徹子の部屋 内容:「白いTシャツ健在!52歳の今を語る」出演:吉田栄作

相変わらずの白いTシャツとブルーチーズ がお似合いでらっしゃいます。お久しぶり 吉田江さんどうぞおいでくださいませ。 50代におりになってます勢力的に活動 なさっていらっしゃるその顔にどうも こんにちは。どうもよろしくお願いいたし ます。なんぶりのご視聴です。あって間 でした。あって間でしたね。でもあれでし た。もう50人におりになったで。 そうですね。うん。 前回が僕が歌手20 周年の時にお邪魔してで、あの時は僕40 歳だったので。そうです。 それから江戸が一周あったんですね。 そうですね。はい。早いですね。 早いですね。 でもあれですね。身長は変わんない。 そうですね。デビュー僕この番組ってあの節め節めでお世話になってまして、 最初はデビュー当時だったんですけど 20歳とか21のこれだったと思います。 はい。 そん時僕182cm って、ま、プロフィール上言ってたですけど、もうちょっと実はあったと思います。 あ、そうでしょう。だって大きいもの今見た時。 ただ今は本当に82だと思います。 縮んだの さすがにそろそろ縮み始めてます。 でも、ま、おせは高いってことはよくわかります。 はい。 他はもう全然体重も変わってなくて。 そうですね。今ちょうどあの舞台中でちょっとあの肌をあのお客さんにえっと見ていただくもんですから ちょっと絞ってるんで。あ、あら。 はい。あの、多分70km ないぐらいだと思うんですけど。はい。普段はそうですね、 72kmぐらいだと思います。 そうです。はい。でも当時あの20 代の頃ですが、トレンディ俳優としても大人気だったんですけども、あの女子大生の抱かれたい男ナンバーワンっていうのにも横なりになってたのね。 もう昔の話でございます。 でもそういう若い時にもせよ。そういう話はやっぱり心よかったですか? ま、そうですね。ねえ、 抱かれたいと言われて嬉しくない男はいないんじゃないですか? そうですよね。ようございました。 はい。それで白いT シャツとジーンズはもうみんなが真似たっていうぐらいのもんで、そのジーンズもまた相当にうまく手が入ってますよね。 そうですね。これあのアメリカロサンゼルスで買ったんですけど。うん。 あ、そう。 はい。好きなあのデニム屋さんがありまして いいですよね。そのよれ具合がね。 そうですね。 なんかあのファッションってなんかね、あの時が経つと 1周2周 してくるんで、ま、これもだからストーンウォッシュなんですけど、なんか最近またこういうのも出てますね。 いいですね。うん。はい。 でも体はもう昔と全く変わらないで、 ま、一応やっぱりあのこの仕事してるとやっぱり体力勝負なんで。 そうですよね。 はい。基本やっぱりあのトレーニングは欠かさず うん。前はなんか前朝走ってらっしゃとか言ってたけど。 そうですね。はい。今も? 今も走ってます。うわあ。何キg ぐらい走っ? 距離はだいぶ縮まりました。ま、昔は 67km 走ってましたけどはい。今は45km ですかね。ちょっとでも毎朝 え、ま、前朝じゃないですけども、ま、え、行ける時は週に 5回とか行けなくても週3 回とか舞台値はちょっと控えますけど、 体力温存で。はい。 ちょっと過ぎるとすごく暑いでしょ。 そうですね。で、意外とね、40 代ぐらいまでは夜走ってたんですよ。 うん。なんか1 日蓄えたなんか消費しそうじゃないですか? でもなんか45 過ぎたぐらいからなんか朝走るのが気持ちよくなりまして うん。 やっぱ朝の光ってすごく元気がいいんで。 そうですね。気持ちいい。はい。 で、走った後にちょっと太陽バーっとこう大の字書いて浴びてはい。それがなんかあのちょなんか太陽電池みたいになってますね。 なるほど。太陽電池。 でもあのジムとか行ってらっしゃないでそういう風にただんところただって言って変いうところで そうそうですね。 やってらっしゃるんですって。 なんか公園に行くとやっぱ鉄望とか あるんでえ、そういうので十分です。 うん。なるほどね。でも下がって見てない。 見てますね。そうでしょ。はい。はい。 吉田閉が操してるなんてね。 そうですね。 うん。ああ、なるかもしれない。 なんか、あの、子供たちがこう遊んでるようなジャングルジムとかブランコとかそういうのもちょっとうまく使うと、あの、いい感じのトレーニングができるんで、 お子さんがいない時を見計って うん。やってます。