第1542回「南無地獄大菩薩」2025/3/28【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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■管長日記「南無地獄大菩薩」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先日禅文化研究所で、佐々木閑先生と細川晋輔老師と地獄について鼎談したときのことでした。

細川さんは、白隠禅師の「南無地獄大菩薩」と書かれた書が残されていることについて語ってくれました。

白隠禅師のお寺である松蔭寺にも蔵されています。

何枚もお書きになったようで、私は沼津の別のお寺でもこの書を拝見したことがあります。

南無地獄大菩薩ですから、地獄大菩薩を帰依し奉るという意味です。

細川さんは、この言葉が何を意味するかについて

「この答えは、白隠禅師にしか分からないと思うのですが、その軸と向き合っているだけで、地獄のように厳しい状況に置かれた方が「逃れられない地獄であるならば、むしろ地獄に身を委ね、一所懸命、死んだ気になって頑張ってみよう」と思われたというお話もある」と語ってくれました。

この言葉を聞いていて、そんな話をかつて松原泰道先生の本で読んだことを思い起こしました。

書架にある松原先生の著書『喝 人生何を支えに生きるか』(PHP研究所)という本にありました。

この本は昭和五十年に出版されたものです。

ちょうど今から五十年前に出版された本です。

この中で松原先生は、柴山全慶老師の『人生禅話』(春秋社)で学んだ話だとして書かれています。

「また柴山老師も「知己から貰った小冊子を読んで感動した」と前書して自著に掲載しておられる。」

という話です。

一部を引用させてもらいます。

「A・B両氏は、二十年来の古い俳句友達だ。

たまたまB氏が事業に失敗する。

再起に努力するがついに万策つきて、止むなくA氏を訪ねて必死になって援助方を懇請する。

しばらく考えていたA氏は、「私にとっては大金なので即答し兼ねる。

恐縮だが明朝九時にお出いただきたい」と返事を保留する。

一夜が明ける。約束の時間にB氏はA氏邸を再度訪問する。

通されたのは昨日の応接間と違い、清楚なA氏の茶席である。

B氏は作法どおり床の前に進んで、席がけを拝見するが、奇異なことに茶席には不相応と思われる全紙の大幅である。

しかも、書かれてある言葉は筆太の、《南無地獄大菩薩》の七文字だ。

この語の内容もまた茶席にはおもしろくない。

風雅を愛するA氏には似つかわしくもないとB氏は心中に思った。

しかし、今は風流の沙汰どころではない。

ただA氏の承諾の返事だけが頼みの綱で、不審な思いもすぐに消えた。」

という風に書かれています。

どうしてこのような対応をなされたのか、その方がどのようにして白隠禅師の南無地獄大菩薩をお持ちになっていたのか分かりません。

そのあと次のように書かれています。

「しかし、肝心のA氏は容易に顔を見せない。

B氏は、やむなく孤影悄然と床の間の「南無地獄大菩薩」の一軸と対決し、その七文字を凝視するだけだ。

彼は、いつとはなく(南無地獄大菩薩 南無地獄大菩薩) と声にならない声で心中で唱えるともなく唱える。

そのうちに、B氏はいろいろと気づく。まず地獄は誰しも好まぬところだから、地獄を否定する。

しかしいかに否定してみてもB氏の現在は、地獄そのままの苦しみで逃れることも避けることも、どうすることもできぬ事実である。

彼は、この事実に対面しても、なお逃れようとする、逃れられぬ地獄 (逃れられるなら、地獄の名に価しない)を逃れようとするところに、彼の苦痛は倍増していく。

それなら、思い切って居直って、この地獄の坩堝に自分を投げこみ、そのまま自分を地獄に任せきったら……。

B氏は未だ一度も経験したことのない一条の光を、心の深い層で感得する。

(堕ちなければならぬ地獄なら、思い切って飛びこむのだ! 捨てることも逃げることもできないのなら、潔く担いで行くよりほかにない――。

然り!

地獄の中で地獄いっぱいに自己の能力の限りをつくすだけだ。

地獄の苦しみに成り切るのだ、それが 南無地獄大菩薩からの声なきかけ声、無生音の呼びかけだ!とB氏は受け取れた。

「やすやすと、他人の好意にすがり、地獄から逃避しようとした己れの甘い卑劣に、B氏はむしろ悲しみを覚えて、ようやく落着きを取りもどすことができ」 やっと床の間を離れて炉辺近くに坐りなおす。

そのとき、茶道口が静かに開かれて、A氏が現われ、B氏を待たせた詫びをいい、一服の茶をすすめる。茶を呑み終って、B氏は心こもった席がけに礼をいう。

「この軸から何かを体得されたのですか?」とのA氏の問いに、

「はっきりと言葉では申されません。ただ、今まで気づかなかった別の世界に触れることができたのは事実です。

死中に活を得たように思われます」

この「南無地獄大菩薩」の一軸は、白隠の書であることを知らされて、B氏は改めて床を仰ぎ、ついで礼拝していう。

「大それたことを申すようですが、この南無地獄大菩薩は、白隠禅師そのものと思われます。

禅師は、人びとの嫌う地獄を大菩薩とすなおに受け入れ、全身全霊を挙げて礼拝されたお方と拝されます」と。」

という話であります。

長い引用になりましたが、改めて読んでみて深い話だと感銘を受けます。

こんな書物を読んだのは中学の頃でしたが、今読み返すと感慨新たなものがあります。

松原先生は「南無地獄大菩薩」は、白隠禅師の晩年の書であることに触れて、

「その高齢でありながら、少しも筆勢の衰えもみえぬ雄こんそのものの大作で、現在は静岡県の原の松藤寺蔵されている。

先年、全国青少年教化協議会が、この作品を展観したとき、 一青年がその前で立ちすくんだように、しばし不動の姿勢で見上げていたのは印象深かった。彼の心に「南無地獄大菩薩」の声がどのように響いたのであろうか。」

と記されています。

五十年以上前の本の話でありますが、今の時代にも深く示唆を与えてくれるものです。

事業にうまくいかなかったという相談を受けることもあります。

なかなかこのような導き方ができるわけではありませんが、どうか地獄の中にも活路を見いだしてほしいと願うものです

気づく力、生きる力は誰しも与えられていると信じています。

横田南嶺
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