【実話の物語】「母さん、気にしすぎだよ」──勇気を出して相談した息子からの、たった一言の返事。私は微笑んで頷くだけだった。そんな私が“姿を消した本当の理由”に、彼は言葉を失う。

ある日、家族の中で静かに犠牲を払い続け てきた母親がその存在が当たり前のものに なってしまった家で、突然何のは彼も告げ ずに姿を消したとしたらあなたはどう 感じるでしょうか?この物語はそんな愛と 犠牲、そして家族について語る毒白です。 時には家族とは私たち自身が作り出した 美しい幻想に過ぎないのかもしれません。 皆様、チャンネルにお帰りなさい。今日は 1つの物語に耳を傾けていただきたいと 思います。私は藤本さよ子と申します。 今年で76歳になります。小柄な体に 真っ白な神、東京高街の2階建ての家で 静かに暮らしております。外から見れば 穏やかな人生を送っているように見えるか もしれません。しかし今日私は長い間の奥 にしまい込んでいた物語をお話ししたいと 思うのです。この物語は愛とは何か、家族 とは何かについて考えさせてくれるもの です。思い返せば私が24歳の時でした。 昭和37年桜の花びが毎る4月のことです 。小学校教師をしていた夫と結婚いたし ました。夫の名前は正尾と言いました。彼 は背が高く穏やかな目をした人でした。 口数は少ない人でしたが、その静かな存在 感の中に深い優しさと家族への愛情を秘め ていました。決して裕ではありませんでし たが、毎朝6時にきちんと起きて私が用意 した朝食を美味しそうに食べてくれる夫の 姿を見ているだけで心が満たされました。 金婚時代の私たちの生活は本当に 包ましやかなものでした。夫の給与は月に 1万8000円ほどで家賃が3000円、 食費が5000円。残りで高熱費や衣服台 をやりくりしていました。それでも毎朝の お茶の時間、夕食時のもない会は日曜日の 午後に一緒に聞くラジオの音楽番組。 そんな些細な日常が私たちにとっては 掛けがえのない方を持つでした。夫は子供 たちの話をよくしてくれました。今日は 田中君が算数で100点を取ったんだよ。 佐藤さんは最近家の手伝いをよくするよう になったんだ。そんな話を聞くのが私の 楽しみでした。夫は貴帳な人で毎朝6時 きっかりに目を覚ましました。私は5時半 に起きてお茶をかし、前の晩から仕込んで おいた味噌汁を温め直し、卵焼きと漬け物 を用意していました。夫は新聞を読み ながらゆっくりと朝食を取り、7時半には 必ず家を出ました。私は彼の背中を玄関で 見送り、行ってらっしゃいませと声を かけるのが日家でした。夫は振り返って 小さく手を振ってくれました。その手の 動きは控えめでしたが、そこに私かな愛情 が込められていることを私は感じ取ってい ました。結婚して3年、私たちに子供が 授かりました。騎士という男の子でした。 夫は生まれたばかりの息子を抱きながら涙 を流していました。さよ子ありがとうと 小さな声で言ってくれました。その時の夫 の表情は今でも鮮明に覚えています。責任 感と愛情、そして未来への希望が 入り混じったとても優しい顔でした。は かからない子供でした。夜きはほとんどせ ずミルクもよく飲み、よく笑う赤ちゃん でした。夫は仕事から帰るとまず息子の顔 を見て今日はどうだったと私に尋ねました 。そして息子を怪しながら明日はお天気が いいから散歩に行こうかなどと話しかけて いました。3人での生活は貧しくても幸せ に満ちていました。息子が3歳になった頃 、私たちは小さな家を購入することができ ました。東京郊外の2階建ての木造住宅 でした。庭には小さな花壇があり、私は 季節の花を植えて楽しんでいました。春に は桜そう、夏には朝顔、秋には菊く、冬に はつき。夫は休日になると息子と一緒に庭 で遊んでいました。確連房したりボール 投げたり、息子の笑い声が庭に響くのを 聞きながら、私は台所で夕食の準備をして いました。こんな日がずっと続けばいいの にと心から思っていました。しかし人生と いうものは時として残酷な天気を用意する ものです。昭和52年。私が42歳の冬の 朝のことでした。12月15日火曜日。 その日は雪が散らついていていつもより 寒い朝でした。私はいつものように5時半 に起きて朝食の準備をしていました。 味噌汁の具は大根とめ、卵焼きは少し甘め に夫の好みに合わせて作りました。夫は いつものように新聞を読みながら朝食を 取り7時半きっかりに家を出ました。言っ てらっしゃい。気をつけてと声をかけ、私 は彼の後ろ姿を見送りました。それが夫と の最後の会話になるとはその時は夢にも 思いませんでした。8時半頃でした。台所 で食器を洗っていると突然電話が鳴りまし た。こんな朝早くに誰からだろうと思い ながら受きを取ると警察署からでした。 重もしい男性の声が聞こえてきました。 藤本正尾さんの奥様でしょうか。実はご 主人が交通事故に合われまして、学校へ 向かう途中の剣道でブレーキの効かなく なった大型トラックに光れ即死でした。 すぐに病院へお越しください。樹を持った まま私は動くことができませんでした。頭 の中が真っ白になり、何も考えることが できませんでした。台所に立ったまま、 まだ温かい味噌汁の湯を見つめていました 。 夫の茶碗にはまだ半分ほど白いご飯が残さ れており、彼の箸が無増作に置かれてい ました。卵焼きも一切れ残っていました。 世界が静寂に包まれ、時間が止まったよう な感覚に襲われました。病院に駆けつける と夫はすでに白い布で覆われていました。 看護師さんが布をめくってくださった時、 夫の顔はとても安らかでまるで眠っている ようでした。でも触れてみるとその方は もう冷たくなっていました。私は夫の手を 握りながら声にならない声で何度も正尾 さん、正尾さんと呼びかけました。でも夫 はもう2度と私の声に答えてくれることは ありませんでした。家に帰ると息子の騎士 が学校から戻ってきました。まだ16歳の 高校1年生でした。お母さん、お父さんは と息子が訪ねました。私は息子を今に座ら せ、できるだけ平成を予想って事実を告げ ました。騎士は最初理解できないような顔 をしていましたが、やがて現実を 受け入れると声を上げて泣き始めました。 私は息子を抱きしめながらこの高一人前に 育て上げるまでは絶対に倒れてはいけない と心に誓いました。葬儀は小さなものでし た。夫の同僚の先生方、近所の方々、私の 兄弟が散列してくださいました。お経を 聞きながら私は夫との思い出を1つ1つ心 の中で辿どっていました。 時代の貧しくても楽しかった日々、息子が 生まれた時の夫の嬉しそうな顔3人で 初めて海へ行った夏の思い出 全てが鮮明に蘇ってきました。仮想で夫の 異骨を拾う時、私の手は震えていました。 こんなに小さな骨になってしまうなんてと 思うと涙が止まりませんでした。しかし 泣いている糸間はありませんでした。息子 の騎士はまだ16歳でこれから大学受験と いう大切な時期を控えていました。私には 悲しみにくれている時間など許されません でした。夫が亡くなった翌日から私は現実 と向き合わなければなりませんでした。夫 の給与が途えた今どうやって息子を大学 まで行かせるかどうやって生活していくか 散籍する問題に1つ1つ対処していか なければなりませんでした。まず私は結婚 指輪を引き出しの深くにしまいました。夫 との思い出を封印するわけではありません が、これからは1人で生きていかなければ ならないという現実を受け入れるためでし た。息子の通学カを玄関のフックに かけ直し、夫の湯みをし棚の奥にしまい、 何事もなかったかのように新しい生活の 準備を始めました。心の中で繰り返しと 唱えました。倒れてはいけない。息子の ために強くならなければならないと仕事を 探すのは思っていたより大変でした。42 歳の主婦を雇ってくれるところは限られて いました。何件もの会社を回り、ようやく 小さな法制工場で働くことができることに なりました。給与は月に8万円ほどでした が、それだけでは息子の学費と生活費には 足りませんでした。そこで夜は家で内食も することにしました。小さな部品の 組み立て作業で1つ作ると3円の収入に なりました。1晩で100個作れば 300円。それを毎日続ければ月に 9000円の追加収入になります。昼間は 法制工場で8時間働き、夜は内食で遅く まで作業する日々が始まりました。朝は5 時に起きて息子の弁当を作り、自分の朝食 は抜いて息子の牛乳代に当てました。