当に拝みました。 60 周年記念シングルが発売になりました。 はい。 これお袋って言うんですね。 おふです。 うん。やはりあの、 あ、これ 子供の頃には怖かった。その目も今は笑ってる。ああ。ああ。おふろ。おふろ。 [音楽] [音楽] [音楽] かけたんです歌い込んでる歌ですね、これはね。 [音楽] あ、ありがとうございます。 お母様何歳の時亡くなりますか? え、100歳にあと 6ヶ月という時に あら、緑さんと はい。 じゃ、99 はい。そうです。 もうあとちょっとです。 もうでも本当に91に近い99でした。 母親のこのに対する思いっていうのは本当にあのなんて言うんですかね。もう親父は本当に 8 歳で、え、あまりこの記憶にもないんですけども うん。 母親だけはあ本当にね、あのもう亡くなってからも本当にその母に対する思いが うん。うん。 どんどん強くなってます。 なるほどね。そうですか。 はい。 あ、それでちょうどそれにあの徳馬ジャパン法創法律 60周年もあり はい。 それで12月3日になさるんですよね。 はい。 記念スペシャルライブでいつまで大になろうと思ってるのは分かってます。 ま、あの、若い時はあのもう先輩の方たちが歌ってるのを見てあの年まで歌いないんだろうなと思っていたんですけども うん。 自分がその年になるといやいやまだね。 そうですよね。 元気なうちはずっと歌うぞという うん。 やはり毎日がね うん。 あのスケジュールがあるということは うん。 明日どこそれでコンサートだ。やっぱ刺激が そうですよね。 ありますから。 ありましたよ。こんなね、子供みたいなものがいっぱいいったんじゃね。 はい。そうです。 そうです。じゃ、お元気で どうぞ。テさんもどうぞ健康で また是非読んでください。 はい。お互い頑張りましょうね。 はい。頑張りましょう。ありがとうございます。 はい。千さんにおいでいただきました。お元気で何よいです。 [音楽] ありがとうございました。 じゃね、 バイバイ。 バイバイ。 て子の部屋は寺で過去の放送会を配信中。無料見逃し配信は安ティバーで。 [音楽]

徹子の部屋

内容:「歌手生活60周年…デビュー秘話&吉幾三さんとの爆笑エピソード」

出演:千昌夫

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