ももいろインフラーZ 第14回「インフラ偉人伝」2025年6月1日放送本編#ももフラ

[音楽] 今回の桃色インフラZは 今皆さんが豊かな暮らしができているのはこういったインフラの偉人たちのおかげでて僕たちの生活がある。 そうなの。すご。 インフラ人。大阪を大都市に発展させた豊秀吉のインフラトア。その場所を埋めたので。 [音楽] 埋めだ。 さらに日本の近代化のために命をかけたインフラ人も。 [音楽] 最年勝の井上マ正さんはまだ21歳。おお で背負ってくれてるだろ。 そして 渋沢え吉地。あ、惜しい。 あと1人。 新1 万円札の顔としても知られる実業家渋沢A 1。引退後に作った理想の町とは [音楽] ワクワクするとかドキドキすると。うあ。 ま、そういう街の、ま、作り、 私たちの暮らしを支えるインフラ。その誕生に秘められた偉人たちの物語と未来への思いが今明される。インフラ。 [音楽] はい、今日もよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 はい。 え、早速ね、今日も授業始めていきたいと思うんですが、今日のね、テーマはね、こちらなんです。 はい。インフラ人殿。お ね、もうあの、インフラなんて関係ないやろなと思ってたような人がすっごいインフラに関係してるっていうのね、いろんなお話してきましたけれども、例えばまるまの父なんていうのね、おられたりして、 よく出てくる。え、例えばあの、徳や うん。うん。そうだ。初回の時にやりましたね。そう。あの、東京の地水事業やられましたし。 超有名人ですけど、これあの日本で初の本格的な道路整備を行った方で、え、新幹線の父と呼ばれた後新司さん ねてという方がおられたり、今皆さんが豊かな暮らしができているのはこういったインフラの偉人たちのおかげで僕たちの生活がある。ま、そんなことをね、これまでも勉強してきましたですけども、今回も現代にも受われる異業を行った人たちを皆さんには調査してもらいました。 はい。はい。 では早速参りましょう。最初のミッションはこちらです。 1300年前のインフラが今も活躍。 めっちゃ前。めっちゃ前だね。 めっちゃ前。土木の達人 を調査せよです。 お [音楽] 藤ジ井共官が用意したミッションは全部で 4 つ。担当したメンバーが成果を報告していくぞ。 [音楽] まずは最近名探偵としても活躍しているらしい高木長。はい。まずは歴史が大得意という桃皆さんを任してください。 [音楽] どこでつの? この人の名前をご存知でしょうか? うんうん。ああ、る。 見たことあるでしょ?でも 見たことはある。見たこと違うかな? 一斉に行ってみます。 え、ちょっと待って。日本人 日本人です。日本や。 ええの紹介。 お、正解も聞こえた。じゃない。 え、すごいす 空みたい。 そうです。正解は空海またの名を攻防大子とも言います。 それはうちの教科書にはいなかった。 そんなはずない。そんなはずない。皆さんの教科書にいます。会か。 [音楽] はい。それではそんな 何を行った人かわかりますか?こ お寺とか作るんじゃないの?そう。お寺を作いですね。いいとこついてますね。お 寺をやっぱ作るよね。 そうなんです。それではまず空海さんの異の一部をご紹介いたします。こちらをご覧ください。 願します。 まず有名なのは荒野さんの階層。 空海さんは816 年和歌山県荒野さんに信号密教の総本山を築き今無事を混流しました。そしてですね、現代でも年間 20 万人ほどが訪れる四国のお変路。こちらは空海さんが歩いて修行した場所を巡るという習わしになっています。 空海さんが始めたんだ。 はい。さらに皆さんこれ聞いたことあると思うんですけど工防筆を選ばずという言葉であ、聞いたことあるよ。 はい。 というこで知られるように筆だったことでも有名なんですよね。なかったね。 なかった。 知らなかったですか?なこちゃん?はい、初めまして。はい。じゃあ今日お勉強しましょうね。 はい。 左右の手足と口で5 本の筆を使って同時に使ったという伝説も残っています。すぎるです。 はい。はい。はい。はい。この人がそれか。うん。 はい。他にも身分に関係なく学べるように日本初の私立学校を作ったり、 故郷の香川県では空海が中国からうどんを持ち帰って広めた。 語り継がれているんです。ありがとう。 はい。すごいね。 今うどんが食べれるのはじゃ、空海のおかげなんだ。まずうどんの父です。 [音楽] うどの父でもあるんだ。 さあ、このように空海さんはめちゃくちゃすごいお坊さんなんですが、インフラのイメージってあまりないですよね。 確かにお坊さんうん。うん。 がインフラっていうんだったとちょっとね、イメージは違うかもしれ [音楽] はい。空海さん実はインフラでも歴史に残る異業を成し遂げているんです。 一体空海さんがなぜフラに関わったのか、そしてどんなインフラを作り上げたのか調査しました。 桃色インフラゼーっと空海が生まれたのは平安時代の 744年現在の香川県でした。 へえ。 幼少期から頭が良くて優秀だった空海はその力を人々の役に立てようと仏教の道を心します。 へえ。へえ。そして31 歳の時、仏教の一波である密教を学ぶため検闘士として中国の塔に渡りました。 あ、もうすご歴史の授業って感じ。 そう、そう。検闘士なんてね。 懐かしいね。懐かしい。 はい。この時密教以外にも日本に役立ちそうな大陸の文化や技術を片っ端しから得。あ あ、素晴らしい。日本のために。 うん。後にインフラで役立つ高工学の知識もここで学びました。 [音楽] そして帰国語後は荒野さんを開いて教えを広めていくんだけど、ある日故郷から緊急の知らせが届くんだ。 空海の故郷県の佐木平は昔から雨が少ない地域で米作りのためにいくつものため池を作っていました。 [音楽] うん。うん。 その中でも最大のため池が万です。 うん。こちらが現在の池。 周囲20km、深さ22m の日本最大のため池で空海が生まれる70 年ほど前に作られたそうです。 緊急の知らせとは818年の池の結 大変だ。 当時のため池はくぼ地に簡単な土手を築水を貯めるというシンプルな構造でした。 