(736)山本太郎さんと再会!(改訂版)=12年ぶり。原発事故の映画「朝日のあたる家」以来ー政治家の太郎さん😁
よいスタート 。映画監督の太田です。えっと、いや、 あさ、もう一言、え、え、最近はすっかり 病人のおです。えっとね、あの、いや、 病人なんですけれどもね、やっぱ仕事もし なきゃいけなくて、えっと、本当月に、え 、つかね、週に1回とか、まあ、どうなん だろうな。月に月に45会って言った方が いいのかな。え、こうあの仕事させて もらっていてで、そんな中でそれで ちょっとここしばらくはね、あのそのお 仕事はね、えっとね、政治家さんの インタビューが多かったんですよ。ま、 政治絡みのあの、あの、ま、番組っていう か、あの、プロジェクトなんで、で、それ でね、なんと、え、あの、え、山本太郎 さんをインタビューするっていう風な、え 、機会がありまして、でね、なんつ言って も僕のどこあるかな、あの、もこの辺に 出るかな。え、朝日の辺りっていう映画で 、え、出演していただいたあの俳優さんで ありで、今は令和新撰組 のボス組長。こんな言い方しないか。代表 か。代表代表であるね。もう今やもうお下 されるの若手政治家さんなわけで。で、 その本太郎さんにインタビュー、ま、僕が インタビューするわけじゃないんです けれども、あの、インタビューに行くお 仕事のディレクションを入って、いやいや いやいやいや、なんかこれもやっぱり1つ の運命だなと思って、え、というのはあの もうね、これご覧になってる方みんな知っ てると思いますけど、今言ったように、え 、山本太郎さん 俳優最後の仕事っていうのが僕の、え、 あの家だったんです。原発事故描いた映画 で。で、それから、え、立候して、え、 議員になって、で、その後に令和新撰組を 結成して、え、今やどんどん飛び飛ぶ飛ぶ を遅く落とす勢いでガンガンガンガンあの 伸びていって、今確かね30代男性だった かなにアンケートすると立憲民主党に負け ないぐらい、え、あの、なんていうかな、 あの、指示率があるっていうね、あの、 本当に次の選挙が楽しみだなっていう。 またさらに多分今もかなり増えましたから ね。あのメンバーメンバーっていうのかな 。えっと、儀績数を取りましたから次 もっと行くんだろうと言われてますしね。 で、僕ももうその映画が朝日なれ映画が 終わってからもうずっと応援していって なんかね最初のえ、1番最初に選挙出たの が朝日の朝日がね、え、2013年だった んです。確かね、2013年か14年に 多分13年だったよな。え、太郎さんが 立候補して、で、それの第1世が、え、 新宿であったんですよ。で、それを僕は 応援しようと思って、こうカメラ、カメラ 持って、ビデオカメラ持ってって撮影して 、で、それをYouTubeで配信して 応援しようと思ったんですよ。だから、ま 、僕も原発問題はやっぱ多くの人に考えて もらうきっかけ作るために、え、朝日の 辺たりで作ったし、え、太郎さんは やっぱりそれをまず最初は原発にやっぱ 興味を持ってアクションを始めてで、 もうこれではいかんぜよっていうので やっぱり政治家あって、で、政治家あって も政治家自分があっただけじゃやっぱ 変わらないっていうので、え、令和新剣線 組を立ち上げて、で、原発だけじゃなくて 他にもこの国はいろんな問題があるので、 やっやっぱそれを解決していかなきゃいけ ないってことで、え、頑張ってるわけです けれども、だから僕も何か応援したいなっ ていうのね、何もね、あの、差額なね、 寄付もできないし、貧しい映画だから。で 、考えた時に、ま、応援に行ってその凱旋 行ってもったら頑張れっていうことは できるけど、なんかもっとできないかなと 思ったんで、え、ビデオカメラ、ビデオ カメラを持ってって撮影して、で、この ずっとYouTubeそもそもあれだよな 。僕がこのYouTubeを始めたってた 太郎さんの応援から来たのかな?それとも 映画の予告編を配信するためやったのかな ?あ、ま、えっとね、あ、でも同じ頃だと 思うな。うん。で、え、それから始めて この僕が出てきてこうえっと1人で いっぱい喋ってるっていうのはもう ちょっと後なんですよ。