【満州国】大陸に日本人が作った幻の首都・新京を歩く【長春】
中国、吉林省、長春。 一見ただの地方都市ですが、ここはかつての満州国の首都、新京。 今も当時の日本人が作った建物がたくさん残っています。 今回は満州国に焦点を当てながら、
この魅力あふれる歴史の街を歩いてみました。 どうぞ! いやーどうも、みなさんこんにちは。 ハリマヤです。 さあ、昨日の夕方に中国最北端の駅バクガを出まして、ただいま朝の6時過ぎ、
斉斉哈爾駅に到着しました。 斉斉哈爾は中国最北端の100万人都市と言われていまして、この列車自体はハルビンまで行
くんですけど、結構な人数がおりましたね。 で、なんで私この斉斉哈爾駅で降りたかって言いますと、早速駅前にですね、
満州国時代の建物が残っているからなんです。 出口とね、デカデカと書かれた斉斉哈爾駅の出口なんですけど、こっちがね、
現在の斉斉哈爾駅駅舎で、 あちらがですね、旧満州国時代に日本が作った駅舎なんです。 こうして間近で見ますと、なんだかね、こう日本の九段下あたりにでもありそうな、
まあそういった雰囲気がありますが、 まあ現在では当然なんですけど、 中国共産党バンザイ、毛沢東思想バンザイとね、共産化されております。 まあそれでもね、今でも残してくれていることがね、嬉しいですね。 まあただ、今年でね、地区97年だったかな、なんで、さすがにちょいちょい年季が入って
いるような感じがしますね。 まあそれでもね、綺麗によく維持されていると思いますよ。 道路の向こう側まで来てみました。 まあやっぱりこう見比べてみますとね、右の新しい駅舎の方が、まあ大きくて立派ではある
んですけど、 風格はね、左の方が断然あるかなという感じがしますね。 まあちょっとね、地が地産気味かも、地が地産だけど、地獄地産気味かもしれませんけどね。 で、まあこちらは斉斉哈爾駅のすぐ近くにある、まあ非常に風格のある採鉄品館ですね。 これはですね、満州国鉄の直営ホテルかな? 直営ホテルとなります。 なんでね、この建物も、
築100年くらいはね、あるのではないでしょうか。 まあただ、この扉なんかはちょっと綺麗すぎますし、
それにこの明かりもですね、 このデザインがいかにも共産主義っぽいので、 おそらくね、
後世になっていろいろ改変はさ れて いるんでしょう。 いやー、いきなりね、満州国時代の建物を2つ見れてね、 まあすごい感動しているんです
が、 まあ今回のメインは何と言っても長春ですから、 そろそろね、 斉斉哈爾を離れて長春の方に向かっていこうと思います。 次に乗ります列車は斉斉哈爾駅ではなく、斉斉哈爾南駅から出発するので、
タクシーで移動しましょう。 いやー、しかしね、寒いですね、日陰にいると。 結構ね、南に来たとは言ってもね、冷静に考えると、 まだまだ湧かないより北ですからね。 いやー、そりゃ寒いか。 おそらくね、気温12,3度かなと思います。 先ほど言いましたように、斉斉哈爾は中国最北端の100万人都市なんですが、
まあそこまでめちゃめちゃにぎわっているわけでもないですね。 もちろん、バクガとかに比べたら大都会ではあるんですけど、 北京とか上海に比べると、
まあ全然地方都市ですね。 日本で言うと、旭川みたいな雰囲気かもしれません。 おー、見えてきた。 あれが斉斉哈爾南駅です。 中国の駅は本当にエントランスがでかい。 もうほとんど空港ですよ。 高速鉄道が発着するだけあって、さすがに駅も立派です。 こちらの駅の開業は2015年でして、 北陸新幹線の金沢開業とほぼ同じですね。 待合室にあるハンバーガーショップで朝食にしようと思ったんですが、
セットで900円、単品でも400円を超えると。 いやー、中国の物価は思ったよりも高いですね。 というわけで朝食はコンビニで売っていたチョコパンにしました。 外国の菓子パンって味が変なことが多いので心配だったんですけど、
全然大丈夫。 とても美味しいです。 さあ、改札が始まりましたのでホームに向かいましょう。 これから乗りますのはD512列車で、 ハルビン長春を経由して、
琿春市まで向かいます。 終点まで6時間かかるため、 日本人の間隔ですと非常に長いんですけど、
中国の高速鉄道としては普通くらいでしょう。 目的地の長春まではおよそ3時間の道のりとなります。 先頭車両は係員に静止されて撮れなかったんですが、 車内はこんな感じです。 多分この車両はフランスのものをベースにしているんですが、 車内の雰囲気は日本の新幹線
E2なんかにそっくりですね。 さあ、ただいま、ほぼ定刻で斉斉哈爾南駅を出発しました。 実は今回斉斉哈爾を訪れた理由はもう一つありまして、 こちらの斉斉哈爾南駅が中国最北端
の高速鉄道の駅なんです。 今ではね、中国各地、津々浦々を走っています高速鉄道のね、
北の果てがここになるわけで して、 まあやっぱり私含めた旅人というものはですね、
北の果てという言葉に弱いです から、 ここはね、ぜひとも来てみたかったんですよね。 そして少し走りますと、窓の外には、 まさに北の大地といった感じの広々とした穀倉地帯が
広がります。 ここがまさに土地の少ない日本人が追い求めた夢の大地、 満州国の跡ですよね。 車窓の奥にもう一本線路が見えてきましたが、 あれは在来線の線路ですね。 ちなみに先ほど乗っておりました漠河からの列車は、 斉斉哈爾からハルビンまで3時間
