支配下契約の日…夢を叶えるために中畑監督に直談判/プロ初登板は大谷翔平との投げ合い/信念を貫き通した“クレバー”な野球人生|砂田毅樹(横浜DeNAベイスターズ〜中日ドラゴンズ)【前編】
当時中畑監督だったんですけどやばね投げ たいですって言った瞬間にま高知人全員 ざつきますよね 当時めちゃくちゃ怒られたんすけど4 球ボールでいいって言われたんすよで僕 ど真ん中に投げたんすよ嫌だっていう意思 表示とし [音楽] てユニフォームを脱いだ後プロ野球選手は どのような人生を歩んでいるのか彼らの プロ野球人生とセカンドキャリアに迫り ます プロ野球 セカンド今回の主人公 [音楽] はプロ野球セカンドではチャンネルをご 支援いただけるスポンサ 様を募集しています詳しくは概要欄をご覧の上お問い合わせください [音楽] こんにちはこんにちは クラ級セカンドと申します砂田です よろしくお願いします あと砂田よ義よさんです はい砂田よですえっと2013年の ドラフトで横浜DNAベースに育成1位で 指名されてそっから 20202年までえっと9年間ですかねえ 横浜 DNSやらせていただいてそっから移籍し てトレードで中日ドラゴンズに2年間って いう形ですかねを始めたのが小学校2年生 ぐらいからなんですけどまそれのそれと 同じぐらいの時間をま言ったらプロ野球の せでやってたって思うとすごいなんか短い ようで長いプレ級人生だったなっていう風 に感じますスさんのちょっと野球人生を えっと紐解といきたいなと思いますので 今日はよろしくお願いしますよろします ちょっとじゃあ歩きながら行きますか はいさんご身ってどちらでした?えと 北海道ですのさ札幌ですね 兄弟とかっていうらっしゃったんですか えっとですね姉2人に妹1人です姉2人は 4年4歳と3歳離れて上でええで妹は9 歳離れてますねあそうなんですねはい [音楽] あでも野球に出会野球に出会ったのは3歳 4 歳ぐらいの時ですね父親も夜やってたので草野球みたいな感じででそれで ついていったりそれで一緒にやったりっていうので野球を [音楽] 知っていったって感じですね ご家族とスポーツ家とかですか あいや全然ですね僕ぐらいですねスポーツやってるのは [音楽] 母親はバトミントンやっててま父親はそうですね僕自身僕の父親が最婚なので血繋がってないんであれなんすけど チ繋がった親父はどんなあれかわからないですけど僕は全く記憶ないんで あそうなんはい プレ級選手になる夢っていうのは結構早くから思ってたんですか そうですねでもなんかプレイ級選手になり たいっていうよりはやっぱこう何かをやる んだったら1番上のところでやりたい トップでやりたいっていうのがあったので なんか負けたくないっていう気持ちが強く て野球を頑張ってたって感じですかねどう いう風にこうプロになろうかっていうこう 明確なこう道筋とかっていうのはどの辺り でこうちゃんと立てた感じなんですかそう ですね 中学2年生ぐらいからですかねその道筋と いうか自分の立ち位置がこうしっかりし でき始めて1つこうさのなんて言うんです かね実力がついてきたというか結果が出て き始めたのがその年その頃ぐらいだったの ででなんか周りからの評価もすごい高く なりたのもちょうどそこら辺だったので そこら辺から明確にじゃあこうしてこうし してっていうのは出てきたかなと思います でそれで高校はどちらに進学されました 高校は秋田の今名前変わったんですけど冥王高等学校っていう今ノースサージャー大冥王高等学校っていう風にはなってるんですけど結構ここ数年プライ級選手が何人か出てる高校ではあるんですけどそこに入学することに決めましたね あもうこれ自体がそこに行くこと自体がもうプロ行くための選択だったのでやっぱり北海道ではある程度名前が知り合渡って有名にはなったので同世代の中だと名前は売れてたのでそう考えた時にじゃあ北海道での高校行っててってなっても正直北海道広すぎて やっぱり こう目立たないっていうよりはチームが目立てないな っていう風に思ってはいたのでやっぱチームとして目立つ人選手として目立つって考えた時にやっぱ北海道は広すぎるなっていう風に考えてですね 高卒育成 というところでこうプロに入ってますけど 高卒でプロに行くっていうところも1個は 目標に掲げてたことなんですか いや高卒でプロに行くっていうよりはんその僕の感覚的になんですけどその新しい環境になった時にその自分の持ってるものが人段 [音楽] 回こうレベルアップするっていう感覚が すごいあってその段階を大学社会人って 踏む必要ってあるのかなっていう風には 