1本 60円の牛乳でしたが、成長期の息子には 必要だと思いました。私は朝食の代わりに 安いインスタントコーヒーをいっぱい飲む だけでした。風を引いても病院には行き ませんでした。診療費が1000円も かかるからです。薬局で総合官房薬を買っ て家庭の医学症を頼りに自分で治療しまし た。熱が出た時は冷たいタオルで額を 冷やし、温かいお茶を飲んで早く寝るよう にしました。息子には心配をかけないよう 体調が悪くても普段通りに振る舞いました 。それでも息子への愛は絶対的なものでし た。どんなに疲れていても息子が勉強に 集中できるよう遅くまで内食をする時は音 を立てないを注意しました。ミシンの音が 勉強の邪魔にならないよう息子の部屋から 離れた台所で作業をしました。息子が夜食 を欲しがればわずかな食材でも何か作って あげました。卵とご飯でオムライスを作っ たり、残り物の野菜でお好み焼きを作っ たり、息子が美味しいと言ってくれると、 どんなに疲れていても心が軽くなりました 。冬の夜は特に辛い時期でした。暖房費を 節約するため、こたつ1つで過ごしました 。息子が勉強している間は私は台所で内食 をしていました。怪我か時間で作業が進ま ない日もありましたが、息子の将来のため だと思うと、どんな困難も乗り越えること ができました。ミシンを踏む音が夜中まで 響く中、息子の勉強する鉛筆の音を聞き ながら、私は心の中で呟いていました。 正直に生き、忍耐強く愛情不覚醒していれ ば、いつか天は私たちを見放すことはない だろうと。その信念だけが私を支えてくれ ていました。息子は本当によく勉強しまし た。父親をなくした悲しみを乗り越えて 母親の期待に答えようと必死に頑張ってい ました。夜遅くまで机に向かい、休日も 図書館に通って勉強していました。私が夜 遅く内食をしているのを見て息子も自分 なりに家計を透けようと新聞配達の アルバイトを始めました。朝王寺に起きて 新聞を配り、学校から帰ると夜遅くまで 勉強する。そんな息子の姿を見ていると涙 が出走になりました。こんなに頑張って いる息子を絶対に大学に行かせてあげたい と思いました。高校3年生になると息子は 電気工学を学びたいと言いました。将来は エンジニアになってお母さんを楽にして あげたいと言ってくれました。私は息子の 夢を応援したくてさらに仕事を増やしまし た。法制工場での仕事に加えて近所の商店 での掃除の仕事も引き受けました。朝は4 時に起きて商店の掃除をし、昼間は法制 工場で働き、夜は内食をする。睡眠時間は 3、4時間でしたが息子の笑顔を見ると 疲れも吹き飛びました。大学受験の日、私 は息子を駅まで送りました。頑張ってと声 をかけると息子は振り返って言いました。 お母さん今まで本当にありがとう。僕絶対 に合格するから。その言葉を聞いて私は涙 を来らえることができませんでした。この 子のためにどんな苦労でも乗り越えてきて 本当に良かったと思いました。合格発表の 日は私も一緒に大学まで行きました。息子 の受験番号を見つけた時、息子は 飛び上がって喜びました。お母さん、やっ たよ。やったよと私に抱きついてきました 。私も涙を流しながら息子を抱きしめまし た。この涙には喜びだけでなくこれまでの 苦労、夜遅くまでの仕事、食事を抜いた 日々、そして寒い冬の夜の孤独感全てが 込められていました。でもその瞬間全ての 苦労が報われたと感じました。息子が大学 に入学すると私の生活にも少し余裕ができ ました。息子は大学の近くでアルバイトを 始め、学費の一部を自分で賄うようになり ました。私はそれでも内食を続けていまし たが、以前ほど無理をする必要はなくなり ました。息子は高学部で優秀な成績を納め 、将来有望な学生として教授からも評価さ れていました。大学4年生になると息子は 東京の大手建設会社から内定をもらいまし た。主任寺思としての採用でした。息子 から電話で報告を受けた時、私は本当に 誇らしく思いました。あの小さかった息子 がこんなに立派に成長して社会で認め られるような人になったのです。夫が生き ていたらどんなに喜んだことでしょう。 就職してからの息子は仕事に打ち込んでい ました。週末に実家に帰ってくると会社で の出来事を話してくれました。今度の プロジェクトは大変だけどやりがいがある んだ。お母さんのおかげでこんな仕事に つけたよ。そんな息子の言葉を聞くとこれ までの苦労が無駄ではなかったと実感でき ました。息子が28歳になった頃、彼は 1人の女性を連れて帰ってきました。 という名前の美しくな女性でした。息子 よりも3歳と下で大学を卒業後で働いて いるということでした。彼女は裕福な家庭 の出身で品の良い話し方をする現代的な 女性でした。息子が彩佳さんを紹介して くれた時、私は心から喜びました。こんな 素敵な女性が息子を選んでくれたなんてと 思いました。同時に私の心の奥底には一の 寂しさもありました。これからは息子に とって私が1番ではなくなるのだという ことを理解していました。それは自然な ことで息子が幸せになるために必要なこと でした。私は自分に言い聞かせました。 母親とはそういうものなのだ。子供の幸せ が何よりも大切なのだと。結婚式は小さな ものでしたが、温かい雰囲気の中で行われ ました。息子が立シード姿で、あかさんと 並んでいる姿を見て、私は胸がいっぱいに なりました。夫が生きていたらどんなに 喜んだことでしょう。式の最中、私は天国 の夫に向かって心の中で語りかけました。 正尾さん、危なに立派になりましたよ。 あなたの息子は幸せになりますと新婚の 2人が新生活を始めるにあたって私は 大きな決断をしました。1回の全てを彼ら に譲ることにしたのです。私の唯一の財産 である家の1階部分、今も台所も寝室も 全てを新婚夫婦に使ってもらうことにし ました。私は屋根裏の小さな部屋に移り ました。その部屋は6畳ほどの広さで ベッド1つ、小さなタンス、そしてリンカ の河屋根を見下ろす小さな窓が1つある だけでした。近所の人が驚いて尋ねました 。さよ子さん、どうして2階の小さな部屋 に移ったの?1階の方が便利でしょう。私 は微縁で答えました。年寄りは食べる量も 少ないし、眠る時間も短いものです。子供 たちが広々と暮らせる方がいいんです。 若い夫婦にはのびノびと生活してもらい たいですから。子供たちが幸せなら私は 満足です。その時は本当にそう信じてい ました。自分の犠牲によって家族が幸せに なるならそれが母親としての役目だと思っ ていました。屋根裏の部屋での生活は思っ ていたより静かで落ち着いていました。朝 は早く目が覚めるので5時頃には起きて窓 から見える空の色の変化を楽しんでいまし た。夕方にはリ下の煙突から上がる夕食の 支度の煙を見ながら1日の終わりを感じて いました。孤独といえば孤独でしたが家族 が幸せに暮らしているという安心感があり ました。しかし彩佳が引っ越してきてすぐ に何かがおかしいと感じ始めました。明確 な降があったわけではありませんが、冷た さと距離感が至るところに存在していまし た。あかと話をしようとしても目線は 決してまっすぐに会うことがありません でした。朝の挨拶には誠意が感じられず、 自分がこの家の一員として認められてい ないような感覚に襲われました。まるで 透明人間になったかのように私の存在は 無視されているような気がしました。ある 朝のことです。私は温かいお茶を入れて 新婚夫婦に自賛しようと思いました。 せっかく一緒に住んでいるのだから家族 らしいコミュニケーションを取りたいと 思ったのです。台所のドアが少し開いてい たのでそっとノックして微笑見かけました 。あやかちゃんおはようございます。お茶 を入れましたのいっぱいいかがですか?お 疲れでしょうから。温かいお茶を飲んで 元気を出してくださいね。しかし、あは 振り返ることなく野菜を切り続けながら 冷たく答えました。今手が離せませんの。 忙しいんです。その声は機械的で感情が こもっていませんでした。私は一瞬戸惑い ましたが、きっと朝の忙しい時間だから 仕方ないのだろうと思い直しました。それ では後でゆっくりいいてくださいね。と 言って静かに茶碗をテーブルに置いて 立ち去りました。心が少し重くなりました が、まだ新しい生活に慣れていないだけ だろうと自分を納得させました。別の日、 私は勇気を出して尋ねました。