年金月30万、貯蓄3200万円で破綻した老後。70代夫婦の告白「子供の将来のため、良かれと思って伝えた『資産額』が、私たちのすべてを奪いました」【60代以上の方へ】【70代夫婦の後悔】
私たち夫婦は40年以上もの間節約し、 権約を重ねて平穏で安全な老語を築いてき ました。病気、長期介護費用、遠手の旅行 費などあらゆるシナリオに備えてきた つもりでした。しかしまさかその面密な 準備こそが人生最大の嵐の種になるなんて 。その嵐の名前は愛情でした。皆様、 そして皆さん、私たちのチャンネルにお 帰りなさい。今日はある物語をお聞かせし たいと思います。私の名前は沖き子。70 歳です。夫の春人は73歳。私たちは普通 の夫婦として平凡だけれど充実した人生を 歩んできました。パジンは40年間市役所 で真面目に働き続けた公務員でした。私は 専業主婦として家庭を支え2人の子供を 育て上げました。長女のふ子は45歳、 長男の正弘は53歳。どちらも結婚し、 それぞれの家庭を築づいて独立していまし た。私たちの老後設計は完璧でした。いえ 、完璧だと思っていました。毎月の年金 収入は2人合わせて30万円。春人の厚生 年金が22万円。私の国民年金などを 合わせて残りの8万円です。この金額が あれば贅沢をしなければ十分に暮らして いけます。そして何より誇らしかったのは 私たちの貯蓄額でした。3200万円。 この数字を口にするたび、私は少し 恥ずかしいようなでも誇らしいような複雑 な気持ちになります。これは春人の退職金 と何十年もかけて積み重ねた貯金の決勝 でした。旅行が我が満し外食を控え洋服も 必要最低限わず子供たちにも無駄遣いは いけないと厳しく教えてきた結果でした。 家のローンも10年前に関西していました 。2階建ての一軒屋は決して豪華ではあり ませんが、2人で暮らすには十分すぎる ほど広く手入れも行き届いています。1階 にはリビング、キッチン私たちの寝室が あり、2階には子供たちが使っていた部屋 が2つと物置きとして使っている小さな 部屋があります。毎朝6時30分に目を 覚まし、春人と一緒にコーヒーを入れて 新聞を読む時間は私たち夫婦にとって 何よりも贅沢な一時でした。40年間春人 は毎朝7時には家を出て夜も遅くまで働い ていました。私も家事と育児に追われ婦で ゆっくりと朝を迎えることなど夢のまた夢 でした。でも今は違います。時間は たっぷりとありました。春人は定年後 ガーデニングに目覚めました。小さなには ですが季節ごとに花を植え替え野菜も育て ています。トマトやキュウリ、ナスなど 食卓に新鮮な野菜が並ぶのを見るたび、私 は幸せを感じていました。私自身は読書に 時間を費いやすようになりました。若い頃 から本が好きでしたが、家事と育児に 忙しくゆっくりと本を読む時間などあり ませんでした。今では図書館で借りてきた 小説を午後の日りで読むのが日家となって いました。週に2回は近所の公演を散歩し 、月に1回は温泉旅行を計画していました 。もちろん豪華な旅行ではありません。1 泊2日の近場の温泉で宿泊費も1人1万円 程度の失素なものです。でもそれでも 私たちにとっては十分な贅沢でした。長年 の夢だった夫婦2人だけの時間を心ゆく まで楽しんでいました。何より私が安心し ていたのは将来への備えが万全だったこと です。もし私たちのどちらかが病気になっ ても医療費は十分に賄えます。 もし介護語状態になっても介護施設に入る 費用も確保してあります。子供たちに迷惑 をかけることなく最後まで自分たちの力で 生きていける。そう信じていました。その 安心感こそが私たちの老後の最大の財産だ と思っていたのです。朝のコーヒータイム で春人と語り合うのはこれからの計画に ついてでした。来月は紅葉を身に行こう。 来年の春には桜の時期に京都を訪れてみ たい。そんなもない話でしたが、私たちに とっては希望に満ちた会話でした。子育て と仕事に追われた40年間を経てようやく 手に入れた穏やかな時間。私たちはその 日常を心から大切にしていました。 がその平穏な日々に最初のひび割れが生じ たのは桜の花びが毎る4月の午後のこと でした。インターホンの音が成り響いた時 、私は台所で夕食の準備をしていました。 春人は庭でトマトの苗を植えている最中 でした。来客の予定はありませんでしたし 、宅配便の時間でもありません。私は手を 吹きながら玄関に向かいました。ドアを 開けるとそこには娘のふみ子が立ってい ました。そしてその隣には小学3年生の 孫娘花が母親の後ろに隠れるように立って いました。ふみ子の目は赤く晴れ上がり、 方には涙の跡がくっきりと残っていました 。鼻の表情も暗く、いつもの明るい笑顔は 影を潜めています。母親の直感というもの でしょうか。一目見ただけでただならぬ 事態が起きたことを悟りました。心臓が ドキドキと早金を打ち始めます。ふみ子は 結婚して15年。夫の健二とは仲む つまじい夫婦だと思っていました。年に数 回家族で遊びに来てくれる時も2人の関係 は良好に見えました。でも目の前のふみ子 の姿はそんな私の認識を一瞬で覆返しまし た。ふみ子、どうしたの?何があったの? 私の言葉にふみ子は席を切ったように 泣き出しました。お母さん、私離婚したの 。その言葉はまるで雷に打たれたような 衝撃でした。春人も庭から駆けつけてき ました。父で汚れた手を慌ててタオルで 拭きながら状況を理解しようとしています 。ふみ子、落ち着いて。まず中に入り なさい。春人の声は震えていました。 リビングに座ったふみ子から少しずつ事情 を聞き出しました。夫の剣事の浮気が発覚 したこと、もう修復は不可能だと判断した こと。調底を経て先週正式に離婚が成立し たこと。ふみ子の声は時々と切れ、涙で 言葉にならないこともありました。花は 黙ってママの隣に座り、時々不安に大人 たちの顔を見上げています。慰謝料は もらったの。春人の現実的な質問にふみ子 は首を振りました。ケ事に財産はほとんど なかったし、むしろ借金があることが 分かったの。養育費も月3万円がやっと。 3万円。その金額の少なさに私は言葉を 失いました。都内で母子2人が暮らすには あまりにも心もない金額です。ふみ子は 続けました。アパートを探したんだけど、 母子家庭だと審査が厳しくて保証人も必要 で、今の貯金じゃとても金を払えないし、 鼻の天候手続きも考えると声は次第に 小さくなり、最後は聞き取れないほどに なりました。そしてふみ子は胃を消した ように顔をあげて言いました。お母さん、 お父さん、しばらくここに住ませてもらえ ませんか?本の一時的です。状況が 落ち着くまでお願いします。その瞬間、私 と春人は何の迷いもありませんでした。 当然よ、ふみ子、ここはあなたの実家なん だから。は人がすぐに答えました。私も 大きく頷きました。困った時はお互い様。 家族なんだから助け合うのは当たり前。で も今思えばその時の私たちはあまりにも 楽観的だったのかもしれません。一時的と いう言葉をそのまま受け取ってしまいまし た。具体的にどのくらいの期間なのか、 どのような条件でお手伝いするのか、そう いった詳細について話し合うことはあり ませんでした。ただ愛する娘と孫が困って いるという事実だけで十分でした。