思っていてその僕の中で多分大学で野球を やってしまうと多分ナーナでもしかしたら プロ行けないんじゃないかっていう怖さも あってそこでまあできるのであれば高卒で プロっていうところは僕の人間性というが 特徴を考えるとそれが一番ベストなんじゃないかなっていう風には思っていたのでその育成だとしても育成じゃなかったとしても普通に本締めだったとしてもどっちにしろ高卒で行こうとは言ってたのであですとかそういうのは出場されたんですか 高校はないですね その全国大会とか僕たちの台は全然勝っててなかったのでそういうのは全くなかったですね そこからじゃプロに行くためになんか取り組んでたこととかってかなかあるんですか ま練習はもちろんなすけどやっぱり致名度を上げるっていうのが僕の中では 1 番かなっていう風には思っていたので北海道ではなく飽きたっていうところを選択したっていう風に僕は考えてますねそこは大事だ大事だったなっていう風に考えてますね その甲子園に出ることって正直チーム力が あって初めてなせる部分正直なところその じゃあピッチャーがすごいいい からだ から甲子園出れるかって言われるとそう じゃないのかなっていう風には感じてい てピッチャーが良くて も打てなければダめですしっていう部分を 考えたら やっぱりその僕ん中ではその自分がまず 有名になることが1で大事かなっていう風 に思って考えてましたよね 行くとは思ってたけれども確証がないまま こう時間が進んでいってはい で当日を迎える感じですかそうですね ま調査書とかは届いてましたけど秋田というか高校自体がこう盛り上がった部分があったのでそれでちょっと僕自身不安な部分がより募ったドラフトだったかなっていう風には思いますね その中で当日っていうのはどういう心境で見守ってたんですか いやどうなんすかねなんか僕ん中では指示されたら嬉しいなっていう感覚で指示されなかった場合どうしようかなって どうやってプロ行こうかなっていう風な方 をずっと考えてたのでまなんか不安と 楽しみと額を混ざった状態っていう1日 だったなっていう風には覚えてますね最初 なんか授業午前中授業あったはずだったん で普通に学校で授業受けてそのまんま家 帰らず えそうですねなんかその会議室みたいな ところでドラフトの中継を見てっていう 感じだったの覚えてますねで当時はその 育成使命っていうのがあるって知らなくて 誰もだから本名が終わった時にあ使命 かからなかったねみたいな感じで残念だっ たねみたいな感じでその会議室でこう すごい空気が流れたのを覚えてますねで それでま仕方ないなって思ってたらその 高校のその同級生チームメイトからあの いつが届いてそのLINEで育成で 横浜指名してるよって来て誰にも育成使命 のこと知らなくてで僕が自分であすいませ んなんか横浜から育成を受けたらしいで すって言ってえ育成ってなんだみたいな話 になって あじゃあも結局プロ入れるんだみたいなっ ていう感じになってそれで一応記者会見 みたいなのが始まったって感じですもう 単純に嬉しかったですしもうプロの世界に 入れるのであればいい育成だろうが何 だろうが入ってやろうっていう気持ちは あったの でもうねそっからはもうま人安心っていう 部分とこっからまた勝負プロのこれから プロの世界で勝負できるんだっていう期待 とっていうのが出てきた出てきたなって いう感じでしたね 同期で入った選手たちか他にどういう方がいらっしゃいましたか 同期ですかはい同期はドラフト1 位が柿田さんっていう方ででピッチャーの方でで 2 位が平田さんで3位がみ井さん そうですで4位が三さんで5 位が山し俊し俊さんあ違う5 位が関根で6位が山し俊しさんすかね で育成で僕でマン谷さん本当になんかこう 個性溢れるみんなだったんですけどでも やっぱり その初めての合同10でそのま言ったら 高校生は僕と関根だけだったのでで高校生 のピッチャーも僕だけ関根は外野だったの でそでなった時に もう大学社会人の方のもうピッチング見た 瞬間にあ俺これやってけるかなっていう 不満がすごい出たなっていうのは覚えてますね焦りがすごい出た出たなっていうのは自分の中ですごい実感してるなって実感があったなっていう風には覚えてますね なんか同期のメンバーでこんなすごいん だって思ってしまったのでこれ俺やって いけるのかなっていうのとあと はその不安がすごかったのは僕自身自分が いい自分のいいところってあんま分かって なくて何が良くてプロになれたかも僕は 正直分かってない部分が多く てそれ本当にこれと言ってなんかすごいも