で、もうその令和 新君の以前ですから太郎さんのえ、あれよ 、あの演説を取ってテロップ入れて配信し てたんですよ。だからね、これの僕のこの 青ズ映画者チャンネルって言うんですけど 、ずっとね、もう何年ぐらいやって、3年 か4年やってるんですけど、最初の頃行っ てみると、あの、あの、山本太郎単独ソロ だった頃ソロとかっていうのかな。あの、 だった頃の演説とかも入ってるし、もう 賞金の頃の令和新撰組のね、え、令和祭り とかも撮影したもの入ってて、え、で、 それもね、あの、よく令和公式っていうの も後にできる。あ、だから令和公式できる 前から僕は実はね、配信してるんですけど 、令和新撰組公式の、え、動画で、あの、 そういう、え、なんて言うかな、凱旋とか 、え、スピーチとかを通ったのを配信して ますよね。で、それ以前から僕はね、あの 、あの太郎さんのは撮影して配信してるん で、かなり初期のこともあって、少し前に ね、そのあれよ、えっと、1番最初の新宿 第1世、もう12年前になるのかな。うん 。っていうのを、あの、少し前にちょっと さ、再配信したら、なんかみ、皆さん めっちゃ懐かしいとか、いや、もう令和 以前の山本太郎の演説って初めて見たとか いう風なんでね、結構反あったんですけど 、でもその時って本当に今やね、あの、 令和で太郎さんが演説するともうすごい 駅前に人になりますよね。もうなんか民族 大移動みたいな状況になるけれども、もう その頃って本当ね、1番最初なんていうの はもうもう56人とかしか集まってなくて で、僕が撮影してると太郎さんと目があっ てですね、変装してったんですよ。 やっぱりね、あの、もうすごい気を使う人 なんでで、ああ、カドもみたいなことをね 、余計な気を散らせたくないんで、えっと 、3、 サングラスかけてで、帽子かぶっ てで、あ、もちろんこんな令和のこんなの 来てないですよ。あの、あの、下っぱじゃ ないですけど、病人なんで。それで、えっ と、取ってたんですよ。で、こ、ここした わかんないでしょ。合わかんないのにね。 なんかあのすぐバレてね。で、あの1番 最初もう1番最初のそのインタビュー時に えつかってで苦出さないまでもああ監督 どうもみたいな感じでとかって言ってくれ てね。いやいやもうなんかそんな演説し なきゃいけないのにと思ってでそれ以降ね あのもうずっともうそういう選挙の旅に 行ってたんですけれどもなもうずっと離れ てでカメラってあの望遠望遠で取れるん ですよ。応援で取れて、それで あの遠くで離れ撮影してで、あ、新たも 応援来ましたとかって挨拶もしないように してで、そのうちね、こうその新宿の時で もその第1戦の時は56人しかいなかった んだけれども、ま、そっから午後から多分 午後の日曜日だったと思うんだけど、そう するとどんどんどんどん人が集まってきて して、で、もうね、それでもう1年2年 あの経っていったらもうすごいあのなんて いうか徴収になってきてあお、僕がかもう 隠れて隠れてやらなくても普通にやっとっ てるだけでもあの人ゴミに紛れて分から ないぐらいになってきたんででもそうして ねもこの12年あのも選挙ある度たびに 応援に行ってたんですよ。だけれども、ま 、本当に声かけてそんなね、えっと、余計 ななんか僕と話したり挨拶する時間が もったいないから、えっと、なるべくね、 で、それその後に今度は、え、並んで記念 写真大会をするようにもなってきてした時 にやっぱりあの、そう知らない人たちに やっぱりあの太郎さんの演説を聞いて もらって、それであ、山郎でいいこと言う なとかって、で、写真撮ってした時にこ こうね、皆こう見せますよね。こうやって 、え、あなたは山と写真撮ってきたんだよ とかって言ってね。いやいや、なんか意外 に映画で見るよりお2枚目だったよとかっ て言って話題になるっていう。だからそう なったところで言う時にあの僕がこう 話しかけたり、え、なんかうん。する時間 とかもったいないし、僕はほっといても 応援しますし。で、別に太郎さんにお礼を 言ってもらいたいわけでもないんで。