でも今日5 回目のご出演なんですけど、過去のご出演をちょっとまとめえてみましたんで、 これがまた恥ずかしいんですよね。 いいじゃありませんか。ちょっとVTR でご覧ください。 あ、やっぱりその周りを見ててね、その目的とかそういうものがないその若いものとか自分の友達がどんどん増え出してきたんですよ。 そんな中で、ま、僕が高校2 年の時にね、あの、新宿の高層ビルの1 つのビルに登ったんですけども、その高い、 50 何回だったかな、高いところから新宿の街を見た時にね、人がこうバーっとこう入り乱れてるところを見て、俺があの中にいたらやっぱりあのなんて言うのかな、アリンコみたいな中のね、やっぱり 1匹なんだなと思う。 うん。 すごくなんかそれで終わってしまうのはすごく嫌で それで結構なんかその、ま、僕16 歳でしたけどその時になんかうん。 ちんっと切れるものがあって、 ま、その帰りの電車の中でね、ま、東京出てなんかしたいなってもそのもう瞬間的に決めてたんですけど うん。 とにかくれだけやはり歩いてると女の子がピッてピッピってみんながこう振り返るっていう感じっていうのはどういうもんなんです? 自分はね、そのやっぱりこう街を歩いちゃいけない存在なんだなって結構自分に聞かしてるんですね。 うん。 うん。だからうん。やっぱ、ま、こうい方がすごくいいのかわかんないけども、あの、やっぱり自分をやっぱりお金出して自分の歌を聞いてくれたりね、自分金出して自分に会いに来てくれたりする人に対してやっぱりその町でこうインスタントにね、見る人がいちゃいけないんじゃないかなってすごく思うんですよ。 すごい。すごい。 うん。スターってもそういうもんだと思う。もしかしたらね、 もう本当に俳としてもうピークであろうかとみんなが思う時に休業宣言をなさいまして、そしてハドにいらっしゃいました。 やっぱりその16 歳の時に見た、ま、そういう意味で夢ですよね。みたいなものは すごくやっぱりあの運が良かったのか、その 22歳の時にうん。 その叶ってしまったっていう実感があったんですよね。 うん。 で、それがいかにうん、あれミっぽだったかみたいなものにもすごく気づいたし。 あ、そういうものがええ。 そういう意味ではそのなんか、ま、方針状態みたいな状況にもなったし、 40 歳に同じになったっていうなんか感覚ありますよ。 うん。なんかなんかその30 代の時にあったなんとかこう霧のようなものって言うんですかね。なんかそれがこう ふーっとこう開けたような 気がなんかしたんですよね。うん。 う、あ、 たやっぱりんな角度からこう見て例えば怖さを覚えたりとかなんかこう逆に立ち止まってみたりする 30代があって なんかずっとこうやっぱ早く40 になりたかったところは僕自身があったんで うん。あ、そう。で、50 代に同じですけど、今ご自分のことご覧になってどんな? いやあ、時間が経ったんですね。 本当ね。はい。の、20 歳の時はなんか名言を言ってましたね。 そうです。そうです。ちゃんとでも20 代の半ばに突然アメリカらっしゃいましたよね。 休業してはい。そうですね。 あの時もちょっと伺いましたけど、あれはどういうお気持ちだったんでしたっけ? なんかやっぱりそのだから16 歳の時に見た夢がなんかやっぱ20 代前半にはもうなんか叶っちゃっててそれでその時になんかでもろんなものをこうすっ飛ばしてきちゃっているなっていう感覚が自分の中にあったんでしょうね。 うん。 で、もう一度やっぱりちょっと勉強し直さなければいけないしとか、あとやっぱりちょっと心が疲れてたところもあると思います。 ま、そうね。忙しい1 回ちょっと休ませたいと。で、その22 歳の時にそう思い始めてその時にじゃ、すぐに行ってきますっていうのは現実的じゃなかったんで、その 4 年後に行ってるんですけどはい。26 歳の時に行ってるんですけどで、3 年間向こうで過ごして はい。相当長いでしょうね、3 年間ってね。そうですね。うん。 なんかその自分の中ではやり切った感があったんですけどな。 まだ、まだまだ全然自分はあのやってないことがたくさんあるじゃないかっていう風にやっと気づけたんですかね。 その時にあのNHK の大ガドラマの方からのオファがあったんで ああまさにもう渡りに船でした。 うん。はい。その画ドラマ何でしたっけ? えっと原力両乱という そうですね。 はい。亡くなった中村ブ郎さんがカンクロさんの時代に主役を得られた。うん。 