【野崎圭一】のざP × 白石真菜の Radio’n Beat 第44回 ゲスト:音楽ディレクター:北村岳士【白石真菜】
ノザピー 白井しマナの レビオンピートビ [音楽] ヘディ 皆さんこんにちは音楽プロデューサーで音響監督のザピーこと崎一です。そして 声優のシモこと白ナです。よろしくお願いします。 [音楽] 9 月9月 ね。まだ暑い。 まだ暑いすね。この夏どうでした? この夏 万博白楽し分かってるけどそれはそれは分かったからそれ分かったから [笑い] もうずっと引きずってますよ 他は 他 他はあんまりで来事なかったの? 私花火も行ってなくて海も行ってないすよね。 あら結局 私の話していいですか?あ、 聞きたいです。 はい。あの、 えっとですね、北海道行ってきました。 聞いてないです。 聞いてないで今から話します。 [笑い] はい。 おお。あ、え、朝、旭 動物園行ったんですか? 動物園は行きません。 あの、何しに行ったかって言うと、まず札幌行って、 えっと、ありがとうってお店で引き語り 30分。 うん。うん。うん。 で、その次の日に、え、旭日に移動して、高橋正君ていう北海道中心で活躍してるシン新ソグライターのコンサートを見て [音楽] うん。うん。 見たまんまじゃ収まりきれないんで、 夜歌いにちょっとお店に歌い で、えっと、次の日にゴルフをしてまた歌い結局ライブ [音楽] 4本ぐらいやりましたね。 すご はい。 あれ、私聞いたかもしれないです。あの、北海道行ってくるって 言ったっけ? うん。どうぶちゃん行くんですかって今聞いた気がする。ここに 行きません。大丈夫を感じた。 はい。なぜかって言うと歌うのとゴルフで忙しかったんで全く言ってませんが。 え、それお仕事ですか? いえ、 あ、もう遊びに。 あ、遊びっていうか、まあ、ライフワークの 1 つというか、夏、弊社の夏休みというか。 たださ、北海道行ったのはいいんだけどさ、札幌正東京暑かったんでうん。 あの、短パっていうか うん。 あの、短いズボンで行ったらさ、北海道短いズボンの人がいなくてさ。そう、そりはそうだよね。あの、もうほら、えっと、俺最高気温しか見なかったんだけど、 [音楽] 最低気温が関東ンって低いから、 夜寒いのよ。 ええ、な、あ、昼は暑いですか? 昼は昼もあの、こっちよりは全然涼しい。だからめっちゃ涼しかった。 涼しい時間をずっと過ごして 羽田へ戻ってきた瞬間にわって思ってね。やっぱ違うんですね。 [音楽] あ、もちろんもちろん なんかね、あの空港でね、あ、最近やっぱりなんか綺麗な感が多いじゃない?いいかなと思って。 [音楽] でも涼しくなるパッケージ はい。ていうのを白井さんに お土産として やった。ありがとうございます。さ させていただきました。 やだ。ありがとうございます。 そしてメールでも紹介しますか? はい。 花まさん、ありがとうございます。野崎さん、白石さん、こんにちは。 自分は今久しぶりに映画欲が爆発しています。 少し前に映画国報が話題になったのをきっかけに数年ぶりに映画館に行ったらはまってしまい、毎週末何かしら映画を見に行くようにしています。 うん。 お2 人は映画館での印象的なエピソードや忘れられない映画作品の思い出ってありますかとのことです。 極報ね。 やばい。見てないんですよ。 国報ね。 もしかしてこれこの世界で生きちゃだめですかね?もう うん。 価値があるかな? ああ。 いや、見た方がいいよ。 ですよね。昨日行こうと思ったんですけど、 ちょっと疲れちゃいました。 うん。なんか映画の思い出ってありますか? えっと、 うん。 今映画 うん。 あの、また関係ないですけど、私出てないですけど鬼滅の刃 ああ、見ました。見ました。見た、 見ましたよ。6回見ました。 はい。もうあれ超おすすめなんで見てほしいですね。はい。 が大丈夫大丈夫。あのそれ言わなくてもすごい人数見てるからそ 言わなくても大丈夫だと思う。 もう是非見てほしい。 あとは背景の映画を私20 回見に行きました。 20回。 はい。せ、去年は なるほど。 じゃ、それを超えたいですね。 鬼滅で。 サザピーさんもありますか? これな思い出があって、あの、割と平日の昼間に映画見ることがね、 あの、多いんですよ。あの、ついてる。 からね。 で、え、何の映画だった?作品だったかタイトル忘れちゃったんだけど、まあまあチケット取って うん。 ど真ん中で見たわけ。そうするとほら立体音像がよくわかるし、 そしたらその隣にうん。 女子が座ってきたことがあって、 あら、 あらじゃなくて怖くない。だって俺は全く誰もいないところの席を取ったわけ。 うん。うん。 で、映画始まる前に 隣に座ってきたわけ。 で、その劇場の中でタフおそらく 3人か4 人しかいないのでも隣に座ってきたんね。 え、掴むことをお伺いしますが、それは存在している人だったんですか? 存在している人なんですが はい。 まず考えちゃったのが うん。うん。 俺が今座ってるところに思い入れがある人だったらやだなと思って。 うん。 例えば別れた恋人がそこの番号に行くといつも座ってたみたいなのがあったらやだと思って暗くなった瞬間に 2席。 でも いや、めっちゃ怖かったよね。 開いてんのに変ですよね。 そうね。てこともあったし。 でもその人がなんか俺を狙ってるとかそういうことじゃなくてなんかその番号に思い出れがあるんじゃないかっていう方が気になっちゃって うん。 避けたっていう記憶がね 分からなくもないですよ。いい席取りたくて隣にいて取ってしまう気持ちも分からなくもなくて ああ 確かにでもやられる顔としたら怖いですよね。 怖いよね。 気をつけます。 気をつけます。 それ私かもしれないです。もしかしたら でもほらなんか端っこ取ったのにあちゃう違う。 端っこから1 個目取ったら端っこに来ちゃう人って端っこ好きな人いるじゃない? いますね。 で、なんか2 席並んじゃったこともあるけどね。それはまあまあるけどね。 確かに そう。だんかちょうど中のタイミの配置を計算してちょっとちょうどいいかなと思って取ったら隣に来ちゃうみたいなね。それはあのあったりするね。はい。ま、そういうことを言ってる場合じゃなくて国報見なさい。国報 国見ていきます。歌舞伎ですよね。 はい。 の話ですよね。まは知ってます。 うん。 行ってきます。 あの、映画の中身としてもとても良かったで。うん。 うん。ぜひぜひ 行ってきます。 ありがとうございます。 というわけでメールありがとうございました。今回も最後までよろしくお願いします。 お願いします。 [音楽] お送りしておりますレディオンビート。今回も素敵なお客様をお迎えしております。ご紹介しましょう。音楽ディレクターの北村たけ志さんです。 どうも北村でございます。 よろしくお願いします。お願いします。 よろしくお願いします。 さて、本日は音楽会社パ X の代表でいらっしゃり、これまで数々の楽曲を生み出されてきた北村さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。 よろしくお願いしんのプロフィールを是ひ紹介してあげてください。 はい。1999年に音楽会社パ Xを設立。乃木坂 46や中川商の楽曲政策。 クレモンティーヌや手島蒼井のアルバムを プロデュース。2025年にはプロ専用 ボイストレーニング会社を設立し音楽を 主に置いた制を推進。2021年には ネットmusュージicやVTuber を手掛ける会社を設立し音楽 のフィールドを広げていらっしゃいます。 はい。そのことです。はい。ここ たどり着くのに時間かかりました。すい ません。お待たせました。 いつもはですね、あの、カットせずに、 あの、ダメだったらテロップを入れるっていうことにした。今の全部使うと面白いかもしれないです。 いや、いや、いや、あの、もうね、この番組見てる人、そればっかり見てるんでね。はい。 