そのため台風や大雨で氾濫することも多かったそうなんですが、万能池はあまりに希望が大きかった被害も人大。 うん。 人々が生きていくために絶対必要な農地が広いエリアでダメになってしまい、多くの人々が生きていけなくなる最悪の時代になってしまいました。うん。 そこで故郷の人々を救うために立ち上がったのが空海でした。 そもそも仏教は困った人々を救うもの。弟子たちを引き連れ万の大工事を行ったのですが、ここでインフラ級来たぞ。来 た。インフラ級。 色々な知識を学び日本に帰ってきた空海中でもある重要なインフラ技術を学びこの大工事に挑みます。そのインフラとは一体何でしょうか?ざっくりして。はい。分かった方は手を上げて回答してください。 はい。1300 年前に空海が整備して現代にも受け継がれるインフラトを インフラを学んで帰ってきた。こので水に関係するってことですよね。 そうです。うん。 え、で、今もこう使われてる表。 はい。え、なんだ?はい。 え、あ、ダム。 ああ、笑る、笑る。 ま、池のインフレといえば、ま、 [笑い] 前髪をなくしたあちゃん今日飛ばしてますね。 はい。 ちょっとま、新鮮空さんも合ってたしね。 はい。確かに飛ばしておりますね。あとは大丈夫ですか? かなこちゃんもそれで大丈夫ですか? それでもう間違いありません ということでもそれでは行きましょうか。皆さん大正解でございます。 正解はダムでした。 はい。さすがインフラ戦士。 さすがですね。 私たちできてます。学んだもんが私たちも溜まってきてるんで。 さあ、それでは実際どうやって当時の技術でダムを作ったのか見ていきましょう。桃色インフランゼと。 はい。地元に伝わる伝承などを調べた結果 3つの特徴があったと言われています。 おお。うん。まず1 つ目がこちら。アーチ型の堤防。 うん。そうね。 巨大な池の水圧に耐えるべく堤防をアーチ型にすることで強度を補いました。 うん。 現在の黒ベダムを始め全体の7 割以上で採用されている構造なんです。 すごい。 すごい。こんな昔からあったんだ。 これ。そして2つ目。五工事。 石を守る。うん。はい。 当時はコンクリートがない時代、甘水などで水際が崩れないように水際に悔を打ち込んで竹やなどをくり付けて補強するしがらみというものを設けました。 うん。へえ。 それが今で言う高塩や津波などから内を守るために堤防を設置したり補強する願工事の考え方につがっているんです。はい。じゃ、全部もう当時のね、知恵がこう今に繋がってきてると。 うん。うん。さあ、そして最後ですね。3 つ目刃。 水刃。 大雨や台風でも洪水が起きないように溢れた水を外に逃すための水路を作りました。この考え方もダムなどにおいて貯水の水移が一定量を超えた場合に余分な水を放するための設備として使われています。すごい。 賢い。 こうした現代のダムにも通用する建設技術によってわずか 2ヶ月で納池の修復は完了。 すごい。 その後万能池は何度か拡張工事などが行われ、現在も日本最大級の農業用のため池として機能し、今も空海の宗教的な思いが行きづき人々の暮らしを支え続けています。 実はやっぱり仏教の考え方っていうのは人々を救うことですから、その救うためにはやっぱりインフラを作らないとやっぱり救えないんだというとこに思いが至ったわけですよね。 やっぱ人を救うていうたにはまず最初に環境が整ってないと 救えない というとこにも空海さんはもう大天才だったので中国で全てを学んできて帰ってやっぱり最後に土木にたどり着かれたんですよね。 はい。続いてのミッションはこちら。大阪を日本有数の都市に発展させた人を調査せよです。 [音楽] はい。 調査したのは日本武道館で一やりのミュージカルコンサートを開催したい。続いてはこちらの方です。 はい。 この人の名前はね、もうさすがに皆さん分かりますよね。 はい。桃さんも分かりますかね? 豊お お。あってるんだ。それでは皆さん豊秀吉 一緒に行ってみましょう。せーの 田秀吉。 はい、そのは豊秀吉ですね。え、でもなんか頭いいイメージめっちゃあるなんか作とかさすがアーリンね得意だよね。歴史出てきた。なんか肩がりとかなんか [拍手] うん。うん。 なんか途中整備したイメージめっちゃあります。 この豊秀吉ですが、え、愛知県の農家に生まれて慰例の出世を果たした戦国部将ですね。 [音楽] うん。 え、本の寺の辺で織田信長が倒れた後、その意思を受け継ぎ、小田原城を落として 1590年に天下統一を果たしました。 うん。 え、天下人となった秀吉は日本の新たな中心地を作ろうと街づりに乗り出します。その舞台に選んだのが 大阪。あ、です。うん。 そう、大阪イメージありますよね。 元々天下統一を目指した織田信長が支配し 、商人の町として発展してきた大阪 。信長の後を継いだひ吉はそんな大阪に目 をつけ、ここを日本一の町にしようと決意 。大規模な街づりによって後に天下の台所 と呼ばれる大阪の石を築づき上げていくん だ 。さあ、そんな大阪を発展させた秀吉の 街づりと現代にも続くインフラを調査し ました。桃色 [音楽] インフラゼやきたのは現在全国で2番目に 人口が多いおよそ258万人が進む大阪市 。 え、そもそもなぜ秀吉が大阪の地に目をつけたのかと言うと、歴史の中心地として古ルクから栄京都や奈良が近かったことに加えて大阪湾を利用した貿易や交通の利便性も見込めたからなんです。 うん。うん。 そこでまず 1583 年秀吉はこの辺りで最も高台にあって津波や水さらには地震にも強い自盤もしっかりとしている上町大地という場所に大阪城を作ります。 うん。 そして大阪城を拠点に本格的な街作りへと取りかかるのですが実はこの辺りの土地には大きな問題があったんです。 実はですね、高台にある大阪城の辺りを 覗くとほとんどの場所が開罰0の低湿地帯 で水けが悪く生活には吹雪でした。さらに 淀川はめ何本も川に囲まれていて大雨の 洪水が起きる土地だったんです。 [音楽] おお。そこでまず秀吉が作ったのが淀川沿いにですね、 27km にも及ぶ巨大な堤防分録みを作りました。