あやか ちゃん、台所の手伝いをさせていただけ ませんか?料理は得意なんです。何かお 手伝いできることがあれば遠慮なく言って くださいね。私は本当にあ彩かを助けたい と思っていました。新しい家庭での生活は 大変だろうし、働きながら家事をするのは 疲れるだろうと心配していたのです。 しかし、あは顔をあげることなく、まるで 私がいないかのように作業を続けながら 日やかに言いました。台所が狭いんです。 2人いると邪魔になりますから。そして 静かにドアを閉め、明確に教会線を引いた のです。私は廊下に1人立ち尽くし、胸の 奥に冷たいものが広がるのを感じました。 親友の上の笑みにこのことを相談しました 。笑みも夫をなくした身で息子の嫁との 関係で悩んだ経験がありました。コーヒー を飲みながら私は彩かの出来事を話しまし た。君は私の話を黙って聞いた後、深い ため息をついてとても現実的な言葉を口に しました。さよ子、それは最初から歓迎さ れていないのよ。無理に仲良くなろうとし ない方がいいんじゃない。相手が求めてい ないものを押し付けてもお互いに辛いだけ よ。でも私は頑固に信じていました。まだ お互いを理解していないだけです。私が心 を込めて接すればきっと彩佳ちゃんも私を 受け入れてくれるはずです。嫁との関係は 最初は難しいものですが、時間をかけて 信頼関係を築いていけば必ず分かり合える と思うんです。息子が選んだ人ですから、 きっと心の優しい人のはずです。そう言い ながらも心の奥底では不安が募っていまし た。 の冷たい態度は単に人見知りや緊張から 来るものではないように感じられました。 まるで私の存在そのものを否定しているか のような寝深い拒絶を感じました。でも私 は希望を捨てませんでした。家族なのだ からいつかは理解しるはずだと信じてい ました。私はより一層努力することにし ました。毎朝早く起きて階段を丁寧に 吹き上げました。彩かの足音が聞こえない よう静かに静かに作業をしました。 ベランダに干してある洗濯物が乾いている とそっと取り込んで畳んでおきました。 息子のために綺麗なタオルを用意し、彩か の下着類も一緒に畳みました。感謝の言葉 は必要ありませんでした。小さなウき1つ 、美償1つで十分でした。ただ家族の一員 として認めてもらいたかっただけなのです 。 しかし帰ってくるのは沈黙だけでした。私 が畳んだ洗濯物はいつの間にか別の場所に 移されていました。私が掃除した場所は もう一度彩かによって掃除し直されてい ました。まるで私の存在を消去するかの ような行為でした。それでも私は諦めませ んでした。きっといつか私の気持ちが 伝わる日が来ると信じていました。夫婦の 会話は私が今に入ると止まり、私が出て いくと再開されるようになりました。最初 は偶然だと思っていましたが、何度も 繰り返されると意図的なものだということ が分かりました。私が近づくとまるで警戒 するかのように話し声が小さくなり、私が 遠ざかると元の調子に戻るのです。まるで 私が盗み聞きでもしているかのような扱い でした。息子の騎士はこのような状況に 気づいているのか気づいていないのか何も 言いませんでした。私は息子に相談したい と思いましたが新婚生活を壊したくあり ませんでした。息子が幸せそうに見えたの で私の我慢で住むならそれで良いと思って いました。母親とはそういうものだと自分 に聞かせました。でも夜中に目が覚めた時 、1人で天井を見つめながら考えることが ありました。私は何か間違ったことをした のだろうか。なぜ彩佳はこんなにも私を 避けるのだろうか。私がいることで新婚 夫婦の生活に師障をきたしているのだろう か。そんな疑問が頭の中をぐるぐると回り ました。それでも私は希望を捨てません でした。家族なのだからいつかは 分かり合える日が来るはずだと信じてい ました。ある日私は彩かの好きな和菓子を 買ってきました。駅前の死偽舗の和菓屋で 季節限定の桜餅を見つけたのです。春 らしい美しい色合いできっと彩かも喜んで くれるだろうと思いました。夕方彩佳が 仕事から帰ってきた時にそっと台所の テーブルに置いておきました。小さなメモ も添えてお疲れ様でした。季節の和菓です 。よろしければどうぞと書きました。翌朝 台所に行くと和菓子の箱はそのまま置かれ ていました。メモも読まれた形跡があり ませんでした。3日後、その和菓がゴミ箱 に捨てられているのを見つけた時、私の心 は深く傷つきました。でも表面上は何も 感じていないかのように振る舞いました。 きっと甘いものが苦手だったのかもしれ ない。今度は別のものを考えてみようと 自分を慰めました。息子の騎士は相変わら ず仕事に忙しく、平日は遅く帰ってくる ことが多くなりました。休日も会社の 付き合いやゴルフで出かけることが増え、 家にいる時間が短くなっていました。以前 なら休日は私と一緒に買い物に行ったりの 手入れを手伝ってくれたりしていたのです が、今は彩かの時間を大切にするように なりました。それは当然のことで私も理解 していました。でも少し寂しいという 気持ちも正直ありました。春が過ぎ、夏に なり、そして秋が来ました。彩佳との関係 は一向に改善される気兆しがありません でした。 むしろ時間が経つに連れて私への無関心は より明確になってきました。朝の挨拶すら なくなり、廊下で出会っても目を合わせる ことがなくなりました。私がそこにいても まるで空気のような扱いでした。ある秋の 夕方、私は庭で洗濯物を取り込んでいまし た。風が涼しくなり、夕日が美しく空を 染めていました。こんな時台所の窓が開い て、彩佳が息子と電話で話しているのが 聞こえてきました。今日はちょっと遅く なるのでも大丈夫。お母さんは別に何も 手伝ってくれないから1人の方が楽用。 そんな会話でした。私は洗濯物を抱えた ままその場に立ち尽くしました。彩佳に とって私は手伝ってくれない人。いてもい なくても同時人だったのです。でも息子が 何と答えたかは聞こえませんでした。 きっと仕事で忙しくて詳しい話はでき なかったのでしょう。私はそう自分に 言い聞かせました。その夜私は久しぶりに 息子と2人で話をする機会がありました。 彩佳は友人との食事に出かけていて、家に は私たち2人だけでした。今でお茶を飲み ながら息子は会社での出来事を話してくれ ました。新しいプロジェクトが始まった こと、責任のある仕事を任されたこと、 将来への展望など息子の話を聞きながら私 は幸せを感じました。こうして親子で話を するのは本当に久しぶりでした。話の最後 に私は勇気を出して息子に言いました。し 、お母さんはやかちゃんと仲良くしたいと 思っているの。でもなかなかうまくいか なくて何かお母さんが気をつけることが あれば教えてもらえる。息子は少し困った ような表情をしてしばらく考え込んでい ました。そして言いました。お母さんあか もなれない環境で頑張っているからもう 少し時間をかけて見守ってもらえる。 きっと大丈夫だよ。息子の言葉に私は希望 を見い出しました。そうだ。まだ時間が 足りないだけなのだ。もう少し辛抱強く 待てばきっと彩佳も私を受け入れてくれる ようになるだろう。そう思って私はさらに 努力を続けることにしました。冬が近づく につれ、私の体調は少しずつ悪くなって いきました。長年の無理が経たって膝が 痛むようになり、階段の登り下りが辛く なってきました。でも息子や彩かには心配 をかけたくなくて痛みを我慢して普段通り に生活していました。夜中に痛みで目が 覚めることもありましたが尻尾を張って 静かに耐えていました。ある寒い朝のこと でした。私は庭で洗濯物を干していました 。霜が降りて地面が凍っていました。 洗濯物を星を得て振り返った時、凍った 地面で足を滑らせてしまったのです。膝 から崩れ落ちるように倒れ、手をついた時 に手首を捻挫してしまいました。痛みが 走りましたが、大声を出すわけにはいき ませんでした。息子たちが心配するから です。私は1人でゆっくりと立ち上がり、 洗濯か加護を持って家に戻りました。手首 は晴れて痛みましたが、尻尾を張って我慢 しました。この程度のことで騒ぐわけには いかない。年を取ればこんなことは 当たり前だと自分に聞かせました。でも心 の奥底そこではもし誰かが心配してくれた なら、もし誰かが気づいてくれたならと 思わずにはいられませんでした。その日の 夕食時、私は手首の痛みを隠して普段通り に振る舞いました。