てね 、やっぱ他の議員とかね、あの、政治家に 比べてね、もうあの人はあの本当に自分の 欲得とかえのためにやってるわけじゃない ですからね。だって考えたら分かります けどあの今議員やってるよりも役所やって た時代の方が彼もあの収入多かったんです よ。で有名なりたいっていう風なことも よく言うけど有名もすに有名でしたからね 。もうだってあれにもタイガドラマにも出 てましたよね。んだったかな?新撰組。 新撰組じゃ何だったかな?あ、新撰組だっ たと思うんだけどにも出てたし。で、 朝ドラ2個にも出てた しも国民、 国民レベルの国民レベルのっていうかな、 国民的俳優だったわけな、すでにも。で、 あの、収入もあったしたらそれ全部捨てて 、あの、政治家になって、あの、日本なん とかせねやかんということでやってるんで ね、よく言われるそういう風な、あの、 売名行為とかあの、金儲けなためとか全く 当たってないっていう。だからそれで僕も お仕事してね、あの、あのずっと何度も話 もしましたしね、やっぱ映画の職てやると やっぱ本音とか本質がよく分かるんでその 時に、あ、この人やっぱ真剣だし本気なん だなっていうの分かってたんで、え、今更 僕があのなんかその太郎さんに声かけたり 頑張ってくださいとか言う必要ないと思う 。でも離れとってんですよ。で、あの、 初期の頃に確かね、えっと、まだ令和やる 前に、え、太郎さんが応援していていた、 えさんが行ったんですよ。で、僕もそれを た時ももうそれ見に行ったっていうか、 あの、応援に行ったんですけれども、なん かね、すっごいぶり上がってたんです けれども、結局その人はあの当選しなかっ たんですよ。で、なんでだろうと思って 考えたけど、僕言ってて分かったんだ けれども、応援に来てる人たちがそのある 、こう有名、あの、ま、芸能人に近いよう な人だったんだけど、その人は人気はあっ たけどそこの凱旋に来るのはその人の ファンとか指示者なんですよ。で、そこで はぶわーっと盛り上がってるように見える んだけれども、結果的にその、そっから 広がっていかないんですよね。だから現場 に行った時はそうや勝てもう勝てないや あの盛り上がってんなと思ったんだけれど もあの意外に表が入んなかったっていうで うーんやばいですよこれはとか思ってた けど太郎さんって結構考えてる人ですから ね。やっぱりそれをやっぱり理解し抜いた んですよね。だからそれ後に例えば太郎 さんがここ例えば新宿駅前で、え、凱旋し ますって言ったら応援している人たちが来 てくれるんだけれどもでもやっぱりそ同じ ように増え増えないんですよ。それじゃだ からそれ以降ね、えっと、告知、告知が もう当日とか前日になって、え、何々駅前 駅とかね、北海道であります、九州であり ますとかいう風な、ま、ゲリラ、ゲリラ、 え、戦法を取り出したんですよ。っていう ことで、例えば駅前で話した時、ま、致名 度ありますからね。お、誰なんか、なんか 演説してるな。お、山本太郎じゃんって、 どんなことってか、ちょっと聞いてみよう かとかって聞いてさ、やっぱ話面白いし、 すごくね、テレビ新聞が言わないことを やっぱ伝えてくれるで、あ、なるほど、 なるほど。うんとか思って、え、理解して もらえるってそう、ちょっと令和寄付 しようかなとか、いや、次やっぱ 例入れようかなとかいうことになって くるっていう。これ見事なやっぱり戦法 っていうか、あの、やり方で、で、だから それをやっぱりね、学んできてるのずっと 僕はもう初出場の時からずっと必ずあの 応援に行ってるんでね、見ていて、ああ、 考えてんなと思ってね。で、一時期ね、 小沢一郎さんところ、え、どこだったかな ?えっと 、民主党じゃなくって自由党、自由党だっ たかな?ま、名前何回かかってますけど。 って言ってやっぱり小沢さんからもすごい 学んでるしで、そのやっぱり信的なその やり方っていうのはやっぱ小沢さんから 学んだ部分が多いだろうという。で、その 時に太郎さんをすごく可愛がり色々教えて くれたのが今、え、沖縄県事のデニーた木 さんなんですよ。