相当長、 すごい長い。すごい大。 え、秀吉は地元の大名に命じてこの堤防を 2 年で完成させます。さらに堤防の上には大阪と京都を最短で結ぶ道を作って地水と物流のインフラを一気に進めたんです。 めっちゃ便利になったんだね。 うん。うん。そう。 ちなみに現在も旧教会同沿を歩くとこの分録みの名残りを見ることができます。 へえ。当時の堤防がの名残りが でかい。そう。これ27kmに渡ってる。 これ2年で作ったの?作っちゃった。 こうして水対策を済ませた秀吉は続けて人が住める土地を増やすために大規模な梅て工事も行いました。 うん。うん。うん。 現の地図で見てもらうとですね、黄色い部分が梅立地になっているんですが、 [音楽] この中心部にある大阪駅の北川こっちですね、あのほとんど埋め立てられてるのが分かります。 この辺例えば梅田ですね。梅田皆さん言ったことありますね。 あります。あります。 この周辺は元々田んぼなどが広がる地帯でした。 そこの場所を埋めたので 埋めだ。 そうなの?呼ばれるようなんです。 こうして町の土台を作った秀吉が続いて取りかかったのは大都市に欠かせない交通と物流の整備。そこで目をつけたのが [音楽] 長年人々を悩ませてきたヨ川。 当時川の水を引き込んで東横側、 西川といった運河を形成します。 [音楽] うん。 街中に水路を張り巡らせて大阪城を中心に巨大な水運ネットワークを築ます。 うーん。え、水運を使って各地から物資を輸送したり人を運んだりすることで商業を発達させようと考えました。 大阪に千場、新際橋、堂トん堀など水にんだ土地が多いのがこうした水運を利用した街作りがあったからなんです。 だから大阪水の宮子なんてね言われたんですよね。 意外と意識してないとね、こんなに運河があるなんてわからないね。 うん。 さらに秀吉が行ったのが区画整備。 これは秀吉の時代の大阪の地図なんだけど、あることに気づくかな? 四角い。うん。四角。 そう。これよく見るとめっちゃ綺麗に並んでる。 うん。綺麗にね。同じ大きさに人 三角が一緒だね。 そうなんです。道が5 番の目のように東西南北に通ってるのが分かりますね。こういう風に揃ってるよね。こうやって。 うん。うん。めっちゃ綺麗。そう。 秀吉はこの東西の道を通りで南北の道を筋と区別して筋 [音楽] そう筋の道なの緑筋は縦の でこの通りなんちゃら通りって何? そう店が並ぶメインストリートでこの筋を生活道路として役割を開けました。 今の大阪と比べてみると皆さんどうですか?これが当時今 えじゃん。ま、 全然もう当時の形を今も保ったまんま。 すごいすごい。 ところでですね、こうしたの目の街並ある場所と似ているんです。それがどこだと? おね。早いですね。 すごい。 じゃん。大阪からちょっと上に行きますと。はい。 [音楽] はい。 そうです。大正解。京都の街と似てると思いませんか ね?京都は観光してても四角いなってこうね、触角で曲がるなっていうイメージはあるよね。ある。 え、京都は平安時代、当時の中国党の制度を参考にして作られたのですが、実は大阪が 5 番の目のようになっているのにはそれとは違う理由があるんです。 違うんだ。それではここで インフラ秀吉によって5番の目のように 整備された大阪の町。 [音楽] え、このような形になったのは秀吉が作ったあるインフラが関係しているんですが、そのインフラとは一体何でしょうか?大阪城から西に向かって広がる 5 番の目の街並には現代でも欠かせないインフラが関係しているぞ。 道路。 うん。うん。 ま、道路もね、こう整備したんだけど ちょっと違います。もうちょっと うんうんうんうん。ま、 水路もね、さっき言った言いましたけど うん。橋 違います。手あげてください皆さん。で、 [笑い] インフラ ヒントはですね、ま、こう通りや筋がこの向きに作られてるっていうのも重要。この向き でもこの方向に水が流れてる方向に作ってるってこと? そう、そう。でもそのな んだろう?意外と気づきにくい。 あ、そうですね。あんまり普段目にしない。 そうだけど重。 うん。うん。うん。出た。すごい。 あそかもうさから 導き出したみです。 さあ、それでは正解VTR を見てみましょう。桃色インフラン [音楽] やってきたのは大阪市中央区。実はですね、ここに秀吉の区画整備に関わったという当時のインフラが今も残っているんです。それがこちら。何?何これ? [音楽] インフラがあるのが実はこの中なんです。 ああ、でも結構歴史を感じるね。 え、その秘密を案内してくださるのが大阪の地に詳しい坂口さんです。 中の方ご案内します。はい、こちらになります。階段でこう地下に入っていきます。潜ってますね。何があるんでしょう? はい。 え、こちらが豊秀吉が作った下水道になります。 約450 年前、え、作られた、現在もあの現役のゲス水移道として使われております。 ということで正解はゲ水移動でした。か子ちゃんお願い。 [音楽] イエーイ。すごい。 生活排水っていうのはその辺に流して捨てるのが、ま、普通なんですけど、ここは元々停止地帯だったので、みんなが水を流してしまった。 たら道が抜かるんで普通に生活ができなくなってしまう。え、何よりね、その水が抜かんでそこに溜まってると衛生状態が悪くなってしまうんですよね。そうなると疫病が蔓延したりとかする。だから大阪がたくさんの人が住む町になるためには下水道の整備っていうのが絶対必要だったんですよね。だから水を飲むだけじゃなくてこう流す上水道下水道っていうのがあって初めて町が町になれる。 それを秀吉さんは考えてくれはったわけですね。へいんだけど、 ま、ね、整備をすると言ってもおよそ 450 年前一体どうやって作ったのでしょうか? 重機があるわけではありませんので、人力で水を掘るという、え、 ことをやられてたようですね。 [音楽] え、ではなぜこれが区画整備に関わるのかと言いますと、皆さん先ほどの地図にもう 1回ご注目くださいね。 大阪を高台に立てたって言ったの覚えてますか?さっき言いましたね。 はい。うん。 