はい。なんか1 年間通したその物語のこうナビゲーターのようなあの 役だったのでそうですね。 はい。それが僕にとって初めての時代劇だったんですよ。 あ、そうですか。 はい。だ、その時代劇なんてのもだからそのトレンディの頃はやってませんでしたから。 だからそれがあのいいきっかけではい。日本に帰ってきましたね。 うん。なんかあの今おっしゃってたけどこうパーっと霧りが晴れたような気がしたとかっておっしゃってた。 ああ、40の時にそれがありました。 そう。あれはどういう感じがね、首が なんかやっぱ30 代の時になんかあの、ま、若い時にもう本当にこう例えば野球のピッチャーで言うともうストレート、ストレート、ストレートでこうずっとこう勝負してきたような感じがするんで、 なんかさ、アメリカきた後はもうなるべくその 1 回そのファストボールを封印して、あの、とにかくろんな変を磨こうと、例えば花をあの描く時にこう描くんじゃなくてこう描いたり下から描いてみたりちょっとそうい いうちょっと違うあの形で演じるっていうことをした 30代があったんですよね。ええ。 で、その時になんか自分が40 歳になった時にファーっとその霧が晴れてもう 1回5速級で勝負してみよう と思ったんですね。そん時に20 代前半の頃の スピードは出ないけど自分には身につけた変化球がもうあるんで変化球を投げて うん。 ちょっと遅くなったファーストボールを投げると意外と効果的だっていう風に気づいたんですかね。 はい。だから30 代の時にいろんなことを考えたことは決して無駄じゃないってことに気づけたのが 40の時だったと思います。なるほどね。 で、5年前に トっとテレビというので私の父の森ナをやってくだ作りっていうか、あの時バイリニストだったんですけど、どうでした? あ、バイオリニストの方と色々とライブなんかで仕事をしてもっとこうしてくれ、あくとかっていうことは言うんですけど バイオリンってあんなに難しいんですね。 難しいんですよ。バイリンって本当に で、こう引くふりっていうのも本当に難しくて びっくりしました。 でもうまくいっちゃったじゃないですか。 本当ですか?うん。そう、そう。 で、あの、ま、あの、プロデューサーは、あの、僕が、あの、哲子さんのお父様役になったっていうことをとてもお喜びになってますよって僕は聞いたんですけど、プロデューサーってほらちょこっちを盛り上げるためにちょっと話を盛るじゃないですか。 だから哲子さんは本当はどうだったのかなっていうのは今日是非あの、お聞きしたかったです。 あ、いや、私ね、ま、は結構ハンサムな方でしたけどあんなにハンサムじゃないわって言いました。その時に。 でも、あの、僕があの、幼日の哲子さんにこう言う言葉があって、なんかそれをずっとあの、哲子さんが大切にされてるっていう言葉だっていうセリフがあって うん。 で、それはもう僕にとっても本当にそのなんて言うのかな、もうずっと僕の心の中にある。 あ、それは覚えてらっしゃる。 はい。僕もほら、あの、二十歳の頃とああいう本当に考え方をする人間なんで、あれはすごい刺さりましたしな。 ま、なんとなくですけど、ずっと覚えてますよね。 うん。ちょっと教えていただいていい? はい。神様はどんな人間にも必ず1 つ飛び抜けた才能を与えてくださっていると。でも大概の人はその才能に気づかず 違う職業について一生終わってしまう。 あの、アインシュタインとかピカソっていう人たちはあの、その才能にたまたまこう出会った人たちなんだっていうようなセリフだったと思いますけどね。 うん。まあ、そうですよね。そんなことをします。 だから私もあれこれやってみましたけどね。がリでしたからもやってみたし、チもやってみたし、ピアノもやってみた、いろんなものやってみたんだけどとにかく音楽は合わないって、 ま、いいんなものやってみたけどやっぱり合わないなって思いましたもんね。やっぱりね。 うん。うん。 うん。僕もなんかあの子供の頃から本と窓の外見てると飛んでる鳥とかあの川沿を歩いてる老夫婦とか なんかあの人たちのこれまでの人生にはどういうことがあったんだろうとかだからそういうことがもう気になるともう授業なんかも全然入ってこないような すごい大人ねそういう子供だったんでうん あのセリフは本当にあの響きましたね あお父様もスパルタだったんですって 基本的なことにものすごい厳しい両親でもう時間に遅れるなとか うん あと例えばえっと友達 のオタクにお邪魔しておやつとかいただくじゃないですか。