息子が今日は何をして いたのかと尋ねてくれた時、私は微笑んで 答えました。いつも通りを庭の手入れをし てお掃除をして特に変わったことはないわ 。息子は安心したような顔をして自分の話 を始めました。私はその話を聞きながら 手首の痛みを感じないよう務めました。 日々は過ぎていき、私の存在は家の中で ますます薄くなっていくような気がしまし た。朝早く起きて掃除をしても誰も気づい てくれません。洗濯物を畳んでおいてもお 礼を言われることはありません。庭の花を いけても誰も見てくれません。私がして いることは空気のような当たり前の存在と して扱われていました。それでも私は希望 を捨てませんでした。いつか彩佳が私を 受け入れてくれる日が来ると信じていまし た。いつか息子が私の気持ちを理解して くれると信じていました。いつかこの家で 本当の家族として暮らせる日が来ると信じ ていました。でも心の奥底そこでは小さな 不安が芽え始めていました。このまま時間 が過ぎても何も変わらないのではないか。 私がどんなに努力してもあかの心を動かす ことはできないのではないか。息子は私 よりも妻を選ぶのではないか。そんな暗い 思いが時々頭をよぎりました。ある、私は 屋根裏の小さな窓から外を眺めていました 。街当が照らす静かな住宅街、遠くに 見える他の家いの温かい光。みんな それぞれの家庭で幸せに暮らしているの でしょう。私もかつては夫と息子と3人で そんな幸せな家庭を築づいていました。で も今は同じ屋根の下にいながらまるで別々 の世界に住んでいるような気がしました。 それでも私は諦めませんでした。明日こそ はやかと話ができるかもしれない。明日 こそは息子と親子らしい時間を過ごせるか もしれない。 そんな小さな希望を胸に毎日を過ごしてい ました。家族とは何か、愛とは何か? そんなことを考えながら静かに時を待って いました。でも運命は私が思っているほど 優しくはありませんでした。私の小さな 希望はやがて大きな絶望に変わろうとして いました。たあ、その時の私はまだ知る よしもありませんでした。家族への愛と 信頼だけお頼りに1日1日を大切に生きて いました。この小さな幸せがいつまでも 続くものだと信じて冬が深まるにつれて私 の心の中にあった小さな希望はまるで下に 打たれた花のようにしれていきました。 彩佳との関係は改善されるどころか日に日 に冷たくなっていくのを感じていました。 私の存在はこの家ではもはや透明人間の ようなものになっていました。12月に 入ったある日、私は息子の騎士が子供の頃 から大好きだったドラ焼きを買ってきまし た。駅前の死ニ舗の和菓や小月道で特性の アコがたっぷり入った上等焼きでした。1 個200円もする高級品でしたが、久し ぶりに息子に喜んでもらいたくて六個入り の箱を買いました。放送士も美しく、 きっと息子も懐かしく思ってくれるだろう と期待していました。その日の夕方、私は 何も言わずにドラ焼きの箱を今のテーブル に置きました。名前は書きませんでしたが 、息子ならは勝ってくれるはずでした。 子供の頃お小遣いを貯めてドラ焼きを買っ て帰るとお母さんも一緒に食べようと言っ て半分に割って分けてくれた優しい息子。 そんな思い出を胸に私は小さな期待を抱い ていました。翌朝台所に行くとドラ焼きの 箱がそのまま置かれていました。1つも 食べられた様子がありません。もう1日 待ってみようと思いましたが、3日目の朝 、その箱がゴミ箱の中に捨てられているの を発見しました。箱は無増作に投げ込まれ 、中のドラ焼きは1つも食べられること なく、そのまま廃棄されていました。私は ゴミ箱からその箱を取り出し、台所で1人 でドラ焼きを食べました。甘いアコの味が 口の中に広がりましたが、なぜか感じられ ました。涙がこぼれそうになりましたが 泣くわけにはいきません。きっと甘いもの を控えているのだろう。健康のことを考え ているのだろうと自分を慰めました。でも 心の奥では私の気持ちが完全に無視された のだということを理解していました。ある 日私は年に1度の健康診断に行ってきまし た。血圧が少し低めで石から食事をもう 少ししっかり取る用紙度されました。最近 食欲がなくて食事の量が減っていたのです 。1人で食べる食事は味けなくついつい 簡単なもので済ませてしまうことが多く なっていました。家に帰る途中階段であか と出会いました。久しぶりに2人きりに なったので私は会話を試みました。か ちゃん、今日は病院に行ってきたの。血圧 がちょっと低めだって言われて、もう少し しっかり食事を取らないといけないみたい 。年を取ると色々と気をつけることが 増えるのね。彩かは立ち止まることなく 階段を上がりながら機械的な声で答えまし た。そうですか。お疲れ様でした。体調 管理は自分でしっかりやってくださいね。 私は仕事で忙しいので特別な食事を作る 時間はありませんから。その言葉はまるで 氷のように冷たく私の心に突き刺さりまし た。私はその場に立ち尽くしました。彩佳 にとって私は心配する価値もない。ただの 同居人に過ぎないのだということを痛感し ました。家族なら体調が悪いと聞けば少し は心配してくれるものではないでしょうか 。でも彩佳にとって私はそうではありませ んでした。私はただの面倒をかける老人 だったのです。その夜から私は眠れない夜 が続くようになりました。布団に入っても 様々な思いが頭の中をか駆け巡り安らかな 眠りに着くことができませんでした。私は 何を間違えたのだろうか。なぜ彩佳は こんなにも私を嫌うのだろうか。年を取る ということはこんなにも惨目なことなの だろうか。そんな疑問が答えのないまま心 の中をうまいていました。夜中の2時、3 時に目が覚めることが多くなりました。 屋根裏の小さな窓から見える街当の光を 眺めながら私は自分の人生を振り返ってい ました。夫と過ごした幸せな日々、息子を 1人で育てた苦労の日々、そして今の孤独 な日々。同じ家に住んでいるのにこんなに も孤独を感じるとは思いませんでした。 11月のある寒い朝のことでした。下が 降りて庭の草鼻も寒そうに震えているよう な日でした。私はいつものように早朝5時 前に起きて庭に出ました。秋から育てて いる菊の花に水をやり、枯れた派を 取り除く作業をしていました。その菊は 来月の息子の誕生日に飾ろうと思って大切 に育てていたものでした。黄色い小さな菊 の花が寒さに負けずに美しく咲いていまし た。私はその花を見て少し心が暖かくなり ました。こんな小さな花でも一生懸命に 生きている。私も負けてはいられないと 思いました。花に水をやりながら久しぶり に心が穏やかになるのを感じていました。 しかしその穏やかな時間は長くは続きませ んでした。火壇の橋にある重い植バを移動 させようとした時、下で濡れた石に足を 滑らせてしまったのです。体のバランスを 崩した私はコンクリートの地面に膝から 倒れ込みました。ワを強く地面に打ちけ、 鋭い痛みが全身を走りました。痛みで動け ずにいると家の中から慌てた足音が聞こえ てきました。息子の騎士が飛び出してきて 私の側に寄りました。母さん、大丈夫です か?どこか痛いところはありませんか? 救急車を呼びましょうか?息子の声は心配 と焦りに満ちていて、その瞬間私は幼い頃 の騎士のおかげを見たような気がしました 。息子は優しく私を支えて立ち上がらせて くれました。その時の彼の手の温かさ、 心配そうな表情は間違いなく私の愛する 息子でした。お母さん、本当に大丈夫です か?病院に行きましょう。そう言って くれる息子の姿に私は涙がこぼれそうに なりました。まだ息子は私を大切に思って くれているのだと実感できました。しかし その温かい瞬間は突然の冷たい声によって 打ち砕かれました。2階の窓から彩佳の声 が響いてきました。今度はもう少し気を つけてくださいね。いつでも誰かが家にい て見守れるわけではありませんから。その 声はまるで他人ごとのように霊タで私が 転んで怪我をしたことに対する心配や道場 はみ人も感じられませんでした。私は息子 の顔を見上げました。彼が何か言って くれるのを待ちました。妻の冷たい言葉に 反対してくれるのを母親をかってくれるの を期待しました。 でも息子は私の視線を避けて黙って下を 向いていました。何も言わず、何も反論せ ずただ沈黙していました。その沈黙は彩佳 の冷たい言葉よりもさらに深く私の心を 傷つけました。