今日はあの、ちゃんと綺麗に編集もさせていただきまし、あ、 北さんいらっしゃいました。ありがとうございます。ごぶ沙汰しております。 めっちゃゴブ沙汰なんです。 1 回でもスタジオに来ていただいた。 はい。遊びて、こちらに遊び越させてもらって。 あ、そうなんですね。 あ、そうです。そうです。そう。 そうなんです。 でもね、出会いはさっきちょっと話したんだけど、もしかしたらものすごい前で 1995年ぐらい。 95年。 もうちょっと前じゃなく 前か。もっと前だ。90。あ、でも956 年だ。だからうん。 あれでもなんか柿島のアルバムで伊君呼んでる時にはもうなんか北村さんと会ってるから もうちょっと前。 もっと前だ。93年とか。 そう。93年。 意外とこうちょんちょんちょんとこう接点持たしていただいた感じですよね。崎さん はい。で、俺ちょっと気がつかなかったんだけど 難波弘雪さんとかもやってたんですか? あ、最初ね、あの業界入る時に入った時に Kミュージックっていう あの松東ゆさんの新井ゆさん時代のこう現盤出版を持ってる うん。 新井ゆさんを育ってた方の会社に うん。 拾ってもらって うん。 で、そこであのミュージシャンのマネジメントや、ネ岸高宗さんとか はい。 森村けさんとか で南ン波弘樹幸さんとかこの方たちのサポートもっていうか、あのスタッフもちょっと やってたってすごい勉強になりましたけどね。 あのまずそのちょっとまいきなり途中から今話僕は振っちゃったのがいけないんだけどござ この世界に入ってきたきっかけっていうのはどういう風に? えっとねぐらいまで 1989 年ぐらいまでバンドはやっぱやってて うん。うん。 うん。 さんもなんかそんなお話されてましたけど、 あのバンドをもう 25までって決めてたんで 1回やめて1 回普通の仕事もしたんですけど あ、 はいはい。 電気電気の大学出てんで電気の仕事したんであまりにつまらなくて でやっぱそれまでに触れてたバンドでも結構あの事務所の方とかねのあれとかやってたからうん。 あの、面白かったんで、やっぱ音楽の仕事、音楽を仕事にしたいなってこう決意して 先に仕事やめて認して うん。 それで音楽を作る仕事をに着くっていうのを 必死いてやりましたね。半年間ぐらい。 あ、僕ら、ま、年近いと思うんですけれど、あの、やっぱり音楽の会社で働くってちょっと憧れがありましたしね。 ありました。 はい。 あとすごい僕あのライブとかもバンドでやってて僕らの頃ってライブが重じゃないですか。 そうですね。 でもあのスタジオペンタってとこでバイトしててるでしょ。うん。あそこにレコーディングがちょこちょこぼできたでしょ?やった。 僕ね、あれのエンジニアとかもやってたんですよ。 バイトで。 で、当時はっちゃんとやってました。 吉常寺です。 僕ね、横浜でレコーディングしてまし ょね。うん。 で、あれのエンジニアやりながら自分のバンドでもレコーディングができるぞつって夜中 [音楽] あの一晩かけてレコーディングして 夜中 すっごい楽しくて音を紡いでくっていうかねう [音楽] ダメだったらやり直して歌うまくじゃどう表現するかなんていうのをバンドで話し合いながら作るのがもうレコーディングが楽しくて [音楽] うん で1 回やめたんだけどあのレコーディングは楽しいなと思って そうですよね 僕レコーディングがしたくて入ったよ ああでも今言われて旗と気 がついたけど僕もおそらくそのアマチュアに横浜丸ペンタで録音したのが人生初のレコーディングだったと思うんですよ。 [音楽] その気持ちよさというか仕事の内容が うん。 楽しかったんだから俺多分この世界来ちゃったのかも。 なんか独特なあのドーパミンの出方がありますよね。あのどう作るかってゼロだからさ。 夜中眠いのにさ、 あのあ、だから全然眠くないね。普通だったら眠いのに全くあ、夜中だったらあの安い。 のね。 ああ、料金 貸してる料金的にあの、ま、それであの朝まで借りて で、そこでみんなでレコーディングして最後ちゃんとミキサーさんがミックスしてくれて うん。うん。 まあ、だから今で言うラフミックスからもうちょっといい感じのものを作ってくれたのが [音楽] めちゃめちゃ楽しかった。 楽しかったですね。うん。すごい面白い。 [音楽] ペンタってある意味その確信的なスタジオでしたよね。 でした。 あの、結構文化色々作ってて、蛇ビ、あれ、なんだっけ? イカテ の最初も全部ペンタから出してんですよね。 うん。 ああ、そうなんです。 テレビ局とペンタが組んでというか、声かけられて最初の頃だから僕がスタジオではジギーがレコーディングしてたり、 ジスカイウォーカーズがレコーディングしてたり はいはいはい。 筋肉症状体とか ちょっとやり、 ま、その頃ですよね。 そうです。そうです。すっごい楽しかったですね。だ、それも見てて で、インディーズでこうオムニバスのレコードまだ CDじゃなくてね。 うん。でかい でかいうこういわゆるスタジオ単位で出したりとか うん。 そのいわゆるインディズ文化の走りみたいな のがその頃あって うん。 そのレコーディングが楽しくて うん。 で、1 回挫折して普通の仕事するけどやっぱねそういうとこにいるとやっぱね普通の仕事がつまんそんなこと言うとすいません。なんかこう皆様のお金なんですけど、 これからほら就職の時期で見てる人たちもいるからね。 はい。 つまんないぞ。 して、 あの、ま、若干そう思う。俺も ね、やっぱりこの、 これやめらんなかったって中毒になっちゃったってやっぱ音楽通過するとそのドーパミンは残りますよね。 それをかに自分の中に残すかっていうので仕事を選んだっていう。 で、ま、そういう世界に行こうと心で決めった 北村の少年は どうしたんですか?その次の作業。 作業。 あ、だからその履歴書持ってその事務所歩いたのか。 あ、えっと、レコード会社紹介されていったんですけど、当時レコード会社ってめちゃめちゃ乱暴だったじゃないですか。 乱暴でしたっけ? じゃ、なんかもう行くとなんかあって人連れてきたら入れてやるよとか。あ、 ほら新卒とかね、ちゃんとしたのはちゃんと対応するけど飛び込みなんかいっぱい来るからすごく育。 新卒でした でしょ。じゃ、それ優秀な方ですから。僕らも雑草ですから。も、雑 [笑い] 花も咲かない。雑草な。 いやいやいや。 それをあのな、いくつか行ったんですよね。社長面接とかもやったんだけど、なんかうまくいかなくて で、さっきも言ったようになんかレコード会社のスタンスだと、ま、どう売るかとかね。 うん。 売れんのか、それみたいな。 うん。 じゃなくて僕は作りたいん。 なるほど。なるほど。 作る現場にいれば別に売れくるかどうかあんたちが考えてくると売れなきゃダメなんだけどね。 そう、そう、そう、そう。 だからなんかと作れる方法考えてで、当時あの就職のアプリもないし ない。 スマホない。 ええ、 ネットてえどうやって就職するんですか? 新聞、 え、 朝日新聞、朝日新聞のね、旧人だけ音楽業界が乗るのよ。 へえ。 だからもうプー太郎であの 1人でアパートで毎日新聞見て へえ。で、行ってみるとCM の制作会社やったり行ってみると大阪優がそん時東京に出てきてて うん。 これ音楽作れるかなと思って面接行ったんですよ。そこは受かったんですよ。 で、すごいいい遇でなったけど、よく聞いたら音楽作れないんで。 そう。流すだけでね。 そう。ラジオは作れるよとか言われて うん。 悩んででももうプー太郎長いし。 うん。 え、悩んだんだけどそれを死抜きで断って うん。 うん。 また次。 すごい覚悟しないし。 うん。 そうそう。それをね、あの、断ったのですごく強い気持ちになったっていうか、絶対音楽作るぞっていう。 [音楽] あ、 気持ちになって。 そう。 電話レコード会社にとりあえず電話した。 うん。 あの、だってツールが電話しかないからね。 そう、そう、そう。 