を持ってるか言って言うと 僕はま持ってなかったなって思うの で本当にその時に一気に不安になったなっ ていうそのプロの世界で自分自身がやっ てけるのかって中で自分の持ち味って何 だろうって考えた時今ないなっていう風に なったのが本当に最初のプロのキャンプ だったなっていう風に覚えてますね 当初の目標とかっていうのはどういうことを掲げて始めてたんですか そうですね最初はちょっと腰を痛めるってわけじゃないですけど腰に違和感が最初プロあの高校の時からちょっとあってそれでそのキャンプの時になんかぎっくり越しみたいな感じになっちゃって 1回5月ぐらいに初登板したんすかね まそん中で僕自身1年目のプレイでは何を しようって考えたかって言うとやっぱ2軍 をしろうっていうところをやっぱ2軍の 選手ってどういう選手が多いんだろうとか 2軍の選手と対戦してまず結果が出なかっ たらまず1軍は無理だよなっていうところ ですごい1軍の選手をあ2軍の選手を 抑えるため のこう野球のやり方というか投球の仕方を 考えようという風に考え出したのを覚えて さ1年目に1年目の時 に本当にその入団1年目の時だけ高知だっ た岡本さんっていう方がいるんですけどと その時ちょうど2軍コーチでやられてた 木塚さんっていう方2人が僕にとって すごい1年目の支えというか1年目にあれ だけ教えていただいて手取り足取りやらせ てやっていただいたおかげで本当に プレ野球人生の基盤ができたなって僕は 思ってはいるの でその2 人がいなかったら多分僕の今ここにいるないんじゃないかなって思うぐらい僕に感謝してもしきれない 2人だなと思いますね 何かその2 人から言われたことですごく印象に残ってることとかってた 基礎を常に大事にしろっていう風に常に 言われていたのと何でも楽しくやりなさい というかそのき厳しい時もありますけど やっぱその中で楽しく何かを取り組 むっていところもこう教えてくれた2人 だったかなっていう風に思いますね 守備が料理だっていうはいのも出てきて はい 結構昔から料理みたいなの作ってたんですか 作ってます昔はそうすねその両親両方とも友端だらけだったんで僕中学校はクラブチームだったんでやっぱ週に 1回しか練習ないんですよああはい なんでその他の週はいたら帰ったら家に誰もいないんで はいお腹空くじゃないですか うんぐだとそうするとやっぱりこう腹空で何か食べたいて思った時にやっぱ自分でご飯を作る何かを作るっていう風なことをするようになってからご飯とかお菓子作りとかそういうのめっちゃするようになったなっていう 最近北海道に帰ることが多くてでカニのパスタを食べたいなと思いまして でもカニを言ったら怪我にとかたらにバってこのまま買ってしまうと 取るのなんて言うんですか?見ほぐすも大変じゃないですか 大変ですね いやそれめんどくさいなって思ってたらたまたま空港のどっかのあのお店でほぐしみが売ってたんです はいはいこれどうなんだろうと思ってそれ を買っ てあのパスタを作ったんすよトマト クリームパスタのあの毛のトマトクリーム パスタを作ったんすけど あまりにも美味しいすぎてあの今回北海道 し何回かその家の事情で帰ってるんです けどその時にその毛のほぐしみを大量して 今家の冷凍庫に入りっぱしなんすけどああ それとかは最近作った中ではちょっと高い すけど ねトータルバランス的に合ってないぐらいの金額のあれですけどでもめちゃくちゃ美味しい料理が久々にできたなって思いながら 1年目で2 [音楽] 軍のこう野球っていうのは少し理解できたなって思ってじゃここで結果を出すっていうところよりはやっぱ一 自分で呼ばれた時に結果を出すためには どうしようっていう風 に考えるようになってその考えるきっかけ ていうのがその時調整で三浦さん今の横浜 の監督の三浦大輔さんがこう投げてたんす けど2軍だとすごい打たれるですよあそう なんですかはいででもやっぱベテランで 実力も能力もあったので その次の週かその次の週ぐらいに1軍で 登板っていう予定があってでその試合 をこう見るいやあんだけ打たれてたのに1 軍で大丈夫なのかなって正直なこう2年目 の僕からするとすごい感じてたところ で1軍のバッターが全く手も足も出なくて その年確かカ封かなんかしてるんですよ それを見た時 に何が違うんだろうっていうのでそこで 本当に衝撃を受けたなっていうミラさんの あの投球には僕自身今の自分の投球に つがる今までのプロにはプロ生活の投球に つがる本当基盤の投球術の三浦さんから 学んだなって いうこの素人感覚 じゃ多分レベルが高い話で分からないん