で、当時は重機がないので地下深くに下水道を作ることができません。 うん。 そこで高台にある大阪城のこの堀ですねに淀川の水を引き込んでそこから低いところにある町に向かって水を流すことで下水道を完成させたんです。 うん。へえ。地形も生かして。そう。 地形を生かしてこう水の流れる力を利用するためにこの東から西に向けて下水道それを利用して作ったということです。 大阪城が上町大地で高いところにあるのでそっから水を流していくと水の流れができてくるていう電力とかもいらないですもんね。水の流れだけで。へえ。 そして下水に遮えられないようにメインストリートである通りは下水道と平行に配置。 [音楽] 下水は通りと通りの間を流れることで 目立たなくなり、さらに各ブロックの 区分けとしても機能したんだ。現在下水道 は地下に移し、地上は小道に秀吉の下水道 の名残りを感じることができるぞ 。このように秀吉が作ったインフラが今も 大阪の町を支えているのでした。 やっぱり当時はもう京都が全て中心だったので、え、でもそこにはもう大きな町が作れないで、しかも貿易ができないので、大阪の場所を選んで大きな大都市を作って、で、そのためにはやっぱり家康さんと同じで水を制すことがないと都市ができないということなどで大地水工事、大下水道工事を行って今の大阪が出来上がったわけですね。 え、素晴らしい。 インフラに関わる若手社員の熱い思いをインタビュー。 ヤングインフラ。 話を聞いたのは前田建設工業入社6 年目の奥山直さん。土木業界を目指したのは中学生の時でした。 [音楽] 東日本大震災があって、ま、そういった 震災復興とか土木で扱ってるっていうのを 知って震災復興の力になれたりとか人々の 生活に欠かせないもの 作るっていうのがやりたいなって思ったの がきっかけです 。現在は東京外格道路と透明高速道路を 接続するジャンクションの工事に携わって います。 今後の目標は [音楽] 今まで一緒に仕事してきた人とか今一緒に仕事してる人ともう 1 回仕事できるようにスキルとか身につけて、ま、呼んでもらったりとか自分が呼んだりできるような立場になるのが目標ですね。 頑張れ若きインフラ選手たち。 はい、では続いて次のミッションです。ミッションはこちら。禁断インフラの夜け 徴収5を調査せよ。 うん。 このミッションは今でも3 点率ができるということが自慢の桃が調査。 [音楽] 皆さんはい。徴収5ですか?徴収5。 うん。はね、長州さんとかは知ってるけど。 そうそうそう。そっちのイメージある。 近代すぎ。近代すぎ。近代すぎか。 ということでまずはこちらをご覧ください。 あ、かっこいい。 え、みたい。え、マ5じゃん。 かっこいい。5。 はい。はい。ちなみに皆さん知ってる方。 ちょっとこれじゃわかんないなね。 ということで、現在の山口県にあたる班出身の 5 人なんですが、この方々が江戸時代の爆末から明治時代に活躍し、え、日本の近代化に大きく貢献した収 5のメンバーです。実はそれぞれが ほにゃらの父と呼ばれるすごい人たちなんです。うん。 うん。あ、 皆さんもご存じかと思います。こちらは初代閣総理大臣の伊藤博さんです。 この写真のイメージしかないから。 これよりも若い時代てことですね。 そう、そう、そう。 内閣の父と呼ばれていました。そしてこちら初代外務大臣になった外交の父井上かおさんです。 [音楽] すごい。え、全員すごい人だ。そう。 うん。 他にも現在の国土交通省、経済産業省の大元となった公省の設立に尽力した山尾や。 [音楽] [音楽] 下幣制度の近代化に貢献し増と呼ばれる遠藤金介など早そうたる顔れが並ぶ中インフラの発展に欠かせないもう 1人の人物こそ 井上正さん 日本の発展に欠かせないあるインフラを作った人なんですが鉄道の父です。井上正さんは日本の鉄道の整備に大きく貢献した人です。 [音楽] 東京駅には銅像も飾られています。なんか見たことあるあるね。あるよね。 [音楽] [拍手] あなただったんだ。あなただったんですね。 はい。井上さんは日本の発展に欠かせない鉄道をどう作ったのか、え、そして、え、日本初の鉄道とはどんなものだったのかを調査してきました。 お、桃色インフラゼ 時は爆末。1853 年にペリーが来行して200 年以上続いた鎖が終わり、 日本が大きく揺れ動いていた時代。 このまま外国との交流を受け入れるか、それとも戦って外国を知り解けるか、国内でも意見がマップに分かれていました。そんな中、日本人同士で争ってる場合じゃない。 欧米の知識や技術を積極的に学んで日本の近代化を進めるじゃけんといち早く動いたのが長州犯出身の 5人の若者後の徴収5なんです。 めっちゃかっこいい。 はい。しかしこの時代幕府の許可なく海外に渡るのは従罪。 ああ、そっか。 そこで彼らが考えたのがこ大作戦です。 すごい大作戦じゃ。 やばい。やばい。やばい。 やばい。やばい。はい。 日本よりはかに近代化家が進んでいたイギリスに密してその知識と技術を学ぼうと考えたんです。結構な すごいリスクを取ったんですよね。 でも若者の勢いがね。 でもこれもしバレたらもうもう打ち首ですよ。今はないってこと? もう今はまた全然違う歴史になって。 いや、彼らがミッションを はい。しかも当時は5人の平均年齢が25 歳。え、待って。 最年勝の井上マ正さんはまだ21歳 で日本背負ってくれてるだ。 すごすぎる。 はい。井上正さんは横浜や函館で英語を学んでおり、イギリスへの留学を徴に志願して密行させてもらう約束をします。 そして1863 年幕の目を買いくぐり4 ヶ月以上の公開を経てギリスに無事到着。 4ヶ月4月かかるの?本当に本当に そっか飛行機とかない時代か ね。 そこで見た貢献に彼らは衝撃を受けました。 イギリスの近代はぶち合い高層建築ばっかりタ中。ちょっとね、あの方言ってきますけど。 でもあの分かりやすいや。 日本のはか先を行く制度や技術を持ち帰りたい。そんな思いで 5 人はロンドン大学に通いそれぞれの分野を学ぶんだ。 中でも井上マ正マサが目をつけたものが、 それがこちら。 はい、鉄道です。 