【独占告白】阿部寛がSNSをやらない“たった1つの理由”が想像の斜め上

SNSの炎上は今や誰にでも起こり得る日常の悪夢であり、その恐ろしさを真正面から描いた映画「俺ではない炎上」は、主人公がネットに追い詰められていく姿をスリリングに映し出している 阿部寛はこの作品に主演し、台本を読んだ時に「今の社会を表している」という強い実感を持ったと明かす 「こうやって人間が追い込まれていく、こういうものと戦っていかなきゃいけない時代なんだなって思って」と語る言葉には、単なるフィクションでは終わらない現実感がにじんでいる そして阿部は「こうした作品が今後増えていくんだろうなと思いました」とも口にする それはSNSによって誰かが燃やされる光景が、もはや日常の風景になってしまった今の空気そのものだ そんな最前線のテーマを扱う作品に主演しながらも、阿部自身はSNSをやらない その距離感に特別なポリシーや大げさな主張はなく、理由は驚くほどシンプルだという 「俳優だから、演技で見せればいいなって思ってるところがあって」と、迷いのない声で言い切る 彼にとって俳優の仕事とは、私生活を切り売りして人を惹きつけることではなく、役そのものを生きて観客の前に立つことだ 「俳優っていろんなものに出て… 私生活とか分からない方がいいなっていうのを昔から思っていて」と阿部は静かに続ける 阿部は、俳優の素顔が見えすぎることにずっと違和感を持ってきた 裏側が透明になりすぎると、作品の中でキャラクターとして存在するはずの人物に「本人そのもののイメージ」が重なってしまうと感じているからだ 「逆に見えすぎちゃうと『あの人がやってる』ってなってっちゃうから」と彼は言う つまり観客が見るのは役ではなくタレント本人になってしまう、という危機感だ 「そのタレントさんがやってるっていう風に僕には見えた その人がせりふを言っているって見えちゃうから」と、過度な露出が与える影響をはっきり指摘する 「そうじゃない風にできるだけありたいなと思った」 阿部は、役が主語であってほしいのだ これは、今のエンタメ業界でどんどん希少になっている考え方でもある SNSで私生活を語らないのは、ただの“頑固さ”ではなく、観客に作品へ真っすぐ入ってきてほしいという願いの裏返しでもある 役として見られることを守りたいからこそ、本人は一歩引いている そのスタンスは、彼の公式サイトにもはっきり現れている 阿部寛のホームページは、無駄な装飾を排したシンプルな作りで、いまだに驚くほどのスピードで開くサイトとして有名だ 通信環境に左右されず、とにかく素早く必要な情報だけを伝える 阿部自身もその在り方をとても気に入っているという ホームページの刷新について聞かれると「特にいいかなって」とあっさり語るが、そこにある哲学はSNSと同じだ 余計なことはいらない 必要なものだけ届ければいい そして役者としての入口は、作品に置いておきたい 一方で、阿部がテクノロジーそのものを拒んでいるわけではないというのも面白いところだ 私生活ではチャットGPTのような最新ツールも普通に使っていると明かす ただしそれは俳優としての見せ方を組み立てるためではなく、日常生活の助けとしてだという 便利なものは柔軟に取り入れるが、自分という存在の「見せ方」はあくまでコントロールする このバランス感覚が、今も第一線で輝き続ける理由のひとつなのかもしれない そんな阿部も、今の地位にたどり着くまで道のりは決して平坦ではなかった モデルから俳優に転身した20代の頃、彼には「期待されていない」という空気が常につきまとっていたと振り返る 「モデルから出てきたんで、かっこいい役ばっかりで なんかイケメンみたいな役ばかりあった」と語るように、与えられるのは表面的な役ばかりだった セリフはほとんどなく、ただ立っているだけの存在感だけを求められるようなポジションも多かった 「学校の校門でフェラーリに乗り付けて待ってるみたいな…なんか内面関係ねえなみたいな、そういうのが最初多かった」と具体的に言葉にするその記憶は、生々しく、そして少し苦い そこから状況が変わり始めたのは、「求められているイメージ」とは真逆の役に挑んだ時だった 彼の背中を押したのは、いわゆる王道の二枚目ではなく、悪役やコメディーといったギャップのある役柄だった 「こういうのもできる」と示し続ける中で、ようやく少し見てもらえたなって思えたと語る つまり評価を勝ち取ったのは外見ではなく、演技そのものだった 転機は1994年、主演映画「凶銃ルガーP08」 決して大きな規模の作品ではなかったが、阿部にとっては俳優人生を変える1本になった 「その時にいろんな習い事、アクションとか習ってたんで、それで評価されたのはすごくうれしかった」と当時を振り返る 「これはやっぱり演技で勝ち取ったんだなっていう風に思えた そこからですね、変わっていったのは」と、彼ははっきり言い切る ようやく評価の土台が「見た目」から「中身」へと移った瞬間だった 今の阿部の芝居には、重厚さとユーモアという2つの軸が共存している 深い闇や痛みを抱えた人物を演じるとき、観る者の心を震わせるシリアスな存在感を放つ一方で、彼は唯一無二のコメディーセンスも持っている 大真面目な顔のまま、状況のズレからじわじわ笑いを生むあの空気は、まさに阿部ならではの武器だ 「真顔でやればやるほど、その役に徹して、状況がおかしければ真剣にやってても笑える」と自ら分析するように、彼はふざけないことで笑わせる 狙ってウケを取りに行くのではなく、その人物としてそこに必死に生きる だからこそ観客は「この人ほんとにいる」と信じ、同時に笑ってしまう 阿部は「コメディーってやっぱり人に受け入れられるっていうのが圧倒的に強い」と語る 人は笑いに対して自然と心を開くからだ、と彼は知っている 緊張と緩和のギャップが生まれることで、観客との距離は一気に縮まる 重いテーマも、笑いによって届きやすくなる これは演技の技術というより、人間に対する感覚の話だ SNSと距離を置く俳優 最新ツールは日常で使いこなす生活者 役の中では徹底的に生き、外では必要以上に語らない大人 その全部が1人の中で破綻せずに共存しているからこそ、阿部寛61という存在は今も圧倒的な説得力を持ち続けている 「いろんな役をやりたいから 自分を決めたくない」 阿部のこの言葉には、まだどこにも定義されていない次の阿部寛が、すでに動き始めている気配がある 動画をご覧いただきありがとうございます 最新の動画や関連トピックの情報をご覧いただくには、チャンネル登録をお願いいたします

【独占告白】阿部寛がSNSをやらない“たった1つの理由”が想像の斜め上

SNSの炎上で日常が崩壊していく男を描く映画「俺ではない炎上」で主演を務める阿部寛61は、台本を読んで「こうやって人間が追い込まれていく時代なんだな」と感じたという。現代のネット社会そのものを映した作品は、明日は自分も標的になるかもしれないという不安を観客に突きつける。
一方の阿部本人はSNSをやらない主義だ。「俳優だから、演技で見せればいいなって思ってる」と阿部は語る。私生活が見えすぎると、作品の中でも役ではなく本人がしゃべっているように見えてしまい、没入感が壊れるという。だからこそ自分の素顔をむやみに出さず、役そのものを前に出す。これは彼の俳優としての矜持だ。
阿部は私生活ではチャットGPTなどの最新テクノロジーも使いこなすが、露出の線引きはあくまで自分で決める。モデル出身の20代には見た目だけの役が多かったが、1994年の主演作「凶銃ルガーP08」などで演技を評価されて流れが変わった。今も「自分を決めたくない」と語り、幅広い役への挑戦を続けている。
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