で、電さん元々そこの、 えっと、小沢さんところの、ま、ナンバー 2的なあの存在だったんで、で、それで 太郎さんに色々そのあの政治家のあの色派 からを教えてくれたらしいんですよね。だ から僕そのまた映画、あのこの時沖縄 シリーズを撮ってましたからで、その度び にえっと沖縄行ってあの知事、知事訪問、 あの沖縄のね、基地問題とか、え、沖縄線 のが題材だったんで、あの表系訪問して、 その時に、え、デニー知事と話した時に 太郎さんの話したらそしたらそ太郎はね、 よく勉強してるよとかって言ってでいうの はやっぱりね、デさんも色々教えてるし、 それはすごく学んでそれをちゃんと今活用 しているっていうでそもそもやっぱ小沢 さんの発想だったり戦略だったりっていう 風なこともね学んでいるっていうの聞いて たんでああなるほどなあと思ってねいうの をねもう本当デビューデビューじゃない からずっと見てたんですけどあのえっと初 当選からずっと見ていてでまなぜかねそう いう元ま僕がま太郎さんの映画に出て もらったっていうだけのあのまスタート だったんだけどなんか令和あの候補者の人 たちもそういうことであの山本太郎の最後 の映画を取った監督だってことで、あの、 僕のことを、あの、知ってくれてる人たち も何かいらっしゃって、そうしているとね 、今年に入って話が長くなりましたが、 今年に入って、え、今年に入っててか、 ついこの間、その今やっている仕事で、え 、あの太郎さんをインタビューするって いう 仕事を頼まれた僕がインタビューするじゃ ないですか。インタビューする仕事僕は さっき言った仕切りだけ、え、カメラここ にして照明こういう風に当ててで、あ、 ここのこの位置に座ってもらって、この 椅子机のあれからこっちから取りましょう とかっていう、それディレクションのだっ たんですけどね。それでそれであの山本 太郎さんインタビューっていうのでええと か思ってで、え、この間ね、 国会、ええ、技童、え、国会議員会館かに 行ってきたんですよ。でもここしばらくね 、他の人たちもインタビューしてるんで、 何回も言ってるんですけれどもね、議員 会館って言っていやいやいや、まさかこの この流れで太郎さんと再開すると思わな いって12年ぶりですよね。だから朝日の 当たるの舞台挨拶をした時に、え、東京で 映画館の初日だったかなに、え、来てくれ て、それもうん、来てくれて、そこで一緒 にトークショーやらせてもらったんですよ 。で、その時以来ですよね。あの、そう いう風に面と向かってお話するのは。で、 その他の時とかっていうのはさっき言った ように僕はなるべく邪魔しないようにして 離れて取って黙って帰る忍者のようにあの 光あるところに影があるま忍者のっていう 感じでえってたんですよね。で、1回、1 回だけね、あの、こうやって撮影終わって からそ、太郎さんがそ、あの、え、 いろんな人をこうお話ししたり握手して あったり、え、その頃はまだね、あの、え 、写真、記念、記念写真撮影っていうのは やってなかったからやっててもそんなに 並んでなかったんですよ。で、その後太郎 さんがその、ま、上手の人たちまだ残っ てるからそのぐるぐるぐるぐる回ってたん ですよ。で、僕撮影してたらなんか神さん もそこまで太郎さん来てて、え、やばとか 思ってどうしようかなと思ってで、と思っ てあの、あの、え、あたさんどうも思って 、あの、映画でお世になった太田ですと かっての忘れてるかもしれないなと思って 言ったら、さ、監督このも来てくれてまし たよねって言われて、で、そうなんです。 そ、その時の、その数日前にやった別の 駅前でやったやつも撮影に行ってたんです よ。その時は隠れてね、バレないように 帰ってたのにバレてと思ってね。いや、 よく見てるなとか思ってね。うん。バレて 、でもそれ以外はもう本当にバレないよう になるべく離れてぞとせしてたんで、あの 、近づくことは5mのに近づくことは なかったんですけれども、えっと、去年、 あ、そうそう。去年言った。去年はその 八幡あさんと大石明子さんの両方とも関西 、大阪地区なんで時の、え、撮影に行って でそれを配信するって応援するため大阪 まで行ったんですよ。