私は自分の力で立ち上がり 、息子の手を静かに話しました。大丈夫よ 、騎し。お母さんは何ともないから ちょっと休めば良くなるわ。そう言って私 は1人で家の中に戻りました。サワンは 激しく痛み、おそらく打木症ができている だろうと思いましたが、それよりも心の 痛みの方がはるかに大きくなりました。 息子の沈黙が私にはやえの同意のように 感じられたのです。屋根浦の部屋に戻ると 、私は1人でその痛みに耐えました。 サワンは晴れ上がり、紫色の内出血が 広がっていました。でも医者に行くお金が 惜しくて家にあった疾尾を張って我慢する ことにしました。痛みは数日続きましたが 、それよりも心の傷の方が深くなかなか 言えることがありませんでした。その夜私 は眠ることができませんでした。天井を 見つめながら今朝の出来事を何度も 思い返していました。息子の心配層な顔、 彩佳の冷たい声、そして息子の沈黙。家族 とは何なのでしょうか?愛とは何なの でしょうか?私が転んで怪我をした時、 本当の家族なら心配してくれるはずでは ないでしょうか。翌日から私は小さな ノートに日記をかけ始めました。誰かに 話すことのできない気持ちを文字にして 残しておきたいと思ったのです。それは うちではなく自分の心の整理をするため でした。真実を忘れないために自の感情を 記録しておきたかったのです。11月18 日庭で店と息子は心配してくれたが早か から冷たい言葉息子は何も言わなかった。 その沈黙が1番からあった最初に書いた 日記はこんな短い文章でした。でもその 短い文章の中に私の複雑な感情が全て込め られていました。それからというもの私は 毎日のように小さな出来事を記録するよう になりました。彩佳が私に対して取った 冷たい態度、息子の無関心、そして私自身 の感情。それらを客観的に書き止めること で自分の置かれた状況を整理しようと試み ました。11月22日朝食事彩かに おはようございますと挨拶したが返事なし も気づかないふり 11月25日洗濯物を畳んでおいたが後で 全部やり直されていた。まるで私が触った ものが汚いかのよう。 11月28日、夕食の準備を手伝おうと 申し出たが必要ありませんと断られる。 息子は新聞を読んだまま。 日記を書くことで私は自分の感情を客観視 できるようになりました。同時に彩佳の私 に対する態度が偶然や一時的なものでは なく、一貫した拒絶であることも明確に なりました。それは私の勘違いでも 思い込みでもなく現実だったのです。12 月に入ると彩佳の態度はさらにエスカレー としました。私が今にいるとまるで私がい ないかのように振る舞うようになりました 。私が話しかけても聞こえないふりをし、 私が部屋を出ると急に息子との会話を 始めるのです。ある日の夕方私が台所でお 茶を入れていると、今から彩佳と息子の 会話が聞こえてきました。彩佳は息子に 言いました。お疲れ様。今日は早く帰って 来られてよかった。2人だけの時間って 本当に貴重よね。私がそこにいることで彼 らの時間が邪魔されているのだと感じまし た。息子は何と答えたのでしょうか?私に は聞こえませんでしたが、その後2人の 笑い声が聞こえてきました。私が台所に いることを知っていながらわざと聞こえる ように話しているようにも思えました。私 は湯みを手に持ったままその場に 立ち尽くしていました。年末が近づくに つれ、家の中の雰囲気はますお苦しくなり ました。本来なら家族が集まって温かく 過ごすはずの季節なのに、私にはその温か さを感じることができませんでした。 クリスマスも正月もまるで私だけが 取り残されているような気分でした。12 月20日頃のことです。私は偶然彩佳の 電話での会話を聞いてしまいました。早川 友人と話をしていたようで、その内容は私 に関するものでした。本当に疲れるのよね 。同居って何をするにも気を使うし、も ないし、特に年配の方って色々と干渉し たがるでしょう。私はその言葉に衝撃を 受けました。私は彩かに干渉などしてい ません。むしろ彼女の生活を邪魔しない よう最新の注意を払って生活していました 。でも彩佳にとっては私の存在そのものが 干渉だったのです。私がいるだけで彼女は 不快に感じていたのです。電話の会話は 続きました。うちの場合小さんが1階を 全部譲ってくれたから助かってるけどそれ でも朝から晩まで家にいるのよね。静かに してくれればいいんだけど、色々と世話を 焼きたがるの。ありがた迷惑っていうか、 私は呆然としました。私の銭が彼女にとっ ては迷惑だったのです。さらにあかは続け ました。夫も最初は気を使ってお母さんを かってたけど、最近は私の気持ちを理解し てくれるようになったの。やっぱり夫婦の 絆の方が強いのよね。この言葉が私の心に 最後の一撃を与えました。息子も彩かの 味方だったのです。その夜私は日記に書き ました。12月20日彩かの電話を聞いて しまった。私は邪魔な存在。息子も彩かの 味方。もう希望はない。その日から私は 笑うことができなくなりました。年が開け ても状況は変わりませんでした。むしろ 彩かの態度はより露骨になっていきました 。私が挨拶をしても完全に無視し、私が 部屋にいると露骨に嫌な顔をするように なりました。息子もそれを見てみぬふりを していました。1月のある寒い日、私は 思い切って息子に相談してみることにし ました。部アが友人と外出している夜、私 は息子を今に呼びました。騎士、お母さん と少し話をしない、久しぶりに親子で ゆっくりお話ししたいの。息子は少し困っ たような表情をしましたが、しぶしぶ座っ てくれました。私は勇気を出して言いまし た。騎士、お母さんはあやかちゃんと 仲良くしたいと思っているの。でもどうし てもうまくいかないのよ。お母さんが何か 悪いことをしているのかしら。息子は視線 をそらしてしばらく沈黙していました。 やがて息子は思い口を開きました。 お母さんあかもなれない環境で大変なん です。仕事もしているしストレスも多いと 思います。もう少しそっとしておいて もらえませんか?この言葉は私には彩かを かう言葉にしか聞こえませんでした。私は 最後の望みをかけて言いました。でもたし 、お母さんも家族の一員よ。みんなで 仲良く暮らせたらいいと思うの。どうし たらやかちゃんに受け入れてもらえる かしら。息子は深いため息をついて答え ました。お母さん、無理をしないで ください。彩佳は彩かなりに頑張っている んです。その時私は悟りました。息子は すでにあ彩かの味方になっていて、私の 気持ちを理解しようとはしていないのだと 。母親よりも妻を選んだのだと。それは 自然なことかもしれませんが、私に耐え 異厳でした。その後の数週間、私は家の中 で完全に孤立した存在になりました。朝 起きても誰にも挨拶されず、1日中誰とも 会話することなく、夜は1人で寂しく眠り に着く日々が続きました。同じ屋根の下に いながらまるで別の世界に住んでいるよう な感覚でした。2月に入ると私の体調も 悪化していきました。食欲がなくなり、夜 も眠れず日に日に痩せていきました。鏡に 移る自分の顔はこけて目の下にクができて いました。でも誰も心配してくれません でした。ある日買い物から帰る途中で近所 の田中さんに会いました。田中さんは心配 そうに言いました。お子さん、最近お痩せ になったみたいですが、大丈夫ですか? 体調でも悪いのですか?その優しい言葉に 私は涙がこぼれそうになりました。家族 以外の人の方が私を心配してくれるなんて 。家に帰ると私は日記に書きました。2月 10日近所の田中さんが心配してくれた。 家族より他人の方が優しい。もう限界かも しれない。その文字は震えていました。 それから数日後、決定的な出来事が起こり ました。私が台所で1人で夕食を通って いると、今から彩佳と息子の会話が聞こえ てきました。彩佳は息子に言いました。 ねえ、小母さんのことなんだけど、いつ までここにいるつもりなのかしら?正直 言って私たちの生活に師障をきたしている のよ。息子の返事は聞こえませんでしたが 、あかは続けました。老人ホームとかそう いうところを考えてもらった方がいいん じゃない?小義保さんのためにもなると 思うわ。この会話を聞いた時、私の心は 完全に折れました。 彩川は私を家から追い出したがっていたの です。その夜私は長い間日記を書きました 。私は邪魔者になってしまった。自分の家 なのに居場所がない。