弱すぎて伝説となったボクサー #ボクシング #格闘技 #亀田興毅

後期がアマチュアボクサーだった2000 年頃、TBSが密着取材をして亀だけ独特 のトレーニング方法や活動を取り上げた ことで一気に名前が売れました。2003 年12月に17歳でプロデビューをすると 期待のホープとして注目を集めデビュー から6戦後には所属ジムをグリーンツタ ジムから共栄に移籍。その時の遺跡金が 3000万円だったと言われ大きな話題と なりました。2005年には18歳9ヶ月 で東洋太平洋大座を獲得し、12年の キャリアでは日本人発の世界3階級制覇と いう記録を残し、障害成績353勝2敗と たった2回しか負けていないのに後期は 強いボクサーだと認められることはあり ませんでした。それもそのはず。プロに なって戦った日本人選手は35歳で下り坂 だった内藤大輔と高野公平の2人だけ。3 階級制覇を成し遂げた際の状況もひどい ものでした。世界タイトルを獲得した3 試合中2試合が王座決定戦。内藤戦以外は 現役の世界王座を下してベルトを手に入れ たわけではありません。 2005年に最初の世界タイトルを取った バンタム球では王者が負債で対戦相手は ランク外でありながらランク入りした ファンランダエタ。しかも後期がダウンし たにも関わらず疑惑の判定がちで勝利。 3つ目のベルトは1度引退したかつての 競合をアレクサンデルムニョスを 引っ張り出して手にしたものの山中慎介と の統一戦を匂わせたりドネアと戦いたいと 発言するもビッグネームとの対戦は1度も ありませんでした。プロボクサー全体と 比較すれば決して弱いわけではありません が世界チャンピオンとしての強さを見れば 後期は一流の王者とは言いがい存在でした 。後期の世界戦以外の対戦相手にも疑問が 残ります。後期が対戦する相手はいつも ランキングの選手や戦績が微妙な選手が 多く明らかなカマセヌとばかり戦っていた からです。キャリアの序盤では男いの ビッグマウスでカメダと京王はセットと ハッピーセットみたいな発言をしていた 講義ですが、あるタイミングから負けない ことを重視したディフェンシブな ボクシングにシフトしていったと八橋明も 我弱者のゆにで指摘しています。後期は 対戦相手を選ぶ時にパンチ力のある選手や カウンターがうまい選手を避けていました 。フィジカルがそこまで強くない後期は 打たれさを隠すためにパンチ力のない相手 を探すしかなかったのが本音じゃない でしょうか。 2015年高野の公平の持つWBA世界 スーパーフライザに挑戦するも敗北。試合 後に引退を発表し、現在は最高ファイトの プロモーターを務め、新人の発掘や育成を メインに活動しています。

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