ほどで移動するんですが、 ただいま乗っている列車だと1時間半、 まあつまり半分の時間で移動できます。 半分の時間と聞くと、さすがに高速鉄道は早いなと思うんですが、
こちらの列車の平均速度が時速240キロだとしたら、 在来線の平均速度は120キロ。 在来線も結構早いんですよね。 まあやっぱりこれだけ土地が平均ですと、 カーブとかもありませんからね、
全然。 最高速度のまんま全くスピードを落とさずに運転できるんでしょうね。 いやー本当にね、思った以上に土地が平均でして、 地平線しか見えませんよ。 土地の規模感が何もかも違います。 さあ間もなくハルビンまでの中間くらいにあります大慶の街なんですけど、
こちらは油田が非常に有名でして、ご覧の通りね、 たくさんの湯、 油と井戸の井と書いて油井がですね、広がっております。 日本もですね、秋田市あたりで同じ光景を目にすることはできるんですが、
さすがにここは規模感が違いますね。 大慶油田は高校の地理の授業で習った記憶がありますので、 こういう風に目の前に広が
っていますと、 伏線回収みたいな感じがしまして、非常に面白いですね。 さあそう言っていると大慶駅に到着です。 向こうに止まっておりますのが、多分今乗っているのと同じCRH5A型ですね。 フランスからの技術をもとに、中国の長春機動客車が作った車両で、
最高時速は250キロと、まあそこまで速くはありません。 乗り心地については、まあ特に感想がないと言ってしまえばそれまでなんですけど、
普通に快適な車両だと思います。 さあ、大慶を出てからしばらくしますと、巨大なビルが見えてきましたが、
あちらがですね、国竜交渉のショートでありますハルビンでございます。 どうやら、こちらの川を渡って町に入っていくようですね。 なんだか、淀川を渡ってですね、大阪に入っていくような、まあそういった雰囲気を感じ
ます。 こちらのハルビンの町は、ロシア人が作ったと言っても過言ではないため、
あのように西洋風の建物がね、町の各所に残されています。 そのため、観光も非常に面白い町ではあるんですが、 今回は時間のすご上、
なくなく通過します。 ほう、建物の壁にね、ウルトラマンとマジックカイトかな、がありますね。 まあなんかね、中国だとウルトラマンが人気らしいんですよね。 まあ日本でももちろん人気ではあるんですけど、 ズバ抜けてるというほどではないのでね、
なんで中国でここまで人気なんだろうな、不思議ですね。 いかにもロシアっぽいね、タマネギ型の境界が見えております。 もうね、駅に到着するんですけど、駅前にああいう建物があるのはね、
さすがハルビンですね。 で、こちらのハルビン駅ね、ホームがなかなか良くてですね、ご覧ください。 屋根がね、実にヨーロッパ風なんですよね、この鉄骨の曲線なんかがね。 中国の鉄道駅って大きくて立派なんですけど、全国ね、結構どこでも同じなんですが、
このハルビン駅はね、かなり特徴があるね、駅舎となっております。 さすがに大都会ですから、半分くらいの人が入れ替わったかな。 一層賑やかになった車内なんですが、相変わらずの大平原の中をですね、
一路長春に進んでいきます。 長春、暖かいですね。 斉斉哈爾とはね、全然違います。 たまに24度かな。 ギリギリ半袖でも行けるくらいですけど、 まあ長袖の方がね、ちょうどいいくらいの気温だ
と思います。 いやー、さすがに長春駅は、 でかくて立派ですね。 省都なだけあります。 というわけでね、地上まで出てきました。 で、今回ですね、ここを訪れた理由は、 ズバリ満州国観光。 この長春市はですね、かつて新京と呼ばれていまして、 まあ満州国の首都として扱われて
いました。 そのため、当時のね、日本人が作った建物なんかが結構たくさん残っておりですね、
まあ今回はその辺の建物を中心に巡ってみようと思います。 で、まず早速行きますのが、あそこに見えております。 旧大和ホテル、長春、じゃないな、新京支店ですね。 大和ホテルとは、当時の南満州鉄道が、その鉄道の沿線沿いに作ったホテルチェーンにな
ります。 あちらね、1907年から始まってるみたいに書いてあるんですけど、
ウィキペディアにはね、1910年って書いてありましてね、 どっちが正しいんだろうな。 ちゃんとね、長春市歴史建築、大和旅館って書いてありますね。 うーん、入り口からして重厚な感じだ。 ちゃんとね、日本語でもこのように解説があります。 今回はね、こちらには止まらないんですけど、 フロントの方に聞いたら、
ああ、見学していいわよということだったんで、 中を見させていただきます。 ロビーにあります、スーパーでかいシャンデリアも当時のものらしい。 そして真ん中の代理席作りの階段を上がりますと、 ステンドグラスがありますが、
これも戦前からのものでしょう。 非常に勝者なデザインでして、 これも日本にあったら、何かの文化財指定を受けていてもお
かしくないかもしれません。 で、ここを180度曲がりますと、2階に行くわけです。 何やらね、すごい立派な鏡があるんですけど、これはただものではないぞ。 中国語の説明なんで、少し自信はありませんが、 おそらくこれは溥儀が使った鏡のよう