息子も彩か飲み方。 もう戦う気力もない。でもどうしたらいい のだろう。 翌朝私は鏡を見て学然としました。そこに は見知らぬローバがいました。痩せこけて 正規の内目をした哀れなローバが私は こんな姿になってしまったのかとショック でした。でもその時何かが私の中で変わっ たのを感じました。諦めと同時に奇妙な 解放感のようなものが生まれました。もう 無理して愛されようとしなくてもいい。 もう家族として認めてもらおうと努力し なくてもいい。 そんな気持ちでした。私は静かに 立ち上がり、窓の外を見ました。春はもう すぐそこまで来ていて、梅の花が咲き始め ていました。新しい季節の始まりです。私 にとっても何か新しいことが始まろうとし ているのかもしれません。たあ、それが何 なのかはまだ分かりませんでした。心の奥 で小さな声が支いていました。 このままでいいの?本当にこのままでいい の?私はその声に耳を済ませながら静かに 次の瞬間を待っていました。きっと答えは 相遠遠くないところにあるのでしょう。3 月に入り、私の誕生日が近づいてきました 。76歳になる誕生日です。定年なら息子 が小さなケーキを買ってきてくれて、3人 でさやかにお祝いをするのが高齢でした。 でも今年は誰もそのことに触れようとし ませんでした。私も自分から言い出す気に はなれませんでした。3月15日、私の 誕生日当日、東京の空は灰色に曇もり、 冷たい風が吹いていました。まるで私の 心境を表しているかのような天気でした。 朝から晩まで誰からも誕生日のお祝いの 言葉はありませんでした。息子は会社に 行き、彩かの仕事に出かけ、私は1人で 屋根裏の部屋にいました。夕方息子が帰宅 した時、私は小さな期待を抱いていました 。もしかしたら覚えていてくれるかもしれ ない。何か言ってくれるかもしれない。 しかし息子は普段通り挨拶をして自分の 部屋に向かいました。彩かも同様でした。 私の存在はもはや彼らの記憶からも 消え去ろうとしているようでした。夕食の 時間になりました。いつものように私は 1人で屋根裏の部屋で簡単な食事を取る 予定でした。コンビニで買った弁当と 温かいお茶。それが私の誕生日の夕食に なるはずでした。しかし、その時が階段を 上がってきて、私の部屋をノックしました 。お母さん、今日は誕生日でしたね。すみ ません。忙しくて忘れていました。今から 一緒に夕食を食べませんか?息子の言葉に 私の心は少し暖かくなりました。忘れてい たのではなく、忙しかっただけなのだと 自分に聞かせました。息子はまだ私を大切 に思ってくれているのだと信じたかったの です。1回の今で久しぶりに3人で食事を することになりました。簡単な料理でした が家族で食べる食事は確別でした。私は精 一杯おしゃれをしました。タンスの奥に 閉まってあったの着物を着て髪も丁寧に 言い上げました。誕生日らしく少しでも 華やかに見せたかったのです。食事は静か に進みました。息子が仕事の話を少しして くれ、私はそれを嬉しそうに聞いていまし た。景気はありませんでしたが、それでも 家族一緒に過ごす時間を大切に感じてい ました。食事の途中で息子が言いました。 お母さん誕生日おめでとうございます。 長気してくださいね。短い言葉でしたが、 私には十分でした。しかしその幸せな時間 は長くは続きませんでした。彩佳が突然橋 を置いて私を見つめました。そして冷たく 微小 さんにお話ししたいことがあります。正直 に申し上げますが、私は最初から小義さん が好きではありませんでした。その言葉は まるで雷に打たれたような衝撃でした。 静寂が部屋を支配し、時間が止まったかの ように感じられました。私は箸を持った まま彩かの顔を見つめることしかできませ んでした。息子も驚いたような顔をしてい ましたが何も言いませんでした。彩川業者 なく続けました。義母さんは常に干渉的で いつも自分を犠牲的な母親として演じてい ます。その偽然的な態度に私は本当に うんざりしているんです。たさんも最初は 気を使っていましたが、今では私の気持ち を理解してくれています。私の心は 砕け散ちりそうでした。でも不思議と涙は 出ませんでした。むしろある種の解放感の ようなものを感じていました。ついに本音 を聞くことができたというアンド感かも しれません。私は静かに豆腐を一切ればで 取り、ゆっくりと口に運びました。彩佳の 言葉はさらに続きました。大義保さんが いることで私たちの新婚生活は台無しです 。 もありませんし常に監視されているような 気分です。もう限界なんです。どこか他の 場所で暮らしていただけませんか?老人 ホームでも何でも私たちが費用を負担し ますから。その間の騎士は下を向いたまま 一言も発しませんでした。酒を飲む手が 少し震えているのが見えましたが、私を かう言葉は1つもありませんでした。彼の 沈黙は彩佳の言葉への同意を意味してい ました。息子も私を邪魔な存在だと思って いるのです。私は最後の豆腐を口に入れ、 ご飯し粒ぶ1つ残さずに食べ終えました。 それは私なりの尊厳を保つ方法でした。 怒りも悲しみも表に出さず、母親としての 品を最後まで保ちたかったのです。食事を 終える得ると私は静かに立ち上がりました 。ご馳そう様でした。美味しい食事を ありがとうございました。 お誕生日のお祝いもありがとう。それでは お先に休ませていただきますね。私の声は 驚くほど平成でした。息子も彩佳も私の 反応に少し戸惑っているようでした。 きっと私が泣き崩れたり怒ったりすると 思っていたのでしょう。屋根裏の部屋に 戻ると私は着物を丁寧に畳んでタスに しまいました。鏡で自分の顔を見ると 不思議と穏やかな表情をしていました。 76年間生きてきて、ついに真実を知る ことができました。自分がどれほど愛され ていないか、どれほど必要とされていない かを。私は机に向かい弁線を取り出しまし た。そして人生で最も重要な手紙を書き 始めました。それは死んだ夫への手紙でも なく、息子へのは彼の手紙でもありません でした。この家で生きている人々への最後 の石表示でした。戦に向かい、私は丁寧に 文字を書き始めました。私は藤本さ子です 。本日76歳の誕生日を迎えました。夕食 をありがとうございました。この手紙を 持ってお知らせいたします。 私はもうこの家の所有者ではありません。 実は1ヶ月前私はこの家を正式に売却 いたしました。手続きは全て完了しており 、新しい所有者が30日以内に引き継ぎに いらっしゃいます。皆様には今後の住居に ついてご相談していただく必要があります 。手紙を書きながら私は3ヶ月前の出来事 を思い出していました。あの日、私は1人 で不動産屋に行き、この家の売却について 相談したのです。不動産屋の担当者は驚い ていました。なぜこんな立派な家を売るの ですか?息子さんはご存知ですか?と何度 も確認されました。私は答えました。家族 の幸せのためです。私がいることで皆に なっているようですから、担当者は理解 できないような顔をしていましたが、私の 意思が硬いことを察して手続きを進めて くれました。売却価格は相場より少し安め でしたが、それでも老後の生活には十分な 金額でした。手紙に戻ります。私は皆様を 責めているわけではありません。 皆様が私に示してくださった通りに行動し ているだけです。私がこの家の不要な存在 であることを皆様は十分に示してください ました。ですから私はその現実を受け入れ 相応の行動を取らせていただきます。長年 の家で暮らし息子を育て上げることができ て幸せでした。でも全てには終わりがあり ます。私の役目は終わったのです。新しい 生活に向けて皆様のご健康とお幸せをお 祈りしております。母として義母として 最後まで皆様を愛していることに変わりは ありません。手紙を書き終えると私は丁寧 に封筒に入れました。あてな名は書きませ んでしたがこの家にいる人々なら誰が読ん でも理解できる内容でした。私はその手紙 を今夜の夕食を食べたダイニングテーブル の中央に置くことにしました。彩佳が私を 侮辱したまさにその場所に荷物の準備を 始めました。76年間の人生で積み重ねた ものの中から本当に必要なものだけを 選び出すのは思っているより簡単でした。 衣は数着夫との思い出の写真結婚指輪 そして最近書き始めた日記。それが私の 全在さんでした。小さなスーツケース1つ に全てが収まりました。