その日 の夜、私たちは2階のふみ子の昔の部屋を 急いで片付けました。もう何年も物置きと して使っていたその部屋には古い家具や 季節外れの衣類、春人の趣味のゴルフ用品 などが積み重なっていました。それらを別 の部屋に移し、簡易ベッドを追加で購入し ました。鼻が使うためです。翌日、ふみ子 は最低限の荷物を持って引っ越してきまし た。ダンボール箱が5つ、スーツケースが 2つ、15年間の結婚生活の痕跡としては あまりにも少ない荷物でした。その荷物の 少なさがふ子の置かれた状況の厳しさを物 が立っているようで胸が痛みました。最初 の1ヶ月は確かに楽しい時間でした。久し ぶりに家の中が賑やかになりました。食事 の支度も4人分となり、私は昔の感覚を 思い出しました。花は人夏っこい子でお じいちゃんおばあちゃんと呼んで甘えて くれます。宿題を一緒に見てあげたり、 近所の公園に連れて行ったり、久しぶりに 孫ご過ごす時間は本当に幸せでした。 うみ子も最初の頃は申し訳なさそうにして いました。お母さん本当にありがとう。 迷惑をかけてごめんなさい。必ず早く自立 するから。そんな言葉を何度も聞きました 。私は大丈夫よ。ゆっくりでいいからと 答えていました。実際その頃はまだ本当に そう思っていたのです。でも1ヶ月が過ぎ 、2ヶ月が過ぎてもふみ子が仕事を探して いる様子はありませんでした。どうして 働かないのと聞くとふみ子はいつも同じ 答えを返しました。花が環境の変化で とても不安定になっているの。今は花に 集中したいの。転候したばかりで友達もい ないし、夜泣きもするようになったの。私 が働きに出たら花はどうなるの?確かに花 は最初の頃夜中に泣くことがありました。 パパに会いたい、前の家に帰りたいと言っ てなく花をふみ子が抱きしめて怪している 声が聞こえてきました。そんな孫娘を見て いると私も何も言えませんでした。子供の 心の傷は大人が思っている以上に深いもの かもしれません。それでも現実的な問題は 日々積み重なっていきました。食費は確実 に増えました。高熱費も跳ね上がりました 。花の学校関連の費用、文房具、洋服、 習いごとの費用。ケ事からの養育費3万円 ではとても足りません。私たちの家計から 毎月10万円以上が出ていくようになり ました。春人は時々ため息きをついてい ました。計算してみたんだけど、この ペースだと年間150万円くらいは余分に かかるな。でも春人はそれ以上のことは 言いませんでした。私も同じ気持ちでした 。お金の問題ではない。家族を助けるのは 当然のこと。そう自分に言い聞かせてい ました。ところが3ヶ月目に入った頃から ふ子の態度に微妙な変化が現れ始めました 。最初の頃の申し訳なさそうな様子が薄れ 、この生活が当たり前になってきている ように見えました。お母さん買い物に行く 時にお肉を多めに買ってもらえる。花が 最近お肉をよく食べるようになったの。 お母さん、花の夏服を買いに行こうと思う んだけど、一緒に来てくれる。そして 支払いは当然のように私に任せられました 。私はふみ子の気持ちも分かりました。 離婚という大きな傷を多い、将来への不安 でいっぱいなのでしょう。甘えたい気持ち も理解できます。でも少しずつ違和感を 感じ始めていました。一時的と言っていた のに自立への具体的な計画が全く見えてき ません。それどころかこの生活に安住して いるように見えました。そんな状況が続い た6ヶ月後の秋のある日、私たちの平穏な 老後に2番目の大きなひび割れが生じまし た。その日の夕方電話が鳴りました。 ふみ子が花を迎えに学校に行っている間で 家には私とハ人だけでした。 電話の相手は長男の正弘でした。正弘は 大手電気メーカーに務める真面目な サラリーマンでした。結婚して20年、妻 のミカと高校生の息子1人の3人家族です 。年収も安定しており、私たちが心配する 必要のない息子だと思っていました。 お母さん、お疲れ様。正弘の声は普段より も疲れているように聞こえました。 最初は普通の世間話でしたが、だんだんと 正広の本当の状況が見えてきました。実は 会社の業績がかなり悪くてリストラが 始まったんだ。僕の部署も統合されること になって転職を考えているんだけど、もう 50代だし、なかなか良い条件の会社が 見つからなくて、正弘の声にはこれまで 聞いたことのない弱さがありました。それ だけではありませんでした。妻の美香が 高年期で体調を崩し、家事もままならない 状態が続いているとのこと。息子の大学 受験も控えており、熟代や受験費用も重ん でいる。家のローンも残り10年分ある。 これまで純風満パだと思っていた正弘の 人生に様々な困難が振りかかっていました 。そして正弘はためらいがちに確信を告げ ました。お母さん、お父さん、僕会社を やめることにしたんだ。もう限界だよ。 毎日終電で帰って休日も仕事。体も心も ボロボロになってしまった。しばらく実家 で休ませてもらえないかな。転職活動も 実家からの方がやりやすいし、電話を切っ た後、私とハ人は顔を見合わせました。 ふみ子に続いて、今度は正もハ人の表情は 複雑でした。息子の苦しさは理解できる。 でも現実的に考えて5人家族での生活は 可能なのだろうか。でも息子が助けを求め ている。それは親として無視できることで はありませんでした。分かった。正 家族なんだから困った時はお互い様だ。 春人は迷いながらもそう答えました。1 週間後、正弘は大きなスーツケース3つと ダンボール箱を抱えて実家に戻ってきまし た。2階のもう1つの部屋が正広の居住 空間となりました。これで2階は完全に 2人の子供たちに選挙されることになり ました。正弘が戻ってきて最初に気がつい たことは彼の生活リズムが私たちと全く 違うということでした。長年の激務の反動 でしょうか。正弘は夜中の2時3時まで 起きていて昼頃まで眠っています。転職 活動をしているのかと思いきやほとんどの 時間をテレビを見たりインターネットをし たりして過ごしています。お父さん、転職 活動はどう?春人が聞くと、正弘はいつも 同じような答えを返しました。まだ体調が 完全に回復していないんだ。もう少し休ん でから本格的に始めるよ。でもそのもう 少し外つまでなのか具体的な計画は全く 見えませんでした。家計への負担は一気に 膨らみました。5人分の食費高熱費の急激 な増加正広の中夜逆転生活による電気代の 後頭月の支出は以前の倍近くになりました 。年金収入30万円では全く足りず毎月 20万円近くを貯金から取り崩すように なりました。それでも最初の頃はふ子も 正弘も感謝の気持ちを表してくれていまし た。お母さん、お父さん、本当に ありがとう。迷惑をかけてごめん。必ず 恩返しするから。そんな言葉を聞くたびに 私たちも頑張ろうという気持ちになりまし た。でも時間が経つにつれてその感謝の 言葉は少なくなっていきました。そして 驚くべきことに子供たちの態度が変わり 始めたのです。ある日、ふみ子が何気なく 言った言葉が私の心に深く刺さりました。 お母さんたちは貯金もたくさんあるし、 年金もしっかりもらっているから大丈夫 でしょう。私たちを助けるくらい何でも ないことよね。その言葉を聞いた時、私は 言葉を失いました。