それまで日本での移動手段は海では船がありましたけれども陸の移動は徒歩や、馬だけ。同じ時期イギリスでは蒸気機関車と鉄道毛の建設で人やもの交流が一気に盛になっていたんです。 日本が禁断会で切るのは鉄道を置いて他にないということで井上正さんは土木工人などありとあらゆる知識を学んでいきました。さらにですね、実際の工事現場にも出向き鉄道の技術もしっかり取得 すごすぎる。 共にイギリスにやってきた仲間が先に日本に帰る中帰告せよという日本からの手紙も断り勉強を続けました。 ええ、 1868年、5 年間の留学を経て帰国した井上マ正。その間に日本では江戸から明治に時代が変わり文明会のまただ中近代を急ぐ中イギリス帰りの井上マに白屋が立ち、政府に鉄道の計画を任されることになったんだ。 めっちゃ怖くない?自分しかさ、その知識がさ、持ってないわけでしょ。しすぎるんだけど。 なんか仲間がいればさ、みんなで、あ、あん時こうだったよねとかなるけどさ、もう自分の中にしかないわけですもんね。 そう。別の塊が動いてたんだよ。 うん。線路ってのがあってさ、 そう。煙出ててさみたいな。 就1年後の1872 年早くも日本初の鉄道を開通せます。す ええ。 すごいね。しかもなんか日本っぽく可愛くなってる。 はい。それが新橋から横浜のルート。 貿の拠点となった港である横浜と人が多く生きう東京を結び人ともを運ぶアクセスルートを確保するためでした。 だからSL広場にSLがあるの?そう そうそうそうそう。だからか。そう、 そうですよ。日本の鉄道橋の地だから記念して置かれてるんですよね。 [音楽] で、この時はやっぱりイギリスからこう学んだ知識とそれからイギリスの資材とか技術者も あ、 来てらって作る時はね、手伝ってもら、 これを見てもこれがどういう仕組みで できてるものなのかまではさすがにわからないですね。 え、日本はね、あの、鉄道王国になっていったんですね。あの、国鉄、今やったら JR って言いますけど、あれ全国各地にあるでしょ。 あれはやっぱりね、あんだけの鉄道を作ったっていうのは近代日本のすごい異業だったんですよね。 [音楽] で、あれがあったから日本が発展できて人も動けるだけじゃなくて重たいものも運べるから日本の近代化を支えたわけで、そういう支える鉄道も作り上げたのが井上マ正マ正という 1人の21歳の若者すぎだったんですね。 すごい。 そして日本初の鉄道通から11年1883 年に井上さんは日本の物流や人の移動を飛躍的に発展させる大事業を指揮することになります。 うん。なんだ? それが関東と関西を結ぶ鉄道の建設です。 すごい大規模。 その計画は東京と京都大阪神戸を結ぶ大脈。 [音楽] 工事が進められたのは日本の中央部、山岳を通る中仙道のルート。ここに鉄道をしけば三部の産業進行が急速に進むと見込まれていました。ところが 1年後まさかの事態が発生します。 へえ。 群馬と長野の境にある薄井峠。この山を越え群馬から長野へ抜けるには 550m 以上の標差を登らなければいけませんでした。 過去の調査ではどうにか突破できるんじゃ ないかと見込まれていたんですけれども、 丁寧に調べていくと当時の機関車が登れる 限界をはるかに超える急行勾配が続くと 分かったんです。 ここでインフラ9 路線変更を余儀なくされた中先道のルート。その代わりに通したルートとは一体どこでしょうか? [音楽] 日本の発展を大きく左右したその路線とは皆さんもうお分かりですよね。 え、でももう下じゃね。 上がりならって。上が 東海道新幹線のところじゃないの? おうん。 現在も活躍するほにゃら線ということでためさんが東海道新幹線というワードが出ましたが 正解を見ていきましょう。桃マ色インフラ中先動ルートでの失敗の原因は現地調査が不十分のままルート決点の判断をしたこと。 [音楽] うん。 そこで井上さんは自分の原点である現場視の方針のも現地の正確な料を行い慎重にルートを決めました。 半年近く地元への聞き込みと測量を重ねた末導き出したルートがこちら。 そうなんです。皆さんご存知ということで正解は山を避けるように海沿を走る東海道でした。あ、 はい。 あ、でも当時からこのルートはじゃあもうあったってことですね。 そうなんですよね。もう1 番使ってるんじゃないぐらいね、私たちもね。そう。そしてついに 1889 年東京から神戸館を結ぶ東海道線が前線開通しました。 便利だよね。本当にありがとうござい。 はい。当時の所要時間はおよそ20時間。 うん。 これまでは早くても歩いて10 日間かかっていたのが一気にまで短縮しました。 すごい。大きいね。 いや、私ね、歩くのと座ってのね、自分じゃ全然違らうのと。 そうだよ。持ってきる荷物の量も違う。 鉄道は国家なりの新年のもと鉄道建設を国家の発展と位置づけた井上マ正。徴 5 の信念と行動力。さらに鉄道に人生を捧げた井上マ正がいなければ日本の近代化を大きく遅れ、今のような大にはなれなかったのかもしれません。 ここで富士井共官が井上マ正が関わった意外な事業を解説。 で、井上マ正はこの東海道線を作った後東北本線を作っていくわけですね。で、東北にこうずっとこう鉄道を引いていくとやっぱりその途中でいろんな電波を鉄道に変えるじゃないですか。それについてすごく心痛めてらっしゃったんですよね。 で、それをずっと思ってた時に、ある時お酒を、え、井上マ正とそれから岩崎さん、三菱の葬師者の人とそれから鉄道のお仕事された小野さんと 3人で食事をされてる時に 僕は是非東北のあの荒れちにすごい大きな農地を作りたいんだって言ったら岩崎さんがよし金を出してやろうと 酒を飲みながら決めてほれでできたのがこの小野さん、岩崎さん、井さんのこの 3つの頭文字を取って小 なんですよ。お、 牛乳とかヨーグルトとかいうのヨーグルト あれは井上マの思いで出き上がった。 そうなんだ。そういうことなんだ。 すごい繋がってる。いろんなところに繋がってる。 そうです。だから本当に日本のことを思った人たち 絶対に小祝いさんだと思ってたもん。 うん。こうの名前だと思わなかったった。 インフラに関わる若手社員の熱い思いをインタビュー。 