電話と手紙しかなかったんでね。 ええ、 オッケー。NGも全部電話ですよね。 はい。 別伝にNGが入ってたみたいな。 はい。 携帯とかないし。 ええ。 うん。 すごいでしょ。 すごい。 そう。 僕だからあれだよ。 あの、ビクターじゃない会社、あの、今もうなくなっちゃった投芝場 EMIっていうところが、 あの、なんて言うの?履歴書と作分書いて うん。 毎日通ったで行くじゃん。受付行って、あの、いや、うちは採用ありませんって言われて、その日は帰って、また翌日行って、で、 5日ぐらい経つと 特別に人事の人が今度出てきてくれて、 会ってくれて、うちは才用ないんですけど。 で、それでももう1回行ったら うん、 なんかそういう特別面接みたいなのに入れてくれたりとかね。 こういうのがね、優秀な業界じゃ。 なるほど。いや、いいや、いいや。 こうい、こういうね、偽話があって、その一流の会社に入ってく優秀な業界人で、 ま、雑草なんでいい。 え、やだなっていかないみたいな。 ああ、それでどうだって。 で、ミュージックってところのあれがあって、それ行ってみようと思って、あの、ブジまで行ってお話を聞いたら すごいね、そん時のボスが高木さんっていうあ、あ美さんとかあの、あの辺のプロデュースをされてる方ではい。 アニメも歌ってますよね。 そうです。そうです。うん。で、すごい 気に入ってくれて うん。 うん。 で、あの、入れて拾ってもらってで、その人は本当にディレクター全としたディレクターで ボーカルの昔ボーカルってこう繋いでたじゃないですか。 tう あれのだったんですよ。 はい。 あの白さんも時々この番組で紹介したボタンで うん。 歌のトラックのあ、あ、いしてるって切り人持ちずつ切り替えられる。そう、そう、そう。 これがね、 それをすっごい教えてもらって、もう現場全部連れてってくれて、その方に拾ってもらって、育ててもらって、 それでそのミジて会社で うん。 ま、音楽政作の色派からスタートしたみたいな。 うん。 僕でも出会ったのはK ミュージックじゃなかった?K ミュージックだったのかな? じゃ、Kミュージックはね、2 年ぐらいしかいなかったんですよね。 応援エンターだ。 そうです。応援エンタープライズです、その後。 うん。 何年ぐらいいらっしゃったんだ?2 年ぐらい。 あ、そうですか。 うん。ちょっとあの、音楽っては入今度入るじゃないですか。レコーディングを こうしようと。 うん。 だけど行ってもずっとアシスタントで うん。 口も挟めなければ はい。 うん。 見てたいのに買い物行かされるみたいな。 はい。はい。はい。うん。 やっぱり主導権をどうやって握ったらいいだろうって 1年目から考えて うん。うん。うん。 あの、自分で CMタイアップを取ってくれば ああ、 自分でできるじゃないですか。 できるね。 で、ほら、テレビ局とかだといろんな人が出てきちゃうけど、 CM って間に入ってる人間が結構全てだったりするんで。 CMタイアップを覚えようと思って、 CMタイアップを徹底してちょっとうん。 うん。1 年目から勉強して で、 あの、取れるよってかだいぶ呼吸が分かるようになってきてうん。 うん。 で、それ投、その投に大学の先輩が見つかって 可愛がってくれるようになって、その人が CM タイアップの結構専門家だったんですよ。 あ、 東芝場のCMタイアップ班みたいな。 わかる?わかる?いますね。それ でその人のとこ通って うん。 で、あの 昔CM、そのネットないから CM、このCM はどこの代理店とどこの音楽政策どうやってるよっていう雑誌があったんだけど CMなっていうね。 それです。 え、すごい。 僕の見ましたよ。あのCM ナウって普通のやつでしたよね。そのもっとね、業界本があんですよ。そうなんだ。 1 冊ね、1万5000円ぐらいするんです。 ええ、 当時だったらめちゃ高い。 高いでしょ。だから事務所に頼んでも買ってくれないから。 うん。 それが揃ってる投資場芝場に先輩が出社する前に行って 見してもらうんだ。 テーブル掃除してずっとやってメモって ああ、 すごい。 で、そこ自分で営業行くみたいな。 ああ、 で、先輩も公認よ。それは頑張れ。それつって。 うん。十分ガッツありますよ。 ガツは、あ、うん。違う、違う。これはあのガツがないわけじゃない。あの、雑草的なね。似たような。 [笑い] そう、そう。そうですよ。みたいな。 はい。 あの、そういう先輩ですから。 すごい。 雑草魂し。雑草し。あと雑草ってことですか? 雑草ってことですよ。ちょっといい雑草。そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう。 うん。そう。それで取れるようになって、取った CMでちょっとトラブルがあって、 ああ。うん。 それでちょっとその事務所の社長と うん。 じゃあやめますって言っていうのはその CMもその頃バンバン取り始めてたんで 結構引き抜きが来てたんですよ。 あ、そうなんだ。 で、オエンターから話もらってて、 ある種プラスですね。それはね、やっぱりそのうん。 そうやって認められてるってことで呼ばれるってことだと思うの。 そう。嬉しかった。引き抜かれるなんて。 あんな新聞広告でこんなやってたのにね。うん。 ああ、 で、引き抜かれて行って、で、今度すごいそこが芸能だったんで、 あの、すごく素ば、なんつうんだから、本当芸能界の骨格を作ったような会社の 1つだったのでね。 うん。うん。 学ぶことがいっぱいあって うん。 で、あの、タレントさんもいっぱいいらして、 あの、前の会社は音楽しかいなかったんで、で、あの、井上じさんとか知ってる。 うん。うん。うん。 とか、あの、いろんな女優さんもね、宝塚な方とか いて、で、そこに稲垣純一さんとか うん。うん。 あの子さんとかさんと素晴らしいミュージシャンもいてそこに入ってで [音楽] 2 年間はあのあれしようと思ってその勉強しようと思って芸能にまみれるというか うん。うん。うん。 一切自分がやりたい音楽逆に封印して うん。 うん。 あのニーズこれをやれはいっていうのを徹底してやって NHK のあの毎週の番組の夢上巡査さにつかせてもらったりとか なんかあのうん。 ピンコさん主演のドラマの うん。うん。 あの、俳優、似る俳優さんのお付きやらしてもらったりとか、そう、現場全部見て はい。 面白かった。 いや、でも現場で覚えるって僕らの時はもうマストっていうかそうそうそうそう 教えてくれる先輩もまあだから背中を見て 学びなさいっていうようなタイプが多かったんで 色ハを教えてくれたりしなかったんだよね。 うん。へえ。 だから何をどうしていいかがわからないま現場行って現場で間違いとか失敗して叱られて 2 度としないっていうのが学びだったんだよね。 僕初めての現場であの控室入っておはようございますって座ったらバーンって殴られてパッて見たら泉ピンコって書いてあった。 ああ ピンコさんの椅座っちゃった。 あるよね。 ありました。ありまし。うん。そうそう。 さあ、 そういう2年間やった後に 2 年間やったから好きなことやらしてくれって交渉をして 会社には 社長がすごい可がってくれつて はいはい でいや分かったっつって音楽制作部門を作ってくれて お うんスタジオと へえスタジオも作っちゃったの Aダットの ああマンションの一室の狭いところでブースがあって A ダットがあるっていう。そうすると車内にミュージシャンいっぱいいるからそれのデモとか全部僕が取る。 エンジニアもできるからちょっとやって。 あの頃はやっぱりテープデジタアナログテープからデジタルになって でもうちょっとコンパクトになったのがビデオテープの形をしたものに録音デジタルで録音ができるっていうのが そのシステムだったかな。 なるほど。 書き的でしたよね。 書き的でしたね。 うん。A ダットっていうね何台も繋げられんの。 はい。