確かに私たちには貯金 があります。でもそれは40年間かけて 気づき上げた。老後の安心のためのお金 です。無限にあるわけではありません。 そして何よりその言葉からは感謝の気持ち が全く感じられませんでした。正広も似た ようなことを言うようになりました。今の 時代は僕たちの世代には厳しいんだ。 お父さんたちの時代は経済も安定していた し、就寝雇用も保証されていた。僕たちは 就職表学世代でずっと苦労してきた。 お父さんたちが僕たちを支えるのはある 意味当然のことじゃないか。私は愕然とし ました。いつの間に私たちの善意が当然の ことになってしまったのでしょうか。いつ の間に感謝の対象から権利に変わって しまったのでしょうか。夜布団の中では人 と話し合いました。このままでいいの かしら?私たちの老語は一体どうなるの? ハ人も同じ不安を抱えていました。計算し てみたらこのペースだと年間に240万円 の赤字だ。貯金がそこをつくのも時間の 問題だよ。でも私たちには決定的な行動を 取る勇気がありませんでした。子供たちを 見捨てることはできない。家族なのだから 。そう自分に言い聞かせて日々を過ごして いました。そんなある日の夕方もう1つの 試練が私たちを待ち受けていました。ふ子 と正が同時にリビングにやってきて深刻な 顔で私たちに向かい合いました。お母さん お父さん相談があるの。ふみ子が唇を切り ました。花の中学受験のことなんだけど、 やっぱり私立を受けさせたいの。今の状況 だと効率しか無理だと思うんだけど、花の 将来を考えるとふ子の言葉に私は絶しまし た。正弘も続けました。僕も転職活動を するにあたって資格を取った方がいいと 思うんだ。専門学校に通いたいんだけど 学費が必要で将来への投資だと思って援助 してもらえないかな。私はその瞬間これ まで感じたことのない怒りが込み上げて くるのを感じました。花の教育費、正広の 学費。確かにどちらも将来への投資かも しれません。でもその費用を私たちの貯金 から出すことが果たして当然のことなの でしょうか?春人が静かに言いました。 それは少し考えさせてくれ。すぐには答え られない。その夜私たちは遅くまで 話し合いました。そしてある重要な事実に 気がつきました。私たちが気づき上げてき た老資金がまるで損なし沼のように消えて いっている。このままでは私たち自身の 老語が破綻してしまう。愛する子供たちと 魔のためならどんな犠牲も糸はない。そう 思っていました。でもこれは本当に子供 たちのためになっているのでしょうか? 私たちが支援を続けることで子供たちは 自立する機会を失っているのではない でしょうか。そして何より私たちの人生 設計が根底から崩れ去ろうとしていました 。平穏で安心な老語、それは遠い夢語に なってしまったのです。翌朝いつものよう にコーヒーを入れながら私は春人に言い ました。もう限界よ。このままでは私たち の老語はめちゃくちゃになってしまう。 春人も深く頷きました。だけどどうすれば いいんだろう。子供たちを追い出すわけに もいかないし。その時私たちはまだ知り ませんでした。この状況がさらに深刻な 展開を見せることになるとは。私たちの 静かな老語に振りかかった嵐はまだ始まっ たばかりだったのです。あの夜から私たち の生活は完全に変わってしまいました。5 人家族となった大きの朝はかつての静寂な 時間とはほど遠いものになっていました。 朝6時30分。私がいつものように目を 覚ますとすに台所からは物音が聞こえてき ます。ふみ子が花の朝食とお弁当の準備を しているのです。最初の頃は私が全部やっ ていたのですが、ふみ子が手伝いたいと 申し出た時は正直ほっとしました。でも 実際はそう簡単ではありませんでした。 ふみ子の料理は私のやり方とは全く違い ました。調味料の使い方も食材の切り方も 片つけ方も私が40年間かけて身につけた 台所での段取りがすっかり狂ってしまい ました。ふみ子はふみ子なりに一生懸命 やっているのですが慣れない台所での作業 は時間がかかり結局私が手伝わなければ ならない状況が続きました。お母さん、お 醤油はどこ?お母さん、鼻の弁当箱の蓋が 見つからない。お母さん、この野菜の切り 方で大丈夫?次から次へと質問され、私は 自分のペースで朝の準備を進めることが できませんでした。春人のコーヒーを 入れる時間も、新聞をゆっくり読む時間も すっかりなくなってしまいました。穴は 小学3年生ですが、新しい環境になかなか なれません。朝になると度々お腹が痛いと 言って学校に行きたがらないのです。 ふみ子は心配そうに花の額に手を当て、熱 がないか確認しています。大丈夫よ、はな ちゃん。今日も楽しい1日になるわよ。 そう言いながらふみ子自身も不安そうな 表情を浮かべています。結局私が花を学校 まで送ることが多くなりました。歩いて 15分ほどの道のりですが、花は途中で何 度も立ち止まります。おばあちゃん本当に パパには会えないの?おばあちゃん、私前 の学校に戻りたい。そんな花の言葉を聞く たびに胸が締めつけられる思いでした。花 を学校に送り届けて家に戻ると、今度は 正弘の問題が待っています。正弘は相 変わらず昼近くまで眠っており、起きて くるのは11時過ぎです。私たちが昼食の 準備をしている時間に、正弘はようやく 朝食を取ります。おはよう、お母さん。 正弘の挨拶は時計の針が12日を刺す直前 でした。昨夜は転職サイトをチェックして いて遅くなってしまったと正は説明します が、実際には深夜までテレビを見たり ゲームをしたりしている音が聞こえてい ました。正広の食事の準備も私の日家と なってしまいました。朝食と言っても実質 的には昼食に近い時間なのでしっかりとし た食事を用意しなければなりません。ご飯 、味噌汁、焼き魚、野菜炒め、サラダ、 まるで旅館の朝食のような豪華さです。で も正広は当然のように食べ、当然のように 食器をそのまま流し台に置いて自分の部屋 に戻っていきます。午後になるとふみ子は 花の迎えに行きます。学校が終わるのは3 時頃ですが、ふみ子は30分前には学校の 前で待っています。 他の母さんたちと話をするのが嫌だというのです。離婚したことを知られたくない。周りの目が気になる理由でした。鼻が帰ってくると宿題の時間です。ふみ子は鼻の勉強を見ているのですが毎日大変な騒動になります。は中力が続かずに泣き出しまうのです。どうして分からないのちゃんと聞いていなさい。 ふみ子の声がだんだんと厳しくなり、鼻の 鳴き声も大きくなります。結局私が中裁に 入ることになります。はなちゃん大丈夫よ 。ゆっくりやりましょうね。おばあちゃん が一緒に見てあげるから。ふみ子は申し訳 なさそうには多を見ますが自分では対処 できないことを分かっています。私は孫娘 の勉強を見ながら自分がいつの間に小学生 の家庭教師になってしまったのだろうと 思いました。夕方5時頃になると正が部屋 から出てきます。転職活動の成果はどうと 春人が聞いても正弘の答えはいつも曖昧 です。いくつか面接の約束を取り付けて いるんだけど、条件が合わなくてもう少し 良い案件を探しているところなんだ。でも 実際に面接に出かけている様子は全く見 られませんでした。