です。 溥儀は、清の最後の皇帝、いわゆるラストエンペラーにして、 満州帝国の皇帝でも
あります。 まあ、アジアの近現代史を語る上で、絶対に外せない人物ですね。 この鏡の前、私が立っているうちに、その溥儀がいたというのはね、
いやー、歴史のロマンを感じますね。 エレベーターの入り口もやたらすごいですね。 当時エレベーターあったのかなと思うんですけど、 おそらく時代的にあってもおかしくは
ないですね。 奥は客室が続いておりまして、 さすがに改修は入っていそうですが、
この高い天井と木の壁がね、すごい重厚ですね。 欧米からの来訪者をもてなすというのも納得の凄さ。 あ、ただ上に客房奥って書いてあるんで、 現在使われている客室はあそこから奥だけらしい
ですね。 そしてこの辺り、急に天井が低くなったので、 おそらく増築部分でしょうかね。 当時作られた客室にはね、残念ながら止まれなさそうな感じです。 だいたい見終わったので、そろそろ出ようと思うんですけど、 改めて見ても、
このステンドグラスはすごいですね。 よく見るとね、ところどころ割れたりとかはしているんですけど、
しかしそれでも綺麗に補修されております。 お、下に説明が書いてあるな。 いやー、いい建物でしたね。 正直そこまで広くはないんですけど、 それでもね、随所にね、当時の技術、
金格が詰め込まれていてね、感動しました。 お次はですね、先ほども出てきました、 溥儀のね、宮殿、満州国、
高宮に行きます。 まあ地下鉄で行ってもいいんですけど、 この道すがらにね、
当時の満州国の建物があるので、 いくつか立ち寄ってから行ってみようと思います。 これこれ、この神殿みたいな建物がね、 旧横浜正金銀行ですね。 すごいちゃんとね、あの門の上、 横浜正金銀行って今でもしっかりと書いてあります。 まあただ今これは何かに使われているという感じではないんですかね。 なんかカーテンみたいなのはあるんですけど、 特に門は開いていないし、
まあもしかしたら特に保存とかも保護、保護はされているのかな。 でも何かに使われているというわけではなさそうですね。 いやでもおそらくあっちに並んでいる建物も満州国時代のものですので、
いや、この辺りの通りの風景は当時にかなり近いんじゃないでしょうか。 間近で見ても保存状態が非常にいいですよね。 地震とか台風がないのもそうなんでしょうけど、 まあ大切に管理されているんでしょうね。 おー、でもすごいな。 本当に当時の建物が結構残っているように思いますよ。 へー、こんな感じなんだ。 さて、次の目的地である偽満皇宮博物館。 まあ、満州国の宮殿の跡地にね、向かっているんですが、 あそこに見えておりますのも、
確か満州国時代の銭湯だったはず。 ああいった感じで普通に満州国時代のものが残っているんでね、 なんかこう、
長崎とか神戸とかね、そういった街を見ているかのような、 まあそういう気分になります ね。 着 きました。 こちらが偽満皇宮博物館の入り口になります。 いやー、めちゃくちゃ広いですね。 まあ、この博物館真面目に見たらね、半日くらいはかかるらしいんですけど、
時間の関係上、ちょっと2時間くらいでささっと見ようと思います。 サービスカウンターのモニターが、やたらハイテクですごいな。 こちらがチケットカウンターですね。 入場料は1人70元なんで1500円くらい。 まあ、結構高いですが、まあ歴史的なことを考えると妥当だと思います。 まあ、それにね、こちら無料のロッカーもあるんですけど、 ちゃんとね、
日本語での案内もあるんですよ。 ありがたいですね。 よーし、では入りましょう。 偽満皇宮博物館です。 おー、早速見えてきましたが、 あちらが実質的な宮殿であった同徳殿ですね。 和、洋、中の様式をね、組み合わせていまして、 すごい独特の外観をしています。 あちらのね、破風なんかは明らかに和なんですけど、 軒先の竜なんかはね、
中国ですよね。 で、縦長の石造りの壁は洋と。 いやー、すごいな。 さあ、玄関を入りまして、最初に広がるのが、 こちらの広間ですね。 まあ、映画ラストエンペラーでも何回か登場する、 見覚えのあるね、
方も多いかと思いますが、 まあ、正直に言いますと、そこまで広くはないんですよ。 ちょうど品とかは立派なんですけどね。 広場の奥には何やら凄そうな部屋があるんでね、 ちょっと行ってみましょう。 こちらのやたら立派な部屋は、 越見室のようですね。 オフィシャルな外交儀礼はここでやる予定だったらしいんですけど、
まあ、こちらの同徳殿の完成が1938年なので、 もう日中戦争真っ只中ですから、 まあ、実際にはここが使われることはほとんどなかったらしいです。 こんなに立派なのにね、もったいないですね。 いやー、早速ね、もうリアル映像の世紀みたいなね、
光景に圧倒されているんですが、 こちらの建物も面白くて、 ほとんど日本風なんですけど、
ところどころ日本じゃない みたい なね。 例えばこの壁の黄色なんかも、 多分中国のデザインなんじゃないかなと思うんですけどね。 建築に明るかったらね、 こういうところも語れるんでしょうね。 いやー、悔しいな。 先ほどの大和ホテルよりも立派な廊下の上にはね、 これまたなんというかこう、