うん。 10代一ぺにとか。 そう。そうするとトラックがいるっぱい作れるっていうね。すごい。 それ、それこそ、あの話あれですけど、山の上でレコーディングするのに 山の上はスタジオないじゃない? うん。うん。 で、枝と持ってって そこでレコーディングしてたこと馬小屋借りてね。 ええ、 そんな中でレコーディングしたことがあるかな。 そう、それ1個ではっちゃんでしたっけ? そう、ちゃんですね。 それを2個で16 とかやって何代もやるんだけど。 うん。重たいんですか? うん。ま、あの、普通のテープレコードはあの、当時のでかいので、それに比べれば全然持ち運べる。 ええ、すごい。 そう、それでそういう音楽に比較的従事できる うん。 ポジションを うん。 手に入れてつただまあね、事務所ではあるからそんな音楽っじゃなくていいろんなこともう やっててでそこに久保田さんをプロデューサーで僕が好きであの人 あ、はいはいはい。 呼んで うんうん。 で、あの一緒にプロデュースをするっていう一環がジャングルスマイル。 ああ、そうなんす。 ジャングルスマイルとアーチスター僕がいたあの JPポップのJ ロックというかスピードスターっていうとこの全身だったかな。タイミング的にはどうだかインビテーションだったか。その辺のビクトルロックセクションからあの僕のお友達の仲間がディレクターで出したアーチストで いうすんごい大好きなアーティストでうんうん。すごかったですよね。 で僕はアニメに来てアニメにそで移動して ジャングルスマイルをうんうん。 エンディングテーマに使ったの。 うーん。 うん。 いいですね。その使えてなんかなんて言うの?移動してもちゃんと繋がり頑張れば使えますけどね。 頑張ります。 内本読み間違えてるよ。じゃ、ダメ。 やばい、やばい、やばい。 ごめんなさい。その前の会社合ったことないって言ってたけど うんうん。 あったことあるかもしんない。ルーレーベルってあったでしょ?あのビクターのルーレーベルっていうスピードスタートもう 1つおしゃれなレベル作るぞっつって。 ああ、 それの担当やってたんですよ、僕そん時。 へえ。 そん時にもビクタ入り浸ってたんで、ひょっとしたら接点あったかもしれ。 あ、そうかもしんないね。 うん。 ちょうどその頃になんか接点ちょうど 持ってて、そのアニメに映られた話をリアルタイムで結構聞いてた感じがそうですね。 するんですよ。 はい。はい。 すごいその そこにシンパシーというかね。 はい。 うん。 すげえなこの人ってちょっと 思って。 それであのその後ね、あの同じその音楽セクションでエビ隊が はい。 エビたい 依頼されるわけなんですけど、 これあの色々調べるんだけどどこにもアーカイブが残ってないので これがね、 もう非常に地味なプログラムですね。 非常にそういい。あの、どんな番組番組かって言うと、ま、高校生の、え、 あれね、ミューラスっていうスクール、 スクールか。 うん。バダが出資してるスクールさんの はい。バンプレストね。 バンプレスト。そう。そう。 それの中にいる子たちをあの番組通じてデビューさせようっていうなんが今もありそうな うん。歌手にしたりモデルにしたり、 女優にしたり、 声優にしたり うんうんうん。 それでそん中の、え、声優になりたいっていう当時高校生の女の子が高橋子さんだ。 うん。うん。うん。うん。うん。 で、高橋さんからこうこの話は割とあのブラックボックスでしちゃいけないのかなと思ったらこの前メールでそんなことありませんって書いてあったから言っちゃってもいいかなと思うけどはい。 そうでだから高橋子さんがもう最終的に北村さんとがっつりなんかつげる うん。 うん。 きっかけでしたかね。 です。です。 うん。 あれあの野崎さんに相談する部分とかは結構ポップの話なんだけど こっち側の番組政策ってえぐくて うん。電通の偉い人3人と うん。 バダの偉い人何人と うん。 で、うちの怖い社長たちが うん。うん。 に囲まれて会議あって ええ。 で、北村はこの子とこの子をなんとデビさせるみたいな。 ああ、 すっげえ怖い会議があって うん。 どうしようみたいな。 うん。 ことであのあ、野崎さんがそのリアルタイムでアニメに行かれたっていうのも知ってたしそこにすごいそのうん。 すごかったんですよ。野崎さん。 その時のパワーがうん。それを 怖くないよ。怖くないよ。 怖いからね。怖いんですか?みんな言ってくる。ま、い、あとそのコさん後で教えたけど、 そのどうしようって時に声優さんとかわかんないからシンガーはね、分かるからこっちでなんかやってたんだけど野崎さんに本当に何にも考えずにポンって相談にいたの。 うん。 たら2 つ返事でよしやろうって言ってくれて嬉しくて。 [音楽] うん。うん。うん。 僕っちの怖い人たちに囲まれて預けられてたけどどうしていいかわからないものを持ってったらオッケって言ってくれて うん。 もうパーって開けたみたいなね。 そこからもう本当に素晴らしいプロデュースをしてもらって高橋さんの今に繋がるようなね。そう そこをあれしたから本当あれなんですよ。 僕はねそん時からね御人なんですよ。 いやいやいやいやそんなことない。その驚き方やめさ だってさ、すごい困った時にさ、スパって助けてくれてさ、 それはやっぱ御人だよね。 人ですね。 そう、そう、そう。でね、あのお世話になってるでしょ? で、御人ではあるじゃない?人って怖いんだよ。ああ、なるほど。 そういうこと。そういうこと。 その口のとやっぱりこう失礼しちゃいけないし どうしようってこう胃を組むから怖く感じるから。 うん。 大丈夫だよ。 ああ、なんか土が飛ぶみたいな聞いたことある。 それな。 あ、ないんだ。 れたことはない。 いろんな噂が。 それない。 形がでかくなるから。 取り歩きしてて噂が。 そうなんだ。 そうなんですよ。本、 あの、すごい怖い方だ。 じゃ、それ今度野崎さん抜きで番組にしようかね。 [笑い] その、あの、なん、僕が野崎さんが怖いのはね、あの、真をついてるから下手なこと言うと めっちゃ分かります。なんだよ、 分かります。それは だから俺野崎さんと話す時が結構一番緊張する。番 でやっぱりそのさっき言ってたね、拾ってくれたボスとか、拾ってくれたボスとかはなくなっちゃったんだけど、亡くなるまで一緒にジャスバやってたんですよ。 うん。ああ。 楽しい 点を持ってたりしてなくなっちゃってでってくれた社長もなくなっちゃってもう相的な先輩がどんどん いなくなっちゃってこの前も野崎さんに LINE 入れたんですけど野崎さんはあの絶滅寄惧種なんでよろしくお願いします。先輩として導いてくれる人はどんどいなくなってくから。 [音楽] だそういう立場の人ってやっぱ怖いというかで真をしっかりついてくるからすごい緊張寺もなくなっちゃったし。 うん。 ね ジャンスもやってたね。寺田君てるかも。 そう早かったですよね。 ね。残念だったね。 ちょっとおっさん会話になってますね。なくなってる会話。 その高橋美子さんをデビューするその受け口がこの前ゲストだった石次郎さんの うん。 うん。 作品で そこに入れていただいて 良かったですね。今も活躍してんのは シンガソングライトあの沢田し子さんていう方に中さんの曲を書いてもらってうん。うん。 それで、え、デビュー、 CD デビュー、アド声優っていうね、番組としてはい。 [音楽] 正しい方向に 行ってました。いや、ていうか、野崎さんのに頼んだ部分は 1番うまくいって、他はそんなに そうでした。 うやむやむやっていうね、感じだったけど、高さんだけですよね。そこからしっかり 自分の自盤を。 うん。それで、あの、その後ほら、ボッサのアニメ化 あれは独立してからですね。 会社やった後をやめてそれで彼作って そっからあれボスやったのはでも 2009年とか10年とかかな? 2010年って書いてある ですね。 うん。 あれねなんか面白い。 