正弘が求めている職場 の条件はかなり厳しいものでした。年は 全職と同等以上、残業は月に10時間以内 、土日祝日は完全休み、有給休暇は確実に 取得できること。確かに理想的な条件です が、50代の転職でそのような条件の職場 が簡単に見つかるとは思えませんでした。 お父さんの時代とは違うんだよ。今は働き 方改革が進んでいて、ワークライフ バランスを重視する企業じゃないと長続き しない。正弘はそう言って自分の高い理想 を正当化しています。でも現実的に考えて そんな理想的な職場を待っていたらいつ まで経っても就職できないのではない でしょうか。夕食の時間は家族5人が揃う 貴重な時間でしたが、それもだんだんと 苦痛になってきました。以前は春人と2人 でその日合った小さな出来事や明日の予定 について話しながらゆっくりと食事を 楽しんでいました。でも今は子供たちの 要求や愚痴を聞く時間になってしまいまし た。お母さん、明日花の3日なんだけど、 一緒に来てもらえる。ふみ子は私に頼み ます。自分1人で行くのが恥ずかしいのだ というのです。離婚して母子家庭になった ことを他の保護者に知られたくないの でしょう。私は心よく引き受けますが、 内心では複雑な思いでした。いつまでふ子 の代わりに祖母の役割を続けなければなら ないのでしょうか。お父さん、僕の国民 健康保険の手続きを手伝ってもらえる。 正弘は春人に頼みます。会社をやめたので 自分で健康保険に加入しなければならない のですが手続きが面倒だというのです。 春人は元公務員なのでそういった手続きに 詳しいのは確かです。でも53歳の大人が 自分でできない手続きではありません。 食事中の会話も次第に私たち夫婦にとって 重荷になってきました。ふみ子は元夫の 悪口をえ々と話し、正弘は前の会社への 不満を長々と述べます。私たちは黙って 聞いているしかありませんが、毎日同じ ような話を聞いていると精神的に疲れて しまいます。ある日の夕食時正弘が突然 言いました。お父さん、お母さん、僕たち がここにいることで高熱費がかなり上がっ ているよね。申し訳ないと思っているんだ 。その言葉を聞いて私は期待しました。 もしかして正弘が経済的な負担を分担して くれるのではないかと。でも正弘の次の 言葉は全く違いました。から僕の部屋の エアコンは我慢して使わないようにして いるんだ。夏は暑いし、冬は寒いけど お父さんたちに迷惑をかけるわけにはいか ないから。正弘は自分が我慢していること をアピールしているだけで実際に費用を 負担しようという意思は全く見られません でした。ふみ子も似たようなことを言い ます。お母さん、私たち母がいることで 食費がかかって申し訳ないわ。だから花に はお菓子やジュースは我慢するように 言い聞かせているの。でも実際にはふみ子 は週に何度もコンビニでお菓子やの見物を 買っており、その支払いは私がしていまし た。私はだんだんと理解してきました。彼 らは形だけの謝罪はするけれど、実際に 状況を改善しようとする行動は取らないの です。むしろ自分たちが我慢していること を強調することでより多くの同場と支援を 引き出そうとしているように見えました。 家計への圧迫は日に日に深刻になってい ました。私は家計簿を細かくつけているの ですが、その数字を見るたびに学然とし ました。5人分の食費は月28万円を超え ています。以前の2人分の食費は月6万円 程度でしたから3倍近い増加です。高熱費 も驚くほど上がりました。電気代は月 3万円を超え、ガス台も2万円近くになり ています。正広が夜中までテレビを見たり パソコンを使ったりしているため電気の 使用量が激増しました。また5 人分の選択や浴でスの量も大幅に増加しました。道も月 1万5000円になりました。以前は月 5000円でしたからも 3 倍の増加です。み子は鼻の洋服を毎日選択し、正弘は 時間のシャワーを浴びます。 私たちが節約のために心がけていた生活 習慣がすっかり無意味になってしまいまし た。さらに予想していなかった出勤も次々 と発生しました。花の学用品、ふみ子の 化粧品、正広の散発台、医療費、交通費、 小さな金額でも積み重なると相当な額に なります。私が1番ショックを受けたのは ある日ふ子が何気なく言った言葉でした。 お母さん、お父さんたちの貯金ってどの くらいあるの?老後の生活費としては十分 すぎるでしょう。だったら私たちが困って いる時に使うのは当然よね。だって最終的 にはその財産は私たちが相続するんだから 。その言葉を聞いた時、私は言葉を失い ました。 確かに私たちには3200万円の貯金が あります。でもそれは私たちの老語の安心 のために40年間かけて気づき上げた大切 な財産です。病気になった時、介護が必要 になった時、そのお金があるからこそ子供 たちに迷惑をかけずに住むと思っていまし た。ところがふ子にとってはそれはすに 自分たちの財産であり、今使っても構わ ないものだと考えているのです。私たちが 生きているうちから相続財産として計算に 入れているのです。この発送に私は深い ショックを受けました。正広も似たような 考えを持っていることが後日判明しました 。僕たちの世代はバブル崩壊介護後の就職 氷河き世代なんだ。 お父さんたちの世代とは全く違う。高度 経済成長期に就職して就寝雇用と年光除列 に守られて退職金もたっぷりもらって僕 たちはそんな恵まれた時代を知らない。だ からお父さんたちが僕たちを支援するのは 世代感覚さを埋める意味でも当然のことだ と思う。正弘は自分たちの困難を時代背景 のせいにして私たちの支援を当然の権利だ と考えているのです。確かに時代の違いは あるでしょう。でもだからと言って親の 財産を当てにして生活することが正しいの でしょうか?私は春人に相談しました。 このままでは私たちの老護資金がそこを ついてしまう。どうしたらいいのかしら。 春人も深刻な顔をして電卓をはきながら 計算していました。年間の支出増加は約 180万円だ。年金収入が360万円だ から差し引間80万円の黒字になる計算だ が実際にはそうはいかない。観光総費、 医療費、家の修繕費、旅行費など予定外の 出費もある。実質的には年間200万円 程度の貯金取り崩しになるだろう。春人の 計算によるとこのペースが続けば16年後 には貯金が底をつくことになります。その 時私は86歳、春人は89歳です。まさに 介護が必要になる可能性が高い年齢です。 その時にお金がなければ一体どうなって しまうのでしょうか?私たちは子供たちに 迷惑をかけたくない一心で一生懸命お金を 貯めてきました。でも皮肉なことにそのお 金があるからこそ子供たちは私たちに依存 してしまっているのです。もし私たちに 貯金がなければふ子も正弘ももっと必死に 自立しようとしたのではないでしょうか。 アルバン、私は眠れずにリビングに行き ました。そこでふ子と正弘が小声で話して いるのを聞いてしまいました。正弘が言い ました。お父さんたちの貯金3000万円 以上あるって聞いたことがあるよ。ふ子が 答えました。そうよね。だったら私たちが 少しくらい頼ったって大丈夫よ。むしろ 老後にそんなにお金があっても使いきれ ないでしょう。