岩を薄くして光を透かしているような、 すごい上品なシャンデリアが飾ってあります。 で、こちらが溥儀の大瀬妻ですね。 こっちもね、そんなに使われなかったらしいんですけど、 これ天井がすごいですね。 折り上げ豪天井というですね、 日本だと二条城なんかで見ることはできますが、
とにかく日本風の非常に格式の高い天井になっておりまして、 で、 こちらの文様がですね、 なんかどことなく菊の御文に似ていまして、
いやー露骨ですね。 溥儀はこれ嫌だっただろうな。 だからあんまり使っていなかったのかもしれませんね。 こちらは溥儀の寝室なんですが、 日本軍の盗聴を恐れて実際には使っていませんでした。 盗聴に怯えなきゃいけなかったというのはね、 溥儀の立場の良さをよく表しています。 さらにこちらは溥儀の4番目の妃の部屋、 李玉琴さんの部屋なんですけど、
こちらの方は戦争後も生き延びまして、 亡くなったのは2001年。 ラストエンペラーと聞くとすごい昔のように思えますが、 実際は1、
2世代前の出来事でしかないんですね。 いやーしかしこの建物を思ったよりも日本の影響が強いですね。 満州国が傀儡国家であることは知っているんですけど、 ここまで影響が強いとは知りません
でしたね。 これはね、あの、ただいま1階まで降りに来たんですけど、 これは和室ですね。 ちゃんと畳まで敷かれていて、 すごいしっかりしているんですけど、
こういう部屋まで作っておいて、 満州国は傀儡ではなかったという方がね、 無理ですよね。 さてこちらは1階の外に面したビリヤード室ですね。 どうやらね、ここで溥儀はビリヤードをやっていたらしいんですけど、
説明文がね、なかなか面白くて。 暇の時、溥儀はビリヤードを楽しむことが好きなので、ビリヤード室を設けた。 溥儀はしばしばここで宮廷の中の学生たちとビリヤードを楽しんでいたが、
学生たちは溥儀の機嫌を取りよう、わざと負けを認めることが多かった。 まあ要するに溥儀が裸の王様であったことをね、
表しているんですけど、 この建物は中国政府が管理していますので、 ちょいちょいこういう溥儀を小バカにしたような
説明になっております。 いやー面白くてね、すでにこの建物だけで1時間くらい見ていますね。 早く次の展示に行かないと、時間が足りなくなる。 廊下には昔の写真が展示してありますが、いやーこの建物よく今まで残っていますよね。 終戦の時にね、燃やされてもおかしくはないと思うんですけど。 どうやら終戦後しばらくは博物館として使われていたらしいですね。 まあ 木造でもないので、意図的に壊そうとしなければね、特に壊れなかったんでしょうね。 それでも一時期は屋根もね、草ぼうぼうだったらしいんですが、 ちゃんと修復されて今に至
っていると。 こういう展示見るの結構面白いんでね、興味深いですね。 奥には皇帝から公民へとね、書かれた展示室がありまして、 どうやらこれが面白いらしい
んでね、非常に楽しみです。 うわ、早速ね、こちらの入り口の看板。 ちゃんとね、日本語でもこういう説明がありますが、 中国政府はこの民族を裏切った犯罪人。 罵倒がすごい。 先発が炎上した何時へでもここまで罵倒はされないでしょう。 こういう風に中国政府の意図がたくさんある文なんでね、 ぜひとも一時停止して読んでみて
ほしいですね。 さてではね、皇帝溥儀の数奇な人生をたどる展示にね、出発です。 まず溥儀は1906年生まれて3歳で真の皇帝として即位します。 こちらにあるのはロンパオという皇帝のみが着用を許される服です。 この時の真は欧米列強からの侵略を受けて、 真が侵略を受けて崩壊寸前でした。 西大后によって即位させられたものの、もちろん実験は全くありません。 溥儀はこの時からお飾りの皇帝だったわけです。 そして即位からわずか3年後の1912年、 辛亥革命によって真は滅亡。 溥儀は始皇帝から続く中国王朝最後の皇帝となりました。 しかしそれでも紫禁城に住むこと自体は許されていたんですが、 北京政変によって紫禁城も
追い出されます。 溥儀一家が向かったのは天津。 当時の天津は日本やフランスをはじめとした列強の疎開がある国際的な街でした。 溥儀はフランスやオランダの疎開に向かったんですが断られ、 結果的に日本の疎開に転がり
込むことになります。 溥儀にとってこの天津の日本疎開で過ごした7年はすごい幸せだったらしく、
ゴルフを楽しんだり、木崎遠行との楽しげな写真なども多数残されています。 しかしそんな生活も1931年の満州事変で終わりを迎えます。 瞬く間に関東軍は満州を占領し、満州国を建国します。 そして中国や欧米列強からの批判を交わすために溥儀に元首への就任を依頼、
皇帝に復位するほど夢見ていた溥儀はこれを開拓し、 1932年3月9日、 溥儀は満州国の失勢になりました。 そして建国から2年後、ついに皇帝に帰り咲き、皇徳帝となります。 こちらの神教で即位した溥儀ですが、最初は先ほど見ましたロンパオの着用を求めるものの、
後続共和を掲げる日本側に拒否され、結局は軍服で即位式に臨んでいます。 皇帝なのに即位式の服すら自分で決められない。 溥儀が関東軍の傀儡であることは誰の目にも明らかであり、 そのことは溥儀自身も認識して