そうすると今日なんかもらったかとかって言われてでおやつ何にもらったおまじいただいたとかったらもすぐ俺礼をもう 1回しろとかあ、そう。 はい。あと散り紙と繁カ値は絶対持っていきなさいとか。 うん。その3つでしたかね。 それ役に立ち。 そうですね。なんかそれだけで良くないですか ね。世の中ね。うん。 そうです。そう思います。 ま、うちの父はねはい。 ちょっちゅしてきます。 あ、そうなんですか。 はっきり言ってね、毎日はね、円源が好きなんですよ。で、庭に水とかね、いろんなバラとかいろんなものやってく。それやってるとね、もう時間忘れちゃうのよ。で、パパ早く行かないとって、母はな何回も言うんですけど、必ず電話勝ってくるでしょ。まだおいでにならないんですけど。 さすがミュージシャンですね。 で、帰ってくる時はね、めて帰ってくる。だからね、その先減っちゃってんのこうやって 角めて帰ってくる。もう早く 早くうち帰り早くママのとこ帰りたいてそういう人はしたら へえそういう人です。 素敵ですね。やっぱり ええ でも後にやっていただいて本当に良かった。 あ、 どうも音楽はみんなよく知ってるんだけど本当は俳優が本職っていうか まあ今はそうですね。 僕は職業は何かって聞かれたらもう迷わず俳優ですと答えますけど やっぱ音楽もずっと好きでその16歳高校 2 年生の時から続けているのではい。ま、もうなんか僕にとってはすごく大切な表現の 1 つですね。なんかやっぱり俳優ってやっぱ受け身じゃないですか? そう、そう、そう。はい。 でも今もう僕が自分で曲を作って書いたりしているんで、ステージングなんかもしてるし、なんかやっぱ自分初のその表現、自分発信の表現をする形なので音楽は だからやっぱり自分にとっては両方が大切ですね。 でもあのアメリカに癒した時は2 週間だか何週間だかけてアメリカのそういうわゆる音楽の精神てとか巡ったんですってどうでした? いやもうなんかあのまニューオーリンズとかニューオーリンズだったら例えばジャズ うんでメンフィスだとブルース うん ナッシュビルはカントリーとかなんかもうそこ賢からそういう音楽が流れてくるんですよなんかその音楽の脇水が湧いているというか なんか例えばそCD で聞くとだから水で言うとこうペットボトルを飲んでるような感じ だけどもう本当にその音楽が湧いているんで うん。 だその湧いているその清水にこう膝をつけてこう飲む水が本物じゃないですか? なんかそれをこう体感 したような旅でしたね。 うん。うん。で、やっぱり良かったですけどね。 そうですね。やっぱ貴重な体験でした。やっぱ車でアメリカ体陸横断ってやっぱなかなか そうですよね。 はい。やっぱ体力もないとできませんし。 時間もないとできませんし。そうそう。 はい。その3年間の間になったんですよ。 そうですね。アトランタオリンピックの年でした。 1996年かな。 はい。だからそこ賢からそのジョージアオンマイマインドが流れてるんですよ。 そう。あのニオリンズで行くとジャズバージョンで それメクス行くとブルースバージョン。 あ、そう。 ナシベとカントリーバージョンとか でニューヨークはニューヨークでま、音楽があるじゃないですか。 おマイマイですね。 へえ。なんかそういううん。 なんかすごく貴重な体験をあのしたなと思ってます。 で、2010 何年かにデビューなして、それがちょうど 30 周年だったんですね。2010、昨年が 30周年だったんですけど、で、本当は だから去年2020 年にコンサートツアーをやって うん。 え、終わる予定だったのが、ま、コロナの影響で、ま、ちょっとツアーは延期になって 今年やらしてもらってるんですけど。 あ、そうでしてね。 名古屋、大阪でやろうとして、で、名古屋は大丈夫だったです。 大阪がまた6月の6 日であの土日のイベントは無観客だって妖精が出ちゃったんですよ。 うん。私を再演期にしてうん。 ま、この7月もうすぐなんですけど7月 31日にうん。 大阪バナホールでやらせていただきます。 そうですか。その名古屋の公演はもうなったんですからね。 そうですね。東京も無事あの研究事態が開けてすぐだったんですけど、 ちょっとそ、名古屋のVTR をちょっと見せていただきます。はい。 だけはあ、助か君をいていたい。 明日の今頃は 僕は記者の 中あと 1cmさが 僕は君を送ってしまうよ。 