「昭和の歌姫100人を歌う」No.063 岩崎良美 / 赤と黒 / タッチ / 愛がひとりぼっち / 涼風 / cover:伸[nobu] With 仲間達
皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.063です。今回は『岩崎良美』さんです。岩崎良美さんは、1961年(昭和36年)生れ、現在63歳です。歌手の岩崎宏美さんとは仲良し姉妹で有名です。愛称は“ヨシリン”です。代表曲は「涼風」「I THINK SO」などの他、「タッチ」「愛がひとりぼっち」「チェッ!チェッ!チェッ!」「青春」などアニメ「タッチ」の主題歌・エンディング曲が多くあります。1975年に姉の宏美が歌手としてデビューを果たし、いきいきと仕事をする姿に憧れ、それまで以上に歌への関心が高まり、また自身も芸能界入りを強く望むようになりました。
ある時、姉と一緒にいたところ、テレビ局のプロデューサーの目に留まり、そして自身も芸能界入りを希望していると伝えました。
しかし、宏美の時と同様に父親、母親から大反対されます。
ある日、夜遅くに帰宅した宏美に「両親から芸能界に岩崎宏美は2人も要らないから絶対ダメだと言われた」と泣きながら訴えたことがあり、
すると宏美は、すぐさま両親の元へ行き「妹の夢を壊す権利があなた達の何処に有るの!」と激怒したといいます。
その後も宏美や恩師・松田の後ろ盾もあり、両親を説得することに成功。良美は芸能界入りを認められました。
1978年、テレビ朝日系の時代劇『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』第20話にゲスト出演し女優として芸能界デビューします。
1980年2月21日、「赤と黒」で歌手デビューしました。
2ndシングル「涼風」で7月3日放映のTBS系『ザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーで初出演し
「同期デビューの仲良しコンビ」として松田聖子と一緒の出演でした。
その後10位(2週連続)にランクインを果たし、同年の第6回日本テレビ音楽祭で最優秀新人賞を受賞しました。
「あなた色のマノン」では日本レコード大賞などで新人賞を獲得しました。同年12月31日に放送の『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場。姉・宏美との姉妹同時ソロ出場は紅白史上初でした。
1984年ごろから俳優としての活動も増え、同年は山田太一ドラマ『真夜中の匂い』『スクール☆ウォーズ』にレギュラー出演しました。
1985年、20枚目のシングル「タッチ」が自身最大のヒット曲となり、年末に開催された『第27回日本レコード大賞』で金賞を受賞。
21枚目のシングル「愛がひとりぼっち」では1985 FNS歌謡祭で優秀歌謡音楽賞を受賞、翌年1986年にはB面の「青春」が 第58回選抜高校野球大会の入場行進曲に起用されました。
その後、暫くしてから歌手活動を休止し、芸能活動の主体を舞台やドラマ出演に移し、多数の作品に出演しました。
主演ドラマでは、1990年に出演した朝の連続ドラマ『花真珠』が海外でも放送されヒットしました。
本作品は「清楚さと現代的なセンスを兼ね備えているため、真珠のイメージに合う」ということでの起用だったそうです。
1998年11月に歌手復帰第一作となるシングル「Message」を発表。
歌手休業前には一緒に歌うことがほとんどなかった姉・宏美との共演の機会も増え、2008年に公式では初めてとなるジョイントコンサートを開催(岩崎宏美・岩崎良美 Precious Night プレシャスナイト)。
現在も姉妹によるジョイントライブが「宝くじ助成・まちの音楽会」として定期的に実施されています。
2014年2月から渋谷JZBratでの100名限定ライブをスタート。
「Yoshimi’s Night」シリーズ、「Un Voyage avec Yoshimi」シリーズは連続前売り完売と、今なおその歌声の人気は高い。
歌手デビュー35周年の2015年12月のライブで初披露した良美自身が作詞の「My Life」は日本ラグビーフットボール協会公認の7人制女子ラグビー大会の公式応援ソングとなりました。
近年では、歌手活動の他、俳優業ではストレートプレイだけでなくミュージカルにも出演。ナレーターとしての活動も多い。
私生活では、2011年10月に3歳年上の医師と結婚。
2019年6月、前年2018年に離婚していたことが明らかになりました。
2021年4月、桜美林大学大学院修士課程に入学し、経営学を学ぶ。
エピソードとしては、杉本哲太さんが食事に誘った際、2人で会うことを躊躇した良美が友人の女性を連れて行ったため、3人での会食になりました。この女性はのちに杉本の妻となる神津はづさんきで、これが両者の初対面の場になったそうです。
姉の岩崎宏美に「ひまわりは近くに来た小さな子どもを食べる」と吹きこまれたことが原因で、幼少期、ひまわりが怖くて苦手だったそうです。
漫画家のあだち充さんは良美のファンであることを公言してして、
のちに『タッチ』の主題歌を良美が担当してから親交が続いているそうです。懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。
僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。
医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。
その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!
そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。
「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。
世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。
私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。
1件のコメント
今回も懐かしい曲を聞かせて戴きました、、
姉妹で御活躍もとても珍しかったですね、、
想い出を感謝です、、、
嬬恋次郎