あの、その今回の件でその僕の肩書きをね、音楽プロデューサーかディレクターかみたいなけた時も思ったんだけど、あの、プロデュースっても発想だと思ってて、 ディレクターってある意味問題解決っていうか、 オペレーションに対する1 番いい答えを出す、アイデアを出すっていうやっぱ発想と解決って全然僕は違うと思ってて、で、 僕はどっちかと解決の方の人間だって自分はうん。うん。 の方が得意。 なるほど。 発想は楽しいし、1 番やりたいけど うん。うん。 そっちも楽しいけど逆に発想ばっかりの人生辛いなっていう。 ああ、 問題決って面白いじゃないですか。人が喜んでくれるしね。 で、そういう解決ばっかしてる中でやっぱ時々自分で発想したくなって、それがその なんか面白いことないかなっつった時にボス、アニメソングを崩してボさにしたら面白いんじゃないかて思ってデモをずっと作ってて [音楽] で、それでソニーさんとやり取りしてて、 それをクレモンティニューが歌いたいって言ってくれて。 面白い。やりたい。 ね、発想というか企画がめっちゃ面白かった。 ま、そこちょっとね、もうなくなっちゃったけど、ソニーの天才プロデューサーと組んで はい。 もう僕がこういうの持ち込んだらそれをバババババっとくれモンティヌから何から発想して あ、はい。 ダジャレから始まったんですよね。 あ、そうなんですか。 あのね、本当はね、メイヤだったんです、最初。 へえ。 メイヤって知ってる?あの北欧王のスウェーデンかなって言ったの。 うん。 あの、 アニメイアって面白いよねって単純。あ、なるほど。 じゃあメイヤ声かけてみようって。 で、メイアもオッケーだったんだけど うん。 あの、メイアボサじゃねえよなってなって。 ああ、 で、ボッサ誰だっつってクレモンティーノだっ じゃあこれCMになりましたよね。 そう。先に作ってそれもすごかってたんですけど作ってリリースする内の直前に 電通が電話があって、あのボサでアニメをやってる楽曲を探してるってきたんですよ。 うん。 タイミングすごいすね。 すごいの。 ええ。 それで聞かせたらこれだってもう 1発でなってですぐ会議になって うん。うん。 それでもうこっちが作ったもんで全部オッケーで でいきなり CMなっ すご 話題になったんだけど うん。 あ、リリース。そうですね。リリース。うん。 これ僕の今通ってるフォーク酒場神田昭和で流行ってますよ。 うん。本ん当ですか? あれいいっしょ。 はい。しかも天才バコボ歌ってるお友達がいます。 本ん当ですか? うん。あの、コードオフとかあれだったら いやいや、全部あり、 ちゃんとやってますよ。 ジャックさんってお友達がね。 うん。 ジャックさん見てるかな? 見てると思うよ。そう、そう、そう、そう。なので、だからえっと面白いなと思って、で、その友達が歌ってるの聞きながら、あ、これあれだと思って うん。そうだ。そんなのがあっ それはなんか発想して遊びだけど、 あの、やったらヒットしたっていう 僕の数少ないヒットの。 いやいや、素晴らしい。1つ ですね。うん。面白かったです。すごい。あれ、 1回ね、そのリースしてCMを決まって、 CMにまた流れる前の時に 優先でね、 かけてもらったんですよ。優先と組んで。 うん。うん。うん。 で、あの、洋学チャンネル で美容室がよく使う楽チャンネルに ああ、 入れときましたっつったら、あの、苦情が来ちゃって 美容室から、 え、 客が笑うからやめてくれって。 揺れるんだ。 で、それを聞いてそのプロデューサーと売れるな。 ああ、なるほど。 あ、なるほど。 すごくいい反応で、で、何作かやって うん。 で、そのアニメカバー ボッサって面白かったんだけど、そのボッサの方が結構逆に響いてきて うん。うん。うん。うん。 その後、あの、あの、ドラマで使うんで、アンさんが歌うんでボスサ作ってくれとか。 あ、 で、なんかボスからカフェミュージックの流れになって、 それがにちょうどそれでそのしばらく後に東日本大震災があって 1回 海外のアティストが全然来なくなっちゃって うん。 で、逆にでもカフェミュージックの匂いが残って いろんなアーティストでカフェミュージックをうん。うん。 作ったり、こっちのレベルでもカフェのアルバム作ってほしいみたいな。 うん。 で、当時まだね、CD がまだカ字で元気で、 それがカフェミュージックで そのお店でかけられるような やつみたいなものがしばらくプロデュースして やってたりしてましたね。 そのね、今あの天才バ号を歌ってるまーちゃんってお友達がいるんですけれど、 そのたちが今ね、手島を追い歌ってんですよ。 ええ。 で、その手島さんも北村さんが手かけてるんですよ。 手かげてるっていうかね、もうジブリでもう 3000 はい。 こうね、結果というか うん。 今日も押しも押されもせるシーンがであったらのがちょっとご縁があってアルバムを プロデュース して欲しいっていう。 うん。うん。 で、あれはね、もうあの、あれなんですよ。そのもう、蒼井さんとが北村さんが好きなように作ってくれっていう。 うん。うん。 青いさんがとにかく楽しんで欲しいっていうスタッフからのが うん。うん。うん。うん。 あってっていうのはあのほらジブリとかそのカバーとかね、あと洋学カバーとかすっごいかっこよくて [音楽] そっちの方でもうなんて言うんだろう。シンガーとしてのニーズがもうニーズっていうか確立されてるからオリジナルでなんかあんまりうん。うん。 [音楽] うん。 セールスに向けて頑張るというよりも本人がこう納得して楽しくて素敵だと思えるものを作ってほしいっていうすごく優しいスタッフの うん。 うん。ビクタって会社なんですけど、 あの、あれなんですけど。うん。 それで最初作ってで、そういう感じのプロデュースですね。 だ、僕もだから好きなようにやれるけど、蒼井ちゃんが喜びそうなものみたいな 2人で話。 いや、いい歌多いし、僕バラド系好きですけれど、やっぱそれが似合う。うん。 アーティストさん。 いや、もうあの本当し、僕歌入れがね、あの、 野崎さんはもう歌入れの人もあるし、ディレクターだし、すごく業務が被ぶってるというか、 あの、なんつうの、あの、ちょっとあの、劣ったアシみたいな業務なんで僕は。 だから野崎さんにそれを供給することないんだけど、歌入れが僕は守眼で 歌を綺麗に取るとか歌を生かしてとかっていうのをプロデュースってあのディレクションの主にしてるんだけど ですごくそういうこう歌的な観点で見てすごいアスリートなんですよ。手島を言って うん。 あ、そうなんだ。 ていうか、あの、あの声を 2 時間出し続けるって人じゃできないです。 へえ。 で、ものすごいこう体感と 呼吸と綺麗な音を出し続けられる。 能力、体にすごいその能力があるすごいシーンが ああ、 なんですよね。で、その人がそれはもうそれで確立してるから逆に言えばあの人が歌えばもう うん。 ある程度みんな良くなってしまう。 なるほど。 それをもうなんかご自分の好きなものとかですごい古い映画とか好きな方でディズニーとかも好きだけど [音楽] あの踊りヘップバンとかね。 うん。うん。 あの頃の映画とかがすごい好きで楽しかったのはあの写真好きな写真と うん。 その写真にまつわあるエピソードを蒼いちゃんに書いてもらってうん。 はい。 それがペッと送られてきてそれに沿って曲作るんですよ。 はい。へえ。 楽しいでしょ。なるほど。 それで普通の作り方するとベタベタになっちゃうし、あの方に普通の歌の作り方してもつまんないから。うん。 うん。 当時、あの、あんまりまだその頃すごくなかったけど、金松君っていうあの日音とかにいる劇盤あのドラマの今プロデュースとかですごい名前が上がって、まだは [音楽] 20代だったと思うんだけど、 彼とかあと平山み子さん、あの、森山直太さんの奥さん、 [音楽] 最近結構、 あの、いわゆる映画とかで素晴らしい音楽を展開される方とか、あと CMの大価の打ち山はじめさんとか うん。