ヤングインフランス 戸田建設入社11年目の村中正さん。 どうしてもインフラ工事ってあの土の下の 工事が多いですのでその目に移りにくい あとはやった達成感を得られにくいという 傾向がありますので入社した当時はやはり あの人の目に見えるところに注目してたん です けど現在担当するのは千葉県成田駅周辺に 市街地を作るための増成工事 。 ここで村中さんは工事の技術上の管理監督をする管理技術者としてやりがいを感じていると言います。 今はどちらかというとそのプロジェクトをしっかりと完成させることの方に重きを置いて仕事してます。人々の生活に携わるインフラを整備できるっていうのはプレッシャーもあるんですけどもとても魅力的なことだと思うのでどんな工事でもやっていきたいなと思ってます。 頑張れ、若きインフラ選手たち。 では続いて次のミッションです。ミッションはこちら。 理想の暮らしを実現させた人を調査せよ。 調査したのは大人になってから泳げるようになった佐さ。 [音楽] まずはこちらの方をご覧ください。 ああ。うん。これはもうこれはもうね。 はい。 最近よく見かける方ですけれども、皆さん名前分かりますよね。 はい。ましょ。 いやいやいや。お札ね。お札。 そう、そう、そう。えっと、ちょっと待って。 いっぱい聞いたよ。 いっぱい聞いた。いっぱい聞いた。はいはいはい。じゃなくて 変わりましたね。わかりました。 はい。じゃあ、桃ももさんお願いします。 渋沢え吉地。ちょ、 あ、惜しい。 あと1人とは違う。 雪地が残ってるな。雪を残ってた。 雪地の名残りが渋沢はAさんです。はい。 2024年から1 万円札の顔にも採用されています。ま、何をした人なのか。うん。うん。 お金、お金を。そう、日本なんかいっぱい あの桃鉄ではすごい渋液って中裁さんのとこに行くとめっちゃお金もらえるんですよ。 [笑い] あ、そうだね。そう。だからすごいお金を多分資金をこういろんなとこが集めてきた人じゃなかったでしたっけ? うん。うん。もちろんそれもはい。 爆末から明治にかけて日本の経済発展を支えた人なんです。具体的にはこちら はい。 そうだよね。相当さ。そうそうそうそう。 これは渋沢さんが設立や経営に関わった企業や団体のごく一部となります。その数は生涯で 500にもと言われています。 そんな渋沢さんにはたくさんの呼び名がありました。 はい。 実業界の父、日本資本主義の父、近代日本経済の父、金融の父。うん。 すごいまみれですね、もう。はい。 いや、なんかやだな。 なんか土まみれってなんか まみれでございます。 このように数々の授業に関わってきた渋沢さんなんですが、 77歳の時に経済会を引退します。 実は今回インフラ人として調査したのは 渋沢さんの引退後の活動となります。日本 の経済発展に尽くしてきた渋沢さんが 引退後に一体何をしたのか調査してきまし た。思い インフラと 君のハートにロックオン。あら超規制 ネームの どうしたの?なんかちょっといつもとキャラクターが はい。 今回も私たちの事務所の後輩超めき宣伝部のひりんこと吉川ひよおりちゃんがインフラ選士研究生として調査に行ってきてくれました。 ありがとう。 え、ということで今回はなんとこに素敵な綺麗だに来ております。電園モードだったんだ。 いやあ、のどかな街並ですね。 渋沢さんが深く繋がりがあるということで、今日はそちらを調査していきたいと思います。案内してくれたのは大田区の歴史に詳しい月さんです。 渋はA と電園一体どんな関係があるのでしょうか? [音楽] 電園特に3 丁目の街づりをした会社がありまして [音楽] おお電園都市会社と言うんですが その株式会社を作るのに 非常にこう人力したのが渋沢H になるんですね。そうだったんですね。 はい。 そう渋沢が引退後に行ったのが電園重府の街づり。 当時日本は急速な発展の影響で都市部は 人口下密状態。近代化の一方で待機汚染や 水など従境の悪化が問題となっていました 。そこで渋沢さんは78歳の時に宅地開発 を行う電園都市株式会社を設立。都心から 離れ未会の地だったこの場所に理想の町を ゼロから作ろうと動き出したんです 。 早速動き出した渋沢さん。現役時代の圧倒的なコネクションを使ってあるインフラを作ります。 [音楽] 都心で働くで住む場所は郊外だと 交通手段が必要になってくるわけですね。 大事ですね。 で、そこで鉄道を引きました。 [音楽] この時手を貸してくれたのが武蔵電気道という会社の五藤け太さん。後に東京グループの創業者となった人です。 すごい。 今でこそ鉄道会社が都市開発に関わること は珍しくないけど、当時としては先進的な 取り組みだったんだ 。何もない土地に鉄道を通すところから 始まった渋沢一の街づりその前貌にくいぞ 。 電園風というとどんなイメージを持ちでしょうかね。 そうですね、やっぱりイメージとしてはなんかお上品なご夫婦人とかがいるようなイメージだったのではい。 そうですね。あの、電府というと割と高級住宅街と いうイメージがあると思うんですね。元々はですね、 あの、やっぱり、え、電園長の、え、電園という言葉に表されるように 緑豊かというところがあの、街づりの基本になってたんですね。 ね、こちらの電長の由来というのがありまして、 あ、はい。 ここに我が国将来の国民生活の改善のため、当時やく米に現れ始めた電園都市に着目して都会と電園との長所を兼ねた模範的住宅地を実現させようと念。 援都市っていうのは都会と電園との長所を兼ね合わせでそれは外国で電園都市というの始まってそういうところをですね参考にしながら うん 作ったのがま、この連長風という街並になるんですね。 はい。 当時日本より近代化が進んでいたイギリスやアメリカで注目されていた電園都市構想。 都会的な便利さを残しながらも緑豊かな環境で余裕のある暮らしができる町。それが渋沢さんの求めた街作りでした。大源府の街並みにはそんな渋沢さんの思いが詰まっています。 後ろを振り向いていただくと はい。 実は原都市としての街並の特徴が現れているのが 1つ分かるんですけど、 こうわ全体をこう見渡していただいて はい。 