私たちが生活費を切り詰め て贅沢を我慢して貯めたお金をそんな風に 軽く考えられていることに深い悲しみを 感じました。そしてこの状況が続けば 私たちの老語は確実に破綻してしまうこと を改めて実感しました。翌朝、私は春人に 昨夜聞いた会話のことを話しました。春人 も学然としていました。そして私たちは 重要な決断をしなければならない時が来た ことを理解しました。でも実際にどうすれ ばいいのでしょうか?子供たちを家から 追い出すわけにはいきません。特に花は 小学生で祖父母の愛情を必要としています 。かと言ってこのまま状況を放置すれば 私たちの人生設計が完全に狂ってしまい ます。私は近所の友人たちに相談してみる ことにしました。同世代の女性たちは皆 それぞれに家族の問題を抱えていました。 田中さんは息子夫婦と同居していますが、 お嫁さんとの関係がうまくいかず毎日が ストレスだと言います。でも孫の世話を 任されているので文句は言えないのだそう です。佐藤さんは娘が離婚して孫2人を 連れて戻ってきた経験があります。でも 佐藤さんは最初から条件を決めていました 。1年間だけその間に仕事を見つけて自立 すること。生活費の一部は負担すること。 その結果娘さんは本当に1年で自立した そうです。最初が肝心千こさん。甘やかし てしまうとどんどん要求がエスカレート するの。愛情と甘やかしは違うのよ。佐藤 さんの言葉はとても重く響きました。一方 で鈴木さんは全く違う意見でした。家族な んだから困った時はお互い様でしょう。お 金なんて死んだら持っていけないんだから 。生きているうちに家族のために使えば いいのよ。鈴木さんの息子さんも出業して 実家に戻っており、もう3年が経つそう です。でも鈴木さんは全く問題だと思って いないようでした。友人たちの意見は様々 でしたが、私は佐藤さんの言葉が心に残り ました。最初が肝心。確かに私たちは最初 に甘い対応をしてしまったのかもしれませ ん。 具体的な期源も決めず、経済的な負担に ついても曖昧にしてしまいました。でも今 からでも遅くないのでしょうか?もう半年 以上が経過し、子供たちはこの生活に慣れ きってしまっています。今更条件を変更し たら大きな反発を買うのではないでしょう か。私は自分の健康状態も心配になってき ました。毎日の忙しさと精神的なストレス で体調が優れない日が増えていました。 血圧も上がり気味で夜もよく眠れません。 朝起きても疲れが取れず1日中思い物が肩 にのしかかっているような感覚が続きまし た。春人も疲れているようでした。以前は 毎朝欠かさずにの手入れをしていたのに 最近はその気力もないようです。読書の 時間もなくなり、趣味のガーデニングも手 につかない状況が続いていました。私たち が40年間かけて気づき上げてきた理想の 老語生活は完全に失われてしまいました。 静かな朝のコーヒータイム、ゆっくりとし た読書の時間、散歩や旅行を楽しむ余裕。 その全てが消え去ってしまったのです。 代わりに私たちの生活は子供たちの世話と 経済的負担に支配されていました。毎朝の 慌たしい朝食準備魔物を繰り広 に振り回される日々。そして何より辛いの は感謝されるどころか当然のこととして 扱われていることでした。ある日の午後私 は1人で近所のスーパーに買い物に行き ました。以前は春人と一緒にその日の食材 を見ながら楽しく買い物をしていたのです が、今は5人分の大量の食材を効率よく 購入するだけの作業になってしまいました 。レジで会計をしながら私は愕然としまし た。今日の買い物だけで1万2000円も かかっているのです。以前なら1週間分の 食材が変えた金額です。ハート1杯の食材 を見ながらこれが毎日続くのかと思うと 目舞いがしそうでした。家に帰るとふみ子 が深刻な顔で待っていました。お母さん 相談があるの?花の習い事のことなんだ けどふみ子の話によると花が音楽教室に 通いたがっているとのことでした。新しい 環境になれるためにも何か楽しいことをさ せてあげたいと思うの。月車は8000円 だからそんなに高くないでしょう。私は 複雑な気持ちでした。孫の習いごとに反対 する理由はありません。でもその月 8000円も結局は私たちが負担すること になるのです。ふ子には収入がなく、正弘 も就職していない状況では誰が払うかは 明らかでした。その時私の頭の中で何かが プツりと音を立てて切れたような気がし ました。いつまでこんな状況が続くのか、 いつまで私たちが全てを負担し続けなけれ ばならないのか。そして何よりこの状況は 子供たちのためにも良くないのではないか 。そんな思いが頭をよぎりました。 夜人と長い時間話し合いました。私たちは 愛情深い親だと思っていた。でも実際には 子供たちの自立を妨げるかほな親になって しまったのではないか。私たちの愛情が実 は子供たちにとって毒になっているのでは ないか。そして最も重要なことに気づき ました。このままでは私たちの老語が完全 に破綻してしまう。それは結果的に子供 たちにより大きな負担を強ることになるの ではないか。今私たちが厳しい決断をし なければ将来もっと深刻な問題が起こるの ではないか。私たちは決心しました。 愛する子供たちのために、そして私たち 自身のためにこの状況を変えなければなら ない。でもどのようにして変えるのか具体 的な方法はまだ見えていませんでした。 ただ1つ確かなことはもうこれ以上現状を 維持することはできないということでした 。翌朝いつものように台所に立ちながら私 は深く考えていました。家族とは何か? 愛情とは何か?親の責任とは何か?これ まで当然だと思っていたことが実は間違っ ていたのかもしれません。真の愛情とは時 には厳しい決断をすることなのかもしれ ません。その日の夕食時私は勇気を出して 切り出しました。ふみ子正今日は大切な話 があるの。2人とも真剣な顔で私を見まし た。この家での生活について少し話し合い ましょう。でも実際に言葉にするのは想像 以上に困難でした。どこから話し始めれば いいのか、どのように説明すれば理解して もらえるのか。私たちの愛情を疑われる ことなく現実的な解決策を見つけることが できるのか。そんな私たちの前にさらに 予想外の出来事が待ち受けていることを その時はまだ知りませんでした。私たちの 試練はまだ始まったばかりだったのです。 その夜から私は眠れない日々が続きました 。布団に入っても頭の中では数字が ぐるぐると回り続けています。年間に 180万円の支出増加、16年後の貯金 枯渇。として今日もまた増え続ける生活費 。天井を見つめながら私は何度も同じ計算 を繰り返していました。朝の4時頃、 ようやく眠りについても6時には目が覚め てしまいます。体は疲れているのに心は 休まりません。洗所で鏡を見るとこの半年 で随分と吹け込んだ自分の顔がありました 。方はこけ、目の下にはくっきりとしたく ができています。70歳という年齢を考え ても明らかに疲労が顔に現れていました。 春人も同じような状況でした。以前は朝の 散歩を日家にしていたのに最近は庭に出る ことも少なくなりました。読書好きだった 春人が新聞すら6に読まなくなっています 。時々深いため息をついている姿を見ると 胸が痛くなりました。