で、ま、元々僕は あの関西出身だったんでもアンチラ詳しい んで行ったらたまたまね太郎さんが来てい て応援で来ててちょ倒れた時ですが入院 仕掛けた時ですよ。あの、体悪くしてで、 入院せずにその日のうちにまた出て応援説 行ってた時でそれで難波難波で、え、太郎 さん、え、違う最初大一さんの応援で、え 、シアターセにある大阪の僕の映画いつも やってくれる映画館があるんですけどね。 シアダセブっていうそこ層のシアトラセブ の近所で、え、あの、おいさんがトークと いうか、そのスピーチした時に来て応援し ていて、その後太郎さんは今度、え、大阪 の駅前のところに行ってやるっていうので 、で、それも先回りして撮影して、え、し ててだなんだけども、本当すごい人であれ でって言ってて、あの、その時も声かけ なかったんですけれども、ま、それで久々 にね、12年ぶりに、え、ま、まともな形 で、ま、で言うと僕はインタビューしない んでね、あのどうもお久しぶりですとかっ て言ってあのあかどうもとかって言って くれてまインタビューしようとしたんです けれどもでそれでその後にもう時間もう すっごい忙しい人なんでね時間15分しか もらえなかったんですよ。であのもうそれ なくてもこう次7月7月に衆議院戦あり ますよね。で、それ の、あ、参議院戦、ああ、もう次のその 準備も次こそ、あの、あの、 もっと合格、合格っていうのを、あの 、ざ籍数を増やすぜっていう感じで、もう すごいかけていて、今もそういう凱旋活動 とか日本飛び回ってるんですよ。か時間 ないんでね。もう10しか取れません けどっていうことだったんで。で、その だけもらってで、なんかゆっくりとね、 昔話したりこう落ちめながら最近はどう でっかとかっていうそういう全くないんで 、もう入ってきてしたらもうなんです。 もう監督のです。お久しぶりでしたとかっ て言ってで、それでもう今日今回これと これこの話だけですからとかって言って その説明ま、ディレクターと説明して こちらインタビューのあんたさんです。お 手お願いしますとかって言ってもう初めし てで15分経ったらもかりの人が元開けに 来てねもとにかく早く次の仕事が待ってる からっていうですしたんだけれどもでその ま帰りにもうなんかあどうもありがとう ございましたっていう感じで本当ね昔の 懐かしい話をしたりえのはなかったんです けれども あのま最後にあのたさんまたあのカメラ 持ってえ街当演説応援に行かせてもらい ますとかって太郎さんに監督去年も来て くれてましたよねって言われ てなんで気づくんだよとか思いた。あの、 去年ってことはその去年の週3参参議院戦 の時で、えっと、八ハさんと大石明子さん を僕が応援に行った時にたまたま太郎さん が来ていて、さっき言ったようにソロでも 、え、お1人でも、え、そういうあの凱旋 やったのを取りに行った時にあ、カント来 てるわっていうのをね、気づいたんだろう なと思って、よく見てるなと思ってね。 やっばれてえらって言ってね。うん。で、 またカメラを低下してもらいますとかって 言って、え、もう彼もドって帰ってって、 もうそんな懐かしい話とかするまなかった んですけれども、でも、あの、ちょっと、 あの、ま、記念写真だけ一緒に久しぶ12 年ぶりに記念写真撮ったんですけど、だ、 その前って言うとも12年前の朝日の 当たり家の時に一緒に舞台挨拶したの、ま 、カメラマンっていうか、あの、その シールの、え、宣伝の人が撮ってくれた 写真以来なんでね、ま、10年ぶりに こんな写真撮ったがね、え、こちらになり ますね。こちらっていうね。いやあ、なん かね、2人ともアため2人ともね、 めっちゃ年取ったなと思ってね。で、僕 なんかま、昔12年前に朝日の辺で撮った 時、監督した時って髪黒かったですからね 。でももっと太ってるし。ま、ただね、こ この写真は、えー、もう舞台挨拶で日本中 飛び回って、え、いた時でもヘロヘロだっ たんですね。こう太ってるっていうよりも 顔がむんでるんですよ。で、それで東京、 え、東京の豚初日じゃなかったんでね、 太郎さん。