うん。うん。 に声かけてだ。普通の作家に声かけなくてあんまね。 うん。うん。 それで なるほど。 うん。僕はやったのはね、何曲かやらしてもらったんだけど、パーツもらったんですよ。劇板でいろんな音作るでしょ。 そん時にこういうシーンだと小説のなんと 16小説のなんとそれドバーってもらって 組み合わせさせてもらって はいはいはい。 で、曲にしたりも最高のプロデュースじゃないですか? 楽しいでしょ?本当最高でした。 それで組み上げてそういう そんなこうポップス的に錆がドンとかじゃなくて綺麗に流れるとか うんうんうん とか悲しみから喜びに変わるとかそういうのをこう彼女と話しながら 作ってで歌詞はま自分たちで発想して蒼いちゃんの発想僕が書いたりとかもしたしをこうちゃんとこうきちっと作品にしたいの石渡じ二司さんを 当時僕お仕事してたんでご紹介してすごい仲良くなって うんうん ほであ 1枚作ってで、そん中にだから 1 局当時僕うちにいた作家の池田彩子さんって人と話してずっと池田さんはプロデュースしててアルバムインディズでやってて、ま、そこそこいい感じでうん。 やってたんだけど、ま、ご結婚されてもうやめるタイミングだったんだけど、あのうちから離れるタイミングだったんだけど 発注して作ったのがアイの手紙っていう。うん。 で、全然そん時はタイアップも何にもなくて、 めっちゃいい曲ですよね。 ね。うん。 アルバムを作って はい。 リリースしたらそれを坂本裕二さんがあのあれの脚本家のなんかたまたま聞いて その曲を聞きながら脚本を書いたつって いつのドラマになって すごい すごい嬉しい作った方としてはね めちゃめちゃ嬉しくて うんでもまシングルの時は呼ばれなかったですけどね。 [笑い] ま、大人の事情がね。 さてなんかご質問ありすいません。 どうでしょ? 私考えてきました。ですか? 考えてきた。 なんかまずこのお仕事しててすごい楽しいと思う瞬間 うん。ずっと楽しいです。 ああ、そうですよ。 僕ハッピーマンなんでどっちかって言うとあのだなんかうん。 さっき言ったようにトラブルシューティングすごい好きで ああ 問題起きると嬉しくなっちゃうんですよね。カチカチカチカチカチこうじゃないでやだった。 [音楽] [笑い] トラブルから逃げたい。 うん。トラすごい好き。 逆に辛いとかはあるんですか? 辛い。 うん。きついとか。 きついのは儲かんないことぐらいかな。 [笑い] 厳しい世界。賛成。 うん。 今もうね、制作もうどんどん配信だ下がってるし。 うん。 なんからやりなんかいい面白いになってやるとそんな儲かなかったりとかね。 ああ。 でもそっちの方選んじゃったりするですよね。 うん。なるほど。 うん。それぐらいかな。別にあのそんなにあれですね。 あの、やっててこれはもうやだとかはないっていうのはそういうの選んで仕事させてもらってるし、好きな人としか仕事してないし。 うん。ふんふん。 な、ライブとかも時々やるんだけど、ライブ政策とかうん。うん。 あんまり得意じゃないっていうか、あの、空気がちょっと違う。レコーディングとね、空気よね。レコーディングの空気が好きで。うん。 [音楽] うん。 そっちが多いから幸せ。でもたまに行く分には新鮮で楽しいし。 うん。うん。 も、文句ないっす。 なるほど。 うん。 それこそさっき言ってたんですけど、こう CD とかまずあれじゃないですか、レコードがあってで、 CD になって今配信に切り替わってるじゃないですか。なんか切り替えの時にやっぱりなんか昔の方が良かったとかあるんですか?それとも次に進んで新しいの取り入れたいとか 両方ですね。 ああ。 うん。 やっぱそのアナログの頃の音の良さとかそれから CDの時の音のこだわりはもう 2000 年代なるとねこだわりきれなくなってくるっていうかそこまでしなくていいってなってきちゃってたり うん するし逆に今度機械でもっと精密にできるからそっちでいいみたいな ああ だけど逆にはあれですよ若いのバンドとかいっぱい一緒にやってるけど いいバンドいるんですよ あのでソニーのねあの若手 20代とか下手したら 10代のアーティストとか20 代のスタッフが結構頼ってくれてうん。うん。 スタジオ一緒に入って音作ってくださいみたいなその取り方とかうちのベテランのエンジニアうん。うん。 それ聞いて興奮して作るみたいな。だから フィードバックして昔のやり方で若者が興奮して新しいもの作るみたいな のもあったりするからその知識があるからね。うん。切磋琢磨って感じですね。もう もうなんかいい。今の若者はそういうなんかうん なんちゅうんだろう。 昔のもんりませんというよりも うん。うん。 全部知りたいみたいな。 え、 優秀なのよ。すごく 意外となんかもういいみてなってそうですけど。 いやいや、全然。 で、そんなことないんですね。 うん。あの、興味心で ええ。 すっごいこうマニアックなことにもこう一緒に来るし、逆に僕らがびっくりするぐらいマニアックな話を持ってきたり うん。うん。うん。うん。 するし、そういうのと琢ができるっていうので、あの、昔のことはいいし で配信は配信で僕思うのは、 あの、誰でも気軽にまずアプローチはできるじゃないですか。でも YouTuber 以降自分で発信したものが、 あの、ユーザーが いいぞって集まって、それに大人が参加してくるみたいな風にもう変わってきてて うん。うん。うん。 だから逆にそのそういう風な文化になってきているとなんて言うんだろうな。大人がこれ若者好きでしょってやったもんなんか見向きもしなくなってきて うん。 で、そこのそのなんて言うんだろうな。本当の話じゃないですか?それはみんながいいって言ってんだから。 うん。うん。うん。 で、それはすごく素晴らしいと思うし で昔の技術がそこに生きてくるみたいなこともあるし うん。 そのさっき言ったね、そのプロデュースって言うとこの最先端において次を何をすればいいかって手は僕は今打てると自分では思ってなくて それをやろうとしてる人にこれが僕ポイントなんだけど例えばねその人たちが うん。うん。うん。 あの作った自分たちの思った通り作ったものの音が良くなってたり歌が良くなってたりって技術供給 うん。うん。うん。 僕らの技術で彼らの音が良くなるっていうのがすごく嬉しいじゃない? うん。うん。うん。 そういう参加の仕方をしたいのね。 へえ。めっちゃいい話。 すごいですね。 そう、そう、そう。で、今それがだいぶできて、バンドにもできてるし、で、それをもっと進化さしていくにはどうしたらいいかとかうん。うん。うん。 で、歌を綺麗に取りたかったんで、その 2015年にボイトレを自分で作ったのは うん。うん。うん。 ボイトレ、ま、素晴らしい方もいるけど、普通に頼んでこう上がってくるきて良かったことがあんまなくて、 あと作品に対するボイトレ っていうのがこういう風に身近にあるとできる。 この曲教えやってきてっていう うん。 で、ここはこうしたいからここの技術を教えてってのがリアルにできるからボイトレをすぐそこに置いて歌れの横にボイトレを置くってスタイルを今作しいですね。 すごい密プロ専用の話でしょ。 そうそうそう。あの一般の方がちょっとご遠慮さしていただいてるチームなんですけどええ。すごい。 そういうこう技術を あの今必要なものに供給するっていう 風に だから蒼いのプロデュースの後はプロデュースはもうほぼしてなくて うん。 むしろ技術供給 なるほど。 発送して自分の発想が受けるかどうかっていうところよりも今その若者がぐんぐん想してるものに 供給して伸ばした方が面白そうだな。 うん。確かに。 僕なんかその若者と対抗しようと頑張っちゃおうと思うんだけど負けちゃうからね。最近はね。 やばい。でもそこのそうだね、バックアップに広方支援に回るっていうのもある。 [音楽] うん。うん。