ですけどその2軍では打たれるけど1 軍では抑えられるっていうのは何がそこは違うんですか あいやこれでも結構簡単な話なんですけど 2 軍の人って何を大事に考えるかって自分の成績なんすよさっき僕が言ったみたいに自分の成績を残さないと 2軍から1 軍に上がれないわけじゃないですかでもそ僕のその正直な考え方でいいくとそれだと一軍で通用しないんですよ おお その2 軍で結果を出すためって言ったら同じレベルの人間から打って結果を出しても正直 1軍だとさらに上のランクのレベルなので 意味がないって言ったら申し訳ないですけど 1 軍レベルのピッチャーだと打てなくなってしまうのが現実かなっていう部分で それよりも2 軍ベッチャーの相手だったり2 軍バッターの相手だったら自分の調整 を試しながらでも自分 をちゃんと試合を作れるようになるのが 1番大切だったんじゃないかなっていう風 には僕は思ってたくさんヒット打たれても たくさんそのランナーを出したとしても0 で帰ってきて例えばここでゴロを打たせ たいここで三振を取りたいここでフライ を上げさせたいとか1級1級でのここで 振らせたいのか見逃したいのていう部分の 言ったらなんて言うんですかね勝負する時 に廃棄を考えたりとか1個1個の吸収の こうどこにどう投げるっていうのを考え ながら投球するっていうのをやりながらで も2軍は抑えなきゃいけないそれぐらい じゃないと一軍行っていきなり結果を出そ うっていうのが無理なんじゃないかって僕 が思ってそれを三浦さんの試合を見てから それを感じてそれをやるようになって からそうすね急に2軍で勝てるようになっ てで4連勝ぐらいした時に試合 以下にていう声がかかって試合化登録させ ていただい ていう感じですね 2015年6月7 日この支配になった日のことって覚えてますか 覚えてますね前日の日ですかね なんか その 明日事務所に事務所というか横浜 スタジアム来て くださいまあなんとなく分かるよねって 言われてまこのタイミングで呼ばれること あやっと試合会になったなれるんだなって いうところで そこで初めてま声あの知ってでで実際に その次の日に球場に行っ てでま高田そん時高田GMだったんです けど高田GMに そのと試合か登録させていただきますと っていう風にこう言われ言われてであと 監督コーチに挨拶行ったっていうのを覚え ていてまそん時に高田GMに とりあえず1 軍っていう部分ではなくてその2 軍でえっと1 関東なり完封っていうところを1 つ基準としてそれができたら一軍呼ぶからとりあえずそれをやってきなさいっていう課題を出されたんですよ あそれは分かりましたって答えてで僕でもその 1 つそのプロ入ってからやりたいことがありまして お それが初登板を東京ドームあ札幌ドームで投げたいっていうのが僕の中でずっとあって [音楽] ご出身だからってことですよねっていうの とあと はま 正直北海道でプレ野球選手になりたいって ま僕の地元の中学校だったり小学校で言っ てる と現実身がないというかうん こういやいやいやみたいなちょっとこうなんて言うんですかね笑い話になってしまうような部分があったのでま正直僕はそれがすごい悔しかったのもありますしまあなんかみんなにも見返し見返したいなっていう風な気持ちがあってその時にまあなんか若い本当に若いガキガキだなって思うなんすけどその成人式の時にプレ級選手として一軍のマウンドに立ったっていう実 実績が欲しかったっていうのとその実績を 札幌ドームで 第登板を札幌ドームでやりたいっていう ところがあったの でなので本当に交流戦の札幌ドームまでに 試合なりたいっていう風に思っていてそれ で結構序盤からだいぶ焦ってた部分はあっ たんですけどそれが本当に叶いそうだった んですよ本当にちょうど交流戦の時期の 試合登録だったの でででも高田GMに9回投げれるように なってから上がってきなさいって言われて のにも関わらず僕は監督 にどこで投げたいんだっていう風にその時 当時中畑監督だったんです けど砂田はどこで投げたいんだって言われ た時にあの来週の札幌ドーム戦僕地元が 札幌なのでやっぱ札幌ドームをね投げたい ですって言った瞬間にま高知人全員ざき ますよねいきなりそのはい2年目のまだ 19歳がどこで投げたいって言って いきなり1週間後の札幌ドームに投げたい ですってしかも地元の球場で投げたいで すって言ったらさすがにそれはないだろう みたいな空気感がすごい出 てこいつやばいやつだなみたいな空気が出 てたのはすごい記憶にあるんですけどでも