DRAGON ASH 10th インタビュー1
1716 ぐらいから 2627ぐらいっていう1 番こうな時期を、え、過ごした 10年でもあるので モーニング娘10周年とお うん。 10 周年なんだとすごい考深いのとそれに照らし合わせて 卒業のないもいます。 まあそうっすね。10 年間幸せにやってくれたは 嬉しいって感じですかね。 バンドに限らずですけど、その音楽やってんのはもう本当に楽しいですね。 やっぱ始めた当初ってか学級初めて持って始めた当初こうペラっぺらのこうケースにベースとかギターとかこう担いで学校に行くわけですけど、そも思ってるだけでもすごくほらしいわけですよ。俺番でやってんだよねみたいな。 俺はあの剣士に可能性を感じてましたから一 番最初から 中学生の時にバンドみんなでやり始めてその流れでもできたようなバンドなんでそれ終わして一番最初は別々のバンドだったんですよ俺と賢者でその文化祭という 1 台イベントが終わってみんなやめたりするじゃないですかもういっかみたいな感じでも俺とか健やりたいと思ってた話だじゃあ一緒にや かみたいな高校生になって 1 年の終わりぐらいかな。その頃アイスマンとかもやってましたけど歌が聞こえてくるでしょ。 僕はオーディションで娘に入ったんですけど何人もいらっしゃったわけですよ。 ビクターのスタジオで順番が来て演奏をし て で、あのヘッドホンをしてたんですけど なんかノリノリで演奏したらヘッドホンが 1回僕ポーンってすっ飛んでったんですね 。あ、すいません。もう1回やらして くださいって。その時点でダメかなって方 して、え、もう1回し直してやらして もらって終わった後に疲れて作者こってし たら各者はよろしくお願いしますって でけんちゃんはそん時にえ、競馬新聞こう お疲れっていうなんでけんちゃんはすごい ハゲ屋さんなんだなっていう俺ねその全然 覚えてない 母親にね、言われたんですよ、この間。あの、あんたね、そういえばつってこう学校帰ってきて、や、俺フレアゲ人についてくわって言ったらしいんですよ。 あいつはすげえつって俺あいつに一緒ついてくわって言ったらしいんですよ。全然覚えてないんですけど。それで母ちゃんにもあんたついてってよかったねって言われたんですよ。 存を、ま、単純に好きっていうのもあるんですよね。 答え出す言葉というのが例えばミリッていうことであればそれが人間性だと思うんで君に存じる すごい前の方の目悪いからあんまり後ろまで見えないです前の方の人が曲をやってる中に こう見て すごいこを仕事にしてるんだなと思う。これがすごく印象深くてその辺からあのもっと理解してもらえるような歌詞を書こうとかそうニコスタンスでやるのはやめようと思いましたね。 いや、まあ、やっぱひ又股とかはものすごい印象深いすね。やっぱあの作品ができた時もすげえいい曲だなって本当思ったし、あとちょうどそれを発売した時に大阪でライブに行ってて、で、秋時間に見に行ったんですよ。発売日にあのレコード店にそしたらこのどのところこう探しに行って置いてないすよ。 いや、ダめだなみたいな。こんだけいい曲書いて、あの、頑張ったけど置いてねえじゃんみたいな。っていう話をして、じゃ、帰ろっかって言った時に、その入り口の話を目指すところにこう表向きで置いてあって、それを見て本当に嬉しかったですね。くのは少年時代。 膨み出すのは権力社会 エスカレーター的にスムーズに今日からこうするよではなくもう結成した当初からそれラップやりたいとかこんないろんな放期なアレンジの曲もやりたいよねとか要するに今やりたいことっていうのを今までやってきたことですか?ていうのを決成投しかいない時ですらもうな頭の 中にはビジョンが多分あったその時ももうやりたいこといっぱいある。だって 10代じゃないですか。 腹たいって。 で、 俺はやっぱり年が離れてるんですけわかる 思いつつでも今求められてるものはこの枠だからその枠の枠で済まなきゃいけないけどもでもできる限りその枠を広げてあげたいなって最初の時はやっぱり生バンド で、あの、能でみんなで撮ってやってたと思うんですけど、僕が入るぐらい正式加入する頃は、あの、 C ケスを組んで、え、コンピューターで、え、ループとかを組んだりスに、え、こだわり始めたくらいの時期ですかね。 やっぱり、ま、僕が正式加入したレッチーセルフ、レッマイセルフとかそういうやっぱ試験数とか対応されてるしが嫌いらしく KJ がだギターソロとかそんなにあなかったと思うんですよ。 それまでのドラゴだ、ま、僕が入ることによって、ま、ギターソロではないですけど、スクットソロじゃなくても、ま、もう 1 個のネ色が新たに入ったっていうことじゃないですかね、単純に。 そういう3ピースから割と打ち込みという かヒップホ 経営に移行してた時もそうですね。ま、 うまい具合にその中間のバンドってのも 海外にもいたしラウドでうん。ま、DJも いて打ち込みでもバンド経営隊みたいな バンドがいっぱいいたんで、ま、そういう のも参考にしつつ どんどん自分も変化 できる 感じでしたね。だ、5 元ベースっていうのを一時期持ち替えた時があって、それはやっぱりヒップホップって言ったらボトムだろうとでリズムだろうとだったらすっごい低い音出したいって 目指して 幅が俺は広りました。 ゴリンベース無理無理みたいな意味ないしって普通に活動してたら多分触らなかった活だから。い ま、ピンチうんそうすね。そういう気持ちになったことはありますね。うーん。まあやっぱりそうっすね。打ち込みとかすごい導入してきた頃ですかね。 ま、ライブは楽しかったんですけど、やっぱりあいつが作ってる曲っていろんなこうね、例えばあのね、洋服で言ったらこう今回はこういう服着てるとか、ちょっと壺が太めだったとかタイトルになったとか色々やっぱ 10 年間あればそのファッションのね好きなものも変わってくるだろう 別にこうり変わりっていうか、あの、浮気してるわけではなくて、筋はちゃんと通ってそいつがこうして似合うものをちゃんと着てるっていう洋服で例えばね、なんかそういうイメージはありますね。 フリアケジがやっぱり作ってる以上は根本 的なものはあんま変わってないんじゃない みたいな。メロだったりとか、やっぱり こう言い回しだったりと
DRAGON ASH
10th インタビュー1
kj
ikuzone
桜井誠
DJ BOTS