何かお気づきになることありますか? なんか労が特徴的だなっていう風には思いました。 1 個でも十分なのに3つあるのが そうですね。 すごい素敵ですよね。まっすぐにこう放射場に伸びている道。 あ、こちらは電園長府駅周辺を上から見た写真なんですが、駅を中心に道が放射線上に広がっていますよね。 うん。うん。うん。 これはパリの凱を中心としたエワ式道路を参考にしていそうです。おしゃ れね。おしゃれだよね。おしゃれ。 これにしたメリットみたいなのってあるんですか? この真っすぐの放射線の道だけじゃなくて うん。間に こう奥義型にこの駅を中心に外側外側に伸びていく あの感情道路っていうのがあるんですね。 うん。 で、その道能路ってまっすぐにはなってないので行った先が見えないわけですね。そうするとその先に何があるかっていうのが分からないのでワクワクするとかドキドキすると ま、そういう街の、ま、作りでもあるんですね。 木の通りにし そうですね。 はめちゃくちゃ緑でなんかすごい人通りが多すぎるわけでもなく少なすぎるわけでもなく 本当に喉かっていう言葉がめちゃくちゃ似合う街ですよ。 多分そういう風にこう思うにはこう街を見ていただいて何かこうお気づきになることないですかね? ええ、なんだろう。 その一見一見もそうなんですけども共通してこうどの家にもこう何か入ってる。 ものが入っているもの。 それではここでインフラ9。渋沢 が理想の町として作った大園長ではそれぞれのお家に当時珍しかったあるものが使われています。それは一体何でしょうか? [音楽] 理想の電園都市を実現するため各に取り入れたものとは?な んだろう?外壁みたいな。 お、いいですよ。なんか区切られてる。あ、な、何て言うんだっけ?こういうの。あの、 でも外壁がさ、 池器は?うん。素晴らしい。 それでは答えを見てみましょう。桃色インフラゼ 何かってと、池書きということで、 池書き緑がすごい綺麗だな思って。 建物を作って隣とか区別するためには うん。うん。今壁を作ると思うんですけど はい。大緑ではい。壁にしてるんですね。 確そうですね。緑で壁になってますね。確かに全然違うもんね。こ こ見ていてもこう緑が目に入ってからそれ壁だとパになっちゃうもんね。 電園都市というわさですね。 へえ。 ということで商林大正解。正解は池垣きでした。 [音楽] 園では緑豊かな景観を作り出すために建物の間は兵ではなく行き書きを積極的に採用するようにしているんです。 ええ、素敵。 こうした渋沢さんの理念は現在も紳士協定として電園長の人々に受け継がれていて、今でも高い建物や道端の自動販売機などがありません。 ない。 だね。次にひよりんが向かったのは電園長府駅を渡った反対側のエリア。 また違う場所に来ました。 雰囲気が全く はい。違くて。 そうですね。区駅の東口になるんですけど 住宅ではなくて商業だね。お店がたくさんありますね。 [音楽] 当時日本っていうのは働く場所、店舗は1 回、え、住む場所は2 回という建物が多かったみたいで、 え、ヨーロッパの街並を見てこの電園長歩でも商業地の専用の地域と うん、 住宅地っていうのを分けるっていう発想に、え、思い立ったのではないかなということも 思いますね。 当時は住と店舗が入り混じっているのが当たり前。 [音楽] そのため騒音や衛生面での課題もあったんですが、電園長府では駅の西側を住宅エリア、東側を商業エリアに分けることで暮らしと職場を完全に分離。当時としては先進的な試みだったそうです。 今あの電園長府の駅というと地下に鉄道が通ってるんですが元々は地上に駅があったんですね。 はい。あ、そうなんですね。 で、その頃の液というのがこの かいいの、え、旧の駅舎うん。 [音楽] 残ってるって。 いえ、これはですね、あの外観を復現したもので、元々の駅舎は老朽化してしまって、え、この地下にする時に解体したんですが、地元の住民たちからのあの要望もあって、 ま、外観を復縁する形で、え、今は、ま、当時のきを伝えるものとして駅舎として残ってるんですね。 [音楽] そうだったんですね。はい。 地元の人たちの強い思いによってマッチの顔として読めった駅舎渋沢一が思い描いた理想は今も受け継がれています。 レ園重府って言うと、ま、あの、街づり始めてからもう 100年以上経ってるんですね。うん。 100 年間とやっ変わってきたもあるんですけど、継承してきたものもあって、 街の人たも、ま、渋沢の思いに共して 渋沢の理想を残していこうと、え、努力をしながらこの町を維持してるんだと思うんですね。 では最後にひよりんにある偉大な人の名前でアウを作文分で閉めていただこうと思います。 偉大な人。 え、今日はしりんで行きたいと思います。塩りのもんね。 渋沢Aさんになりたい。しおりの おに私もなってみたい。 しおりのリズムになって しのうーん。 うーん。ひよりんもえ、このアイドル活動を頑張って電園重歩に進む [音楽] ということでスタジオにお開します。 はい。あり、ありがはい。ありがとう。 しりんもありがとう。 空海から渋に至るまで、え、ダムを作ったり、鉄道を作ったり、え、道路を作ったり、街を作ったり、そういう土木がないと最終的に人の暮らしの幸福幸せっていうのが実現できないと皆さんそれぞれの立場から持って行かれたんだなっていうのが今日 4人振り返ってみてすごく 分かりますよね。 うん。ね、選手の皆さんもこうはい。はい。 世界の人々の幸せのために、日本の国民の皆さんの幸せのために頑張っていただきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。 頑張り願します。 次回の桃色インフラーZ は高速道路。日本の主都市を結び人と物資の輸送に欠かせない超重要なインフラ。 [音楽] 高速道路を通せば町が生まれる その近接から60年老朽が進む日本の大 動脈を守る最新技術まで 。8月3日曜日午前11時放送お楽しみに 。桃色インフラZはご覧の共産者の協力で 放送しています。 [音楽]