そん時に唯一中畑監督だけが分かったと 考えといてあげるって言われてよろしくお 願いしますって言っ てその監督首脳人の部を出たのも覚えて ますしそしたらその本当にその日の試合に まだだったのが三島さんなんですけど三島 さんが3回か4回4失点かなんかで めった打ち食らっちゃってで次の日の記事 見たら三島を抹勝するって書かれててじゃ 先発枠1個開くじゃんで僕ん中で思っ いやでもまさかなって思ったら2日後 ぐらいにあのネットニュースというか新聞 であの移動があの仙台かどっか福島かな あの郡山かどっかであの楽天と試合だった んですけどその時にあの開いたところ誰 投げさせるんですかっていう記事で中畑 監督が僕とか2軍の監督高知人誰にも言わ ずに新聞 でそれを記者に言ってしまうっていう砂田を投げさせあげるっていうことを言ってしまうだから僕も 2 軍の首脳寺もみんなあのこの新聞である通り投げるみたいだからっていう そうだったんですか はいっていうことが起きて来週から行ってきなさいっていう出来事があったのも覚えてます あなるほどそしたらじゃあもう菅田さん的にはもう夢が叶う そうですねもうていうことですよね僕ん中 ではすごい嬉しかったすねその僕なんで僕 それ言ったかって中畑監督って結構こう 強気というかなんて言うんですかねビッグ マウス系の方が好きなの でちょっとここは思い切って言ってもいい んじゃないかって思って言ったのでそれは こうそうしたなっていう感じではありまし たね19歳で6月の14日 日ハム線札幌ドーム はい でこの試合初登板の試合先発投手どなたでしたか えっと相手が大谷翔選手ですね やっぱり先頭先頭バッターが西川は樹木 さんだったんですけど西川は樹木さんを 三振取ってスタートできたっていうのも 印象ありますし5回 までなんだかななんだか忘れた5回まで0 で抑えて僕はでも正直ま若かったのもあっ て勝ちたかったのもあったんで5回で 下ろしてくれって思ってはいたんですけど ま当時の高知人がもう1ちょい行けって いうことで記念その勝ってるんだから行っ てこいっていうことで行っ てでフォアボール出しておさんか誰かに フォアボール出してで中田翔さに ヒット打たれてか中さんにフォアボール 出したのかな出して交代っていう形で交代 してあの次 の変わったピッチャー僕同期入団の平津 さんが初球矢野さんにレフトスタンドに ホームラン打たれるっていうことが起きて 結果僕が負け当初になってしまったんです けどでもなんかすごいいい経験をできる すごい 楽しい試合だったなっていうのは印象とし てありますね あの記事を探したらこの日の試合についてのナンバーの記事っていうのがありまして はい この見出し覚えてますか?ご存知ですか?う わ全然覚えてないすね えと読み上げると大谷翔平が驚いた教心像砂菅田義しっていう名しなんですよ当時 20歳の大谷さんのコメントもられてて ちょっと読んでもいいですかはい 年下のピッチャーと初めて投げ合うということで緊張感はありましたけど砂田君のピッチングは全然年下っぽくなかったですよね球をしっかりと折り混ぜながら丁寧に投げていたしすごく良かったと思いますっていう風にすごい絶賛されてたんですよね はいはい [音楽] なんかそれはなんか今言われて記憶蘇りましたねそうですねそれはなんか嬉しかったの覚えてますね それ をああなんかそういうすごい選手にそれを 言ってもらうなんかま大谷翔さんは1で ありながら1個じゃないちょっと高校の時 からちょっと存在が強すぎたのでなんか1 個に全然思えてはいないんですけどなんか 本当にそういう方にま安倍さんにその後に 色々評価ささ評価してもらったりとか いろんな方になんかいろんな形で評価さ もらったのは すごい自分のプレ野球人生すごい嬉しいな と思いますねなんその時は何て えっとですね3年目すかね僕3 年目の時は先発ちょっとリリーフちょっとだったんですよ そのリリーフに転候したのも先発があんま 良くなくてでまリリーフにもになって リリーフやってみようってことでリリーフ でやったんですけどでも当時からずっと その安倍さんとの対戦成績がすごい良くて その2年目の先発やってる時からずっと 安倍さんに対してはすごい相性が良かった のでそれ でそのなんかなんですかね横浜的には安倍 キラーみたいな感じでちょっと安倍さんと の対戦をよくさせられたなってなった時の その10その年のオフですかねかなんかで なんかプライ級選手がえっとプライ級選手 をドラフトするみたいなっていうので なんか 44なんか3選手ぐらいをこう1チームに してこうその3人で言うたら1チームを