いたようです。 ちなみに満州国には満州国円という独自の通貨があったんですが、
それは日本円と全くの同価値で、こちらの神教でも日本円が流通していたようです。 もうほとんど国外領土みたいなもんですね。 1945年の終戦により満州国は崩壊。 溥儀はソ連の捕虜となります。 そして中国に送り返され、撫順というところで思想改造を受けます。 映画のラストエンペラーはここでの取り調べに溥儀が自分の人生を供述するという形で、
物語が進んでいくために記憶している方も多いのではないでしょうか。 そして最後は皇帝から普通公民となり、溥儀は釈放されます。 やはり文化人であることは間違いないので、歴史の委員会などに所属したりとか、
全国政策委員という日本で言います国会議員のような職業に選出されたりとかもしました。 こういった非常に楽しげな写真も残っています。 本人がどう思っていたのかは定かではありませんが、 まあでも滅亡した国の王様というのは
大体殺されていますので、 それを思うと生きてるだけでね、十分すごいですよね。 そして1967年、60歳で死亡します。 いやーすごかった。 たとえ皇帝であろうと時代の流れには逆らえない。 まあそんな無情感を感じる溥儀の一生でした。 いやーよかった。 相当満足したんですけど、 まだまだね、一つの建物を見ただけなんでね、
他の場所も見ないといけないんですよ。 いやー面白すぎるなーここ。 素晴らしいですね。 こちらは勤民楼といいまして、 溥儀が主にデスクワークをしていたのは、
こちらの建物になるようです。 2階には越見のままありますが、 先ほどの道徳殿に比べると少し古い建物ですので、
若干中も簡素な感じがしますね。 ほんほんほんほん。 最初はやる気を出していたが、 傀儡であることを悟ってあまり来なくなったと。 かわいそうすぎる。 会社とかでこんなことになったらもうやめちゃいますよ。 まあでも工程だからやめるにやめられなかったんでしょうね。 さあ次行きますのはね、 こちらの御用防空洞。 まあ要するに防空壕です。 全て鉄筋コンクリート作りで、 なるほどなるほど、直撃までも耐えられたと。 まあ満州国の末期には、ここまで爆弾というか米軍の爆撃機がやってきたんでしょうね。 まあそれでここも何とか使われたんでしょう。 おお、中入れるんだ。 おお、結構深い、思っちゃうより深いと。 いやー正直雰囲気良くないですね、ここ。 重苦しいわ、なんか全体的に。 この、デカすぎる扉は一体何? あ、中入れる。 ああ、なるほど、なるほど。 この中に避難していたんだ。 いや、でもここ、これ今扉閉められたら、私はもう一貫の終わりですよ。 いやーすごい場所だったな。 あんまりね、満州国第二次世界大戦で出てきた印象はないんですけど、
やっぱり空襲とかあったんですね。 いやーよかったよかった。 大満足。 まあやっぱりね、溥儀の人生自体がすごい数気で、まあ興味深いんでね。 まあその人が住んでいたここが面白くないわけがないんですよね。 まあ日本人が来てもね、すごく満足できると思います。 よかった。 ちょっと時間が欲しいんでね、こちらのサービスセンターに隣接しているレストランで、
昼ご飯としましょう。 見た感じでね、朝鮮料理っぽいんですよね。 26元の朝鮮冷麺です。 ちなみに甲羅は5元。 ただいまタクシーで移動しておりますが、 実は先ほどの義満工具博物館は長春の外れの方に
ありまして、 まあ今はね、町の中心部の方に向かっております。 で、今から見たい建物がですね、ちょっと大っぴらにね、歩道からは取れない建物でして、
まあタクシーの中からね、撮影を試みます。 さあさあさあさあ、植え込みの向こうに、見えた! あの城みたいな建物が、旧関東軍の司令部ですね。 現在は共産党の吉林省委員会になっておりまして、気軽に撮影できないんです。 私ね、城好きなんでね、ぜひとも見てみたかったんですけど、 タクシーからね、
無事見ることができましたよ。 よかったよかった。 まあただこのタクシーはね、共産党の建物見たいだけではなくてですね、
今から向かいますのは旧関東軍の司令官邸宅です。 現在は長春を代表する松園賓館というホテルの中にあります。 さあ見えてきましたが、こちらが泣く子も黙る、あの関東軍の司令官の邸宅跡となります。 やっぱりね、軍人の邸宅だけあって、どことなく西洋の城っぽい雰囲気がありますね。 まあただ立派ですよね、本当に。 先ほど見ましたね、溥儀の皇宮よりも。 いや、
まあさすがによりもってことはないか、でもね、それに匹敵するような、 すごい立派さです。 中は改装工事中なんすかね。 おお、玄骨関係。 まあさすがに工事中なんでね、中には入れなかったんですけど、 いや、
外観だけでもね、十分ですね、これは本当に。 まあ現在はね、レストランなんかとして使われていたらしいんですけど、
まあ現在はやっぱり改装中のようですね。 まあ相当中はね、年季入ってるでしょうからね。 まあでも取り壊しとかそういう感じではなさそうです。 さてこれまでね、宮殿とか司令部とか、まあ公的な建物ばっかり見てきましたが、
次行きますのは、東本願寺の跡です。 おおー、確かにこれは日本のお寺ですね。 こちらが東本願寺新京別院ですね。 いやー、これまでね、なんかこう和洋中、節中みたいな建築ばっかり見ていたんですけど、