残りのものは全て この家と一緒に新しい所有者に引き継がれ ます。私の人生の痕跡はこのスーツケース 1つに集約されたのです。それを見てなん だかす々しい気持ちになりました。夜中の 2時頃、私は静かに部屋を出ました。階段 を降りる時、1段1段に気をつけて音を 立てないようにしました。この家での最後 の夜誰にも気づかれずに立ち去りたかった のです。1階に降りると今を通り、台所を 通り玄関へと向かいました。ダイニング テーブルの上に手紙を置きました。3人で 食事をした場所、彩佳が私を拒絶した場所 、そして私が最後の晩餐を食べた場所。 その中央に私の人生最後の石を記した手紙 を置いたのです。玄関で靴を履きながら私 は振り返りました。この家で過ごした数十 年間が相馬のように蘇りました。夫と結婚 した日、息子が生まれた日、夫を失った 悲しい日、息子を育てた苦労の日々、 そして最後の孤独な日々。全てが私の人生 でした。ドアのに手をかけた時、少しだけ 躊躇しました。本当にこれでいいのか?他 に方法はないのか?でももう答えは出てい ました。私がいることで皆が不幸になる なら私が去ればいいのです。それが1番 簡単で1番平和的な解決方法でした。玄関 のドアを開けると冷たい夜風がほぼ撫で ました。3月の夜はまだ寒く街当の光が 道路を照らしていました。私は振り返る ことなく家を出ました。ドアが閉まる音は 小さな価値という音だけでした。それが私 の人生の一生の割を告げる音でした。 最寄りの駅まで歩きながら私は不思議と 悲しい気持ちにはなりませんでした。 むしろ長い間方にのしかかっていた重荷が 取れたような軽やかな気分でした。もう誰 かに愛されようと無理をする必要もあり ません。もう誰かに認められようと努力 する必要もありません。ただ自分らしく 生きればいいのです。駅で始発電車を待ち ながら私は新しい生活について考えました 。埼玉県の小さなアパートをすでに契約し ていました。地区30年の古いマンション の一室ですが、1人で暮らすには十分な広 さです。は最低限のものだけ揃えて静かに 予を過ごすつもりでした。電車の中で私は 窓に移る自分の姿を見ました。シの刻まれ た顔、白発の頭小さくなったからだ。でも 目には久しぶりに光が宿っているように 見えました。76歳にしてようやく自分の 人生を取り戻したのです。埼玉に着いた時 、空が明るくなり始めていました。新しい 1日の始まりです。私にとっても新しい 人生の始まりでした。アパートの鍵を開け て部屋に入るとそこには何もありません でした。でもその何もない空間が私には 無限の可能性に満ちているように感じられ ました。窓を開けると春の温かい風が入っ てきました。 桜のつぼみが膨らみ始めた木が見えます。 もうすぐ春です。新しい季節、新しい生活 、新しい私76歳の新人としてこれから何 ができるでしょうか?その日の夕方私は 日記に書きました。3月16日、今日から 新しい生活が始まりました。家族ではなく ただの藤本さよ子としてそれで十分です。 この年になってようやく自分の人生を 生きることができます。近所のスーパーで 買い物をしているとレジノは若い女性が 親切に話しかけてくれました。お 1人暮らしですか?何か困ったことがあっ たら声をかけてくださいね。その優しさに 心が暖かくなりました。見知らぬ人の方が 家族よりも親切にしてくれるのです。 アパートに戻ると隣の部屋の小学生の 女の子が母親と一緒に挨拶に来ました。お ばあちゃんよろしくお願いしますと元気 よく言ってくれました。私は微縁で答え ました。こちらこそよろしくお願いします 。久しぶりに心から笑うことができました 。夜、1人でお茶を飲みながら私は静寂を 楽しみました。誰かの顔色を伺う必要も なく、誰かに気を使う必要もない。この しけさは孤独ではなく平和でした。76 年間で初めて本当の安らぎを感じました。 数日後、息子から電話がかかってきました 。お母さん、どこにいるんですか?急に家 がなくなるなんてどういうことですか? 慌てふめいた声でした。私は落ち着いて 答えました。騎士、お母さんは元気にして います。心配いりません。息子は言いまし た。お母さん、あかが言いすぎました。家 に戻ってきてください。お願いします。で も私は首を横に振りました。騎士、もう 遅いのよう。お母さんはここで新しい生活 を始めました。あなたたちも新しい生活を 始めてください。彩佳からも電話があり ました。小義さん、すみませんでした。 感情的になってしまって、でも私は答え ました。彩佳さん、謝らなくてもいいのよ 。あなたは本当のことを言っただけです。 おかげでお母さんも真実に気づくことが できました。真実とは何でしょうか?それ は愛は共容できないということです。家族 だからと言って愛し合わなければならない わけではないということです。そして愛さ れないということは決して恥ずかしいこと ではないということです。春が本格的に 訪れ、桜が満になりました。私は近所の 公演を散歩しながら桜の花を見上げました 。美しい花です。誰のために咲いている わけでもなく、ただ自分らしく咲いている 。私もそうありたいと思いました。公園の ベンチで同じような年代の女性と話をする ことがありました。私も最近息子夫婦から 離れて1人暮らしを始めたんですと話すと その女性は深く頷いてくれました。お 気持ちよくわかります。でも案外1人の方 が気楽でしょう。その通りでした。1人の 生活は思っていたより快適でした。好きな 時間に起きて好きなものを食べて好きな テレビ番組を見る。こんな単純なことが こんなにも幸せなものだとは知りません でした。ある日、隣の小学生の女の子が私 の部屋を訪ねてきました。おばあちゃん、 お花をもらってくださいと言って小さな 花束を渡してくれました。学校の帰り道で 積んだ花でした。その純粋な優しさに私は 涙がこぼれそうになりました。に私は 女の子に手作りのクッキーを焼いてあげ ました。女の子は目を輝かせて喜んでくれ ました。おばあちゃんのクッキーとっても 美味しいと言ってくれました。久しぶりに 誰かのために料理を作る喜びを感じました 。日記の最後のページに私は書きました。 なぜ私が沈黙していたのかと誰かが尋ねる かもしれません。それは私が弱かったから ではありません。愛を取引の道具にしたく なかったからです。そして消えることが私 の尊厳を守る最後の方法だったからです。 私はもう誰かの母親でも誰かの妻でも誰か の義の母でもありません。私はただの藤本 さ子76歳の女性です。そしてそれで十分 なのです。人生の最後の章を私は自分 らしく書いていきたいと思います。窓の外 では新力の季節が始まろうとしています。 生命力に溢れた季節です。私にもまだまだ これから生きる時間があります。今度は誰 かのためではなく自分のためにその時間を 大切に使っていきたいと思います。時々 あの家のことを思い出します。 息子は元気にしているだろうか。彩かは 新しい環境になれただろうか。でもそれは 遠い世界の出来事のように感じられます。 私は前を向いて歩いていきたいのです。 76歳の新しい人生が始まったばかりです 。これから何年生きられるかは分かりませ んが、残された時間を自分らしく自由に 過ごしたいと思います。それが私が最後に 学んだ人生の教訓です。愛されることより も自分を愛すること、認められることより も自分を認めること、必要とされること よりも自分で自分を大切にすること。 そんな当たり前のことを76歳になって ようやく学べました。遅すぎたかもしれ ませんが学べたことを感謝しています。私 の物語はここで終わりです。でも私の人生 はまだ続いています。新しい賞の始まり です。今度は主人公として自分の物語を 紡いでいきます。それがどんな物語になる かはまだ分かりません。でもきっと美しい 物語になるでしょう。今日もまた窓から桜 を眺めています。散り始めた花びが風に 待っています。美しい散り際です。私も いつかそんな風に美しく人生を終えること ができるでしょうか?その時まで精一杯 生きていきたいと思います。皆様最後まで 私の物語をお聞きいただきありがとう ございました。この物語を気に入って いただけましたでしょうか?もし よろしければ高評価ボタンを押して いただき、チャンネル登録もして いただけると嬉しいです。また次回の物語 でお会いしましょう。ありがとうござい ました。