プラ級選手の中から選抜して選ぶっていう ので安倍さんが僕を選出してくれたって いうのでこんだけプレイ級選手いる中で僕 をそのリリーバーとして選んでくれたって いうのはすごい嬉しかったですしそん時の コメントとかでいやもうなんかもう僕対僕 で当ててきててっていうのを安倍さんも 言っていらっしゃってでそん時にいやその クロスステップが良くてこうでっていう 説明をさしていただいてそういうところ 細か 深くなんか僕を見てくれてる方もいるんだなっていうのですごい僕は嬉しかったのも覚えてたんです 安倍さんとの対戦っていうのは津さんにとってもすごい印象的なバッターでした 印象的ですねやっぱり安倍さんのあの球団記録かなんかあるんすよ そのなんか何試合連続アんだがジャイアンツ記録かなんかであるんですけどそのジャンツ記録のを塗り換えた時にヒット打ったの打たれたの僕なんですよ ああでそれもまこれは当時めちゃくちゃ 怒られたんですけど その勝負に行ってその先発ピッチャー勝負 してでカウント悪くなったらもう歩か せようでなんかそういう記録を作るのを 結構記録を作られたくない球団チーム側 からするとなんかこう作られたくないじゃ ないですかだその阻しようみたいなやっぱ 流れがやっぱ出てきちゃったのでそれ でそん時にリリーバーも出てきたら基本 歩かせるよっていう話だったんですよで僕 がちょうど安倍さんによし行と言われて出 てた時 に4球ボールでいいって言われたんすよあ もう勝負しなくていいはでど真ん中に投げ たんですよ 嫌だっていう勝手な表示意思表示としてそんなんで剣勝負して打たれたんだったらそれはそれでいいしなんか逆に真剣勝負して打てなかったら安倍さんだって自分で納得できるだろうそれを勝負もせずに歩かされましたで球団記録途切れました球団記録ってうち関係なくないって僕は正直思っちゃったんすよ若かったので なるほどうん でなんかそれは違うなっと思っていやそれ だったらなんか嫌だなって僕ん中思って もうそれだったらもう真ん中に投げてやれ と思って真ん中投げたらそのままセンター 前に打たれてベンチ帰って全員に怒られ ましたね 人全員に怒られてもうなんで真ん中ないボール玉だろうって言われてすいません抜けました言って全力で嘘つきましたけど とかその年のCSですかねCS 争いしてる時のマン塁デ安倍さんとの勝負だったんですけどそん時 32から3ボール2 ストライクからど真ん中で空振りに三振取ったとかまそれも安倍さんだったりとかそういう印象があるのが結構安倍さんが多いなっていう風には思いますね 2022年 の3月すかねキャンプから帰ってきた時に あの多分 [音楽] こうニュースで知ってる方というか僕は 名前が出てないんでずっと伏せてはいまし たけど僕事故るんすよ交通事故正面衝突し てるんすよ車ではい それから体が全く動かなくなってしまったっていうの [音楽]
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⚾️今回の主人公⚾️
砂田毅樹(すなだよしき)|横浜DeNAベイスターズ〜中日ドラゴンズ
1995年生まれ
2013年ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから育成1巡目指名を受けて入団。プロ2年目の2015年に支配下登録。
その翌週に地元札幌でプロ初登板のマウンドへ上がり、大谷翔平と投げ合う。
2022年のシーズンオフに中日ドラゴンズとトレードで移籍。
2024年に自らユニフォームを脱ぐ決断を下して、引退。
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■トークテーマ一覧
00:00 ダイジェスト
02:29 狙っていた“高卒プロ入り”
09:04 一度は諦めた…ドラフト当日
13:23 プロ1年目に考えていたこと
15:26 本格的な料理の趣味
17:35 三浦大輔から学んだプロの投球術
21:42 夢を叶えるため…中畑監督に直談判
27:35 大谷翔平と投げ合ったプロ初登板
30:30 阿部慎之助との対決で怒られたこと
34:38 野球人生が変わった“交通事故”
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□関連ワード
#砂田毅樹 #baystars #dragons #大谷翔平 #阿部慎之助
24件のコメント
砂田きゅん相変わらずイケメンですね あのスライダーは素晴らしかった👍
凄いチャラい見た目に!?