これは本当にもうコテコテの日本建築ですね。 いや待てよ、なんかこうコテコテの日本建築と言ったんですけど、
壁とかの雰囲気は若干中国風なのかな。 なんか日本のやつよりだいぶ分厚い気がしますが、 まあこれはおそらく日本のお寺は木造
で、ここは石造りだから、まあそういった関係で太くなっているだけでしょう。 まあただですね、屋根に草なんかも生えていて、もて余してる感がすごいですね。 まあさすがにここまでこうコテコテの日本建築だと、 何かに転用するというのも難しいんで
しょうね。 博物館とかになるのかなと思ったんですけど、まあそういった感じもなさそうです。 というかね、私が今いるところ、入っていいんでしょうかね。 うーん、それにしても中国の街並みと日本の寺が絶妙にマッチしていないのが面白いですね。 なんか脳みそがバグる。 開拓地っぽい雰囲気も相まって、北海道にいるみたいな感じですかね。 いやー、しかしね、本当に歩いているだけで、 次から次へと、昔の満州国時代の建物が出て
きます。 こちらが人民広場ですね。 長春のまさにど真ん中に位置している巨大ロータリーなんですけど、
いやー、これをね、昔の日本人が設計したというのがすごいですね。 多分あそこに見えている建物や、こちらの建物も満州国時代のものでしょう。 で、そんなね、人民広場の真正面にあるのがこちらの。 このすごい建築ですよ、これまた。 こちらの旧満州国の中央銀行の跡です。 ちゃんとね、ここに石碑も立っていますね。 偽満州国中央銀行を旧市。 今では中国人民銀行という、なんか多分ね、中国の中央銀行、中国銀行なんですけど、
ちょっと違うのかな。 まあ、とにかく中国人民銀行という建物になっているそうです。 扉とかも非常に立派なんですが、中入れるかな。 ちょっと入ってみたいですね。 うおー、すげー。 このベンチなんかも、歴史の重みを感じます。 というか、シンプルに重そうは大理石ですからね。 なんか、撮影しちゃダメって書いてあるんですけど。 まあ、みんな撮ってるから、まあいいでしょう。 まあ、そんなズームとかね、したり、あとガンガン撮影するのはダメそうですけどね。 わが輩は猫であるで有名な夏目漱石もですね、この新京、長春に来ているんですけど、
まあ、その時にですね、まあ建物がものすごく立派で、ロンドンとかベルリンみたいだ。 東京にもこんなものはないっていうね、感想を残しているんですけど。 いやー、まさにこの建物はね、そんな感じがしますよね。 まあ、ここに立つとね、本当に当時の夏目漱石の気持ちをね、追体験できます。 こちらどうやら観光バスのバス停らしいんですけど、 軽く見ただけでもこれだけの満州国時
代の建物がありますからね。 いやー、これ全部見るのはさすがに不可能ですが、 まあ、見どころの多いところをね、
順に追っていきましょう。 さて、タクシーを使って2分ほどで到着しました。 ここは牡丹園でございます。 牡丹園はですね、満州国時代からある、 まあ、牡丹がたくさん割っている花園なんです
けど、 そこにあるのがね、これですよ、これ。 ジンムデンと言います。 まあ、見ての通りのね、コテコテの日本建築なんですけど、 もうちょっとオブラートに詰め
よって感じがしますよね。 ジンムデンって、さすがにね、日本を出し過ぎですよね、名称に。 それなりに維持管理はされてそうですけど、 何かに使われているという様子もなさ
そうですね。 こちらの牡丹街の北側にある住宅街が、なんとなく日本風なんですよね。 なんというか、2階建ての漢字とかがですね、なんとなく昭和感があるんですよ。 ちょっと手元の資料だとわからなくてですね、
まあ、もしも知っている方、 もしくはここに住んでいた方とかね、 いらっしゃいましたら、
コメントなどで教えてくださ る と助かります。 さて、これまでね、ホテル、宮殿、寺、銀行など、
まあ、いろいろ回ってきましたが、 肝心のね、 満州国の政府機関はどこにあったかといいますと、
この先にありますので、 今から行ってみましょう。 さあ、到着しました。 文化広場です。 まあ、この文化広場はね、何かといいますと、ここにね、満州国の宮殿ができる予定でした。 まあ、じゃあ、先ほど行きましたね、あの、偽満皇宮は一体何だったのかといいますと、
あれはね、仮の宮殿でして、本ちゃんはね、ここに作る予定だったんですよ。 ただですね、太平洋戦争中、1940年代に建設を始めた結果ですね、
皆さんご存知の通り1945年の8月に満州国はあえなく崩壊しましたので、 基礎までしか完成できずね、結局今はですね、あちら、吉林町の地質博物館がですね、
その残された基礎を利用して建っております。 まあただ、宮殿予定地の目の前にはこのように大きい通りが通っておりまして、
あちらに見えておりますのが満州国、国務院、あと、まあ要するに満州国の国会ですよね。 あれ、見に行ってみましょう。 いやーすごい、さすがに国会は立派ですね。 本当にね、あの屋根がね、瓦になっていること以外は、日本の衆議院みたいな、