うん。 そうです。なんかあの すごい生き方だな。 京都のあの西人折りを美が使うみたいな。 [音楽] そういう西人折りになりたいみたいな。 ああ、なるほど。 素晴らしいね。 ですね。 僕が今やろうとしてるのはそこですね。一生懸命やってんのは。うん。 あとなんかいつもうん。 そう、なんか先ほどあの就職の時に言ってた、あの、自分で行くみたいなとか、あとあの本を読みに行くとか言ってたじゃないですか。あいう人ってだんだん若者で減ってきてるじゃないですか。ま、実際なんかそういうやり方で頑張る若者に対してそう嫌悪感があるのか、それとも頑張ってるねって思うのか、やっぱどうなのかなって聞きたくて先輩方になんかどうなんですかね。鬱陶しいってやっぱ思うんですかね? 思うな、思うな。頑張ってるねと思うよ。 あ、本当ですか? うん。全然。あの、 ただみんな最近の子たちごめんなさい。先に挟んでも あの諦めが早いかなと思うね。 なるほど。確かに うん。諦めんなって思うんだけど。 うん。 ま、うちの息子もそうだけど割とクレバーに物事の先までしっかり考えちゃうんで、その失敗はしたくないからやらないっていう スタイルかなっていうのが、 ま、身近にいるからそう思っちゃうのかもしれないけどね。 うん。確かに。 やる、やらないっていうか、例えばね うん。うん。 その僕らがそれをやってたのは他に方法がなかったからで、今法があるから。 まね、確かに確かに 方法があるのにやらないやつはダメだと思いますよ。 ああ、なるほど。 うん。あとね、僕本当にあの若者にもね、じじにも思いますけどね、やらない理由を考えるやつはダめですね。 [音楽] うん。 いや、 ああ、いい。 これはこうだからやらなくていいって言ってるやつは多分伸びないと思う。 いる、いる。 確かに。 うん。 一生懸命それ考えていや、だからいいんだよっていうのはうん、 もう違うかなっていう。 うん。 やる理由を考えたり うん。やれないならやれないでよくて うん。 やらないはいいんだけどやらないのはこうだよって理屈つけてるのはまずダメだと思うな。 確かになる。 だって自分ではやらなきゃいけないと思うから理屈が必要になるわけで てことはやらなきゃいけないと思うことをやめてるわけじゃない。 それだめだよね。やりたくないことやらないのはいいんだよ。 うん。 逃げたっていいし。 なるほど。 だけど自分がやりたいと思ってることに嘘つくやつはダめだね。 なるほど。 そこだけ。あとはいいよ。逃げても休んでも。うん。うん。 そうだよ。 はい。 た話伺いるんですけれど、ちょっと最後に 1 エピソードちょっと紹介したくて、僕共通さっきは高橋子さんも共通の人なんだけど、 藤原刑二さんっていう声優さんがあのしんちゃんのパられたんですけれど、 えっと、ま、北村さんからの紹介もあってお会いして仲良くなって、え、晩年ずっとお仕事させていただいてたんですけれど 思い出があってあの北村さんと僕 と藤刑二さんで神田のフォーク坂のシ行って歌ったの刑二さんが その歌がまたね 泣けるぐらい素晴らしい僕も思ってますけれど公開はできないですけど ですね 最高ですよね最高でしたし なんか素晴らしい声優さんだったので僕はそのビジネス声優ってビジネスで今お仕事させてもらってるんですけど ま刑二さんと知り合ったのが北村さんのおかげなので そこはすごい感謝してあの実う 仕事はね、いくつかしてたんですけど、そうですよね。実際に遊びに行くまでのね、 人間関係できたのが北村さんのおかげだったかなっていうの。 そのさっき言ったさ、ボイストレーニングは藤原刑二さんと作ったんですよ。 あ、そうか。 そう。あの、彼のところにいる声優さん、藤村好みちゃんっていう、もう今エア離れちゃったけどうん。うん。 もう娘のようにしてんだけど、その子がシンガーの活動ユニットでやってる時にあの所属が声優としての所属がエアエージェンシー豚歌の部分をうちがっていう時に初めましてって 同い年で うんうん 結構かっこいい人でさ、こうあの格好つけた話し方でこう色々話すんだけど面白い人で うんうん であのすごく共感してくれて歌のあれに関してじゃ一緒にやりましょうみたいな うん そうこういう時ついにモ 真似しようしそうになんだけどするたびにね、あの弟子たちにね、やめてくださいっていう藤原刑事を怪我すんじゃない。 ああ、でもかっこいい人。 かっこいい人でしたね。それでちょっと病気になっちゃって、その一緒にやってる間にね。それでそれからちょっと仕事もセーブして ちょっと時間もできたからいっぱい色々遊んでうん。うん。 藤原刑二さんが少年時代に食べたラーメンを食べに岩手まで ええ、すごい。4人、友達4人で みんなで行くって 雪が降りしきる中車であの現地で回って [音楽] 刑二さんが昔食ったラーメン食って 帰ってくるみたい いい思い出 すっげえ楽しかったです。あと味フライだけ食いに小田原まで行ったしね。 それ男3人で行ったんだけど 最後海外に寝っ転がってきた。 ああ、いいなあ。 面白かったな。色々いい思い出を 本当に遊んだ。あの その 最高の セーブされてからね。うん。すいません。 さて、え、最後にそれこそもうだいぶ若者に対してのメッセージを頂いたんですけれど、 北村さんの、ま、今後の夢と言いますかをちょっと伺って閉めたいと思うんですけどでしょう? はい。僕ね、本当夢なのはね、今ちょっとやりたいと思って少し考えてんだけどね、コミュニティ作りたくて うん。 うん。うん。 例えばあの、作る人と歌う人と例えば声優さんと うん。うん。 じじと うん。 がなんかこう集まってここでもう音作っててここでちょっと録音ができて うんうん でこっちででこう昔のペンタじゃないけどちょっとここで喋ってくれる人募集みたいなネット上でもいいのかもしれないんだけどうん。 そういうコミュニティからなんか発生するものが次かなってすごく 思ってて、今バラバラになってるものが勝手なあのダイレクトメッセージで繋がってるけどなんかそれがこうもうちょっとこう箱的に みんなが繋がるような場所があると 面白いなと思ってそういうの作りたいなっていうのは今有夢ですね。分かり すごい 面白いかなと思って作った。 ああ、面白いです。 はい。 というわけで、えっとね、お話を伺ってまいりましたけれど、ま、最高の うん。 めっちゃ楽しかった。 力力がけてらっしゃる。 え、音楽ディレクターの北村さんでした。ありがとうございました。お邪魔いしました。 ありがとうございました。お送りしてまいりました。野ザピー白島なのレディオンビートあっという間にエンディングの時間です。 [音楽] はい。番組では公式X もやっています。収録後の写真の計算やもしかしたらプレゼント企画があるかもしれません。 是非フォローや拡散よろしくお願いします。 はい。今日はね はい。 素晴らしい話を北村さんに色々伺いましたがシーマナビートそんなものに対してどうでしょうか? な、シーナビートはあの西人寄りと美の例えがやっぱすごいあった だったなって思ったんです。なるほどと思っちゃいましたね。はい。 ああ、なんかあの新人って嫌がら立場なのかなと思ってたらやっぱそこをアップしていきたいと思ってくださってる方もいるんだなってことして そうね。 やっぱ新しい方々もっとこの業界目指して活性化してよりいいものを作っていくのがねできるんじゃないかなってより強く思いました。 うん。そう。だから僕らおじいちゃん系の人たちはですね、そんな若者を応援するし、 バックアップするし、知識はいくらでも提供するので、なんからそれをね、利用してどんどんどんどんね、登り詰めて欲しいなんて思ったりしますが、あなたもね。 はい。頑張ります。とりあえず国報見てきます。 はい。 それではお別れです。ここまでの相手のザピことのザケジと シナこと白いシナでした。せーの バイビ。 [音楽]
アニメ音楽・音響制作・声優業界に興味がある人集まれ!!