追記:丁寧な話し方で非常に聞きやすく続編が楽しみです
砂田めっちゃ事故のニュースの印象強い
プロかかるような人が育成指名知らないとかある?w
料理すごい上手いな
野球選手やってて、これだけ作れるのすごい
オレが最後に見たのは甲子園で見たのが最後でした!
兵庫の旅行でたまたま、相手が中日で砂田くん見れて良かったな、今思うと!
大気と砂田くんが2人でスタジアムの1番上の方に2人で投げてるのが今でも思い出です😊
この歳のドラフトは下位の方が当たりだったなー😂
ピンチになると制球良くなる。ピッチャープレート1球毎に変える。札幌で大谷と投げ合う。いつか横浜に戻ってきてください。
砂田くん、先発続けてた世界線も見てみたかったとか思ってたけど本人的にも元々リリーフ志向だったのね
中畑さん嬉しかったと思うなぁー^_^
自分の意思で言ったんだもんね、挨拶もできないチームから始まって、すごい嬉しくて
こんないい意味でわがままな若者がいるって高田さんを嬉々とした表で説得したの目に浮かぶわ😂
実際のところナーンも知らないけど笑
元ベイスターズ出身選手の出演が多いですね。贔屓ファンなので嬉しい!!
困ったら砂田投手ってぐらい頼もしかった🎉
私は砂田さんは先発かな、と思ってました
ナゴヤ球種の引退式は泣けましたよ、お元気で何よりです!
札幌出身のベイスターズファンです。
砂田投手も札幌出身だったので、ユニフォーム買って応援してました。
初登板の試合も映像で観てましたが、あの試合勝ち投手になってたらどうなってたんだろうなと、あの当時から思ってました。
矢野、ベイスターズキラーのイメージあったけど、砂田の時か〜
砂田くん…
大好きでした…
先発挑戦していた時も
ワンポイント今日だった時も
勝ちパターンの一角になった時も
中日に移籍してしまった時も
本当に印象に残っていて大好きな選手です
いつか
代走・砂田
というアナウンスを期待している時もありましたw
いつかベイスターズに戻って来てくれるのも夢に見てます…
現役生活お疲れ様でした。
16年CS巨人戦の投球は今も覚えています。
あの投球が延長での嶺井選手のタイムリーに繋がりました。
本当にありがとうございました。
女の子みたいで可愛い
阿部慎之助が嫌なピッチャーと言わせた砂田、素晴らしいよ
砂田くん久しぶりです!
僕がベイスターズファンになってから見に行った初めての試合が砂田くん先発の日ですごく印象に残ってます笑
これからの人生も楽しんでくださいれ
ベイファンです。初コメ失礼します。いつも素晴らしい取材をありがとうございます🙇
砂田さん、厳しい場面でも淡々とポーカーフェイスでメンタル強いなぁと応援していました🙂
駆け足でライン跨ぐ姿もかっこよかったです❗️
後半も楽しみにしています😊
事故って環八か環七での出来事か
思いっきり取材で顔映ってたけど名前だけ出なかったよね
札幌ドーム試合初登場覚えてますよ!
名誉ドラ1の砂田君 よく育って投げてくれたわ
中畑まじ好きw