衆議院とか日本の国会みたいな、それくらいの重厚さがあります。 まあ現在ではね、なんか病院、吉林大学かな? 吉林大学の病院に使われているらしいんですけど、中入れないかな? 入れたらね、結構凄そうなんですけどね。 うーん、門がね、もうピッチリ閉じられていまして、さすがに中入りそうではありませんね。 まあでもこの外観を見れただけでも大満足。 すごい建築です。 で、こちらにあります、これまた城みたいな屋根の建物が、満州国の軍事部跡ですね。 吉林大学、なんとか第一院。 うーん、この屋根なんかはね、完全に日本風なんですけど、あちらの模様は一体どこの模様
なんでしょうね。 もしかしたらモンゴルとかの模様かもしれませんね。 うーん、いや、それにしてもね、道が広いです、本当に。 いやー、大陸っていいですね、土地が本当にあってね。 日本だったらね、この辺の駐車場なんかもね、もう全部地下になってるでしょうね。 うーん、なんて言ってたら、ここの駐車場も地下になっていました。 まあ場所あるように見えて、まあやっぱり車で来る人も多いから、
全然足りないんでしょう。 まあそれにここに限らずなんですけどね、中国の街って結構街路樹があることが多くて
ですね、歩いていて気持ちがいいんですよね。 まあ日本ですとね、最近街路樹なくす方向に進んでいるんで、
まあそこがちょっと残念では ありますが、 まあ日本は日本でこう維持管理費とかね、
あと街路樹ってほっとくと道路ボコ ボ コになるじゃないですか。 まあ、そういうことのせいでね、日本ではなかなかこれだけの立派なね、
街路樹というのは見ることができないんですけど、いや、この新京じゃない、 長春のね、街路樹は本当に美しいと思います。 いやー、綺麗ですね。 このね、秋空も相まってね、永遠に歩いていられそうです。 本当に気持ちがいい季節です。 さあ、というわけでね、到着しました。 こちらがね、満州国四方部の跡です。 いやー、これもね、さっきの国務院に負けず劣らずの非常に立派な建物なんですけど、
こちらも現在はですね、キツリン大学の医学臨床部って書いてありますかね。 まあ、医学関係の建物として利用されております。 で、その四方部の反対方向にありますのが、満州国の経済部と。 まあ、ただこの建物はだいぶこう、なんというかシンプルですよね。 屋根もね、あそこにしかなくて、非常になんというか、典型的な役所っていう感じがします。 ただ、あれですね。 あの屋根よく見たら、和風じゃなくてね、中国風になっていますね。 まああの、満州国というのはですね、五族協和を歌っていまして、
まあ、日本人、まあ、大和族、朝鮮族、藩族、まあ、これ中国人ですね。 あと、満州族とモンゴル族。 まあ、この五族が共和してね、まあ、
一緒に国を作っていこうというのをスローガンにして いたんですけど、 まあ、おそらくその影響で、まあ、
経済部の屋根はね、 ちゃんと中国風になっています。 まあ、もっともですね、この五族協和というのがですね、
まあ、なんと言いますか、 本当に、まあ、スローガン、 絵に描いた文字でありましてね、 まあ、
実際は日本人が圧倒的に優位だったということは、もう言うまでもないことであります。 さあ、そろそろ夕方になってきましたので、次が最後の行き先なんですけど、
まあ、実は新京にはですね、いろいろと路面電車が張り巡らされておりまして、 その一部の路線が現在でも生き残っているんです。 お、この辺からね、出ているはずなんですけど、 おかしいな、何もないぞ。 いや、待って待って、ちょっと待ってくださいよ。 この車の下にあるの線路じゃないですか。 え、マジで? まさか廃線になった? いや、そんなことはないはずなんですけど、 まあ、けど紛れもなく、
これを配線ムードが漂ってるな。 ああ、ただ、あの辺、なんかいますね。
ああ、よかった、よかった。 動いていそうですね。 いや、焦りましたね。 廃線になったかと思いましたよ。 去年あたりまで動いてるって情報はあったんでね、 まさかとは思ったんですけど、
いや、よかったです。 なんというか、こう、先ほどまでと打って変わって、 周辺の雰囲気がめちゃめちゃローカル
になりましたね。 おー、素晴らしい。 これおそらく昔の車両だと思います。 なんか古そうな車両なんですけど、めちゃめちゃ改造されてそうな気もしますね。 ああ、でも向こうから、本当に古そうな車両がやってきましたよ。 やってきましたのは200系。 日本車両が戦前に製造しました、正真正銘満州国時代からの生き残りです。 あら、なんだ、あれには乗れないのか。 いやー、残念。 まあでもね、姿を見れただけでも、よしとしましょう。 現在主に運行されているのは、こちらの900系車両となります。 さあ、発車しましたが、はっきり言って乗り心地はあまり良くないですね。 うるさいし、座席も硬いし、車内は暗いし。 もうちょっとなんとかならなかったんですかね。 こちらの路面電車は、設備自体はかなり改修されていますので、 路線以外、
日本時代、じゃない、満州国時代の様子はほとんどありません。 そしてその路線もですね、別に前線残っているというわけではなく、
満州国時代の線路はここまでで、このカーブから先は、 戦後に建設された区間となります。 市街地の端っこを通っているので、誰が使うのかなと思っていたんですけど、