そんなある朝いつも のように台所で朝食の準備をしていると 突然目舞いがしました。手に持っていた 包丁を取り落とし、流し台に捕まって車が 見込みました。しばらく動けないでいると ハ人が心配層に駆け寄ってきました。 しよこ大丈夫か?顔色が悪いぞ。は人の声 が遠くに聞こえました。私は大丈夫よ。 ちょっと立ちくらみしただけ。そう答え ましたが、実際には胸の奥で何かが重く のしかかっているような感覚がありました 。その日、春人は私を近所のクリニックに 連れて行ってくれました。血圧を測ると上 が170、下が100という数値でした。 明らかに高血圧です。先生は穏やかな表情 で、でも少し厳しい口調で私に言いました 。青木さん、この血圧は見過ごせませんね 。お薬を処方しますが、それ以上に大切な のはストレスの原因を取り除くことです。 何か心配事や負担に感じていることはあり ませんか?家族のことで悩んで いらっしゃるようですが、私は先生の 優しい言葉に思わず涙がこぼれそうになり ました。でも家族の事情を他人に話すのは 適切ではないと思い、大きな問題はあり ませんと答えました。先生は私の表情を見 て何かを察したのでしょう。青木さん、私 は長年の地域で医療に携わってきましたが 、家族の問題で体調を崩される高齢者の方 をたくさん見てきました。愛情深い方ほど ご自分の健康を後回しにしがちです。でも 考えてみてください。あなたが倒れて しまったら誰がご家族を支えるのですか? 先生の言葉は私の心に深く響きました。 確かにその通りです。私が病気になったら 春人1人でこの状況に対処することはでき ません。それどころか私たちの医療費が 家計をさらに圧迫することになります。 帰宅と中人は私の手を握って言いました。 千こ、もう限界だよ。君の体が心配だ。 このままでは君まで倒れてしまう。私たち は何か行動を起こさなければならない。 その夜私たちは遅くまで話し合いました。 でも具体的にどうすればいいのか答えは 見つかりませんでした。子供たちを 追い出すなんてできません。特に花はまだ 小学生で安定した環境が必要です。でも このまま続けることも不可能です。翌朝、 私は決して長年の友人である佐藤さんに 電話をかけました。佐藤さんは以前娘さん の離婚問題を上手に解決した経験があり ます。もしかしたら何かアドバイスを もらえるかもしれません。しよこさんお 疲れ様。どうしたの?何か深刻そうな子は ね。佐藤さんはすぐに私の状況を察して くれました。私は思い切ってこれまでの 経緯を全て話しました。ふ子と正の状況、 経済的な負担、そして私の体調不良まで 佐藤さんは最後まで黙って聞いてくれまし た。そして深いため息をついて言いました 。しよ子さん、あなたはとても優しい人ね 。でも優しさと甘やかしは違うのよ。私が 娘に厳しい条件を出した時、娘はとても 怒ったわ。でも今振り返ってみるとあの時 の決断が正しかったと思う。佐藤さんは 続けました。愛情には色々な形がある。時 には厳しくすることも愛情なのよ。子供 たちの自立を促すことも親の大切な役割な の。ひよこさん、あなたたちの老を守る ことは結果的に子供たちのためにもなるの よ。佐藤さんの言葉を聞いて、私は何かが 腑に落ちたような気がしました。私たちは 愛情を示そうとして、実は子供たちの成長 を妨げていたのかもしれません。そして 私たちの論を破綻させることは最終的に 子供たちにもっと大きな負担をかけること になるのです。でも具体的にどのように 行動すればいいのでしょうか?佐藤さんは 実体験に基づいて詳しくアドバイスして くれました。まず明確な期限を設定する こと。ふ子には1年、正には6ヶ月という 具体的な期限を設けてその間に自立する よう求める。次に経済的負担の分担。完全 に無料で住ませるのではなく、可能な範囲 で生活費を負担してもらう。そして最も 重要なのはこれらの条件を家族会議で明確 に伝え文書にして残すこと。しよ子さん、 口束だけでは曖昧になってしまうの。 きちんと文書にしてお互いが納得したこと を証明するのよ。そうすれば後になって 一体話題の問題も起きないから。佐藤さん の具体的なアドバイスを聞いて、私は少し 希望を感じました。確かに最初から明確な 条件を設定していればこんなに混乱する こともなかったかもしれません。今からで も遅くないはずです。春人にも佐藤さんの アドバイスを伝えるとハ人も賛成してくれ ました。でも実際に子供たちにそれを 伝えるのは簡単なことではありません。 きっと大きな反発があるでしょう。でも もうこれ以上先の場所にはできません。 私たちは綿密な計画を立てました。まず 現在の家計状況を数字で明確に示すこと。 感情論ではなく客観的な事実を元に 話し合うことが重要です。次に私たちの 健康状態と将来への不安を率直に伝える こと。そして最後に具体的な条件と期限を 提示することです。計画を立てている間に も日常生活は続いています。花の三日では 私がふ子の代わりに出席しました。他の 保護者の方々と話していると皆さん それぞれに家族の問題を抱えていることが わかりました。隣に座った山田さんは息子 夫婦と同居している苦労を話してくれまし た。お嫁さんとの関係が難しく、魔の教育 方針でも対立が耐えないそうです。でも 山田さんは言いました。それでも家族だ から何とかやっているのよ。お互いに 歩み寄ることが大切ね。一方で田中さんは 全く違う意見でした。私は息子が結婚する 時に絶対に同居はしないと宣言したの。お 互いの生活を尊重するため、困った時は 助け合うけれど、依存関係は作らない。 その方が皆が幸せなのよ。様々な考え方を 聞いて、私は改めて考えました。正解は1 つではないのでしょう。でも私たちの場合 は現在の状況を変える必要があることは 明らかです。 の後、花と一緒に帰宅する途中、花が突然 言いました。おばあちゃん、私のせいでお ばあちゃんたちが大変なのよね。ごめん なさい。その言葉を聞いて、私は胸が 詰まりました。花はまだ小学3年生なのに 大人の事情を敏感に感じ取っているのです 。私は花を抱きしめて言いました。はな ちゃんは何も悪くないのよ。 おばあちゃんははなちゃんがいてくれて とても幸せなの。でも心の奥では複雑な 思いがありました。この状況が続けば花に も悪影響を与えてしまうかもしれません。 大人の経済的な問題を子供に感じさせて しまっているのです。その週末私たちは ついに決身しました。月曜日の夕食後に 家族会議を開くことにしたのです。日曜日 の夜私は一もできませんでした。明日の 会議で何を言えばいいのか、どのように 伝えれば理解してもらえるのか、頭の中で シミュレーションを繰り返していました。 月曜日の夕食はいつもより静かでした。私 と春人の緊張が家族全体に伝わっている ようでした。ふ子も正弘もなんとなく 雰囲気を察しているようで普段より口数が 少なくなっています。食事が終わって 片付けも済んだ頃人が重もしい口調で言い ました。皆さん今日は大切な話があります 。リビングに集まってください。ふみ子、 正弘、そして花も一緒に私たちは縁になっ てソファに座りました。花は何が起こるの か分からず不安に母親の手を握っています 。