で、東京はもうね、すごく何 週間も上映して何ヶ月もやってくれてした 時に、え、途中で時間取れたんで来てくれ た。その時のやつなんだよね。でもあの 太郎さんのこの新しい方の写真見てもなん かやっぱりね、顔がやれてね。いや、お 疲れたなって感じもしますよね。だから 両方2人ともあの年取ってて年取ってか やっぱりなんかやれてて大丈夫かなみたい な気はしますけれどもまそんなでね本当 12年ぶりにまあねそれよりもこう久々に こううん昔の仲間と会ってみたいな感じで ま相変わらず頑張ってるしまちょっと健康 心配だなと思ったけどこっちも十分に ボロボロなんでねこっちの方が多分ひどい 状況なんでね。うん。と思いますけれども ね。ま、そんなことがあったんで、 ちょっとこ、あの、このYouTubeで ご紹介してみようかなと思いました。うん 。なので、また次のね、選挙になっても きっとカメラ持って応援に行って、あの、 令和、あの、伝えていこうと思うので、 えっと、是非ぜひ、あの、ちょっとその辺 も、え、期待していただければと思います 。またこんな話もしていきますね。では また。 [音楽]
🔴山本太郎関連の動画
(642)山本太朗+大石あきこ@街頭演説。大阪。十三。2024年10月24日
(640)山本太郎・街頭演説ー2024 衆議院選@大阪・梅田ヨドバシカメラ前 10月24日
(549)山本太郎さん。熱い!直球の人=映画「朝日のあたる家」の思い出
(ア)山本太郎さん。11年前=2013年 議員になる前の街頭演説!出演映画の予告編
🔴「沖縄狂想曲」Amazonプライムで有料配信中
山本太郎出演映画
🔴「もしも脳梗塞になったなら?」日記
https://takafumiota.seesaa.net
○「沖縄狂想曲」予告編
○沖縄ー舞台挨拶「沖縄狂想曲」動画=太田隆督が登壇!2024年
ブログ🔴太田隆文監督「沖縄狂想曲」製作日記
https://okinawa-kyosokyoku.seesaa.net
動画🔴「沖縄狂想曲」Amazonプライムで有料配信中
動画🔴「乙女たちの沖縄戦」Amazonプライムで有料配信中
動画🔴「ドキュメンタリー沖縄戦」Amazonプライムで有料配信中
AmazonでDVDも買えます!
公式HP=> https://okinawakyosokyoku.com
予告編 https://youtu.be/szZRg9Ylqvc?si=H3hBF8C9IAY57qf7
公式Twitter https://twitter.com/okinawakskk
シネファクトリー記事=> https://www.cinema-factory.jp/2023/11/20/37726/..
(太田隆文監督ープロフィール)
映画監督。1961年、和歌山県生まれ。大阪の高校を卒業後。東京で助監督を経験。その後、1985年からアメリカ留学。1987年、南カルフォルニア大学・映画科に合格。
1990年帰国。アルバイトをしながら、シナリオを書く日々。1995年、「アルティメット・クライシス」で脚本家デビュー。その後、数本のVシネマのシナリオを担当。2005年に「ストロベリーフォールズ」で映画監督デビュー。
青春映画「青い青い空」「向日葵の丘−1983年・夏」「明日にかける橋ー1989年の想い出」を脚本、監督。2013年に山本太郎が出演した映画「朝日のあたる家」を制作、監督。
低予算映画なのに毎回、有名俳優が出演。常盤貴子、藤田朋子、田中美里、津川雅彦、長門裕之、宝田明。太田作品後にブレイクしたのは、芳根京子、谷村美月。
その後。社会派ドキュメンタリーを監督。
「ドキュメンタリー沖縄戦」「乙女たちの沖縄戦」「沖縄狂想曲」を監督。2013年に脳梗塞でダウン。1年に渡る闘病生活。両目ともに半分を失明。脳の1部が死に。心臓機能が20%まで下がる。現在は静養中。
ブログ
https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp
1件のコメント
12年ぶりとは❢❢✨心がゆさぶられますね。
シェアして下さりありがとうございます。写真って良いものですね💖