6月1日(日)午前11時放送「ももいろインフラーZ」
東京ローカル9ch「TOKYO MX」で放送!
放送後は番組丸ごとYouTubeでもお楽しみ頂けます!
TVerでも最新話の見逃し配信実施中!

第14回テーマは「インフラ偉人伝」

私たちの暮らしを支え、現代にも受け継がれる偉業の数々を深掘りします!

弘法大師としても知られる空海が
遣唐使として唐から持ち帰ったインフラの知識とは?
空海の宗教的な思いが息づき
いまも人々の暮らしを支え続けます!

さらに、天下の台所・大阪を日本有数の大都市に発展させた
豊臣秀吉のまちづくりの秘密とは?

そして幕末から明治時代にかけて日本の近代化に貢献した5人衆
「長州ファイブ」が凄すぎる!?

さらに一万円札でもお馴染み渋沢栄一が
引退後に手がけた理想のまちづくりに一同驚嘆!

偉人たちが紡ぎ上げた我が国理想のインフラの数々を深掘る60分!ももクロ&藤井聡と学ぶ!

◾️1300年前のインフラが今も活躍!“土木の達人”を調査!
◾️大阪を日本有数の都市に発展させた偉人とは?
◾️近代インフラの夜明け!近現代史を彩るビッグネームが揃う『長州ファイブ』
◾️経済界引退後に理想の暮らしを実現させた偉人・渋沢栄一

【番組紹介】
日本を襲う、豪雨や地震、津波、火山…
恐ろしい自然災害に立ち向かうために必要不可欠なのが「インフラ」!

最強のインフラ戦士を養成するための組織「インフラーZ」に
ももいろクローバーZが新人戦士として加入。
インフラ界の権威・藤井聡教官による指導の元、インフラの重要性を楽しみながら学んでいく!

偶数月第1日曜午前11時放送!

【出演者】
ももいろクローバーZ(百田夏菜子、佐々木彩夏・玉井詩織・高城れに)
吉川ひより(超ときめき宣伝部)
藤井聡

【アーカイブ】
特番第1回「治水」(2022年9月4日放送分)

特番第2回「道路」(2023年3月5日放送分)

第1回「地震対策」(2023年4月2日放送分)

第2回「新幹線」(2023年6月4日放送分)

第3回「港」(2023年8月6日放送分)

第4回「電力」(2023年10月1日放送分)

第5回「橋」(2023年12月3日放送分)

第6回「高潮」(2024年2月4日放送分)

第7回「トンネル」(2024年4月7日放送分)

第8回「まちづくり」(2024年6月2日放送分)

第9回「液状化防止」(2024年8月4日放送分)

第10回「道の駅」(2024年10月6日放送分)

第11回「ダム」(2024年12月1日放送分)

第12回「災害復旧・復興」(2025年2月2日放送分)

第13回「空港」(2025年4月6日放送分)

【番組HP】
https://s.mxtv.jp/variety/momoiro_infra_z/

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6件のコメント

  1. ナチュラルぼけ、ナチュラルつっこみなのに、それが面白いのが、ももクロ。
    勉強になる番組です。多くの人に観てもらいたい。

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