与謝の魅力を語る #3日本と朝鮮半島 倭人 #伽耶#任那#丹後の歴史
日本と朝鮮半島 倭人
任那(ミマナ)とは(?―562年)古代に存在した朝鮮半島南部の地名。一般に伽耶と同一。任那(ミマナ)は、NIN・NA ニンナ と書き、転訛した呼び名。「ニム」は、「先生」「王様」の尊称。「ナ」は、オホナムチ(大国主・大国(な)身霊(むち))。「国」や「大地」を意味するNA(ナ)と同源です。
任那(ミマナ)とは、「王の国」を意味しています。
新羅の国の第4代の王は、脱解尼師今(だっかいにしきん)(在位57~80)という。脱解は、むかし、多婆那(たばな)国で生まれた。その国は、倭国の東北1千里のところにある。金富軾(ふしき)らが作成した『三国史記』、この文献から朝鮮半島に倭人がいたことがわかります。
多婆那(たばな)国とは、タニハ国(丹後・但馬・丹波)であったのではないかと考えます。
瓠公(瓢公)という人物は、瓢箪(ひょうたん)を腰につけて船で渡ってきたことから瓢公(ひょうこう)といわれ、新羅の建国時(紀元前後)に、諸王に仕えた重臣です。新羅の「瓠公」は海を渡ってきた倭人です。
『日本書紀』神功49年には「比自㶱(ひしほ)、南加羅、㖨国(とくのくに)、安羅、多羅、卓淳(とくじゅん)、加羅などの七カ国を平定した。」という記述があります。文献から、日本と朝鮮半島が古代からかかわりがあったことがわかります。
また、亀山洞遺跡などの金海市付近では弥生前期から弥生後期、弥生式土器が出土しています。翡翠といえば日本、ヒスイ製の勾玉が朝鮮半島南部から多数出土しています。松鶴洞古墳群の中心に位置する古墳が前方後円墳です。これは朝鮮半島南部に倭人がいたこと、首長は倭人であったと考えられます。
このように、遺跡からも朝鮮半島と日本列島とは、縄文・弥生時代から古墳時代まで、文化の交流が行われ、人の移動があったことがわかります。
丹後の与謝野町には、阿知江𡶌部部神社(祭神 長白羽命)、深田神社(祭神 和久産巣日神)、倭文神社(祭神 天羽槌雄命・棚機姫命)など絹関係の神様が祀られています。また、入鹿伏(いるかぶし)という地名が残されています。丹後では、蘇我氏が中臣氏に滅ぼされたことから「イルカブシ」という地名が残ったといわれます。歴史をたどるに興味深い与謝野町です。
古代丹波歴史研究所 所長 伴 とし子
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