これは藤本さよ子、76歳の物語。女手一つで育て上げた息子の家庭で、彼女は次第に“見えない存在”となっていく。静かな家の中で響くのは、心ない一言と、かばってくれない息子の沈黙だった。
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老後の物語
老後は穏やかな日々だけではなく、年金、社会保障、晩年の恋、離婚、再婚など、さまざまな悩みがつきものです。私は、そんなリアルな物語をお届けします。涙も笑いも、後悔も希望も詰まった人生の話。60歳からの人生に興味がある方、一緒に聞いて、共感しませんか?

VOICEVOX :青山龍星
VOICEVOX :Nemo

企画・制作部門

総合プロデューサー: 青木隆二 (Aoki Ryuji)
企画・構成: 西村智恵 (Nishimura Tomoe)
制作統括: 平野大輔 (Hirano Daisuke)
制作進行: 山本理沙 (Yamamoto Risa)
制作アシスタント: 池田美和 (Ikeda Miwa)
アソシエイトプロデューサー: 田村航 (Tamura Wataru)

撮影・映像技術

撮影監督: 森本健司 (Morimoto Kenji)
カメラディレクター: 浜田麻衣子 (Hamada Maiko)
第一カメラマン: 内田雄介 (Uchida Yusuke)
第二カメラマン: 片岡優太 (Kataoka Yuta)
照明チーフ: 坂口光男 (Sakaguchi Mitsuo)
照明アシスタント: 大野結菜 (Ono Yuna)
音声収録: 谷口真一 (Taniguchi Shinichi)

編集・ポストプロダクション

編集長: 柴田雅人 (Shibata Masato)
メインエディター: 水野愛美 (Mizuno Manami)
カラーグレーディング: 北村龍也 (Kitamura Tatsuya)
映像効果: 小川晃司 (Ogawa Koji)
モーショングラフィックス: 中島美咲 (Nakajima Misaki)

音響・音楽

音響監督: 藤原貴之 (Fujiwara Takayuki)
サウンドデザイナー: 吉野あかり (Yoshino Akari)
効果音制作: 上田翔太 (Ueda Shota)
音楽プロデューサー: 岩崎純一 (Iwasaki Junichi)
BGM作曲: 宮崎春花 (Miyazaki Haruka)
音響ミキサー: 村田慎也 (Murata Shinya)

ストーリー・脚本

脚本家: 渡邊綾乃 (Watanabe Ayano)
ストーリー監修: 高田修平 (Takada Shuhei)
物語構成: 横山千鶴 (Yokoyama Chizuru)
台本制作: 江藤美紀 (Eto Miki)
リサーチャー: 金子洋平 (Kaneko Yohei)

声優・ナレーション

メインナレーター: 久保田誠 (Kubota Makoto)
副ナレーター: 島田恵理 (Shimada Eri)
キャラクターボイス: 林田和樹 (Hayashida Kazuki)
特別出演: 石原麻希 (Ishihara Maki)

デザイン・アート

アートディレクター: 荒木直人 (Araki Naoto)
グラフィックデザイナー: 永井美穂 (Nagai Miho)
イラストレーター: 関根大地 (Sekine Daichi)
キャラクターデザイン: 竹内さくら (Takeuchi Sakura)
背景アート: 野田健太郎 (Noda Kentaro)
UI/UXデザイン: 山口花音 (Yamaguchi Kanon)

技術・配信

技術統括: 松井秀樹 (Matsui Hideki)
システムエンジニア: 佐々木純子 (Sasaki Junko)
配信技術: 伊藤翔 (Ito Sho)
品質管理: 小林真由美 (Kobayashi Mayumi)
データ分析: 鈴木拓実 (Suzuki Takumi)

マーケティング・宣伝

マーケティングディレクター: 田中康夫 (Tanaka Yasuo)
SNS運営: 大橋あゆみ (Ohashi Ayumi)
広報担当: 加藤雄大 (Kato Yudai)

サポートスタッフ

総務・経理: 長野美智子 (Nagano Michiko)
制作サポート: 福山咲良 (Fukuyama Sakura)
インターン: 山下蓮 (Yamashita Ren)

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