も何もかも幻なんだとしても そさ最後 まで挨拶にはいられない君 をあいと同じ格好そうですねはでも会社 できるといです ねはい大阪の さ、さ、最公園最延期公園ですね。最延期公園。 はい。 で、俳優性から歌手はこれからも両方 はい。そうですね。はい。もう音楽は本当に好きなのでずっと続けてもし何かがあって俳優を引退するとしてもあの音楽は続けると思います。 そうね。あの考えてみるとあの体力的に言うと はい。 あの、コンサートも大変かもしれないんだけど、 俳優のように全部セリフを覚えて、 ええ、 この時間でずっとっていうのに比べると はい。 自分らしくあるのにはコンサートの方がね。 そうですね。なんか今はもう例えばもうギター 1本自分で担いでうん。 なんか本当に数十人のお客様の前でこうやらせていただいたりとかそういう活動もしているので。 うん。あ、そうなの。うん。はい。 そういう時は本当にこう心から歌えるでしょ。 そうですね。うん。うん。 なんか一番なんかそれがなんかその等台のあの自分らしいっていう風に思う時もありますね。 うん。うん。うん。 それはもう何万人のお客さんとこでわーって言うのもいいかもしれないけどそういう 小さいところでね。 うん。そうですね。そういうのもなんかそのアメリカのいろんなそういうのを見て あの感じたことなんです。 あ、そう。皆さんそういうなことやってんのね。うん。 ま、21歳の時のあの一カバ局心の旅 はい。 の作家のチュリプの財さんが財和加藤さんがなんか 10年ぶりに曲を書いてくだて。 あ、元々あの在一さんが歌ってら、えっと今年出した新曲ですかね。そのタイトルが人生は 1つでも1 度じゃないっていうタイトルだったらしいんですね。 うん。で、僕がその30周年の2019 年にあの出させていいたアルバムのタイトルが we onlyいうこの人生は1 回だけっていうあのタイトルなんですよ、偶然。 うん。それでこでも人生は1つでも1 度じゃないってここにすごく意味がある気がするんですね。 ええ、 で、さんもずっとその音楽っていう表現を続けてられる大先輩で、あのなんか何かでこう失敗しても別にそこでくじけないでもう 1 回チャンスはあるじゃないかっていうようなあのメッセージだと思うんですよね。うん。 もちろん人生は命は1つですけど、1 度の失敗でくじけちゃいけないっていうことは。 なるほど。それこないだご披露なさいました。ました。 ちょっとしてあのご覧ください。 あ、大丈夫さ、大丈夫さ。うまく行くから。 蘇える力。 君の中から大丈夫さ。大丈夫さ。全てうまく行く。人生は 1つでも1度じゃない。 いいわね。いい歌ですよね。 いい歌。うん。とっても痛い。大丈夫 で是非あのカバーさせてくださいっていうことで。 あ、そうなの? そうですか。はい。 でも本当に漢字のこうなん歌だしこう誰でもがね共感できる。 うん。そうですね。またそのコロナの中で あの苦しんでる、傷ついてる人たちもたくさんいると思うので うん。もう本当に大丈夫さっていう気持ちで歌いたいですね。 そうですよね。さてさて、52 歳におりになりました。 今後の夢とか目標とかあります? ま、目具体的なものはないです。あの、僕もあの、独立させていただいて、今本当に 1 人でもう本当にズタをしって、あの、こう、今まで来たこう、一本道をこの先もずっと一歩一歩踏み外さず、あの、歩いていくっていう気持ちでやらせていただいてますんで、この先もはい。一歩 1歩はい。あの、だく仕事を丁寧に、 あの、やらせていただこうかなと思ってます。自分が自分に 1番こう負けたくないので はい。頑張ります。はい。また、あの、 また10年後とか僕はやっぱ60 になった姿もテス子さんに見ていただきたいので 是非それまでこれ続けてますからね。 絶対よろしくお願いします。もう私も 楽しみに90過ぎちゃうけど頑張って。 いや、もう本当にお元気ではい。頑張ってください。 やってみようと思。 必ずあの、呼んでください。是非ぜひね。 はい。 でもそういうこと考えてるともほら目標ができていいじゃない。 はい。そうですね。 是非ときました。本当今日ありがとうございました。 ありがとうございました。テ ス子の部屋はラサで過去の放送会を配信中。 Yeah.

徹子の部屋 内容:「白いTシャツ健在!52歳の今を語る」出演:吉田栄作

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