意外とたくさんの人が乗ってきまして、車内は満員になっております。 そしてね、帰宅ラッシュの時間ですから、 渋滞する道路を知り身に、
線路をスイスイと進んでいきます。 こういう風に専用軌道が多くて、道路の上を走るところは短いですから、
郊外走っている雰囲気も含めて、都電荒川線みたいな雰囲気ですね。 ただいま乗っていますのは54時という路線ですが、 あちら向こうに向かっているのは
55時というですね、 長春西駅という高速鉄道の駅に向かう路線です。 55時は2014年開業の新しい路線でして、 乗ってみたくはありますが、
今回は時間の都合上活躍します。 車内はだいぶ人も減ってきまして、そろそろ終点です。 この路線は終点部分数百メートルも満州国時代のものですが、 車窓や設備に特に変化はない
ですね。 終点の西安大路に到着しましたが、 このドアのピーピ音が、やたらかん高くてうるさい。 終点付近は非常にローカルな雰囲気なんですけど、 これでもだいぶ綺麗になったらしくて
ですね、 概要欄に昔の写真があるブログさんを載せてありますので、 気になる方はご覧になってください。 まあ、しかし線路を見るとね、ガッタガタですね。 中国の路面電車は結構しっかりしていることが多いんですけど、 ここは歴史が深いせいか
ね、やたら荒れていますね。 さて、ではもうね、夕方ですので、 満州国の遺跡巡りはこれにて終わりにしましょう。 いやー、マジで充実していましたね。 6時間くらいだったんですけどね、 本当に次から次へといろんな建物を見ることができ
ました。 日本でもね、大正から昭和ぐらいの建築をね、 これだけ一遍に見ることってなかなか東京
でも難しいですからね。 まあ、この長春という街がね、いかに特殊かということがね、 えー、
よくね、分かりましたよ。 うん。 さあ、長春駅に帰ってきました。 で、今からですね、2晩連続なんですが、 またまた夜行列車に乗りまして、
内モンゴルを走ります集通線を乗り通します。 私の人生史上最も過酷な鉄道になりましたので、 ぜひともご覧になってください。 では今回の動画はここで終わりになります。 皆様ご視聴ありがとうございました。 次回もお楽しみに。
予想より建築物が残っていて大変驚きました。日本のあらゆる都市を凌駕する保存状態です。若干影が薄い長春ですが、是非とも観光におすすめします。
映像の世紀バタフライエフェクト 満州帝国 実験国家の夢と幻
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023127096SA000/?np_banID=top_nw_m_127096
2012年春の中国鉄路の旅 Part24 长春(満州国首都 新京)その2 長春の軽軌と路面電車
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国内外の鉄道を中心とした旅行動画をいろいろ上げております。是非とも他もご覧ください。
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9件のコメント
良き
濃密な歴史探訪でしたね。いつもに増して見応えありました。ありがとうございます。最後に次回の予告をされてたのが気になるんですが、あのインド長距離列車より過酷だった?としたら大変な旅だったんですね、楽しみにしてます😊
今回は特に見ごたえありますね!
共産化されてますwwwww万歳
投稿ありがとうございます!
こんなに満洲国時代の建物が残っているとは知りませんでした。行きたいところリスト追加しました!
你的视频被搬运到B站上了,而且播放量比这里的高😂
还有,你接下来不打算南下沈阳和大连吗?
実は200系は引退していますwww
長春路面電車の50台の900系は2012年に瀋陽新陽光会社から購入したもので、その会社の車はもともと観光用で、品質は鉄道車両を専門に製造する製作所の製品には全く及ばない。ご覧の「200系」は実は2017年に再購入した3台の特注電車で、番号は951-953です。ピンクの電車は951号で、動画のもう1台は953号で、完全に観光用で、953号と同じ外観の952号が団体用としてもう1台あります。200係が引退した理由は、長春には当時路面電車の生産ラインがなく、国鉄の客車を製造していた長春客車工場を探すと費用がかかりすぎたからです。長春200系は大連3000形電車の同型車として大連から部品を調達することができるが、運賃も低くなく、高強度運用とメンテナンスの悪さも相まって、瀋陽から直接新型電車を購入することにした。電車の路線の最後のメンテナンスも25年前ですが、55路の方がかなり良い状況です。55路は2013年に新設された長春西駅と元の長春市街地を結ぶために建てられたもので、地下鉄開通前も長春市街地から長春西駅までの重要な交通手段でしたから。
牡丹園にある神武殿は、現在は「鳴放宮」と呼ばれています。吉林大学および吉林大学附属中学校の講堂として使用されており、現在も活用されています。内部はすっかり現代的なステージの様式に改装されていて、私はこの学校の卒業生です(笑)。
とても興味深く拝見しました。可能であれば手ブレ補正して撮影していただくと、見やすくなり助かります。次回も楽しみにしています。