私は深呼吸をして胃を決して話し始め ました。皆さん、この半年間私たちは家族 として助け合ってきました。ふみ子と花が 困った時、正弘が疲れた時、私たちは喜ん で手を差し伸べました。それは愛する家族 として当然のことだと思っています。でも 今日は現実的な問題について率直に 話し合う必要があります。私は準備してい た家計簿を取り出し、具体的な数字を示し ました。現在の月々きの支出は50万円を 超えています。私たちの年金収入は 30万円ですから、毎月20万円以上を 貯金から取り崩している状況です。円換に すると240万円から280万円の赤字に なります。ふ子と正の表情がだんだんと 深刻になってきました。数字で示されると 事態の深刻差が明確になります。この ペースが続けば私たちの貯金は15年から 16年でそこをつきます。その時私は86 歳、お父さんは89歳です。まさに介護が 必要になる可能性が高い年齢です。もし その時にお金がなければ皆さんにより 大きな負担をかけることになってしまい ます。正弘が口を開きました。でも お父さん僕たちだって好きでこんな状況に なったわけじゃない。時代が厳しいんだよ 。僕たちの世代はお父さんたちとは違って 安定した就職なんてないんだ。 私は正弘の言葉を最らずに聞きました。 そして静かに答えました。正、あなたの 苦労は理解しています。でも問題は時代の 違いではありません。問題は私たちが明確 な計画を立てずにこの状況を続けてしまっ たことです。ふみ子も発言しました。 お母さん、私たちを追い出そうっていうの 。 花のことはどうなるの?この子はまだ小学 生なのよ。私はふみ子の目をまっすぐ見て 答えました。ふみ子、誰も追い出すなんて 言っていません。でもこのままの状況を 続けることはできません。だから新しい ルールを作る必要があるのです。春人が私 に続いて話しました。これまでの状況を 振り返って私たちは重要なことを見落とし ていました。助け合いと依存は違うという ことです。本当の愛情とは時には厳しい 選択をすることでもあるのです。私は準備 していた提案書を取り出しました。佐藤 さんのアドバイスに従って具体的な条件を 文書にまとめていたのです。まず期限に ついてふ子には1年間、正博には6ヶ月間 の期限を設けます。その間に安定した仕事 を見つけて独立した生活ができる用力して ください。次に経済的負担についてふ子は 月5万円、正広は月3万円を生活費として 負担してください。これは高熱費と食費の 一部です。 そして生活態度について家事の分担、生活 リズムの調整そして最も重要なのは自立に 向けた具体的な行動を取ることです。ふ子 と正は私の提案を聞いて学然としていまし た。しばらく沈黙が続いた後、ふ子が感情 的に言いました。お母さん、そんなの無理 を。私には収入がないのにどうやって 5万円も払えるの?花の面倒を見ながら 働くのは大変なのよ。お母さんたちは 私たちの苦労を全然分かっていない。正弘 も同じように反発しました。お父さん、僕 はまだ体調が完全に回復していないんだ。 6ヶ月なんて短すぎる。それに3万円も 払うなんて現実的じゃない。もう少し理解 してくれてもいいんじゃないか。私は彼ら の反発を予想していました。でもここでし てしまえばまた同じことの繰り返しになっ てしまいます。私は既然とした態度で答え ました。ふ子正 の提案は理不尽なものではありません。 ふみ子、あなたがパートタイムで働けば月 5万円程度の収入は得られるはずです。正 、あなたは53歳の大人です。6ヶ月あれ ば何らかの仕事を見つけることができる はずです。それでも2人は納得しません でした。議論は深夜まで続きました。時に は感情的になり、時には涙も流されました 。でも私たちは決して歩しませんでした。 お母さん、お父さん、私たちを見捨てる つもりなの?ふみ子の涙ながらの訴えに私 の心は痛みました。でも私は答えました。 ふみ子見捨てるのではありません。あなた たちの将来を真剣に考えているからこそ 厳しいことを言っているのです。このまま 私たちに依存し続けることはあなたたちの 人生にとってもプラスになりません。正も 最後の抵抗を試みました。お父さん、もう 少し時間をください。僕はまだ準備ができ ていないんです。春人は静かに、しかし はっきりと答えました。正準備ができる まで待っていたらいつまで立っても始まり ません。時には準備ができていなくても 始めなければならないことがあるのです。 深夜2時を過ぎてようやく話し合いが 終わりました。結論として私たちの提案 する条件を受け入れるかどうかふ子と正に は1週間の猶用を与えました。1週間後に 再度話し合いをして最終的な決定をする ことになりました。その1週間は家の中の 雰囲気が非常に重いものでした。ふ子と 正博は明らかに不機嫌で私たちとの会話も 最小限にとめています。食事の時間も以前 のような名やかさは全くありませんでした 。でも私は自分たちの決断が正しいことを 確信していました。佐藤さんにも経過を 報告すると千こさん頑張って最初は辛い けれどきっと良い結果につがるわよと 励ましてくれました。1週間後の家族会議 でふ子と正博はしぶしぶながらも条件を 受け入れることに同意しました。ただし彼 らは最後まで不満を表明することを忘れ ませんでした。お父さん、お母さん、僕 たちがこんなに苦労しているのになぜ もっと理解してくれないんですか?私たち はあなたたちの息子と娘なのにまるで他人 のように扱われている気がします。正弘の 言葉には深い怒りと失望が込められてい ました。私は正弘の言葉を聞いて胸が痛み ました。でも同時に確信も深まりました。 これまでの私たちの対応がいかに彼らを 甘やかし依存させてしまったかを痛感した のです。条件の実施は翌月から始まること になりました。ふみ子はすぐにパート タイムの仕事を探し始めました。最初は いやいやでしたが実際に行動を起こして みると意外に求人はあることが分かりまし た。近所のスーパーマーケットで週4日1 日5時間の仕事を見つけることができまし た。正広も思い越しを上げて本格的に転職 活動を始めました。これまでの高い理想を 少し下げて現実的な条件で仕事を探すよう になりました。結果として2ヶ月後には 警備会社での仕事を見つけることができ ました。給料は以前より低いものの安定し た収入を得ることができるようになりまし た。最も大きな変化は彼らの態度でした。 仕事を初めてからのふ子と正は以前とは 全く違っていました。自分で稼いだお金で 生活費を支払うようになると感謝の気持ち を再び表すようになったのです。お母さん 、今月の生活費です。ありがとうござい ます。ふみ子が5万円を手渡してくれる時 、その表情には以前のような当然する態度 はありませんでした。代わりに申し訳なさ と感謝の気持ちが見えました。正広も同様 でした。お父さん、お母さん迷惑をかけて すみません。もう少し頑張って早く独立し たいと思います。 の言葉には以前のような甘えはありません でした。私は彼らの変化を見て改めて確信 しました。厳しい条件を設けたことは 決して間違いではなかったのです。むしろ 彼らの成長を促す良いきっかけになったの です。