のざPラジオがYouTubeで復活!
音楽ディレクターとしてサザンオールスターズ、泉谷しげる、東京少年、KONTAなどのアーティストを担当し、「機動戦士ガンダムSEED」「機動戦士ガンダム00」他数々のアニメの楽曲プロデュース、音響制作を手がけてきた野崎圭一のラジオが映像付YouTube番組としてスタート!!
アシスタントは声優を目指して勉強中、元ラストアイドルの白石真菜。
今回のゲストは音楽ディレクター北村岳士さん。
【北村さんProfile】
PAPA-Xinc. 代表:北村 岳士
1999年音楽制作会社「PAPA-X」を設立。小柳ゆき、石井竜也らへの楽曲・編曲提供などから活動をスタート。 2008年以降はインディーズレーベルやカフェミュージックを手掛け、クレモンティーヌによる「アニメ ンティーヌ」シリーズは25万枚を超えるヒットを記録。さらにMeja、ERIC MARTIN、など海外アーティ ストの制作も手掛ける。 2014年には手嶌葵のアルバムをプロデュースし、楽曲「明日への手紙」が月9ドラマ主題歌に起用。 2015年にはプロ専用ボイストレーニング会社「Gravity」を設立し、俳優やアイドルの歌唱指導を担当。 2021年にはネットシンガーやVTuberを手掛ける「or LLC」を立ち上げ、これまでの経験と技術を活かし ながら現在は多くのネットミュージックの制作を行っています。
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業務履歴 1989年 ケイ・ミュージックパブリシング入社 *原盤制作/マネジメント/プロモーター(CM) 鮎川麻弥/JIVE/渕上義人/森村献/難波弘之
1992年 オー・エンタープライズ入社 *マネジメント/プロモーター(CM) 稲垣潤一/井上順/和田加奈子/伊豆田洋之/鈴木雄大 *音楽制作セクション Odin設立 社内音楽制作 窪田晴男
*1998年 テレビ東京「えびたい」制作参加
1999年 PAPA-X 設立
*原盤制作/スタジオ/マネジメント 小柳ゆき、藤本美貴、石井竜也などJPOPアーティストへの楽曲/編曲提供業務からスタート 2008年自社アーティストのインディーズレーベルをスタート 2010年アニメソングをボッサでカフェミュージックに仕立てる「Bossa Du Animé」を企画 クレモンティーヌを歌唱に迎えた「アニメンティーヌ」シリーズが25万枚のヒット。 「天才バカボン」がサントリーオールフリーのCMに採用される。
その後、Meja、ERIC MARTIN、Debby Gibsonなど洋楽アーティストの制作を手掛ける。 2012年ローソンエンタテインメントとカフェミュージックのレーベルを設立 同時期、アイドルによるカフェミュージック、ママアーティストによるマタニティヒーリングミュージッ クなどアンビエント系の音楽プロデュースが増加。 2014年手嶌葵のアルバムプロデュースを拝命、いしわたり淳治、内山肇、平井真美子、兼松衆などの作 家陣でアルバムを制作。自社所属アーティスト(当時)池田綾子へのディレクションで制作した「明日へ の手紙」が坂本裕二氏の耳に留まり、のちに月9「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の主 題歌に登用される。
2015年 Gravity合同会社設立(ボイストレーニング) *プロ専用のボイトレ:シンガーのほか中条あやみ、広瀬すずなど映画出演時の俳優の歌唱調整、アイ ドルグループのライブ歌唱などエンターテインメントビジネスを歌唱の向上/調整することでサポート。 ボーカルディレクションにおいて信頼できるボイトレがなかったため、仲間の声優事務所/タレント事務 所と共同でプロ専用のボイトレ:Gravity合同会社を立ち上げる。 PAPA-X/エア・エージェンシー(元)/クインズアベニュー(元)
Gravityとの連動により、アイドルグループの歌唱指導など歌を主眼にした制作業務が増える。
同時にこの頃からボカロP、ネットミュージックアーティストが台頭。 作品における歌のディレクションも作家がイメージ通りに行うケースも増え、歌唱の技術サポートの業務 が増える。 所属クリエイターもエンジニア以外では楽曲/編曲の提供が激減し、トラックメイカーの補助的な作業 が増え、音楽制作の様式が急激に変化してくる。
2021年 or LLC設立(ネットミュージックプロデュース/レーベル) *シンガーWaMiのプロデュース/レーベルとしてスタート ネットシンガー/V Tuberのプロデュース などを行う。
ネットミュージックのプロデューサーと共同制作を行うプロデュース会社を設立。
V Tuberのプロデュースなどを行い、ネットミュージックの様式を得る。
これまでの経歴によるキャスティング、Gravityを連動させた歌唱を向上させる技術など、ネットミュー ジックの感覚的なプロデュースに技術/経験を付加することで作品のクオリティを上げるサポートを行 う。
《番組ではお便りを募集しています》
https://pro.form-mailer.jp/fms/798175ba307012
次回は2025年8月4日20時からを予定しています
【SNS】
《番組公式》
Tweets by Radion_Beat
《野崎圭一》
Tweets by nozaki_p
《白石真菜》
Tweets by shiraishi_mana
#野崎圭一
#白石真菜
2件のコメント
仕事終わって放送なんとか間に合ってみれた!
この番組が始まったころから比べると、お2人の距離がスゴく近くなっているのが分かりますね。
のざPさんがしーまなチャンを可愛がっているのも、しーまなチャンがのざPさんを慕っているのが伝わります。
この名コンビをこれからも楽しみにしています♪