花も母親が働くようになったことで 少しずつ変化を見せ始めました。最初は 母親が働きに出ることを寂しがっていまし たが、だんだんと自立神が芽えてきたよう です。おばあちゃん、私も宿題を1人で やってみる。そう言って自分から勉強机に 向かうようになりました。半年頃、正弘は 約束通り独立しました。1人暮らしようの 小さなアパートを借りて、そこから会社に 通うようになりました。出発の日、正弘は 私たちに深かと頭を下げて言いました。 お父さん、お母さん、本当にありがとう ございました。最初は厳しすぎると思い ましたが、今思えばあの厳しさがあった からこそ僕は自立することができました。 もしあのまま甘えさせてもらっていたら僕 はずっと自立できなかったと思います。 朝ひの言葉を聞いて、私は涙がこぼれそう になりました。息子が本当の意味で大人に なった瞬間を見ることができたのです。 ふ子の方はまだ家にいますが、状況は 大きく改善されました。タートの仕事に 慣れて花との時間も上手に調整できるよう になりました。そして何より自分で稼いだ お金で生活することの大切さを理解する ようになりました。 お母さん、私も来年の春には独立したいと 思います。花も新しい環境になれたし、私 ももう大丈夫です。本当に色々と ありがとうございました。ふみ子の言葉に は以前のような依存はありませんでした。 代わりに自信と感謝の気持ちが溢れてい ました。この1年を振り返って私は多くの ことを学びました。愛情には色々な形が あること、時には厳しさも必要なこと、 そして家族であっても適切な境界線が必要 なことです。私たちの健康状態も大きく 改善されました。経済的な不安が軽減され 、精神的なストレスも減ったおかげで血圧 も正常値に戻りました。春人も以前の元気 を取り戻し、再びガーデ任務や読書を 楽しむようになりました。 そして何より私たちは再び2人の時間を 取り戻すことができました。朝のコーヒー タイム、午後の散歩、静かな夕食の時間。 40年間働き続けた私たちがようやく手に 入れた平穏な老語生活を再び楽しむことが できるようになったのです。経済的な面で も状況は大幅に改善されました。ふ子と 正博からの生活費負担により、月々の赤字 は大幅に減少しました。完全に黒字になっ たわけではありませんが、貯金の減少 ペースは大幅に緩やかになりました。でも 最も重要な成果は家族関係の改善でした。 厳しい条件を設けたことで一時的には関係 が悪化しましたが結果的には皆が成長し、 より健全な関係を築づくことができました 。ふ子も正も自立することの大切さを理解 し、私たちへの感謝の気持ちを新たにして くれました。この経験を通して私は深く 考えました。家族の愛情とは何か?親の 責任とは何か?そして老後の人生設計とは 何か?答えは1つではないでしょうが、 少なくとも私たちにとっては正しい道を 見つけることができたと思います。もし 同じような状況で悩んでいる方が いらっしゃるなら、私の経験が少しでも 参考になれば幸いです。愛情深い親である ことと甘やかすことは違います。時には 厳しい決断をすることも真の愛情なのです 。そして自分たちの論を守ることは結果的 に子供たちのためにもなるのです。適切な 境界線を設けること、明確な条件と期限を 決めること、そして何より愛情を持って 既然とした態度を取ること。これらが健全 な家族関係を維持するための鍵だと思い ます。今私たちは再び平穏な老語生活を 取り戻しました。春人と一緒に朝の コーヒーを飲みながら今日という1日を 大切に過ごしています。たまにふみ子と花 が遊びに来てくれる時、私たちは心からの 笑顔で迎えることができます。それは健全 な距離感を保った本当の意味での家族の絆 があるからです。この物語が同じような 悩みを抱える皆様にとって少しでもお役に 立てれば幸いです。家族の愛情は永遠です が、その表現方法は時と共に変わっていく ものです。真の愛情とは相手の成長を促し 自立を支援することなのかもしれません。 皆様長い間を聞きいただきありがとう ございました。この物語を通して何か 感じるものがあったなら嬉しく思います。 もしこの話が皆様のお役に立ったと思わ れるなら是非高く評価していただき チャンネル登録もお願いいたします。皆様 からのコメントやご意見も私たちにとって 大きな励みになります。また次回の物語で お会いできることを楽しみにしております 。ありがとうございました。
これは青木千代子さん、70歳の物語。老後の安心の源であるはずだった3200万円の貯蓄が、いつしか戻ってきた子供たちの依存を招く足枷となり、彼女の穏やかな日々を静かに蝕んでいく。
——————————————-
誰にも言えなかったこと、胸の奥にしまっていた想い…。ここは、そんな涙の体験を静かに語る場所です。あなたの心にも、そっと寄り添えますように。
VOICEVOX :青山龍星
総合制作
エグゼクティブプロデューサー: 飯田康介 (Iida Kosuke)
チーフプロデューサー: 黒木亜由美 (Kuroki Ayumi)
企画プロデューサー: 桜井洋一 (Sakurai Yoichi)
制作プロデューサー: 宇都宮麗奈 (Utsunomiya Reina)
ラインプロデューサー: 遠藤智也 (Endo Tomoya)
アシスタントプロデューサー: 新田響子 (Nitta Kyoko)
制作進行管理: 町田悠人 (Machida Yuto)
演出・監督
総合演出: 川崎雅之 (Kawasaki Masayuki)
助監督: 杉山恵子 (Sugiyama Keiko)
演出補佐: 岡村俊哉 (Okamura Toshiya)
構成演出: 細川美紀 (Hosokawa Miki)
撮影部門
撮影技師長: 馬場光彦 (Baba Mitsuhiko)
主任カメラマン: 富田真理子 (Tomita Mariko)
セカンドカメラ: 井戸川翔 (Idogawa Sho)
サードカメラ: 星野美穂 (Hoshino Miho)
ステディカムオペレーター: 楠木大和 (Kusunoki Yamato)
ドローン操縦士: 矢野智美 (Yano Tomomi)
撮影助手: 菊池良太 (Kikuchi Ryota)
照明・電気
照明技師: 古川修二 (Furukawa Shuji)
照明助手: 本間彩花 (Honma Ayaka)
電気主任: 日高慎吾 (Hidaka Shingo)
照明オペレーター: 若松千代 (Wakamatsu Chiyo)
音声・録音
音声技師: 宮本直樹 (Miyamoto Naoki)
録音技師: 岸本あい (Kishimoto Ai)
音声助手: 中尾健人 (Nakao Kento)
ブームオペレーター: 三好梨花 (Miyoshi Rika)
編集・ポスプロ
編集統括: 奥田浩司 (Okuda Koji)
主任編集者: 菅野さやか (Sugano Sayaka)
編集技師: 鶴田和明 (Tsuruta Kazuaki)
アシスタントエディター: 木下優香 (Kinoshita Yuka)
カラリスト: 倉田雄二 (Kurata Yuji)
オンライン編集: 浦田美里 (Urata Misato)